和貴の『 以 和 為 貴 』

新自由主義こそ日本の『癌』

ゆぅすけです。

私は3年くらい前になると思いますが、この国の未来を憂い、悶々とした日々を過ごしておりました。そんなある日、ある御人から「大日本帝国憲法は生きています。教育勅語の復権を目指しましょう!」と言われ、取り急ぎ単身で、大阪から奈良は吉野の吉水神社へと車で向かいました。

吉野は私の地元でもありますから、何一つ道に迷うことなく吉水神社に到着し、すぐさま宮司さんにお会いしようかと思いましたが、あいにくのお留守だと聞かされ、仕方なく『大日本帝国憲法・教育勅語の復権』の署名に記名させていただき、簡単なお参りだけ済ませていただきました。

大阪へ帰った私は、その後も大日本帝国憲法・教育勅語の復権のために何が出来るのか?そんなことをただひたすらに考えていました。しかし、そこに立ちふさがるのが哲学や主義思想の壁でありました。

やむなく西洋哲学や東洋哲学を学びはじめた私は、生まれて初めて目にするような言葉に遭遇することになります。さすがに体調も崩しました。しかしこの西洋哲学や主義思想が日本に与えた影響は計り知れず、これを知らずに日本を語れないという想いを背に、我武者羅に学びました。しかし学ぶといいましても独学でありますから、限界があります。

そんなある日、また別の御人から「主義思想に心囚われては、真実の日本は見えてきませんよ。」と教えられることになります。

そこで私は初めて、教科書や書物に書かれている人たちだけが偉い人ではないということに気づかされることになります。

『和の心』を永きに渡り、受け継ぎ守られてこられた名も知らぬ先人や先祖たちもまた、偉人だったのであります。


お話はコロっと変わりますが、経済というのは、良くも悪くも非情であります。この非情さが生み出したものに、タイトルに掲げました『新自由主義』という主義思想が存在します。

自由の国・米国がその発祥だそうでありますが、わが国にも小泉政権以降、広く流入してくることとなります。

共産主義や社会主義を旧左翼とするならば、この新自由主義は新左翼(リベラル)として、バブル崩壊後のわが国でその勢力を拡大していくことになりますが、近年の新自由主義者は、旧左翼にもなり、保守にもなったりと、なかなか一般国民の目には見抜けなくなっております。

領土問題や歴史問題では保守的な思考であっても経済や金融面では、とても保守とは思えない思考を持っていたりします。

皆さんもご存知でありますが、以前までは旧ソ連という共産主義国家が存在していました。しかし、この国の政治家や官僚たちが、ソ連という国が解体される寸前まで、必死に働いたということまでは多くの日本人は知らないと思います。

解体寸前まで必死に働く、それが出来たのも、たとえ共産主義国家であろうとも、国家に対する敬意の念を、旧ソ連の政治家や官僚たちの心にあったからではないかと思うのであり、それが証拠に現代のロシアは、国家主義として国民などから絶大な支持を得ております。

王政国家⇒共産国家⇒国家民主主義へと生まれ変わったロシアの国民は、これまで多くを経験し、感性などは自由経済などに心囚われてしまった私たち日本人とは比較にならないと思うのであります。
 

さて、経済や金融というものには国境は必要ありません。さらにはその国独自の通貨も必要なければ、言語も必要ありません。必要なのは市場だけであります。市場を拡大し利益を伸ばす・・・、まさに非情のひとことに尽きます。

経済や金融に携わる者だけならば、それは致し方ないことかも知れませんが、政治家や官僚までが新自由主義的思考に陥ってしまうことは、まさに国家・国民軽視と言わざるを得ないのであり、しかしながら、こうした非情な光景は、一般国民の家庭内部にまで浸透してきております。

貯金を蓄えるため、欲しいものを買うため、海外旅行に行きたいため・・・など、その目的達成のためには手段を選ばないという非情さであります。

こうした国民の姿勢が、やがては政治家や官僚の『質』を低下させ、格差を助長をし、弱肉強食の世を生み出してきた、まさにこれこそが現在の日本の現状であると思うのです。

その上で、これまで私は、共産主義や社会主義ばかりを強く否定してまいりましたが、これより先は、新自由主義こそ日本の『癌』であると訴えてまいりたいと思います。現在の日本共産党の党員の多くの人々が、国家や国民までもを軽視しているとは思えませんからね。(綱領は別ではありますが・・・)

保守面しながら自由資本の名のもとに経済や金融政策ばかりを促進し、その実情は国家・国民軽視であるほうが、よほどわが国にとっては危険なことです。

アメリカ人や支那人の甘い言葉に唆され、これ以上わが国に『癌』が蔓延しないことを切に願います。



※ 最後に、近代日本の経済・金融の基礎を築き上げられた偉人、『渋沢栄一』をご紹介いたします。
  

私利を超え、公益を追求した渋沢栄一

生涯に関与した事業は実に千を数え、さらに千あまりの社会事業・文化事業に貢献した巨人。それが渋沢栄一です。渋沢は、日本資本主義の草創期に、その基盤づくりを強力に推し進めました。日本最初の銀行を設立し、近代的な金融制度を実現したことをはじめ、紡績、保険、製紙、鉄道、郵船等々、彼が創設・経営した事業は、枚挙にいとまがありません。もし明治の日本に、渋沢というたぐい希な人物が出なかったら、日本の近代化は、これほどの成功をみなかったでしょう。

