本日2024年3月16日、北陸新幹線金沢-敦賀開業の日であります。
おっチミも興味があるのかい
ということで、こちらも本日から金沢駅以西が延伸開業した並行在来線IRいしかわ鉄道の始発電車に乗って福井駅に参ります。
大聖寺を過ぎると、福井のハピラインふくいに管理が移ります。
このあたりで朝陽がきれいに見えました。
6時35分、定刻どおり福井駅到着~♪
ちょうど北陸新幹線東京行きの一番列車が出た頃です。
カウントダウンボードは0日、
おっやっぱり恐竜が出迎えてくれたね。
ガオ~!
本日営業開始の駅ナカ商業施設、オープニングセレモニーはもうしばらくのようです。
外に出て、市内をブラつきます。
こっちも恐竜、
あちらも恐竜と、
それにしても福井駅前も高いビルが建ってカッコよくなりましたねぇ~。
福井城址方面に向かいましょう。
今日はあちこちで新幹線開業イベントがあるようです。
各所にこういうマップがありまして、見ると幕末偉人の居宅跡などゆかりの地が目に入りました。
よし、このように反時計回りで幕末の偉人にゆかりのある場所を訪れていこう
幕末、福井では多くの偉人が排出され活躍しました。
あの有名な坂本龍馬も福井の偉人に会いに来ています。
残念ながらこの時代の加賀(石川県)はほとんど存在感がありません。
長く続いた太平と文化重視の国だったからのんびりしてたのでしょうかね。
福井城址、まず最初の偉人は幕末の福井藩主、松平春嶽公です。
「尊王敬幕」の姿勢を貫き、挙国一致による新国家樹立に尽力しました。四賢侯の一人として知られており政事総裁職にも就任しています。
裁判所前を通って、
用水にいたカモがバシャバシャと飛んだ。
そしてついたのは、橋本左内生家跡。
当時の井戸も残っていおり、左内の産湯もここから取られました。
橋本左内は藩医の長男として生まれ、藩の医学校で漢方医学を学んだのち、16歳で大坂の緒方洪庵(おがたこうあん)が開いた適塾へ入門し蘭学を学びます。
その後さらなる勉学のため江戸へ、多くの志士たちと親交を結び自らの思想を完成させていく、そんな左内の才覚を藩主の松平春嶽は見逃さず24歳で藩校明道館の改革や横井小楠を招くなど福井藩の藩政改革の中心となった。
可愛らしい花がありました。
福井大仏。
黒猫が見下ろしています。
足羽川に架かる九十九橋、江戸時代以前はめずらしい半石半木の構造でした。
おっちょうどいい!髪の毛が伸びてるから散髪したろ。
リーズナブルだけど丁寧な仕事でした。
ふう~さっぱりしたぁ!
愛宕坂とな、雰囲気のある坂を登ります。
いい感じ ♪
遠くに福井駅が見えます、ずい分と歩いてきたな。
あっ新幹線が敦賀方面へと進んでいきます。
急な坂を下りると、
福井市水道記念館という施設があり、入館無料なので入ります。
大正13年、足羽山配水池へ水道水を揚げるポンプ場として完成し、平成3年まで利用されていました。
外には手押しポンプがあります。
一応ちゃぷちゃぷ
さきほど生家を訪れた橋本左内のお墓があります。
安政4(1857)年江戸に赴いて藩主松平春嶽公に仕え14代将軍に一橋慶喜を擁すべく奔走したが井伊直弼の大老就任により挫折。安政の大獄により江戸で斬首された。
バリバリバリバリ・・・
上空にヘリコプターが4機飛んでいます、きっと新聞やテレビのヘリですね。
足羽川に戻って土手に上がると、
多くの人が河原にいます。
昼過ぎに行われるブルーインパルス祝賀飛行を見るために、こんなに前から場所取りをしてるようです。
幸橋付近に説明板があって、
このあたりに由利公正の家があったと書いてあります。
ただ明治に行われた河川改修工事にて残念ながら消滅しています。
由利公正(福井藩士時代は三岡八郎と名乗る)
横井から財政学を学び、橋本左内らと国事に奔走し、藩主・松平春嶽公から財政手腕を評されて抜擢され、藩札発行と専売制を結合した殖産興業政策で窮乏した藩財政を再建する。
あの坂本龍馬とも親交があった人物。
あっ「たばこや」と書いてある!
