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YUNUBI

YUNUBI=ユヌビは、私が嫁いだこの地の方言名だ。30年余の会社経営、子育てに良くも悪くも終止符をうった。

何年ぶりかで、クリスマスがあるかな。

2008-11-25 | Weblog

 身辺がかたずく今年の12月は、クリスマスがあるかな。会社の苦しい経営が始まった頃、成長した子供たちが県外で暮らし家にいない何年か前から、私のクリスマスはなくなった。会社のことばかりで、いつも心をザワザワと荒立てていた。クリスマスは、幸せと豊かさの象徴のようなとの思いがある。 今年は、町のイルミネーションが増えてゆくのが、いつの年より目に付く。小さな孫から、毎日笑顔の幸せをもらう日々、ふとクリスマスだと思った。この笑顔は、遠く20年位前の我が子らの幸せ満開笑顔を思い出させた。

 21年前の事。24日イブの夜12時過ぎ、夫が帰宅した玄関の音で、子供たちが目を覚ました。上の子から4年生、3年生、幼稚園、3人の子供部屋に灯りがつき、話声がしてきた。「起きて、起きて、サンタさんきたかも」「ない!ない!枕のところに何もないプレゼントがない!」「わたしのところもない!」「ぼくも---ない---」「よく探して見ようよ、部屋のどこかにプレゼントない?」「枕の下のサンタさんへの手紙みてみようよ」「手紙あった-きっと見てないんだね---」「でも、きっと子供部屋まちがえてどっかにおいてあるかも?」「玄関の外かも?庭は?」3人は、家中の電気をつけ探している。玄関から夜の庭ものぞいている。私らは、そのやりとりを息をひそめて聞いた。クリスマスプレゼントは、夫の役割だった。やがて、上の子が泣きべそで、サンタさんがきてないときた。私は、大丈夫、ほんとのクリスマスは明日だからおりこうにしてたらサンタさんは、きっとくるからと。とはいえ、3人がどんな思いで眠りについたのか、夫は、後悔すれど動けず小さな声で嘆いた。翌日、サンタが庭に隠した自転車に、3人分のプレゼントが下がっているのを、子供らと私が見つけ無事クリスマスパーティができた。その時の、子供らの満面の笑み、最高の笑顔は、サンタの存在を信じたい子供らから、私達への幸せプレゼントだった。                                                              

 今年のクリスマスは、子供たちとの思い出が孫の笑顔で思い出しここ何年かの心の垢を洗い流し心から笑えるかも。

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やっと終決か?

2008-11-11 | Weblog
 私らが破産申請をしてから、1年半になる。弁護士にまかせておけば、簡単に事が片付くと思っていた。その根拠は、会社が倒産した時に、私らが投げ出せる金銭はすべて投げ出したとの思いからだった。だが、甘かった。管財人が決定したのが4ヶ月後、この時が、法的破産手続き開始という事だった。弁護士との、やり取りに慣れた頃の、初出頭だったが、管財人に与えた私の悪い印象が、終決まで、もたもたした原因なのかもと思うほど、身動きできないような苦しい長い時間が過ぎたのだ。先日の債権者集会に、裁判官から経過をもって、免責の手続きに入ると告げられた。やっと終決に向かうという事だ。これで、出頭からも開放される。気持ちは複雑だがとりあえず安堵というべきか。

 この1年半の間、管財人という人種と、付き合った感想---自分たちのした事は、棚にあげてである。仕事は、事務的にしてくれと願う。私らから、どうお金をとりあげるかに、終始するのは仕方ないとしても、言葉で傷つけられたくないというのが、正直な思いだ。 彼という個人は、たくましい若者という印象だが、今は思い出したくない顔だ。最後の債権者集会で、破産管財人に収めるお金は、私ら二人の、市税の還付金約20万円だと、管財人が告げた。私が、市に還付手続きに出向き、市税還付通知書をもらい、生活費の足しになると喜んだ。市税の還付振込みが、何日かでも遅かったら---とぬかよろこびだった。

 裁判官が、私たちに向かって"最初で最後にいった言葉"が、「これから、又頑張って下さい。」事務的だがやさしく聞こえた。



 
 
