アーカンサスの花が咲き出した そもそも木彫りや革細工の図案によく登場する。 建築物の装飾デザインにもよく使われる この葉っぱ 見たくて植えていたら 花も凄いね 忍冬は朝鮮を通ってあの唐草模様は入ってきたのよね。
今トルコの小説
細密画の絵描きが殺される話を読んでいる
「私の名前は紅」
絵を描くということについて
イスラム圏の考え語って全然知らなかったから
最初は頭がくらくらしたけれど
非常に興味深い。
おととい読み終えた、古代の朝鮮と日本の話
これを書いている人は朝鮮人だけれど
子どものとき日本に来た人だ
古代の日本には
大量に朝鮮から人がやってきたのね
それで
朝鮮と結びつくさまざまなものについて書いてあるけれど
読んでいると
ちょっと侵略されたような気になってきた
この、私の民族意識って何?
こういうのって
国家というものに組み込まれて生きてきた長い歴史が
私の意識をつくっているのね
数日前には
アナーキーに行こうなんていっていたくせにね。
自分のルーツに大して興味はないけれど
国家というものをはずして
朝鮮との関係は考えてみたい気がする
この田舎に来る前
住んでいたところの
最寄り駅は
高麗だったのよ
高麗神社があり、8世紀にいたこまの王族の遺跡があったりした。
この本によると
飯能(ここも近く)は、ハンナラから来るって
地名って
朝鮮の言葉
アイヌの言葉が
裏に潜んでいるものが多い。
原住民のアイヌが
朝鮮から来た人々に追い上げられていったのだろうか
こういう私は
どこから来たのか
知人のお医者さんは
鎌倉時代に朝鮮から来た医者の末だ
ということを知っている
多くの陶工が朝鮮から来て窯を築かされて
技術を伝えた
そういう末の人々だって
古代の渡来人だって
その自覚はないまま
現代に至ってもいるわけだ。
もっとインターナショナルな場所にいなくちゃね。
そういうことはどうでもいいことかもしれない。
人間として何が大事かだ