実はオイラ昔読んだ司馬遼太郎の「竜馬がゆく」を読み返しています。
ようやく三巻まできました。
そこに、由利公正(三岡八郎)と「たばこや」のことが書かれていまして、少し抜粋します。
旅籠「たばこや」の土間に入ると、三岡は案内も乞わずに二階へあがった。廊下をどかどかと歩きながら、
「坂本君、どこにいる」とどなった。
「ここだ」竜馬は、起きあがった。
「なんだ、ねむっていたのか」
「京都から急行で歩いてきた。ろくにねむっちょらん。あす、藩公に会えるか」
「手紙で読んだ。借りるのは、五千両?」
「いかにも。指一本欠けてもならん」
竜馬は右手の指を五本ひろげた。
・・・・・・・・・・
その「たばこや」の跡地を示す石碑が照手1丁目という場所にあるのか、ぜひ行ってみよう。
と、こんな感じでまた戻る。
途中に、アメリカ人グリフィスの居宅跡をチラ見して
福井藩のお雇い外国人教師でした。
さらに近くの横井小楠 寄留宅跡を見ます。
横井小楠は、熊本藩士であったが、優れた政治思想家として松平春嶽公の政治顧問となり、招かれて四度来福しこの地に寄留し藩政を指導する。
のち明治政府の参与となったが暗殺された。
カニの自動販売機。残念今はシーズンオフゆえ販売されていません。
そして、
たばこや跡はここです。
ここで坂本龍馬と由利公正が日本の将来について語り合った場所なのですね。
ちと感動です。
さて福井駅に戻ろう
ヨーロッパ軒総本店
いつかここで名物ソースかつ丼を食べなくては
ようやく駅前に戻ってきた
駅前の大型商業施設もグランドオープン。
左よりキーボが通りま~す。
ハピリン人が溢れてるぞ。
イベントが進行中です。
ティラノサウルス。
迫力満点、小さい子供はこりゃ怖いかな
福井駅に入ります。
人がいっぱいだ!
さすが新幹線効果です。
さて帰ろう、もちろん鈍行列車で
帰りの車窓から、小松駅周辺も多くの人がいました。
北陸新幹線は今日、北陸三県がつながりました。
多くの観光客が北陸にやって来ることを願っています。
おっチミも興味があるのかい
ということで、こちらも本日から金沢駅以西が延伸開業した並行在来線IRいしかわ鉄道の始発電車に乗って福井駅に参ります。
大聖寺を過ぎると、福井のハピラインふくいに管理が移ります。
このあたりで朝陽がきれいに見えました。
6時35分、定刻どおり福井駅到着~♪
ちょうど北陸新幹線東京行きの一番列車が出た頃です。
カウントダウンボードは0日、
おっやっぱり恐竜が出迎えてくれたね。
ガオ~!
本日営業開始の駅ナカ商業施設、オープニングセレモニーはもうしばらくのようです。
外に出て、市内をブラつきます。
こっちも恐竜、
あちらも恐竜と、
それにしても福井駅前も高いビルが建ってカッコよくなりましたねぇ~。
福井城址方面に向かいましょう。
今日はあちこちで新幹線開業イベントがあるようです。
各所にこういうマップがありまして、見ると幕末偉人の居宅跡などゆかりの地が目に入りました。
よし、このように反時計回りで幕末の偉人にゆかりのある場所を訪れていこう
幕末、福井では多くの偉人が排出され活躍しました。
あの有名な坂本龍馬も福井の偉人に会いに来ています。
残念ながらこの時代の加賀(石川県)はほとんど存在感がありません。
長く続いた太平と文化重視の国だったからのんびりしてたのでしょうかね。
福井城址、まず最初の偉人は幕末の福井藩主、松平春嶽公です。
「尊王敬幕」の姿勢を貫き、挙国一致による新国家樹立に尽力しました。四賢侯の一人として知られており政事総裁職にも就任しています。
裁判所前を通って、
用水にいたカモがバシャバシャと飛んだ。
そしてついたのは、橋本左内生家跡。
当時の井戸も残っていおり、左内の産湯もここから取られました。
橋本左内は藩医の長男として生まれ、藩の医学校で漢方医学を学んだのち、16歳で大坂の緒方洪庵(おがたこうあん)が開いた適塾へ入門し蘭学を学びます。
その後さらなる勉学のため江戸へ、多くの志士たちと親交を結び自らの思想を完成させていく、そんな左内の才覚を藩主の松平春嶽は見逃さず24歳で藩校明道館の改革や横井小楠を招くなど福井藩の藩政改革の中心となった。
可愛らしい花がありました。
福井大仏。
黒猫が見下ろしています。
足羽川に架かる九十九橋、江戸時代以前はめずらしい半石半木の構造でした。
おっちょうどいい!髪の毛が伸びてるから散髪したろ。
リーズナブルだけど丁寧な仕事でした。
ふう~さっぱりしたぁ!