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家をつくる自由

2008-10-15 | Weblog
 娘からのプレゼントの本。「家をつくる自由」毎日のように、目を通す。
まるでバイブルの様だ。何のバイブル?もちろん家造りだ。
 けど、もう1つ、心の自由を表してくれた。
読んでいると楽しくなる。やってみたい事がたくさんある。
 まずは、考える自由、見て調べる自由、お金はついてこないが
創造力に補正がつき広がる。楽しいよ!
セルフビルド―家をつくる自由
矢津田 義則,渡邊 義孝
旅行人

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住まいへの思い

2008-09-30 | Weblog
 家族が、帰りたい住まいつくり。私が無意識、意識のうちにしてきたことだ。学校や仕事や趣味で生活スタイルが変化していく中でも、とりあえず家へ帰ってきたら、顔が見える。忙しくて、言葉を交わす時間がなくても、顔は見える。 家族を作って32年間、たぶん私の表情を読み取る能力は、確かな物となっているに違いない。特にくたびれ顔には敏感だし、いい顔?にはホットした。1DKのアパート暮らしも慣れたが、子供に借金をさせ甘える訳にもいかない。この部屋は、賃貸にまわす方がいい。私は、次の住まいを、長男の住むピロティ形式のアパートの駐車場のデッドスペースに目をつけた。ブロック造にすれば何とかいける。 夫に相談し二人で安価な材料を探し歩いた。お金ができ次第、材料を調達しこつこつ自分達でやれば、年内には家らしくなるだろうと。時は金なりである。とりあえず、ブロック他4万円分程を購入し工事はスタートした。
 年内といえば、私らの法的立場が、決定する方向で動きだしたことを、先日の債権者集会の時に、管財人に言われた。弁護士先生は、年内には何とか大丈夫でしょうと言う。本当に長かったと年末に言えるだろうか?私は、そんな事を頭の隅に置きながら、黙々と作業を始めた夫の手伝いをする。夫はいろいろ下調べをしたり、仕事道具を借りたりしながら、ブロック積みの作業を1人でする効率の悪さを言ってた。だが、先立つお金はない。他人に給料は払えないと結局、1人で作業を始めたが、ブロックを運んだり、モルタルを調合したり、体が大変そうだった。住まいのイメージは、小さくでも明るく出来るだけ小エネの家。そして、子供たちが訪ねてくれる家。私は手伝いが、楽しい。目地棒で目地きりをする。モルタルを穴につめる。1個1個のブロックを、夫が積み上げる丁寧な作業を見るのも楽しい。 男に生まれたら、職人になりたかったかも?でも、体にはこたえる。腰がアップアップして痛い。キチンと体のケアーをしなければ、作業が続かない。
 住まいは、生きていく箱だと思うが、思いはいくらでも詰められる。家族への愛情という思い。私らが元気な分、安心のプレゼンなんだと思う。
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住まい 生きていく箱

2008-09-17 | Weblog
 裁判所に許可をえて、今の住まいに移ってから3ヶ月余りになる。私らが、31年余慣れ親しんだ家や事務所は、静かな住宅地の中に570坪程の高台に建ち、住まいや仕事場には申し分のないものだった。破産手続きの中私らが引越して1週間後には、平屋60坪の住宅、3階建て47坪の事務所が、跡形もなく消え更地になった。今更のように驚いた近所の人から、何故か励ましの言葉が届いた。
 夫は、1DKアパートがどんなものか想像できなかったらしく、黙々と荷物を運び入れていた。このアパートの企画、設計に当たった私のこだわりは、働く若い女性が暮らしやすいイメージだった。まさか、自分達が住むことになるとは、夢にも思わなかったが十分な収納と180cmのシステムキッチン、広いベランダが12畳位の部屋を広く感じさせ、窮屈感がなく快適だ。このアパートは、結局子供達が協力し、競売を銀行融資で切り抜けた。管財人が間に入る条件として、債権者集団への納付金、司法書士への支払、固定資産税等それらのお金の工面が条件だった。私は、長男と相談しながら融資先を当たらせた。勿論、迷惑をかけてない金融機関がいいことは、重々承知していたが当たってくだけろと言い聞かせ、どの銀行も訪問させた。正直に事情と状況を話して、長い付き合いでも迷惑をかけた銀行には、当然のごとく断られたが、丁寧な対応は長男には勇気になったようだ。一方で、同じ長い付き合いだったが最後借金の返済をした(担保をはずす為)迷惑をかけなかった金融機関は、理由も曖昧に断りを入れてきた。私には、悔しさや不快さが残る。
 そんな中で、融資を受け入れてくれた銀行には感謝だ。長男の頑張りが、この1DKのアパートをお互いの住まいとした。管財人に、収めた金の合計¥1,042,407と司法書士費用¥705,330は、予想外の出金だった。私の付き合いで工面できたお金で、人にとって住まいは「生きていく箱」だと実感した。
  
