論語を現代語訳してみました。
雍也 第六
《原文》
樊遅問知。子曰、務民之義、敬鬼神而遠之、可謂知矣。問仁。曰、仁者、先難而後獲。可謂仁矣。
《翻訳》
樊遅〔はんち〕 知〔ち〕を問〔と〕う。子 曰〔のたま〕わく、民〔たみ〕の義〔ぎ〕を務〔つと〕め、鬼神〔きしん〕を敬〔けい〕して之〔これ〕を遠〔とお〕ざくれば、知〔ち〕と謂〔い〕う可〔べ〕し、と。仁〔じん〕を問う。曰〔のたま〕わく、仁とは、難〔かた〕きを先〔さき〕にし獲〔う〕るを後〔あと〕にす。仁と謂う可し、と。
樊遅〔はんち〕 知〔ち〕を問〔と〕う。子 曰〔のたま〕わく、民〔たみ〕の義〔ぎ〕を務〔つと〕め、鬼神〔きしん〕を敬〔けい〕して之〔これ〕を遠〔とお〕ざくれば、知〔ち〕と謂〔い〕う可〔べ〕し、と。仁〔じん〕を問う。曰〔のたま〕わく、仁とは、難〔かた〕きを先〔さき〕にし獲〔う〕るを後〔あと〕にす。仁と謂う可し、と。
《現代語訳》
お弟子さんである樊遅さんが、次のことを尋ねられました。
先生。ところで "知" とは何でしょうか、と。
孔先生は、次のように答えられました。
そうじゃな。 "知" とはつまりは、民としての規範〔きはん〕を身につけるように努力し、祖先の御霊〔みたま〕を敬う、といった、まずは己が為すべきことを心得る(=知る)ということが、 "知" というべきであろう、と。
樊遅さんはつづけて、次のことを尋ねられました。
先生。では "仁" とは何でしょうか、と。
孔先生は、次のように答えられました。
"仁" とはつまりは、他人〔ひと〕の嫌がることを先〔せん〕じて行ない、他人の求めることは後にする。〈樊遅よ。お主の場合は〉こうであれば "仁者" といえるのではないか、と。

樊須(字は子遅)
〈つづく〉
《雑感コーナー》 以上、ご覧いただき有難う御座います。
第二の子路といってもよい樊遅。そんな彼に『知』について聞かれた孔子は、子路に『女に之を知るを誨えんか』のなかで語ったことと同様の話しをしたんだろうと思われます。
また、樊遅は『孟懿子、孝を問う』のなかで、孔子の馬車の御者を務めていたことからも分かるように、孔子と共にしていることが多かったでしょうから、孔子自身も気さくに話しができる間柄だったのではないでしょうか。
何にしろ、孔子は樊遅の人柄を存分に知り尽くしたうえでの、今回の語句についての語訳は、尋ねてきた相手に相応しい答えを返す、という意味において『中人以下には、以て上を語ぐ可からず』といった孔子の心情をも深く考慮しなければならないと思われます。
※ 関連ブログ 樊遅、知を問う
※ 孔先生とは、孔子のことで、名は孔丘〔こうきゅう〕といい、子は、先生という意味
※ 原文・翻訳の出典は、加地伸行大阪大学名誉教授の『論語 増補版 全訳註』より
※ 現代語訳は、同出典本と伊與田學先生の『論語 一日一言』を主として参考