誰か教えてください。。 2012年07月11日 20時53分31秒 | 土崎港曳山祭り これってどこに置いていた山車なのでしょうか?? そして何かの記念山車だったのでしょうか?? しおりなどあさってみても自分では良く分かりませんでした。 分かる方、いらっしゃいましたらご教示の程、宜しくお願い致します。 当方HP↓(写真の人形と関係ございません) #たのしい « 曳山回顧(昭和62年小鴨町) | トップ | 曳山回顧(平成2年幕洗川二区) »
8 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 ただいま~ (夫婦岩) 2012-07-11 23:42:52 22時に帰宅しました(笑)いま時期楽しいっすやっぱり…外題札よりデカイ芸題札。なかなか良い原大隅守の配置。弓人形が服着てる。なんだこりゃ(笑) 返信する Unknown (夫婦岩) 2012-07-11 23:49:51 ねぶり流し館から帰ってきた両腕下げ裸人形も居ますね 返信する 夫婦岩くん (ゆっけ) 2012-07-12 19:55:41 楽しそうで何よりです。結局答えが出なかったなぁ・・何だろうこの置き山。裸人形には服を着せ、鎧ばかり。土崎じゃないのかな? 返信する アルバムは (雲板) 2012-07-12 23:49:40 昭和51年以降がカラーになってる昭和47年から発行されるようになった「しおり」これには載ってない様子結局、分かりません 返信する 雲板さん (ゆっけ) 2012-07-13 07:20:57 雲板さんでも分からなかったですか・・完全に迷宮入りですね。写真を撮った張本人、うちのじいさんに聞いてみても絶対忘れてるだろうなぁ。 返信する この置き山について (除夜叉) 2012-09-19 09:38:59 お初に書き込みさせて頂きますあやふやな記憶ではありますが、おそらく昭和五十年代末期~六十年代初期の間の頃に元ダイエー近隣駐車場に飾られた八橋の日吉八幡神社大祭(9月中旬)の復刻置き山だったかと当時小学生の自分を今は亡き祖父が連れて行ってくれた覚えがあり、写真も残っていますかつて日吉八幡神社大祭では土崎同様の曳山が多数奉納されると共に置き山も飾られたと、古老の方より伺っております当時、囃子は秋田ばやしの他、近隣の港囃子を始め県内各囃子演奏者によって奉納されたそうですが、現在の様な港囃子保存会は勿論存在していなかった時代と言いますので、明治~大正時代の話かと 返信する 除夜叉さん (ゆっけ) 2012-09-24 08:34:16 初めましてm(__)mコメントありがとうございます。私が56年生まれでこの写真を祖父から貰ったのが幼少期ですから確かに昭和五十年代末期~六十年代初期が濃厚な気がしますね。元ダイエー近隣の駐車場だったんですねー!それでは土崎に分かる方が居ないのも納得です。日吉八幡神社大祭でも山車が奉納されてたというのは知りませんでした(-_-;)にしても、除夜叉さんのお祖父様も祭り好きですねー!うちの祖父ともしかしたらお知り合いだった可能性がありますね。 返信する 県内では (除夜叉) 2012-09-25 11:08:24 以前は大館神明社にも土崎の人形が使われた曳山が出され(現在は角館人形の様です)今も牛島の祭りと横手方面の曳山祭りで土崎の人形が使われているのは確認していますかつて人形師が他にも数名いらっしゃったとの話からも、日吉八幡の祭り等に用いられる以外にも土崎から人形が貸し出しされていたかもしれません日吉八幡の祭りについては文献の他、秋田市内で竿燈に参加する古くからの町内古老の方(日吉八幡例祭にも参加されています)より「古くは土崎の祭りより壮大に行われた」とも伺っておりますおそらくは佐竹氏城下町の外町(商人や職人の住む町)の鎮守である事と、八幡信仰を重んじる佐竹氏の影響が大きかったからかもしれません祖父からは自分が土崎の祭に携わる以上はきちんと歴史と伝承の重さも学ぶ様にと教えられましたので、今も心掛けている次第です 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
いま時期楽しいっすやっぱり…
外題札よりデカイ芸題札。
なかなか良い原大隅守の配置。
弓人形が服着てる。
なんだこりゃ(笑)
両腕下げ裸人形も居ますね
結局答えが出なかったなぁ・・
何だろうこの置き山。
裸人形には服を着せ、鎧ばかり。
土崎じゃないのかな?
昭和47年から発行されるようになった「しおり」
これには載ってない様子
結局、分かりません
完全に迷宮入りですね。
写真を撮った張本人、うちのじいさんに聞いてみても絶対忘れてるだろうなぁ。
あやふやな記憶ではありますが、おそらく昭和五十年代末期~六十年代初期の間の頃に元ダイエー近隣駐車場に飾られた八橋の日吉八幡神社大祭(9月中旬)の復刻置き山だったかと
当時小学生の自分を今は亡き祖父が連れて行ってくれた覚えがあり、写真も残っています
かつて日吉八幡神社大祭では土崎同様の曳山が多数奉納されると共に置き山も飾られたと、古老の方より伺っております
当時、囃子は秋田ばやしの他、近隣の港囃子を始め県内各囃子演奏者によって奉納されたそうですが、現在の様な港囃子保存会は勿論存在していなかった時代と言いますので、明治~大正時代の話かと
コメントありがとうございます。
私が56年生まれでこの写真を祖父から貰ったのが幼少期ですから
確かに昭和五十年代末期~六十年代初期が濃厚な気がしますね。
元ダイエー近隣の駐車場だったんですねー!
それでは土崎に分かる方が居ないのも納得です。
日吉八幡神社大祭でも山車が奉納されてたというのは知りませんでした(-_-;)
にしても、除夜叉さんのお祖父様も祭り好きですねー!
うちの祖父ともしかしたらお知り合いだった可能性がありますね。
かつて人形師が他にも数名いらっしゃったとの話からも、日吉八幡の祭り等に用いられる以外にも土崎から人形が貸し出しされていたかもしれません
日吉八幡の祭りについては文献の他、秋田市内で竿燈に参加する古くからの町内古老の方(日吉八幡例祭にも参加されています)より
「古くは土崎の祭りより壮大に行われた」
とも伺っております
おそらくは佐竹氏城下町の外町(商人や職人の住む町)の鎮守である事と、八幡信仰を重んじる佐竹氏の影響が大きかったからかもしれません
祖父からは自分が土崎の祭に携わる以上はきちんと歴史と伝承の重さも学ぶ様にと教えられましたので、今も心掛けている次第です