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小さな部屋へ引っ越し 幸せが飛んできた。

2008-07-30 | Weblog
 小さなアパートに落ち着き早2ヶ月。私が夫と会社経営していた頃に、働く若い女性をイメージして作ったワンルーム家電つき6室のアパートだ。キッチンや収納が充実し清潔でお洒落な雰囲気にしたのだった。これを管財人が息子に2000万で買い取らせた。とりあえずここに住まう事になり狭さに心配だった夫は、以外にも直ぐに慣れ、視界に常にお互いが居るが、数歩で事足りる快適さがあると言う。私らの会社消滅に一気に自立の足を早めた子供達が、小さな住まいに幸せを運んで来た。
 今年になって長男、長女、次女と相次いだ結婚式は、私らに勇気と和みをもたらした。この小さな住まいに、二人の愛らしい小さい女の子を預かる。生後1ヶ月半の長男の娘、生後2週間の長女の娘、すやすやと眠る姿は天使、幸せそのもの。そして、私達の為に沖縄で結婚式をして、ニューヨークに帰った次女夫婦にも年明け男の子が産まれる。私は、ニューヨーク,京都と子供達に呼ばれ子育て応援に行く。会社経営していた頃の、寝ても覚めても、資金ぐりや設計関連の仕事していた痺れるような時間が薄れ、これで良かったと。
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カツオノカンムリ

2008-06-17 | Weblog
 青く透き通るヨットのような物は、カツオノカンムリだと判った。
インターネットで検索するまどろこしさは毎度のことかも知れない。言葉で検索していく作業は時に多すぎる情報にいらだつ。図書館で図鑑を手にしてすぐに見つかった。海洋生物の多様な美しい写真も楽しく童心に返った様な気分。
 3回目の債権者集会が終わった。疲れた---。
会社を止めたと決めてから1年も経過したことになる。
前日に弁護士と話し合った。というより管財人とうまくいかない私のことを弁護士先生には心配でという風だった。
 私は、早い決着を願い、株取引に使った50万円の献上に同意した。子供からもらった金だから文字どおり献上である。
弁護士先生には、情報のなさに面白くない事だと告げたが、私の感情だけが空回りしているのはまちがいない。
 一方で、売却した家からの引越しの約束の日がせまった。私は、家中の物を根性と体力でリサイクル販売した。家と事務所で100坪余の建物には古いが使えるものがたくさんあり、1品の値段は高くても2.3千円だったが軽く30万円にはなり献上金の足しにはなった。
 引越し先のアパートに落ち着いたが、相変わらず心はザワザワ。早く決着をつけなければこの不快さは晴れぬのだろう。
 明日は、何とか50万が作れたので弁護士事務所を訪ねる。
カツオノカンムリを見つけた時の、美しいものに対する小さな感動が、日々あればいいかな---。 
 
