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てんもく日記

ヒゲ親父が独特の感性で記録する日記。このブログがずっと未来に残るなら、子孫に体験と思いを伝えたい。

金印は偽物ではない!

2011年10月10日 18時37分57秒 | 【ヒゲ親父】歴史のこと
いまだに志賀島で発見された金印を
(漢委奴国王印)を偽物(にせもの)
呼ばわりする専門家がいるらしいけど、

これこれ


ばかばかしい!

何でこれを偽物だと思うんだ!?

儒学者亀井南冥による贋作だって?
あまりにもの奇跡的事実を
認めたがらないのだろうけど

人が蛇鈕(ヘビの形で紐を通す穴がある)
の偽物を作るとしたら
こう作るだろ!
(オイラ作 キリっ)



どうですか、皆さん・・・
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前田慶次は本当か!?

2011年10月09日 18時08分02秒 | 【ヒゲ親父】歴史のこと
前田慶次と書くと、
歴史好きよりもパチンコファンの方が
知ってるかも知れない。

「花の慶次」という人気パチンコが
シリーズ化されている。

それにしても、
この前田慶次。

オイラ的には
唐突に出てきたんだよなぁ~。

マンガの少年ジャンプで、
たしか北斗の拳の後に出てきて、
なんじゃコイツ?って思ったもの。

実際、この慶次、
本当にこんなにスゴイ者だったのか?

一番有名なエピソードは、
天下統一後の秀吉の前でサル真似して、
天下御免の傾奇者としての称号を得る
とのことらしいが、
ホンマかいな。

そしてマンガでは、
上杉家筆頭家老の直江兼続や
仙台藩主の伊達政宗などと
対等な間柄で描かれてるが
これも本当とも思えん。

戦国武将の中でも
特に実態と離れてるような
高い評価を受けてる気がするけどねぇ、
まるで海外人気評価の忍者のように・・・・。
前田利益慶次郎よ、真実はどうだったんだろうね!
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これがあるからオモシロイ

2011年10月05日 20時31分37秒 | 【ヒゲ親父】歴史のこと
これがあるから、
歴史、とりわけ古代史はおもしろい。


聖武天皇の歯だって・・・

まじかいや~

1300年前ですぞ~
あの東大寺大仏の聖武天皇。

こういうのが、ちょくちょく出てくるから
古代史はオモロイんだよ。
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誘導操作

2011年09月04日 17時37分36秒 | 【ヒゲ親父】歴史のこと
午後から天候も回復してきたので、
久々に家族でドライブに行ってきた。

息子か娘どちらでもいいので、
オイラと同じく
歴史好きになってほしいから
県内の○○城という山城(やまじろ)に行ってきた。

(将来、親子で歴史巡りでもできたらと・・・
ちなみにカミさん歴史興味なし・・・



圧倒的な戦力差で敗れた側の城であります。
抵抗むなしく最後は落城し焼きつくされた。(だから復元)

どうよ、この迫力!
何百年前にここで命のやり取りが行われたんだ!
当時の息吹を感じないかい?
~夏草や兵どもが夢の跡~

(二人・・・・・・・)

こんなのもあるんだぞ!

ハハハハ!

悲しい戦士の夢の跡だね・・・


特に息子には、
「おそらく敵はここから大軍で登ってきて・・・」
「迎えうつこちら側はここより弓矢で応戦し・・・」
などと、臨場感を持って伝えたつもりだが、
当人は(・・・・・

どうやら、
歴史好きへの誘導操作は
うまくいかないようだった。
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一乗谷フィーバー

2011年08月28日 18時07分05秒 | 【ヒゲ親父】歴史のこと
今、福井の一乗谷が
静かにフィーバーしている・・・らしい。

オイラ一度だけ、行った事がある
もう10年以上前だ。

確かになんにもないところ、
それが魅力とのことだが、
織田信長との戦いで敗れ、
町ごと焼き尽くされる前は
一万人からの城下町というから驚きだ。
当時の1万人はすごい。
その想像に思いをはせるところが、
またいいらしい。

