和貴の『 以 和 為 貴 』

論語:雍也第六 〔23〕 知者は楽しみ、仁者は寿し


論語を現代語訳してみました。



雍也 第六

《原文》
子曰、知者樂水、仁者樂山。知者動、仁者静。知者樂、仁者壽。

《翻訳》
子 曰
〔のたま〕わく、知者〔ちしゃ〕は水〔みず〕を楽〔この〕み、仁者〔じんしゃ〕は山〔やま〕を楽む。知者は動〔どう〕、仁者は静〔せい〕。知者は楽〔たの〕しみ、仁者は寿〔じゅ〕もてす。




《現代語訳》


孔先生はさらに、樊遅〔はんちさんのお尋ねに対し〉のように仰られました。


〈樊遅、そして諸君、よいか。〉知者は、川の流れをみて、人の生き方を追求し、仁者は、時のうつろいをみて、この世のあり方を追求する。

ゆえに知者は、心に迷いが生じることはあっても、仁者には、心に迷いが生じることはない。

よって知者は、心の迷いを惑わせるために安楽を求めてしまうが、仁者は、心に迷いがないので、ただただ天寿のままに恙〔つつが〕なく生きていくことができるのじゃよ、と。


〈つづく〉
 


《雑感コーナー》 以上、ご覧いただき有難う御座います。

この語句を語訳するにあたっては、前回の樊遅のみに対する孔子の答えから、今回はそれ以外の弟子諸君に対する答えとして、訳するようにしてみました。

そうすることによって、明確に "知者" と "仁者" との区別が容易となり、孔子自身が伝えたいとする "真意" みたいなものも読み取れることができると思われます。

まずは『水』を『川の流れ』と訳し、『山』を『時のうつろい』と訳してみた背景ですが、『川の流れ』とはつまり、実際に目や耳などで感じ取れるものであり、それは世論であったり、人々の考えや動きのようなものを指しており、そうした実際に五感で知り得ることができるものによって、 "人" としての生き方を追求するという、ある種の心理学的な考え方を指しています。

そして『時のうつろい』とはつまり、山をずっと眺めていても、その変化をすぐに実感することは難しいですよね。しかしながら、四季の移ろいと共に変化していくことから、あえてそれを『時のうつろい』として訳してみました。また、こうした『時のうつろい』を実感することによって、過去と未来とも理解することにも繋がっていくことから、古い書物や経典からしっかり学び、それをもって未来に繋ぐための架け橋となっていくんだよ、とする孔子の想いがひしひしと伝わってくる気がします。

そしてこのことは、為政第二の『人 焉んぞ廋さんや』や『温故知新』の語句の中でもみることができます。


※ 孔先生とは、孔子のことで、名は孔丘〔こうきゅう〕といい、子は、先生という意味
※ 原文・翻訳の出典は、加地伸行大阪大学名誉教授の『論語 増補版 全訳註』より
※ 現代語訳は、同出典本と伊與田學先生の『論語 一日一言』を主として参考


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