2021年は、コロナ禍〜前年からあれよあれよとコロナ渦中〜昨年末の訴訟実務説明会から〜2月〜私の住む(最も高い騒音地域)から説明事務作業が始まった。4月実務スタート、公民館で2000人程の区民の書類を受け付ける。準備が大変〜!コロナ装備、入り口で消毒、体温測定、作業はプラスチックガードつき相対テーブル、空気清浄機、マスク着用と。やれる事は全てやるコロナ対策〜それでも、コロナの脅威はジワリジワリと社会に侵食していた。事務作業は、受付や区民をある程度熟知している者、作業を理解している者等10数人の事務作業者に弁護士が待機し援護する体制だ。訴訟事務のスタート地点、この地域の騒音は時に95ホンにも達する〜作業中も例外ない騒音〜私は、集音器があまり役立たずガードの向こうの区民の表情に食いつき作業をすすめる。朝8時半の打ち合わせから書類チェック終了6時近く迄、頭のどこかにコロナの恐怖があるなかでの業務ながら、無意識に作業チームを引っ張り〜実質リーダーとなり(となる事で大人数の作業が効率的に)〜笑顔忘れず〜帰宅すると疲労困憊だった。4月からスタートした7地域余の巡回事務作業は、7月には終了したが、コロナは相変わらず猛威を奮っていた。私はその後、支部事務所で訴訟事務書類の点検作業に付き、振り返ると2021年は、コロナ禍中〜何年ぶりかの事務作業でフルタイムの仕事をしていた。ハードな仕事に充実した日々だったが、私にとって、強烈な出来事があった。
共に地域活動や子育てをした同い年の親友が闘病の末逝った。若くして母となり、68歳でひ孫がいる肝っ玉おばぁちゃんは病知らずの元気者だった。地域でスタートした実務作業の4月15日の訃報〜取り乱したが、葬儀でも流れる『糸〜(親友の大好き歌)』にご家族の心情を思い涙が止まらなかった。この親友の娘が母と同じ膠原病49歳で逝ったと聞いたのは2ヶ月後〜悲しみの檻が深く沈んだ。点検事務作業の8月頃には、連絡取れずの原告がコロナで亡くなった知らせがくる様になった。
2021年、嵐の様に過ぎた。ブログ更新ならずのこの年は、心身共にハードで張り詰めていた。振り返ると親友の笑顔が浮かんだ。