渋沢栄一は、天保11年(1840)現在の埼玉県深谷市に、豪農の長男として生まれました。彼は7歳から儒学を学びました。そこで出会った『論語』が、彼の人生の規範となりました。

元治元年(1864)、24歳の渋沢はその非凡な能力を見出され、一橋慶喜の家臣に取り立てられました。農民から武士になった渋沢は、一橋家の立て直しを成し遂げます。また慶喜が将軍となると、ブレーンとして将軍を支えました。慶応3年(1867)には慶喜の弟・昭武について、パリの万国博覧会に派遣されました。そしてヨーロッパ諸国で約1年間、近代資本主義の実態を徹底的に見聞しました。

滞欧中に明治維新が起こり、帰国を余儀なくされた渋沢は、維新の元勲たちに請われて、新政府の大蔵省に任官しました。当時、新政府は深刻な財政危機にありました。渋沢はこれを解決するため、欧州仕込みの新知識に基づく、大胆・斬新な財政改革を提言しました。しかし、その提言は用いられず、明治6年(1873)、渋沢は約3年半いた政府を去ることを決意しました。

このとき辞職をとめようとした友人に対し、渋沢は次のように答えました。

「元より金を溜める為に辞官はしない。一体実業家が今日の如く卑劣で、全く社会の尊敬を受けぬと云ふのが抑々(そもそも)間違って居る。欧米では決して官商の懸隔が斯(かく)の如きではない。日本を早く官商同等の地位に進めなくては、到底実業の進歩する見込みがない。日本の商人が今日の如く社会の軽蔑を受けるのは、一つは封建の余弊でもあらうが、一つはまた商人の仕打ちが、甚だ宜しくないからである。予不肖ながらこの此風矯正のために一身を捧げたい。

宋の趙普は論語の半部を以て天子を輔(たす)け半部を以て身を修めといって居るが、予は論語の半部を以て身を修め、半部を以て実業界を救ひたい覚悟で居る。どうか先を永く見てゐて呉れ。……

その時、論語と云ふことを固く云ったのを今も能(よ)く記憶して居る。予が行往坐臥、事業を経営するも、事を処するも、是非論語に拠(よ)ろうと堅く決心を起こしたのは、此時の事である」と、渋沢は記しています。

こうして、渋沢の新たな挑戦が始まりました。その後、約60年間、民間にあって彼が成し遂げた偉業は、前代未聞・空前絶後のものでした。

彼の超人的な活動を支えた思想を一言でいうと、「論語と算盤(そろばん)」です。『論語』は東洋の伝統的な道徳を説くものです。これと「算盤」つまり経済的な利益とは一見、無縁です。しかし、渋沢は『論語』にある経世済民の考え方を、近代的な経営に生かし、道徳と経済は常に一体であると唱えました。

渋沢は「利益を棄てたる道徳は真正の道徳でなく、又完全な富、正当な殖益には必ず道徳が伴はなければならぬ筈のものである」としました。資本は利潤の追求を目的とします。しかし、渋沢は、私的な利益は「公益」の追求の結果でなければならないと考えました。

「勿論(もちろん)、当該会社の利益を謀(はか)らねばならぬが、同時に之によって国家の利益即ち公益をも謀らねばならぬ」「社会に利益を与へ、国家を富強するは、やがて個人的にも利益を来す」「私利私欲の観念を超越し、国家社会に尽くす誠意を以て得たる利は、是れ真の利と謂ふを得べく」と渋沢は、説いています。

渋沢は、自分の言葉を文字通りに実行しました。第一国立銀行(現在はみずほグループ)、東洋紡、東京海上火災、王子製紙、日本鉄道会社、日本郵船会社等、彼が創設・経営・支援した企業は、彼の公共精神によって起こされたものです。渋沢はまた、今日の商工会議所をつくり、企業家が協力して社会に貢献する仕組みをつくりました。そして、渋沢は、事業によって得た利益を社会に還元しました。帝国劇場・日仏会館・一橋大学・日本女子大など、渋沢の寄与は幅広く、文化・教育にも及んでいます。また、浮浪者の施設である東京養育院の院長も50余年務め、そこに私財を投じています。

こうした彼の姿勢は、彼が渋沢の名をもつ財閥や企業グループをつくらなかったことにも、よく表れています。

渋沢が実践した、私を超えて公に尽くす奉仕の精神は、日本人の精神の特徴です。それゆえ、私たちは、伝統的な日本精神を近代社会に応用した見事な実例を、渋沢栄一に見ることができるのです。


参考資料
・童門冬ニ著『渋沢栄一』(学陽書房)
・渋沢栄一原著/竹内均編・解説『孔子 人間、どこまで大きくなれるか』(三笠書房)
・ほそかわかずひこの〈オピニオンサイト〉

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