愛宕坂とな、雰囲気のある坂を登ります。
いい感じ ♪
遠くに福井駅が見えます、ずい分と歩いてきたな。
あっ新幹線が敦賀方面へと進んでいきます。
急な坂を下りると、
福井市水道記念館という施設があり、入館無料なので入ります。
大正13年、足羽山配水池へ水道水を揚げるポンプ場として完成し、平成3年まで利用されていました。
外には手押しポンプがあります。
一応ちゃぷちゃぷ
さきほど生家を訪れた橋本左内のお墓があります。
安政4(1857)年江戸に赴いて藩主松平春嶽公に仕え14代将軍に一橋慶喜を擁すべく奔走したが井伊直弼の大老就任により挫折。安政の大獄により江戸で斬首された。
バリバリバリバリ・・・
上空にヘリコプターが4機飛んでいます、きっと新聞やテレビのヘリですね。
足羽川に戻って土手に上がると、
多くの人が河原にいます。
昼過ぎに行われるブルーインパルス祝賀飛行を見るために、こんなに前から場所取りをしてるようです。
幸橋付近に説明板があって、
このあたりに由利公正の家があったと書いてあります。
ただ明治に行われた河川改修工事にて残念ながら消滅しています。
由利公正(福井藩士時代は三岡八郎と名乗る)
横井から財政学を学び、橋本左内らと国事に奔走し、藩主・松平春嶽公から財政手腕を評されて抜擢され、藩札発行と専売制を結合した殖産興業政策で窮乏した藩財政を再建する。
あの坂本龍馬とも親交があった人物。
あっ「たばこや」と書いてある!
実はオイラ昔読んだ司馬遼太郎の「竜馬がゆく」を読み返しています。
ようやく三巻まできました。
そこに、由利公正(三岡八郎)と「たばこや」のことが書かれていまして、少し抜粋します。
旅籠「たばこや」の土間に入ると、三岡は案内も乞わずに二階へあがった。廊下をどかどかと歩きながら、
「坂本君、どこにいる」とどなった。
「ここだ」竜馬は、起きあがった。
「なんだ、ねむっていたのか」
「京都から急行で歩いてきた。ろくにねむっちょらん。あす、藩公に会えるか」
「手紙で読んだ。借りるのは、五千両?」
「いかにも。指一本欠けてもならん」
竜馬は右手の指を五本ひろげた。
・・・・・・・・・・
その「たばこや」の跡地を示す石碑が照手1丁目という場所にあるのか、ぜひ行ってみよう。
と、こんな感じでまた戻る。
途中に、アメリカ人グリフィスの居宅跡をチラ見して
福井藩のお雇い外国人教師でした。
さらに近くの横井小楠 寄留宅跡を見ます。
横井小楠は、熊本藩士であったが、優れた政治思想家として松平春嶽公の政治顧問となり、招かれて四度来福しこの地に寄留し藩政を指導する。
のち明治政府の参与となったが暗殺された。
カニの自動販売機。残念今はシーズンオフゆえ販売されていません。
そして、
たばこや跡はここです。
ここで坂本龍馬と由利公正が日本の将来について語り合った場所なのですね。
ちと感動です。
さて福井駅に戻ろう
ヨーロッパ軒総本店
いつかここで名物ソースかつ丼を食べなくては
ようやく駅前に戻ってきた
駅前の大型商業施設もグランドオープン。
左よりキーボが通りま~す。
ハピリン人が溢れてるぞ。
イベントが進行中です。
ティラノサウルス。
迫力満点、小さい子供はこりゃ怖いかな
福井駅に入ります。
人がいっぱいだ!
さすが新幹線効果です。
さて帰ろう、もちろん鈍行列車で
帰りの車窓から、小松駅周辺も多くの人がいました。
北陸新幹線は今日、北陸三県がつながりました。
多くの観光客が北陸にやって来ることを願っています。
松平よしなが・橋本左内・由利公正・・さすが福井ですよね💎⤴
(当たり前かもしれませんが、福井におやとい外国人がいたという事実がフシギなかんじ・・🐻)
こんな長々記事読んでくれてありがとうーね。
そうです、北陸新幹線は能登のことがあったんで、うーむと思ったのですが、復興には良いアシストになるのかなと、はい幕末から明治にかけての福井は進んでいました。そのお隣の石川はまだ寝ぼけている頃でした。
こんなにも福井の紹介をしていただき感謝、感謝です!行政の方に広報として取り上げてもらいたいくらいです。
また朝一番で福井に来てくださるとは、嬉しい限りです。私は昨日、はぴラインで加賀温泉駅に行きましたがあいにくの雨で寒く、すぐに隣の平和堂に入って帰るだけでした。加賀温泉駅のホームにはまだ「サンダーバード」「しらさぎ」の停車位置のシールが残っていて寂しさを誘うものでもありました。
全国のニュースでは「北陸新幹線が敦賀まで延伸し、石川県にはたくさんの観光客が・・・」と紹介されるのが残念です。
長文失礼しました。
しかも大変なお褒めの言葉も頂いてありがとうです。
オイラは福井が好きですよ、まだまだ魅力ある個所も回りたいと思っています。今興味があるのは滋賀県とに近い疋田あたり、今度行ってみよう、さて福井県もこれから大いに新幹線効果を享受することでしょう。