荒れる海の、たぎる様な水の力で、砂浜にポンと放り出される貝がある。海岸散歩に拾ったホシダカラガイ。私の握りこぶしくらいある。夏台嵐の後、いつもの砂浜にヒョウ柄の大きな貝!見たことがない大きさと、自然な美しいヒョウ柄は、まぐれで拾った感じ。そして昨年末、2個目を拾った。名前を調べると沖縄の海には、良く居るホシダカラガイだと。貝は美しい。形も色も、自然の造形には何物もかなわないと思う、豊かな美しさ〜だから、私は貝で出来たアクセサリーが好きなのだろう。10年くらい前から愛用しているピアスが、この大きなホシダカラガイで作られたと知った。少し大振りなピアスは、ホシダカラガイの陶器の様な生地から、浮き出たヒョウ柄を、四角に切取り左右違う色合いにできているが、自然な感じでとてもいい。タカラガイは、子宝を表すと聞いた。いつもの海で拾った、まぐれの様な大きさに驚かされたホシダカラガイ。私は、昨年生まれた二人の孫からの、そして大好きな海からの贈り物だと思うことにした。命は美しい!
yunubiで育った私らの子3人が、アメリカNY、京都、沖縄で子育て真っ最中。私が嫁いだyunubiは、人口1000人くらい、サトウキビ畑や不揃いの畑が続き、
湿地帯がひろがり、夏の夜には蛍が舞った。子供たちの遊びは、雑木林でクワガタとり、川や湿地帯の水遊び、メダカや赤ちゃんスッポンとり、テレピア釣り、草花摘み、遊び暮れる事もあったが、誰かに子供たちを行方を聞けば容易に居所がわかった。私は子供たちの、アトピーや喘息のひどい次女の為に、タンポポやオオバコ、ヨモギを集めて煎じた。春には、真っ赤なグラジオラスや鉄砲ユリを持ち帰る〜日々の暮らしの中で花を生け、娘の為のお茶や浴用汁を作る、家での楽しい時の思い出がある。
成長し、どの子も、海外の土地を踏んた。何もない自然のyunubiが好きなまま大人になり、家族を作った。長女が居ついた京都は、鴨川あたりから京都大学のすぐそば、京都大好きな私には、とても嬉しい場所。次女が居ついたアメリカ、ニューヨークでは、セントラルパークの広大で豊かな自然に驚かされた。さらに・美術館や博物館も、充実している。私は、訪ねられる幸せを思う。長男は高卒後、ニュージーランドやカナダで、ワーキングホリデーで二年間過ごし、おおらかな気質に磨きがかかって帰ってきた。今は、yunubiで4人家族と仕事人間で走っている。階下に住むのが私達夫婦、毎年の娘達の里帰りはにぎやかだ。3月末。還暦祝いと子らが企画、3泊4日の家族12名の紀州旅行。長男が仕切り、レンタカーでのんびり、温泉三昧、楽しく最高においしい旅を満喫した。次女の夫が、先に沖縄を離れ残念だったが、ニューヨーク、京都、沖縄と4家族が揃う旅行なんて、幸せこの上ないと夫と話した。逞しくなった長男に家長らしさを見た。
4月1日、夫61歳の誕生日。夫は5人の孫たちに自分の事をにぃにぃ(お兄ちゃん)と呼ばしている。初孫、3才しいなの初バースデーレターが、ビールに添えてプレゼントされた。3月末の家族を生き生きと描き、覚え始めのひらがなで名前をふってある。思わず笑顔になるが、よく見ると、仕事人間の長男を描き忘れている。

