WIKIで カルトって何?と調べたら
元は崇拝とかの意味で
元は反社会的な意味はない
宗教組織のセクトみたいなものが本来の意味らしい
今みたいなニュアンスの言になってきたのは
もともとは19世紀のキリスト教に異端セクト 非キリスト教と言う
緊張的な見方が広がってきた?
今みたいなニュアンスの言なってきたのは
1950年くらいからみたいだ
フランスの何たらいうところの定義
↓
この中で、セクトの本質を「新しい形の全体主義」と定義した上で、以下のように「セクト構成要件の10項目」を列挙している。
1.精神の不安定化
2.法外な金銭的要求
3.住み慣れた生活環境からの断絶
4.肉体的保全の損傷
5.子供の囲い込み
6.反社会的な言説
7.公秩序の攪乱
8.裁判沙汰の多さ
9.従来の経済回路からの逸脱
10.公権力への浸透の試み
そう考えて
今の原発事故を受けて科学的な発言のもろさが暴露されて
事態をちっとも解明できない
科学へ信頼が失墜したみたいな今の状況で
反原発の人たちが結構カルトめいたり 陰謀論に心惹かれたりという現象が起きている
と言うの
やっと
分かってきた
西洋の人々は
キリスト教が根底にあって
物事を考えるみたいだよね
無神論の人も含めて
日本人の私にはそれがないからわからないところがある
よくわからないんだけれど
仏教思想って
宗教と言うよりは 世界をどう考えるかっていうはなしみたいに思うんだけれど
信仰?
あるか?
あるかもね
阿弥陀様とか
拝んだり 火の神様が各家庭持ち寄りで回ったり
でも科学ではわからないことだらけの事態に陥ったら
人間は 色々なものを関連付けて解釈しようとする
こじつけもあるかもしれないし
未来の偉大な発見の萌芽もあるかもしれないけれど
恐ろしく発想豊かになっちゃって
あれこれデマめいて見えることまで言いだす
カルトめいてくるってこういうことではないか?
それは似非科学だと嘲笑い攻撃する人々もいて
科学万能だと高をくくっているのかと反撃したり
そういう様相に見える
で
昨日の彩友会でのおしゃべりなんだが
デッサンがうまく行かないのは
形や空間や質感や画面や
そういうものを考えるとき
関係性 どう探っていくか
と言う話だった
例えば 空間の表現について
ルネサンス以来の線遠近法が人々の眼を硬直させているのは
今の科学への 無謬性への勝手な思い込みに似ている
で
訳が分からなければ手探りで
あらゆる関係性を探っていく
そういうことで なんか似ている話だと思った
さて 今日は 彩友会「白い静物」と言う課題だ
白状すると
(大塚先生 課題がマンネリだろう!)
と文句を言いたいところだが
優等生の私は 先生が思いつかない課題を引き出してやる!
と挑戦的なのだ
ま どうせ それが狙いで
わたしゃ お釈迦様の掌の上だけど