まさに日本のふるさと、
みたいな土地なんだろう。

今度また、行ってみたいなぁ。
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沖縄戦

2011年08月25日 18時40分17秒 | 【ヒゲ親父】歴史のこと
8月は、広島・長崎に原爆が投下され、
終戦記念日もあって、先の大戦を意識する月です。

特に本国において地上戦が行われた
沖縄戦の記録は、確実に記録を残すべきであり、
その記録は細かいくらいがいい。

オイラ沖縄には1度しか
行ったことがないけど、
その時でも悲惨な状況の名残りが感じられたよ。

記録は大事だ。
特に沖縄戦は、記憶が薄れる前に
確実に記録せねばならない。

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浦島太郎

2011年08月16日 20時07分15秒 | 【ヒゲ親父】歴史のこと
古代史好きな者にとって、
日本昔話の中で浦島太郎の話は、
別格なのである。

一度だけ、ここに寄ったことがある。
京都府伊根町にある
浦島神社(宇良神社)だ。



<ネット情報抜粋>
筒川の浦島伝説は『日本書紀』雄略紀に記載がある。
 丹波国の余社郡の菅川の人瑞江宇良島子、舟に乗りて釣す。大亀を得たり。便に女に化為る。是に浦島子、感りて婦にす。相遂ひて海に入る。蓬莱山に到りて仙衆を歴り覩る。」とある。
 『丹後国風土記』にも同様の話が詳細に載っている。筒川の嶼子は仙都で亀比売の夫として三年の歳月を過ごし、帰ると三百年の月日が経っている。

もう一度、宇良神社に行って
じっくり見物し、
素人考察してみたいものだ。
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一つだけ疑問が(古代史の話)

2011年07月10日 17時08分31秒 | 【ヒゲ親父】歴史のこと
邪馬台国は大和、
今の奈良の纒向遺跡だったと
オイラは確信するが、

ただ一つだけ、大きな疑問があるんだよね。

魏志倭人伝によると、

なぜ、帯方郡の使節は、
邪馬台国に行くのに、
自分達の船で、直接、
大和の近くの大阪湾付近まで
船でいかなかったのだろうか?

いちいち、九州に上陸せずとも、
関門海峡を渡り、瀬戸内海を渡り、
大阪湾に接岸するべきなのに、

あえて、九州へ上陸し、
わざわざ陸行し、
それから倭の船で水行し、
また上陸し陸行するという、

なんとも不可思議な行程なのだ。


それでも、邪馬台国畿内説には
ゆるぎないと思ってるのだが、
まあ疑問ですわな。
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晩秋の三国志が好き

2011年06月07日 19時05分07秒 | 【ヒゲ親父】歴史のこと
中国の歴史の三国志は、
184年の黄巾の乱から280年の晋の統一までの
約100年のことをいうが、

マンガや小説でお馴染みの流れとしては、
劉備、関羽、張飛による桃園の儀より始まり、
呂布が出てきて盛り上がり、
赤壁の戦いでピークを迎え、
劉備が死んだあたりでフェードアウトしていくのだ。

184年-280年だから約100年であるけど、
おなじみのエピソードは前半部分に集中している。
呂布との虎牢関の戦いが190年、
赤壁の戦いが208年、
劉備が死んだのが223年であるから、
まだ半分くらい残っているのであるが、
一般的な三国志はだいたいここで終わっちゃう。

オイラ、この歳になって、
三国志の100年でいうところの晩秋、
つまりマイナーな後半部分に興味が
抱くようになっています。

劉備の死後の
孔明が北伐で頑張るあたりや、
その後継者の姜維(きょうい)が活躍する時代である。

ちなみに我が国の邪馬台国の女王、卑弥呼が
魏に朝貢そたのが238年であるから、
すでに孔明も死んだ三国志のいわゆる晩秋の時代だ。

なんか、歳をとると、
夏真っ盛りというより
少し寂しい秋の雰囲気が好きになるのねん
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これはすごいね

2011年03月05日 12時53分08秒 | 【ヒゲ親父】歴史のこと
これはすごいね。


平城京跡で見つかった奈良時代の大型井戸の木枠。
左後方は朱雀門=3日、奈良市
ですって。

奈良県民はうらやましい。
次から次と、最高級の遺構や遺物が
発見され、歴史ファン
特に考古学ファンは
たまらないだろうな。

それにしても、この井戸、
何のために作るのだろう?
こういう想像もまた楽しい。
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歴史のあいまいな伝達

2010年08月26日 20時52分24秒 | 【ヒゲ親父】歴史のこと
古事記によると、
神武天皇の年齢は137歳、
考安天皇は123歳、
考霊天皇は106歳
崇神天皇は168歳、
応神天皇は130歳
その他にも初期の天皇には
100歳以上の天皇年齢が並ぶ。

