まったくといって気付かなかったのでしたが、昨日は七夕やったんですね。
そして思うのが、いまでも短冊にお願いごとを書いて、笹に吊るす人なんかはいてるのかしら?と。
まあ、これだけ似非文明と似非科学が発展すれば、織姫さんとなんとかのロマンチックな話しなんかを語ればバカにされるのかも知れませんが、恋愛ごとなんかに関しては、もっと純粋な気持ちがあってもよかったりと思ったりもします。
「そんなん神話やん」や’「そんなん作り話やん」などといっては現実主義者を気取り、そして自分自身を賢そうに振る舞う人というのは、正直、可哀想な人たちだと思う。
それは自分に素直になれないから、恋愛もできないし、人を信じることさえもできない…のだと。
まぁ可哀想などと、こうした気持ちになること自体が『傲慢』なのかも知れませんが、少なくとも人間らしく異性に対して恋心を抱くことにおいては、もっと純粋で素直でよいのだと強く感じます!!はいっ(゚Д゚)ノ
嫦 娥
雲母の屏風(へいふう) 燭影(しょくえい) 深く
長河 漸(ようや)く 落ちて暁星(ぎょうせい) 沈む
嫦娥(じょうが)は応(まさ)に悔ゆべし 霊薬を偸(ぬす)みしことを
碧海 青天 夜夜の心
雲母の屏風(へいふう) 燭影(しょくえい) 深く
長河 漸(ようや)く 落ちて暁星(ぎょうせい) 沈む
嫦娥(じょうが)は応(まさ)に悔ゆべし 霊薬を偸(ぬす)みしことを
碧海 青天 夜夜の心
この詩は、唐代末期の詩人・李商隠が、古代支那の『嫦娥奔月』という伝説に登場する嫦娥(じょうが)の夫・羿(げい)の想いを綴った詩です。
その伝説とは、天帝には十人の息子たちがおり、しかしその息子たちが太陽の掟〔交代で1日に1人ずつ地上を照らす役目〕を破り、暴虐無人な振る舞いで地上を暗雲で覆いかぶらせ、多くの民や動植物が苦しめられていました。そのことを知った天帝は、息子たちを戒めるために、弓の達人であった羿(げい)を地上へと遣わしたのでした。
天帝から命を受けた羿(げい)は、妻である嫦娥(じょうが)とともに地上に降り立ち、十人の息子のうち、一人だけを助け、残りの九人の息子たちを殺してしまったのでしたが、しかしそのことで再び地上に平安楽土の世が訪れることになったのでした。
ところが、九人の息子を殺されてしまった天帝は怒り悲しみ、羿と嫦娥を地上へと追放し、神の存在から人間の存在に降格させてしまうのでした。
地上へと追放され、通常の人間の暮らしを余儀なくされてしまった二人は、歳を重ねていく毎に、老いていくわが身を嘆き悲しむことになります。
そこで羿は、西方にある崑崙(こんろん)山に住むといわれる西王母に助けを求めました。西王母は羿を不憫に思い、ひとことだけを添えて不老不死の霊薬を与えました。そのひとことの内容とは、「夫婦ふたりで霊薬を飲もほせば不老不死となるが、ひとりだけで霊薬を飲み干せば神となる。しかし霊薬は、今回与えたもので終いである」というものでした。
ところがその内容を知った嫦娥は、羿が持ち帰った霊薬を盗み出し、ひとりで飲んで月へ逃げようと考えたのですが、その際、有黄という人物に占わせ、その可否〔正邪〕をたずねてみたのでした。すると有黄は「吉なり。例え天が暗黒の世をもたらそうとも、なにも恐れることはなく、やがてはこのうえない繁栄がもたらされることになるだろう」といったのでした。
それを聞いた嫦娥は有黄の話に従うことを決め、霊薬をひとりで飲みほし、月に逃げてしまったのでしたが、結局は、羿を裏切ったことで神ではなく、ヒキガエルの姿にされてしまうのでした…。〔おわり〕
このように、李商隠が遺した詩には、天帝に裏切られ、妻である嫦娥にまで裏切られた羿を哀れんでのものですが、そこには恨みの心もなく、裏切られてなお、妻を愛する羿の気持ちというものが込められています。
「嫦娥は応に悔ゆべし 霊薬を偸みしことを 碧海 青天 夜夜の心」
愛するわが妻がヒキガエルの姿ではあまりに可哀想だとして、せめてウサギの姿に…と、そんな寛容な心こそが大切なんだろうと思います。
【神話】 嫦娥羿月