夏の5人の孫、虫篭のバッタをのぞく

湿地帯がひろがり、夏の夜には蛍が舞った。子供たちの遊びは、雑木林でクワガタとり、川や湿地帯の水遊び、メダカや赤ちゃんスッポンとり、テレピア釣り、草花摘み、遊び暮れる事もあったが、誰かに子供たちを行方を聞けば容易に居所がわかった。私は子供たちの、アトピーや喘息のひどい次女の為に、タンポポやオオバコ、ヨモギを集めて煎じた。春には、真っ赤なグラジオラスや鉄砲ユリを持ち帰る〜日々の暮らしの中で花を生け、娘の為のお茶や浴用汁を作る、家での楽しい時の思い出がある。
成長し、どの子も、海外の土地を踏んた。何もない自然のyunubiが好きなまま大人になり、家族を作った。長女が居ついた京都は、鴨川あたりから京都大学のすぐそば、京都大好きな私には、とても嬉しい場所。次女が居ついたアメリカ、ニューヨークでは、セントラルパークの広大で豊かな自然に驚かされた。さらに・美術館や博物館も、充実している。私は、訪ねられる幸せを思う。長男は高卒後、ニュージーランドやカナダで、ワーキングホリデーで二年間過ごし、おおらかな気質に磨きがかかって帰ってきた。今は、yunubiで4人家族と仕事人間で走っている。階下に住むのが私達夫婦、毎年の娘達の里帰りはにぎやかだ。3月末。還暦祝いと子らが企画、3泊4日の家族12名の紀州旅行。長男が仕切り、レンタカーでのんびり、温泉三昧、楽しく最高においしい旅を満喫した。次女の夫が、先に沖縄を離れ残念だったが、ニューヨーク、京都、沖縄と4家族が揃う旅行なんて、幸せこの上ないと夫と話した。逞しくなった長男に家長らしさを見た。
4月1日、夫61歳の誕生日。夫は5人の孫たちに自分の事をにぃにぃ(お兄ちゃん)と呼ばしている。初孫、3才しいなの初バースデーレターが、ビールに添えてプレゼントされた。3月末の家族を生き生きと描き、覚え始めのひらがなで名前をふってある。思わず笑顔になるが、よく見ると、仕事人間の長男を描き忘れている。

夏の5人の孫、虫篭のバッタをのぞく

春の海
2013-03-18 | 自然
毎朝、7時過ぎ夫をホテル建築の現場まで送り届ける。夫の若いつもりの老体は、あちこち悲鳴を上げていたはず---3ヶ月が経った。いつか、夫の身体は慣れたのか、現場でのコミニュケーションがいかにとり難いかを話す。寝ぼけ頭の私は、黙ってハンドルを握る。コミニケの余裕はない。帰り道に、焼きたてパンのコンビニに寄り、アメリカから帰省中の孫の為にパンを選ぶ。やっと、思考回路が目覚めてくる。焼きたてのパンとコーヒーをもって海へ。私時間だ。30分ほどいつもの海岸で過ごす。春の海、太陽の光が明るく、海がキラキラひかり、岩の影はやさしい。私の大好きな海のカケラたちにも癒される。






海の表情
2012-09-08 | 自然
2週間の京都滞在から帰り、今日は歯の治療。5年間も歯医者を訪ねなかった罰だと、治療の大変さだけでなく心もへこむ。麻酔の切れない口元で、家の近くの夕方の海に向かう。入り江を円形に見立てると直径が80mほどの小さな砂浜の海岸。私の3人の子育ての頃には、一人でも安心して連れていける唯一の海。泳がないで一寸寄るだけのつもりでも子供たちは、服のまま海に入り、帰りの車中はタオル広げてと、思い出の多い海だ。台風14号、15号が通り過ぎた後だ。両岸が岩に囲まれ波が穏やかに寄る入り江が、台風の後は、表情が変わる。海藻に覆われたり、珍しい貝や生きたウニなどが打ち上げられたり、丸くコロコロした石があちこちにかたまる。海底にあるいろいろな物が打ちあがっているのだと思う。きっと、強く強く海をかき混ぜた台風だったんだろう。ゴロゴロした石の砂浜に座り込んで、ソフトボール位の丸い石を並べて触る。白いサンゴ石は美しい。日暮れの海岸で、穏やかな気持ちになる。