こんなもんは、常識的に考えて
誤りであり、嘘であると考える。


さて、ひと昔前まで、
結構評価されていた
我が国自慢の戸籍制度。

最近なにやら怪しくなってきた。

戸籍上生存者が、
120歳やら、130歳やら、
ついに186歳まで出てきた。

今から1300年前の古事記の記載を
馬鹿にできなくなる状況である。


でもこの戸籍のデタラメ記録が
最近のように
クローズアップされなかったら・・・
信用あるシステムとして評価され続けたら・・・

後世の人が、この戸籍を見ると
どう考えるかな?


~1000年後、とある歴史研究所にて
博士「う~ん186歳か・・・」
助手「あり得ないでしょう、博士」
博士「いや、助手君よ、そうとも言えんよ」
助手「えぇ~博士いくら何でも」
博士「この頃の日本の戸籍制度は、
   世界に名だたる信用あるシステムだったんだ。」

助手「そうなんですか・・・」
博士「186歳で除籍されているから、
   きっと186歳の人がいたんだろう。」

助手「はい、博士」

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昭和天皇の罪

2010年08月04日 22時31分27秒 | 【ヒゲ親父】歴史のこと
オイラは今上天皇である平成天皇は、
尊敬もするし、親しみを持つが、
昭和天皇については、
どうしても違う感覚を持っている。

8月に入ると、
急に戦争の話題が流れてくる。

広島・長崎の原爆投下、
終戦記念日と続くからだ。

テレビのそういう番組を見ると、
またいろいろと考えさせられるのである。


先の太平洋戦争。
昭和天皇に戦争責任は
あったのか、なかったのか?

オイラはあったと思う。

確かに開戦期は、ハルノート等で
日本が戦争しか進む道は無いと
実質追い込まれたようであり、
国民の多くが戦争突入を支持したらしい。


しかし、中盤、終盤では
日本の負けは確定したので、
できるだけ犠牲を払わずに
天皇は強行に戦争終結を
宣託すべきであった。

ミッドウェー海戦終了時が妥当である。

それが、絶対防衛圏内の海戦、
沖縄戦、本土空襲、原爆投下と
ズルズル引きずり、
本当に多くの国民が
死んでしまったのである。

本当か嘘かわからんが、
その時、天皇は最後まで
国体固持を中心に考えてたと
言われている。

国体維持とは、
天皇制の維持のことであり、
三種の神器を守ることである。

そう、先の天皇は本土決戦において、
国民よりも、
むしろ伊勢神宮や熱田神宮に
納められている神器を
心配したらしいのだ。

それらの一つでも
アメリカに奪われれば、
2000年続いた天皇制は終わりだからだ。
それでは天照大神をはじめ、
神武天皇以下の祖先に申し訳が立たないと、
こればかり考えてたとも言われている。
(あくまでも言われているということにしよう)

つまり、その時の天皇は、
極端な言い方をすれば、
ご自身の命よりも、
その三種の神器の方が大切だと
思ったに違いない。

とにかく自分の代で
長年続いた次期天皇につなげる
神器を無くすことは、
何よりも恐れたのである。

それほど固執する三種の神器は
源平合戦の壇ノ浦の戦いで
その二つが安徳天皇と共に
海に消えてしまっているのだが・・・

当時の昭和天皇は、
国民よりも祖先をみていた・・・


そう考えると、
多くの犠牲者が
あまりにも可哀想ではないか!

天皇には実質、事を動かす力は無かった
と言う人もいるが、
そうは思わない。
226事件の時の天皇の強行な姿勢にも
あるように、可能だったはずである。

昭和天皇の決断次第で
もう少し早く戦争を終結させる
ことができたのだ。

統帥権を悪用した陸海軍の
責任は特に大きいが、
国体固持に固執した昭和天皇の責任も
重いとしかいいようがないのである。
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明治天皇御小休所

2010年06月22日 18時45分15秒 | 【ヒゲ親父】歴史のこと
会社への通勤途上に、ある石碑が建っている。

「明治天皇御小休所の地」である。

今から130年程前に、
明治天皇は日本各地を巡幸し、

この地にて小休憩をされたのだ。


だから・・・・?