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解らない事

2008-04-24 | Weblog
 解らない事がある。人生半世紀を生きても解らない事がある。私が持っていたアパートが競売にでる。このアパートは、利益が出せない海賊社員をのせた襤褸船の会社の為に、私がエネルギー全開で立ち上げた物件だった。企画、設計等、思い出すと、専用道路確保の為に、説得に回った11人の地権者、融資先への懸命の企画書のアピール、未熟な工事担当者を叱咤激励、いろいろな事があった。だから、完成した時の充実感や自信は言うまでもなかった。会社には継ぎ資金をつくり利益をもたらした。私が、働く若い人に1DKでもゆったりした住まいをとイメージして立ち上げた物件は成功だった。
 借家人は、殆ど知人で半年前後の短期滞在が多かったが、1DKで光熱費込み5万の家賃は高いようでも、生活費の見通しがつき、オール電化で集金等の煩わしがないなど退去時に、感謝の意から贈答品が届くと嬉しく思った。会社の倒産で、物議をかもしだす物件となることは、何となく予想していたが、私は守りたいと思った。破産手続きを依頼した弁護士を通じて、息子が引き継げる様にと、息子を巻き込んで融資先との交渉に懸命で、アパートの不動産鑑定は、弁護士が依頼した不動産会社だった。私の思惑は、このアパートが1年据置だった借金と、不動産鑑定の金額が同じなら、抵当権設定権を持つ融資先が、息子をアパートの存続人と認めてもらえるかもと期待したのだった。事実、息子は審査の為の書類を提出し、融資先からの依頼で、私が支払いをしてはいけない融資金額の支払金3ヶ月分に加え延滞金総額70万近くを、お金をかき集め払ったのだった。融資先の担当者は、きっと途中までは誠実に対処したのと思う。だが、私の法的立場を理解した上で息子から70万の支払金をせしめたのだとしたら?弁護士先生は、借金と不動産鑑定が同額で、抵当権設定の融資先が息子を融資引継者と認めるなら?と確かに言ったし、それで事が運んだと思っていた。

 管財人が決定してから、この件はあっけなく白紙にもどった。あれ程、やりとりした弁護士や、融資先は息子から徴収したお金については、私がさりげなく触れてもそ知らぬ顔をしている。私は、自らの行動を悔やむことはないが、その時々の弁護士や融資先の対応を思い出すと、かつて、私が戦った銀行等の融資先の事務的で心ない対応を思い出す。管財人は、あなたに利益があることはありえないからといった。利益?息子が引き継ぐことで、私に何の利益が生じるというのだ、管財人の言う利益とは金銭の事で、私がこのアパートを守りたいという精神的誇りなんて論外のはずである。それでも、裁判所の執行官と会い、アパートの建築時の情報、設計図のコピー等を提供し、私は、このアパートが競売にかかるまで半年以上の時間を要することを知った。競売に出ることは、金銭的には何のメリットもない不思議を思いつつ、気持ちが決まった。当面の住まいは、ここにする事を。引越し先はここにする。先日は、管財人の支示で、郵便局の保険を解約して147366を弁護士事務所に届けた。これは、報告書に書いてから少なくとも7ヶ月以上経過している。すべてが、事務的に進むように見えて、自らの職務にだけ淡々と進む事柄の悪意を感じる。競売という複雑な選択をした融資先、何のメリットが?抵当権の放棄をするのだろうか?それでは、放棄した場合債権者に分配される金額がどれほど増えるというのか?この年になっても、社会の歯車の不思議な噛み合わせが解らない。

 海岸で見つけた青いプラスチックのような物。夫が、クラゲの種では?との事、干からびてきた裏の赤いのは触手ではないか?海に詳しい夫でも見るのは初めてとの事。夫でも解らないことがあるのか?今日の出来事を不思議に開き直った。

 
 
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海岸で見つけたもの

2008-04-21 | Weblog
 家を明け渡す準備で、2.3ヶ月前から家族のアルバムや思い出品の整理をしている。30年余の思い出は、幸せに育った子供達の写真でよみがえる。あまりにたくさんなので、気晴らしに夕方の海へ散歩に出かけた。満ち潮で岩によせる波が泡立っているが、何か、青いものがプカプカ小船のように浮いている。大きさは4~5cmのヨットのような帆を立ててプカプカ。青いプラスチック片かな?でも、いくつかある。拾ってみた、生き物の様な感蝕、何だろう持ち帰って撮影。さっきから、インターネットで検索しているが何かわからない。不思議な形だが青く透き通りキレイ!匂いは、魚に近い。ゼリ-状なので、これ以上触るのは怖い。図書館で調べよう。明日は、弁護士事務所に株取引の明細を届け、郵便局の簡易保険を解約して管財人に報告すべく等、面白くもない事をさっさと片付ける。
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切り替え