露とはいえ、激しすぎる雨---負けずに輝くように咲く白い花。329号線沿いの鉄砲ゆりの後ろにならんでいる白い花の2番目は月桃、ゲットウと読む。
草花なのに群れて大きくなる。花は、房状に可憐な小さい花が連なる。そして、その後3番目はイジュの木の花、このYUNUBIから沖縄本島北部ヤンバルにかけてイジュの群生があちこちに見られる。本当に可憐な花、可憐さにかけては1番かもと思う。書いていると、大好きなこの白い花達の特徴が私をひき付けているのだとわかる。白い可憐な姿、強さを思わせる繁殖力、心落ち着く香り、この3つの花がもつ特性、大切な沖縄の花。
草花なのに群れて大きくなる。花は、房状に可憐な小さい花が連なる。そして、その後3番目はイジュの木の花、このYUNUBIから沖縄本島北部ヤンバルにかけてイジュの群生があちこちに見られる。本当に可憐な花、可憐さにかけては1番かもと思う。書いていると、大好きなこの白い花達の特徴が私をひき付けているのだとわかる。白い可憐な姿、強さを思わせる繁殖力、心落ち着く香り、この3つの花がもつ特性、大切な沖縄の花。
YUNUBIの国道329号線沿い、いずみ病院の敷地だろうか?白い花が、露空の下でゆれて爽やかで優しい気持ちを呼ぶ。見ると、私の好きな花や木が3種ある。
一番目は鉄砲ゆり、2番目は月桃、3番目はイジュ、道沿いの敷地に下から順に目に入ってくる。その一番の鉄砲ゆり、勇ましい名前だが、真っ白で可憐な姿で沖縄の海や山、どこにでも咲く強さを持つ。私は、この道を走りぬけ近くの海岸で、まだ咲き残っているだろう鉄砲ゆりを探す。ここは、海風が吹き付ける険しい岩場だが、4月には花が咲き出す。厳しい環境だから、道沿いのゆりより小ぶりだ。
球根を壊さないように丁寧に切り取る。球根がが増えているから、来年もきっと頑張って咲くだろう。持ち帰ったゆりが、部屋の片隅にやさしく居る。

一番目は鉄砲ゆり、2番目は月桃、3番目はイジュ、道沿いの敷地に下から順に目に入ってくる。その一番の鉄砲ゆり、勇ましい名前だが、真っ白で可憐な姿で沖縄の海や山、どこにでも咲く強さを持つ。私は、この道を走りぬけ近くの海岸で、まだ咲き残っているだろう鉄砲ゆりを探す。ここは、海風が吹き付ける険しい岩場だが、4月には花が咲き出す。厳しい環境だから、道沿いのゆりより小ぶりだ。
球根を壊さないように丁寧に切り取る。球根がが増えているから、来年もきっと頑張って咲くだろう。持ち帰ったゆりが、部屋の片隅にやさしく居る。


5月の連休。子供たち2家族が近くの海岸でテントを張った。 昼からテントやバーべキュウの準備でバタバタしながら、今晩は、普段の何倍もの大きい月が明るく照らすという子供たちの会話が聞こえる。私は記憶の中から、何度も見たスーパームーン、そうあれは確かにスパームーンだったと、どこか懐かしく親しい友人をたぐるように、大きな月の姿を脳裏に浮かべた。
ラム肉を主体としたバーべキュウで会話も弾む頃に、私は遅れて20時頃に海岸に到着。海岸に下りるには15M程の険しい坂道があるが、雲が晴れて満開のムーンフェイスの登場で楽々歩ける。月明かりの下、3歳の2人と1歳の2人の孫が、ムーンフェイスに負けない満面の笑顔で迎えてくれた。キャキャとはしゃぎながら、月明かりの下、砂浜でモソモソと動くカニに喜び、ムーンフェイスを見上げる。幸せな時間とはこの事だろう。しばらくして、雲ひとつない空になり、どっしりと大きく黄金色の月は尊大な存在感を増した。この空の下、家族が過ごせた。ベリーベリーハッピー!!どう、表現しても足りないけど、自然の贈り物に感謝、感激!
夫が、この子らズーとこの景色覚えてるかな~とつぶやいた。いいよ、忘れても又きっと見れる。
ラム肉を主体としたバーべキュウで会話も弾む頃に、私は遅れて20時頃に海岸に到着。海岸に下りるには15M程の険しい坂道があるが、雲が晴れて満開のムーンフェイスの登場で楽々歩ける。月明かりの下、3歳の2人と1歳の2人の孫が、ムーンフェイスに負けない満面の笑顔で迎えてくれた。キャキャとはしゃぎながら、月明かりの下、砂浜でモソモソと動くカニに喜び、ムーンフェイスを見上げる。幸せな時間とはこの事だろう。しばらくして、雲ひとつない空になり、どっしりと大きく黄金色の月は尊大な存在感を増した。この空の下、家族が過ごせた。ベリーベリーハッピー!!どう、表現しても足りないけど、自然の贈り物に感謝、感激!
夫が、この子らズーとこの景色覚えてるかな~とつぶやいた。いいよ、忘れても又きっと見れる。
ECOで地球を救う
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