てんもく日記

ヒゲ親父が独特の感性で記録する日記。このブログがずっと未来に残るなら、子孫に体験と思いを伝えたい。

ブラオイラ#437(司馬遼太郎を追体験、越前勝山・大野編)

2022年11月12日 21時45分07秒 | 【ヒゲ親父】ブラオイラ
追体験・・・、WEBの国語辞典によると、
追っかけ体験、文学作品などで作者の体験と同様の体験を読者がすることをいう。ふつうは作品を読み込んで解釈し、作者の体験をシミュレートすることをいうが、旅行記などでは、実際にその足跡をたどって、作者の見聞を共有し、作者の心情に近づこうとするダイレクトな行為がそれに当たる。(なるほど

当ブログでも書いておりますが、オイラは司馬遼太郎(1923年-1996年)が好きなわけで、小説もエッセイもよく読んでいます。
なかでも「街道をゆく」シリーズはお気に入りで、その第18巻「越前の諸道」は隣県ともあって何度も読み返しました。


今回のブラオイラは、その司馬さんが訪れた福井県の勝山と大野に行き、彼が見たもの、感じたことをオイラも同じ場所に立って、追体験したいと思っています。

「越前の諸道」の冒頭、
かねがね越前の九頭竜川ぞいを上下してみたいとおもっていたが、この秋十月のはじめ(昭和五十年)、須田画伯をさそって、念願を遂げることができた。
昭和50年(1975年)今から47年前でオイラは小学生の頃になります。

今日は秋晴れの雲一つない青天です。


「越前勝山」


まずは勝山、この商店街に、


司馬さんが宿泊した宿があります。


それがこちら「板甚」

ともかくも、私はこの宿にとまりたくて、宿泊地をわざわざ勝山にしたのである。

板甚の軒のひくい表構えは、そういう赤色のさまざまな切れっぱしにうもれて、昔ながらのしずかさでうずくまっている。

店の前の格子に付いている説明板。


ちなみに司馬さんは以前にもここで泊ったことがあり、
私の記憶では、朝、宿の下駄を借りて二十メートルばかりむこうの薬屋に風邪薬を買いに行ったところ、途中、自分の下駄の音が、下手な拍子木でも鳴らしているようで耳ざわりで、いかにも自分がこの町にとって異分子に感じられるほど、街並みがしずかだった。

宿の左向かい側にある薬屋さん、ここで下駄をはいた司馬さんが風邪薬を買ったのですね。


翌朝、近くの九頭竜川に散歩に出かけています。
朝、町を散歩した。
町をすぎて九頭竜川のほとりに立つと、向こう岸は小ぶりな山々ながら、いきいきとした樹叢と山脚をもって流れに迫っている。

(※樹叢・・・じゅそう:植生によらない、自生した樹木が密生している林地。神社境内の社叢などに見られることが多い。)


司馬さんが、このように橋の上に立って川を見下ろしたかはわかりません。(当時この橋が無かったかも・・・)


橋の入口に恐竜のモニュメントがありました。
さすがの司馬さんでも将来この勝山が恐竜興しで盛り上がる町になるとは思いもよらなかったでしょう。

町のいたるところにこんなのがありました。

九頭竜川から板甚に戻る際におそらく司馬さんが通ったと思われる路地を見つけました。


左右がお寺のこの路地です。
この章は次の一文で締めくくられています。

宿にもどる途中、寺の多い一郭を過ぎるとき、わずかながら古い城下町のにおいがした。


「薄野」


続いて、勝山をあとに大野市へ向かいます。


おそらく司馬さんの越前の最大の目的地は宝慶寺(ほうきょうじ)であったはずです。
越前の寺で一番有名なのは永平寺。鎌倉時代に道元が開いたわけですが、その道元は国内で修行の後、中国まで行って修行を行いました。その際に道元の考えや行動を慕って弟子になった寂円(じゃくえん)という中国僧がいて、道元が帰国したあとを追って日本までやって来ました。それから永平寺にて道元の側で修行を行うわけであります。道元の死後もしばらくは永平寺にいたのですが世俗的な大伽藍や大官と結びついた寺門経営に反対して、みずから山奥に籠りひたすら座禅をする修行(只管打坐)を続けたとあります。そのあたりに宝慶寺が出来たのです。

寂円

(拝借

大野市街地の南端から、ほそい道が西南にむかっている。すぐ小さな渓谷に入る。


この細い道の入口に木本という字があるが、それより奥は人家がまれで、路に沿って溝のような清滝川が、しきりに流れをいそいでいるだけである。


にわかに、薄野に出た。

下界の薄はまだ穂が白くなっていないが、ここは道のふちがことごとくプラチナ色になっていた。


「宝慶寺の雲水」


「家があります」
須田画伯が、ほのかに感動した声をあげた。それほど途中、人というものを見なかった。たしかに左手に、道端に沿って、数軒の家が点在していた。ただ置きすてられていた。