2008-04-15 | Weblog
 切り替えなければいけない。弁護士からの情報不足に自らの行為をトラブリ苛立つ、管財人との犯罪者のごとくの会話にいちいち反発する、それはいけない、何の徳にもならないと夫に言われた。旅先でのことだ。解っている!免責という言葉も理解した。破産とは別物、債務を調査した上で言葉どおり責任(債務弁済の)を法的に免じる事だと。言い換えれば人生の再スタートを認めるというようなものだという事。それでも、ネット等から情報が得られたり、私らと同様に倒産した会社の元社長等から、ないものは払えないではないか!好意なのか、同胞のつもりなのか、何故、破産者になるのか?疑問を投げかけられた。同じ状況の様でも、破産を選ばない場合があることも知った。確かに、ないものは払えない。だが、30年走り続けた、社員の為に会社の存続に必死だったから、やれる事は全てやったからこそ、これ以上あがきたくない。私らが堂々と生きる為にも免責は必要だと思っていた。それなのに、私は管財人や弁護士への言うに言われぬ思いに、ここしばらく眠れぬ夜が続いてた。
 子供の招きでの京都旅だった。桜のしだれる様や華やかだが可憐で刹那的な美しい生き様は、堂々として心打たれた。夫の言うことが聞こえた旅だった。
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弁護士の範囲

2008-04-08 | Weblog
 また、管財人との電話のやり取りにジリジリといいようのない不快感---。私には、最初に有価証券である社債を隠そうとした前科がある。言い訳をするなら、手持ちのお金を殆ど投げ出した私らの、当座の生活費になるともっていたのをばらしたのだ。ばらした!という言い方がよくあう不快な出来事で、もちろん管財人の印象は言うまでもない。私という人間に、信用できないというレッテルを貼ったに違いない。その後に、管財人に差し出した債権は647,114円だった。
管財人とのやりとりは数える程だが、私が考える破産という状況と法的破産の状況が弁護士から私に伝わってこなかった事がわかり腹立たしくなる。
 今回の発端は株の売買だ。電話で株の売買をした事を聞かれその後は言葉を返すまいと我慢した。生活費の足しにと長女から援助でネット証券を開設した。今の私らは、とりあえず健康で夫も私も日雇いの仕事ではあるが生活費をどうにか出来ている。子供の気持ちのこもったお金、無駄に寝かすことはないと株を始めた。夫には、止められたが、私は破産後のお金だから大丈夫だとの意識があった。この破産後というのが私には倒産後、個人口座を新たに作っていいかどうか弁護士に訪ね了解をえたとした。そのころには、最初に提出した書類に金融関係の個人口座はすべて報告、通帳添付し手元のお金のありかを詳細にしつつ社債は今後の生活費にと隠すつもりでいた。結局、それらの書類が裁判所を通過し審尋期日呼出状がでたのは5ヶ月後だった。管財人との顔合わせは始めてだったが、裁判官の前で事の成り行きを確認され管財人から隠していることはないかと聞かれ観念して出すべきものは出し切った。ある意味、開きなおり生きていく覚悟もできた。その後の、私らの生活は判決を待つ状況だということは理解していた。だが、生活は目処をつける努力をする傍らで、これから先の生活の事も当然考えなければならない。社会的制裁が始まった私らが生活できるお金を稼ぐには、リスクがあっても経験上、株の売買はやるべきだときめていたし先の生活につなげようとした。
 管財人からいつの購入かきかれ答えたが、私の思う「破産後の事、いいではないか」との思いはすぐに伝わったようで、呆れたように「君はもう終わってるな」との言葉がはかれた。その時点で、私は返答したことを悔やんだが後の祭りだ。管財人は弁護士に株の購入時期の報告をするべく電話を切った。2日して冷静になり、株の購入時期をしらべて弁護士に知らせたが、電話で話す気になれずFAXで送信した。その中に、管財人とのやりとりがいつまで続くのか、私が提出したあれ程の細かい調書に裏付できるものばかりがなぜこれほどの時間がかかるのか、管財人が何をこれ以上私らから調べようというのか、いいようのないジリジリした辛さを訴えた。だが私の本音は、弁護士の役割や範囲はどこまでなのかわからず、情報がもたらされない弁護士への不快感が起きていた。
 
