本日は実家の両親と七尾方面に行ってまいりました。
そういえば、昨年のGWも青拍祭に行きましたね。
(毎年ワンパターンか・・)
親父(じいちゃん)が立てた計画

免許取りたて息子に千里浜なぎさドライブウェイ。
じいちゃん希望の能登空港(とあるイベントがあるから)。
ばあちゃん希望の欄の国。
そしてオイラ希望の七尾城跡。
で構成されている。
今日は良いお天気でした

千里浜なぎさドライブウェイに到着。
ここより息子が運転するので、若葉マーク装着

ぺたっ!!
う~ん気持ちいい!

(ウィキより)
日本で唯一、一般の自動車やバスでも海岸線の砂浜の波打ち際を走ることができる道路である。このような道路は世界的にも珍しく、アメリカのデイトナビーチ、ニュージーランドのワイタレレビーチを含めて3ヶ所だけと言われている。
波打ち際で休憩

オイラと息子のシャドウ
二羽のカモメが横切る

浜茶屋から焼き貝を買ってきた。

4個700円、高っ!
千里浜をあとにして、能登を北上する。
途中で別所岳サービスエリアに入る。

ここには夢テラスといういい感じの展望デッキがあります。

当然登りました。

おっ、

へぇ~いいね。

車に乗って進みます。
そろそろ渋滞が・・・

「わ」ナンバー、レンタカーだね。
きっと新幹線で来られた県外からの観光客だろうね。いいよ
それでもなんとか、能登里山空港に到着です。

じいちゃんがここに来たかったのは
このため

すげーな、日本一だそうで・・・

素人のオイラでもすばらしいと思ったりする。

天覧の霧島

空港に入る。

離陸のANAが動き出した。

ナイスタイミング
それではANAがテイクオフするまでの動きを
まずはトーイングカーにバックしてもらって

切り離し、ゆっくりと前進

滑走路に向かって

右折した

滑走距離を取るために

一番端まで行ってターン

しばし待機・・・

轟音とともにラン

スピードが出てきて

ごぉぉぉぉ・・・!!!

機首があがって

離陸する

テイクオフ!

羽田空港に

いってらっしゃ~い
さて、のと里山空港をあとに、そろそろ昼食時間なので・・・
実家の両親と能登に来たなら、たいてい食事をするお気に入りの場所があって、

能登島にかかるツインブリッジ手前にある公園です。
こんな感じで・・・

旨い旨いと食べまして

ノンアルコールを飲みまして

あまりに天気が良くて気持ちが良かったのでしばし昼寝いたしまして

グ~
昼寝終了後に橋を渡り、能登島を通って、七尾に向います。

できるだけ青拍祭の渋滞を避けるように遠回りに迂回しました。
次はここだ。

のと蘭ノ国です。

へぇ~

ムム!

出た、食中植物

いたたたたた!

(なんちって
)
しばらくしたら、蘭ノ国を去りまして
いよいよオイラの行きたかった場所、七尾城跡です。

タイミング良く、ガイドさんがついた(無料です
)

お~!立派な石垣だ。

ガイドさん曰く、のづら積みだそうです。

遊佐屋敷跡や

温井屋敷跡など

石垣が立派ですね

かっこいいです。

本丸跡に石碑が建ってました。

ここからの眺めも最高!

九尺石とか

ガイドさん曰く
七尾城は日本五大山城の一つで、他に、春日山城、小谷城、観音寺城、月山富田城があります。
(ウィキより)
七尾畠山氏の初代当主で能登国守護の畠山満慶が正長年間(1428年~1429年)頃にこの地に築いたと思われるが、当時の七尾城は砦程度の規模と見られ、行政府である守護所も府中(現七尾市府中)に置かれていた。次第に拡張、増強され、以後約150年間にわたって領国支配の本拠となり、五代当主である畠山慶致の頃には守護所も府中(七尾城山の麓)から七尾城へと移されたという。その後、畠山義続・畠山義綱の頃に能登では戦乱が続いたために増築され、最大の縄張りとなったと言われる。山麓に城下町「千門万戸」が一里余りも連なり、山頂にそびえる七尾城の威容は「天宮」とまで称されたと記録に残っている。日本五大山城のひとつに数えられるほど強固な城であった。
1576年(天正4年)に能登国に侵攻した上杉謙信に包囲されるが、一年にわたって持ちこたえた。しかし、重臣同士の対立の末に擁立されていた若年の当主畠山春王丸が長続連、遊佐続光、温井景隆らの対立を収めることができず、結果七尾城は孤立し、最終的には遊佐続光の内応によって徹底抗戦を主張した長氏一族が殺害され、同年9月13日に開城された。

さらに車で少し上がったところに展望台があった。

七尾って七つの尾根から取ったんだって。

七尾市街と七尾湾に能登島が一望。

今日は朝早くに出て、夕方までじっくりと七尾周辺を周ってきました。
七尾の旅、良かったです。
さ~て、明日はどこに行こうかな
【ヒゲ親父】
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そういえば、昨年のGWも青拍祭に行きましたね。
(毎年ワンパターンか・・)
親父(じいちゃん)が立てた計画

免許取りたて息子に千里浜なぎさドライブウェイ。
じいちゃん希望の能登空港(とあるイベントがあるから)。
ばあちゃん希望の欄の国。
そしてオイラ希望の七尾城跡。
で構成されている。
今日は良いお天気でした


千里浜なぎさドライブウェイに到着。
ここより息子が運転するので、若葉マーク装着

ぺたっ!!
う~ん気持ちいい!