いやいや、
こういうポイントが
歴史好きにはたまらない場所であり、
また出来事でもある。

いろいろ想像してしまうのだ。

自分の身近な場所に、
それこそ小さな歴史的な物があるだけで
うれしいものである。

特に、京都や奈良のように、
歴史的なものが溢れんばかりの
地ではない場合は、
どんなに小さなものであっても、
一応の価値はある。


今から130年前となると、
当然、車なんぞない。

よって、馬車みたいなもので
ゆったり、ゆったり、
たくさんの御付の者を従えて
日本各地を視察したのだろう。


ここに
御小休所があるということは、
その前の道路は少なくとも
130年前からあったことであり、
この地の主要道であったこととなる。

想像するに、
近所の村人は、数日前から
街道を清掃し、草をむしり、
天皇の御眼に不快がないよう
村民動員されて清掃活動を行ったに違いない。
犬の糞なんかあるはずもない。


当時の天皇は、現人神であり、
村民は直視なんぞ出来ない筈である。

ましてや、天皇がそんな見苦しい村民を
見られてもしたら、と思って、
村長あたりは、絶対に家から出ないように!
と厳命したに違いない。

よって、一般の村民は
当日は家にひっそりと過ごしており、
赤ん坊が泣くようなことのないよう
ヒヤヒヤして過ごしていたはずである。

さらには、野良犬、野良猫を
数日前から排除し、
街道沿の家は、出来る限りの
補修を行い、

村長はじめ、地元の警察なんぞは、
万一のことがあっては、
と万全の対策を尽くしたはずである。


無事、天皇一行が、当地を離れて
ほっとしたに違いない。

それほど、当時では
天皇に対して
恐れおののいていたはずである。


そういうふうに想像すると、
楽しいではないか、

今、「明治天皇御小休所の地」の碑を
見て、想像は膨らむばかりである。

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奈良は地政学的に不思議だ

2010年05月31日 21時32分26秒 | 【ヒゲ親父】歴史のこと
昔から不思議に思うことがある。

奈良である。

古代において、
奈良は国家の中心になった時代があり、
都が置かれ、華やかな文化が生まれた地域
であるのだが、

でもなぜ、奈良なのだろう?

地政学的にみても、
奈良という地域は、日本の中心に
なりえない地域である。
と思うのだが、


日本の文化は、中国から朝鮮半島
経由で北部九州にもたされる。

つまり、北部九州が中心となるのは
十分理解できる。

船の利用で物流が盛んになると
できるだけ、海に近い地域
あるいは大河がある地域、
そういう意味では、大阪が
発展するのも当然である。

国内での人や物が行き交うように
なると、その要所が発展するのも肯ける。
近江(滋賀県)に信長が安土城を築いたのも
当然の流れかもしれない。

また、人口が増えてくると
より大きな平野が必要になる。
農業に適する土地と、
多くの人々が過ごす場所である。
関東平野、濃尾平野、大阪平野である。


しかし、奈良は説明が難しい。
朝鮮半島から遠く
海から遠く
大河が無く
交通の要所でも無く
大規模な平野も無い

なぜ奈良という地域が
古代において、我が国の中心となったかが
いまいち説明がつかないのであるが
【ヒゲ親父】

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奴の金印関連の本が少ないよ

2010年02月21日 08時47分00秒 | 【ヒゲ親父】歴史のこと
ちまたに、邪馬台国関連の本は、
たくさんあれど、
奴の金印関連の本は少なすぎる。
と、オイラは思う。

金印については、
オイラがブログを開設した3ヶ月程前に
早くから気になる、気になる
と書いたとおり、
今でも本当に気になるのだ。

古代史好きのオイラは、
かっては邪馬台国一色の時もあったが、
最近ではその前後の時代のことに
興味があるのだ。

邪馬台国は先日NHKクローズアップ現代
で大変興味深い放送をしていたが、

金印については、関連本も少ないし、
テレビ放送も少ない。
ちょっち不満です。

志賀島で発見された
「漢委奴国王印」と刻印された
その金印は、
オイラは、本物だと思うが、

出土した場所が、
信じられないくらいの謎すぎるのである。

遺跡跡やある神社からの
発見ならともかく、
江戸時代の田の溝からなんて、
まったくもって、古代史最大の謎とさえ思ってしまう。

そして、その奇跡的発見から
オイラは大いにロマンを感じるのである。

関連本
金印偽造事件/三浦佑之

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