 
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今年ももう3ヶ月

2008-03-29 | Weblog
 2008年に入ってもう3ヶ月になる。文字通り目まぐるしかった2007年は会社経営の苦しい10年の1コマ。あれだけのいろんな事がコマ撮りの映写フィルムのごとく早周りをしてパチンと切れた1年だった。年が明けて子供達から2月、4月と相継いで結婚式をやると知らされた。2007年、私らは会社の破産手続きに入りつ年明けも解決してなかった。そんな中、1番下の長男が2008年2月の結婚式を無事終え、安心というお守り札をもらった。親として結婚式に出せるお金がないというのは不思議な開き直りが生まれた。子供達が健康で心優しく逞しい良い人間に育ってくれたと仏の様に見守れる心境なのだ。4月もすぐ、1番上長女の結婚式がまじか、準備も着々と進み私にできる事は相談役くらいなもの。アメリカ留学の次女も10月には結婚式だと〜それぞれのパートナーには心配かけた。会社の倒産をほとんど子供達には知らせなかったから、その時の子供達の心境はつらかったに違いない。パートナーの存在は有難く子供達を支えてくれたと思う。
 夫と語りあうことの1つに子供らが宝だねと言う事がある。その子供らの2世が6月、7月と相継いで誕生する。疲れた心に光が差し込まれるようだ。私らの2007年の戦いは水面下で続いている、早く決着をつけたい。
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黙々とバラの手入れ

2008-03-20 | Weblog
 会社や家でごたごたした事があると、庭で花の手入れをしてた。特に休日は朝起きると何となく庭をみているうちに手入れを始め黙々と3時間はしてた。
母がくれた野生種の強いバラは、太陽が当たる側にたわわに花をつけた。棘も強く油断ならない花だが深い赤が香りを伴い心休まる花。私らが住んだこの家、事務所も含めると60坪近いRCの建物。解体はもうすぐ〜。バラの行方も私らと同じかと、沢山のつぼみを見ているとため息がでる。会社との戦いの最中、折れそうな心に娘から、淡いピンクの50本位の大きなバラの花束が誕生日祝いに届いた。つい昨日の様、55才になっていた。


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gooブログアドバンス参加中

2008-03-19 | Weblog
 gooブログからスタートして、ここ何ヶ月かPCと日々3、4時間は向き合いネットの社会が少しは判ってきた。当初の興味だったアフィリエイトをgooで展開したい。そこでgooアドバンスの参加が必要との事。アドバンスとフリーとの違いは使っていく内にわかると思うがPC用語はホントに記憶に残りづらい(こんな事言うの私だけ?)クイズに答えてトラックバックとやらも初挑戦するよ。それから、嬉しい事はこの機会に変えたテンプレートが素敵!

  クイズの答え インポート  希望商品 掃除機 
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仕事

2008-03-18 | Weblog
 次の債権者集会まで2ヶ月を切った。日々淡々と過ごす私らの今の状況に、周囲の人間も慣れてきたのか仕事の話が舞い込んできた。何年ぶりかの友人、銀行を退職した知人、この浅い人間関係は、私の性格に起因した仕事の話をもってきた。勝気=頑張り、健康=活動的、自信=行動的、明るさ=?誰とでも打ち解ける??
 そんな彼らが、いまの私に見えなくなった自分を知らしめた。心が人にあう場面をもやもやとイメージさせない自分がいる事に。人に会いたくないわけではない面倒なのだ、自分の立場をわきまえたくない自分がいる。倒産に追い込まれた以前の業界には関わりたくない。漠然とそう思っていた。資格やスキルが要求される組織の中で、本当に利益を追求する人間は10人に1人も育たなかった。それでも、私のスキルに注目してくれる業界の人間がいた。大事な資格、大切にしなさいと、イザとなれば何でも利用するかと開き直るべきか悩むほどの事ではないのに変にむきになる自分がいる。以前の業界に関わらず、自分の頑張りでやる、頑張る分結果がでる、そんな仕事の話だと思うことには出かけていき、情報を得ることだけ続けよう。親友は、私の事務能力を高くかってくれて、会社の帳簿付けを依頼してきた。心使いに感謝し、そんな事ぐらいは、ボランティア精神でやってあげるよ、心配かけたし。
 今は、生き様を石橋たたくように心と向かいあうか---。
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ECOで地球を救う

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