キリスト教のことがわからないなあと
美術を見て思い
文学を見て思う
イスラム教のこともそうなんだが
宗教って 結局世界観みたいなものだなあと思う
日本人 どういう世界観で生きているんだ?
知らないことが多いなあと思うけれど
ものの考え方 と言うのは 意識に上るかどうか
分かんないけれど
なんかフォーマットみたいなもの
ある感じがして
それは 私は東洋人だなあ
と思うようなことだ
へえ そうだったんだ!ということ
源が 東洋なんだもん
またまた 断りもなく 花てぼさんの書を泥棒してきた
私はこの書を絵としてしか見れないが
花てぼさんも
怡然自樂 という この怡のりっしん遍の ピンホールの白が残ったのが
いいんだって
仰る
絵を見る目で見ると 超 納得
しかし無学な私には
怡然自樂と言う字が読めない
で 調べたら
調桃花源記 と言う陶淵明の詩の中の言葉だった
晉太元中,武陵人捕魚爲業,
縁溪行,忘路之遠近,忽逢桃花林。
夾岸數百歩,中無雜樹。
芳草鮮美,落英繽紛。
漁人甚異之,復前行,欲窮其林。
林盡水源,便得一山。
山有小口。髣髴若有光。便舎船從口入。
初極狹,纔通人。
復行數十歩,豁然開朗。
土地平曠,屋舍儼然,有良田美池桑竹之屬。
阡陌交通,鷄犬相聞。
其中往來種作,男女衣著,悉如外人。
黄髮垂髫,並怡然自樂。
見漁人,乃大驚,問所從來。
具答之,便要還家。設酒殺鷄作食。
村中聞有此人,咸來問訊。
自云:先世避秦時亂,率妻子邑人來此絶境,不復出焉。
遂與外人間隔。問今是何世,乃不知有漢,無論魏晉。
此人一一爲具言所聞,皆歎。
餘人各復延至其家,皆出酒食。
停數日,辭去。
此中人語云:不足爲外人道也
既出,得其船,便扶向路,處處誌之。
及郡下,詣太守,説如此。
太守即遣人隨其往,尋向所誌,
遂迷不復得路。
南陽劉子驥,高尚士也。聞之欣然規往。
未果,尋病終。後遂無問津者
桃源郷って言葉は知っているつもりだったけれど
ここから来たのか
怡然自樂 って 違うかもしれないけど
かねこみすずの みんなちがってみんないい
の気分みたいな気がする
昨日よんでくれた
Tさんの声が 怡怡 と言う感じなんだもの
私たちの感覚の根っこって
こういう この 桃源郷を思う感じって
もはや 遺伝のような気もする
今日はもう疲れたから
明日
月を差す指 のこと 書きたいが
あ 暇ないかも