昨日のYOU-TUBEを見て
ミトコンドリアって何?
とまた知らないことが出てきた。
やはり原発事故は 知らない世界へ人間を連れて行ってしまった
いつの時代も
人間はそうやって 不可解な地獄に陥る
そういう時何を考えているか
それを思うと
物語の世界
宗教の世界がだんだん見えてきた
しつこく言うが
この本は 美術の起源と 宗教と
いろいろ 初めて考えることを考えさせる本だった。
人間は不可解なものに出会って苦しむとき
いろいろ
類推する
ビザンチンの絵画も
繰り返すテーマ
対比するテーマを配置して
人に語ってきたんだ
知らなかった
マリアが 受難の予見で悲痛
幼児キリストが 受難の運命を受け入れられない幼い時の悲痛
死せるキリストを抱くマリア これは いろいろ図を見ていると思うので省略
マリアの魂を 幼子のように抱くキリスト
横たわっているのが死んだマリア
キリストが降臨して
マリアの魂を抱いて天国に送る
そういう風に絵を見ながら説教を聞く人々は
自分の苦悩を昇華させていったかもしれない
そんなことを考えた
不可解なことが次々現れて 自分の心が揺れているから
そんなことを思うのかもしれない
あのね
京都の五山の送り火に岩手の陸前高田の薪を焚かないでと言った人について
やはり非難囂々になってきた
ひどいじゃないかって言うわけだが
ある思いにとらわれるときって
人はそれを理詰めで説得したって どうなるものでもない
本当に人の不安なんて 理では動かない
この頃不安を煽るやり方だと かなり危険について言うと
攻撃する云いを見かける
いろいろわからないんだから しょうがないじゃないかと思う
現地にいなきゃ わからないこともあるよ
て
私福島に行って思うことがあった
ともかく 桃は売っている
で
桃のセシウムの基準を超えなくて大丈夫でうれしかった
と言って
今年も桃が食べられる喜びを感じただろうと 実感した
もちろん福島の人のなかにもほんの少しのセシウムもいや
だから地元の桃 食べられない人もいるだろう
私はお土産で買ってこなかった
茨城なのに
福島から買ってきた と言ったら 素直に喜んでもらえない
と思って買わなかった
私も 皮ごと食べられないんじゃな やめとこうと思った
これはまさに現地の人間ではないからの反応だと思う
(福島の桃自慢さん ごめんなさい)
で
よく
東京より北の野菜はもう食わない!
というツイートも見る
茨城だって 野菜作ったら人殺しだみたいなこと
茨城県民だったらたぶん言わないっじゃないかと思うが
でも 茨城の野菜ほとんどだけれど
検査も基準値も信頼を失っているからね
いやだ
とお思いになる人は
厭だと思って食べたら毒だし
やめたほうがいいと思う。
そういう人が後から気が変わったら
それはそれで
無理強いではなく気が変わるなら
それでいいと思う
こういうことを考えるときは
別にいろいろなことを類推しながら考えているので
ビザンチン美術の構成の仕方
これは
類推や連想 つながりを読むことなので
これまた
同じようだと 面白がっている