(ウィキより)
日本で唯一、一般の自動車やバスでも海岸線の砂浜の波打ち際を走ることができる道路である。このような道路は世界的にも珍しく、アメリカのデイトナビーチ、ニュージーランドのワイタレレビーチを含めて3ヶ所だけと言われている。
波打ち際で休憩

オイラと息子のシャドウ
二羽のカモメが横切る

浜茶屋から焼き貝を買ってきた。

4個700円、高っ!
千里浜をあとにして、能登を北上する。
途中で別所岳サービスエリアに入る。

ここには夢テラスといういい感じの展望デッキがあります。

当然登りました。


おっ、

へぇ~いいね。

車に乗って進みます。
そろそろ渋滞が・・・

「わ」ナンバー、レンタカーだね。
きっと新幹線で来られた県外からの観光客だろうね。いいよ

それでもなんとか、能登里山空港に到着です。

じいちゃんがここに来たかったのは
このため


すげーな、日本一だそうで・・・

素人のオイラでもすばらしいと思ったりする。

天覧の霧島

空港に入る。

離陸のANAが動き出した。

ナイスタイミング

それではANAがテイクオフするまでの動きを
まずはトーイングカーにバックしてもらって

切り離し、ゆっくりと前進

滑走路に向かって

右折した

滑走距離を取るために

一番端まで行ってターン

しばし待機・・・

轟音とともにラン


スピードが出てきて

ごぉぉぉぉ・・・!!!

機首があがって

離陸する

テイクオフ!

羽田空港に

いってらっしゃ~い

さて、のと里山空港をあとに、そろそろ昼食時間なので・・・
実家の両親と能登に来たなら、たいてい食事をするお気に入りの場所があって、

能登島にかかるツインブリッジ手前にある公園です。
こんな感じで・・・


旨い旨いと食べまして

ノンアルコールを飲みまして

あまりに天気が良くて気持ちが良かったのでしばし昼寝いたしまして

グ~
昼寝終了後に橋を渡り、能登島を通って、七尾に向います。

できるだけ青拍祭の渋滞を避けるように遠回りに迂回しました。
次はここだ。

のと蘭ノ国です。

へぇ~

ムム!

出た、食中植物

いたたたたた!

(なんちって

しばらくしたら、蘭ノ国を去りまして
いよいよオイラの行きたかった場所、七尾城跡です。

タイミング良く、ガイドさんがついた(無料です


お~!立派な石垣だ。

ガイドさん曰く、のづら積みだそうです。

遊佐屋敷跡や

温井屋敷跡など

石垣が立派ですね

かっこいいです。

本丸跡に石碑が建ってました。

ここからの眺めも最高!

九尺石とか

ガイドさん曰く
七尾城は日本五大山城の一つで、他に、春日山城、小谷城、観音寺城、月山富田城があります。
(ウィキより)
七尾畠山氏の初代当主で能登国守護の畠山満慶が正長年間(1428年~1429年)頃にこの地に築いたと思われるが、当時の七尾城は砦程度の規模と見られ、行政府である守護所も府中(現七尾市府中)に置かれていた。次第に拡張、増強され、以後約150年間にわたって領国支配の本拠となり、五代当主である畠山慶致の頃には守護所も府中(七尾城山の麓)から七尾城へと移されたという。その後、畠山義続・畠山義綱の頃に能登では戦乱が続いたために増築され、最大の縄張りとなったと言われる。山麓に城下町「千門万戸」が一里余りも連なり、山頂にそびえる七尾城の威容は「天宮」とまで称されたと記録に残っている。日本五大山城のひとつに数えられるほど強固な城であった。
1576年(天正4年)に能登国に侵攻した上杉謙信に包囲されるが、一年にわたって持ちこたえた。しかし、重臣同士の対立の末に擁立されていた若年の当主畠山春王丸が長続連、遊佐続光、温井景隆らの対立を収めることができず、結果七尾城は孤立し、最終的には遊佐続光の内応によって徹底抗戦を主張した長氏一族が殺害され、同年9月13日に開城された。

さらに車で少し上がったところに展望台があった。

七尾って七つの尾根から取ったんだって。

七尾市街と七尾湾に能登島が一望。

今日は朝早くに出て、夕方までじっくりと七尾周辺を周ってきました。
七尾の旅、良かったです。
さ~て、明日はどこに行こうかな

【ヒゲ親父】