すでに50年近く経っており、左手に現存している家はありませんでした。
これはその残骸でしょうか。

右手にはこのような建物が確認できました。


谷川に、コンクリートが古びて左岩のようになった小さな石橋がかかっている。

新しく架け替えられたようですね。

そこから深い杉木立の道が山の奥へつづいており、そのトンネルのような道のむこうを窺うと、なにやら寺への道めかしかった。


念のためそれをたどってみた。


豪雨などのとき、路が川になって表土を削りとるのか、右側の木立の老杉の根が、磯馴れ松のように根あがりしている。


しばらく歩くと建物が見えてきました。


寺としての宝慶寺は、存在したのである。

寂円禅師と書いてありますね。

四脚門をくぐっても、道はつづいている。そのはてに楼門とは名ばかりの簡素な山門があった。


山門をくぐると、さほどの年代が経っているとは思えないのに風雨にさらされて、いかにも古色を帯びていた。


本堂の横手に、二階建ての僧堂ー学寮風の建物ーがある。


入口は普通の庫裡に似ている。


本堂にあがりお参りをしました。<ここに来ることができて感謝


本堂から出る際、本の一文を思い出しました。

本堂を出た。堂前の簡素な木の階を三段ばかり降り、つづいて栗石でかためた石の段を六、七段おりると、もう本堂の軒先を離れてしまう。

オイラが感心するのはこういう一瞬の情景を後々まで記憶して的確に文章で表せるということ。
物書きという人たちの才能には驚くばかりです。

寂円はこの近くの洞くつの石の上で十八年もすわり続けるという・・・司馬さんはこう書いています。
仏教は、本来、物狂いなのである。インドにも中国にも、物狂いの僧は出たが、日本には酔狂な僧は出ても、ついに寂円のような人は出なかった。
ともかくも、寂円は道元の死後、山に入り、さらに宝慶寺を開山して、如浄・道元の禅風をひとり守るのである。


宝慶寺をあとにした。

今回のテーマとは別に一か所だけ寄りたかった場所があります。

昨日グーグルマップで見つけました。

なんと、まるで進撃の巨人の世界です。


なるほど、悲しい出来事があったわけですね。


さて次は平泉寺に向かいます。



「菩提林」


やがて前方に、平泉寺の歴史的象徴ともいうべき菩提林が見えてきた。


「いい森でしょう」私は、須田画伯にいった。十数年前、水田の尽きるはてにあるこのみごとな杉の森を見たときの感動を、画伯につたえたかった。



「木洩れ日」


平泉寺に到着しました。ここにはオイラは何度か来ています。


往くうちに、左側にその建物が出てきた。
門に、「白山神社々務所」という大きな表札が出ており、小さな文字で「元北国白山平泉寺本坊」と書かれている。もとの玄成院である。門柱に小さく「平泉」という表札も出ていた。


47年前であるのに、まったく文字通りで少々驚きました。

さらに驚くのは・・・、

四百五十年前、細川武蔵守高国の作 国の名勝に指定。ツマリ国宝デス。拝観料五十円。
拝観料五十円というのも時勢ばなれした安さだが・・・、
と書いてあり、

当時の司馬さんでさえ安いと感じた拝観料が47年後の今でも1円も値上げしていないのであります。

なかなか凄いお庭のようです。


それではお庭を拝見。


ほぉ~、


これが北陸最古のお庭ですか。

庭は当時流行の枯山水とはいえ、石組みなどで奇をてらったりせず、沙羅双樹やつつじなどで自然な林の感じだけを出していて、匠気をおさえこんでいる。まことに古貌を感じさせてあっさりしているが、こういう無芸とさえ思える作庭は、芸をもって顕示する必要のない立場の者でしかできないかと思われたりする。
しかし、作庭された当初、設計者は苔の庭にしようなどとは思わなかったろう。ただこの平泉寺境域の自然条件が、ながい歳月のなかで、庭を一面の苔でうずめてしまったものであるらしい。
「こんな苔、みたことがありません」須田画伯はうずくまってしまった。


近年「コケ、コケ、」言うてるオイラも、たしかにこんなフワフワな苔は見たことなかったです。

なんという種類だろうか。

さらに、ゆるやかな石段の道にもどってのぼってゆくと、左手に枝道が出ているようでもあり、


試みにたどってみると、小径は急に降り勾配になっている。


加えて、池と泉がある。


泉に湯呑が置かれていたから、一口飲んでみた。比重がやや重そうで、まるみのあるうまい水だった。


ん!


まさか!? いくらなんでも当時のものではないよね・・・。

さすがに飲めませんよ。

さらに参道を進みます。


平泉寺といえば、このショットと決まっている。

特徴的な段差のある切り株越しからの苔が広がる奥の拝殿であります。

三之宮まで上ります。


まさに木洩れ日の参道ですね。


さらに登ってついに三之宮にいたるのだが、これよりさきは、はるかに道は白山の天嶺ににつづいている。三之宮の前で、尻腰をついて息を入れてしまった。


ではオイラも、


尻腰をついて一息入れます。


平泉寺の門前まで下りてきてあたりを散策してみる。


紅葉の見事な寺を見つけました。


いいね。


越前での昼食は、「おろしそば」か「ソースかつ丼」と決まっています。

旨し

さて、そろそろ帰ろう。

山越えルートにて、


谷口屋の油揚げを買って帰ります。(カミさんリクエスト品)


さて今回のブラオイラ、オイラの好きな司馬遼太郎が訪れた勝山と大野の地を巡りました。
50年ちかく経っているとはいえ、多くの場所は当時とあまり変わっていない気がしました。
それぞれの現地に立ってみて、かつて司馬さんが見て思い感じたこと、オイラもそれに少し近づけたのではと思っています。
今日は天気も良くて気持ちよい一日となりました。
コメント
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