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YUNUBI

YUNUBI=ユヌビは、私が嫁いだこの地の方言名だ。30年余の会社経営、子育てに良くも悪くも終止符をうった。

コロナ禍中 訴訟事務作業 親友逝く

2025-05-03 | 
 2021年は、コロナ禍〜前年からあれよあれよとコロナ渦中〜昨年末の訴訟実務説明会から〜2月〜私の住む(最も高い騒音地域)から説明事務作業が始まった。4月実務スタート、公民館で2000人程の区民の書類を受け付ける。準備が大変〜!コロナ装備、入り口で消毒、体温測定、作業はプラスチックガードつき相対テーブル、空気清浄機、マスク着用と。やれる事は全てやるコロナ対策〜それでも、コロナの脅威はジワリジワリと社会に侵食していた。事務作業は、受付や区民をある程度熟知している者、作業を理解している者等10数人の事務作業者に弁護士が待機し援護する体制だ。訴訟事務のスタート地点、この地域の騒音は時に95ホンにも達する〜作業中も例外ない騒音〜私は、集音器があまり役立たずガードの向こうの区民の表情に食いつき作業をすすめる。朝8時半の打ち合わせから書類チェック終了6時近く迄、頭のどこかにコロナの恐怖があるなかでの業務ながら、無意識に作業チームを引っ張り〜実質リーダーとなり(となる事で大人数の作業が効率的に)〜笑顔忘れず〜帰宅すると疲労困憊だった。4月からスタートした7地域余の巡回事務作業は、7月には終了したが、コロナは相変わらず猛威を奮っていた。私はその後、支部事務所で訴訟事務書類の点検作業に付き、振り返ると2021年は、コロナ禍中〜何年ぶりかの事務作業でフルタイムの仕事をしていた。ハードな仕事に充実した日々だったが、私にとって、強烈な出来事があった。
 共に地域活動や子育てをした同い年の親友が闘病の末逝った。若くして母となり、68歳でひ孫がいる肝っ玉おばぁちゃんは病知らずの元気者だった。地域でスタートした実務作業の4月15日の訃報〜取り乱したが、葬儀でも流れる『糸〜(親友の大好き歌)』にご家族の心情を思い涙が止まらなかった。この親友の娘が母と同じ膠原病49歳で逝ったと聞いたのは2ヶ月後〜悲しみの檻が深く沈んだ。点検事務作業の8月頃には、連絡取れずの原告がコロナで亡くなった知らせがくる様になった。
 2021年、嵐の様に過ぎた。ブログ更新ならずのこの年は、心身共にハードで張り詰めていた。振り返ると親友の笑顔が浮かんだ。
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3年ぶりのNYは夫と

2015-07-31 | 
 NYの娘夫婦に3男誕生から9か月、会いたいと言ったらよんでくれた。夫と二人旅、12時間半も空の上、旅と言わずもがな~。私は3回目のNY。遠い異国で娘夫婦の3人の子育て、どうしているだろうとの思い‐‐‐。
 再会した娘の長男は、幼稚園のたった1年で、日常英語がペラペラと話せてる。娘との親子喧嘩に英語が飛び交う、私への英語の指導も上手い!たくましくなった!私が2回目のNY滞在中に生まれた次男は1歳で兄となり、母親を離れ父親に包まれる安心をえたのだと知る。次男坊は、「ポダ、ゴダ、ぽだごだ」とこちらには、意味不明な言葉を発するが、周囲の言葉は理解している。きかん気が強いのにぐずっても割り切りは早く、不思議な個性を見せる笑顔は、大きな瞳のせいか何とも言えない愛らしさがある。3男坊は、初めましてだ。宇宙人を見るように私たちをジーと見る。2.3日したら抱っこOKで、時折の満面の笑顔は嬉しかった。9か月になったばかりだが、つたい歩きから立って見せる。周囲が驚き喜ぶのを理解している。この家族には、際立った特徴がある。全員、アトピー性皮膚炎の持ち主だ。文字通り、遺伝的アトピーの持ち主たちだ。だから、常時皮膚のケアーは怠らない。お風呂の後のワセリン塗り、アレルギーを起こさない食事作りと管理。娘は、自身がそうだったことで、厳しさを見せながらも、日々繰り返すこの暮しを、淡々とこなしている。私は、娘の我慢強さに磨きがかかったと感心する。
 2週間も居ると夫は、NYのここアストリアは、ゆっくりとしたリズムで子育てのしやすい町だと分かったらしい。夫の当初の退屈さがなくなり、朝の街中散歩、地下鉄散歩とアストリアの気ままなくらしになった。娘夫婦は、私たちに楽しい時間をプレゼントしてくれた。熟成牛レストランランチ、タイムススクエアーガーデンやセントラル公園散歩、BRONX ZOOの赤ん坊ゴリラ対面、ラクダ乗りなど。更に私は、娘とブロードウェーで「王様と私」鑑賞。二人で、開演前に飛び込んだシーフードレストランはステキだった。メニューは、2個の生牡蠣と1個の生ハマグリ、たっぷりのサラダとパン、1杯の白ワイン、美味しさもさながら、くだけたBARのようでも上品で優雅な雰囲気、又、訪ねたいと思った。異国で頑張るケンさんに勇気をもらって、帰り道はタクシーで橋を通りマンハッタンの夜景を見ながら、留守家族に心はやる。
素晴らしい時間をプレゼントしてくれた娘夫婦に感謝。
 過ぎれば、あっという間の2週間だった。朝、目覚めるとカユイ背中や顔をボリボリ、娘以外男4人が、同じ仕草で朝食をとっていたのは、可笑しかったが、娘同様にアレルギーが少し収まった長男坊はすっきりした顔、この子も血がにじむ程のアトピー肌だったと思いだす。子供たちの幸せな笑顔を見ていると親も神様の贈り物かなと思う。娘夫婦が、体に気をつけて日々平穏に暮らすようにと願う。
 帰りの飛行機、空からNYをながめながら夫がいい旅だったと、日々暮らす娘家族を理解したようだ。

熟成牛レストランに向かう娘家族とタイムススクエアーガーデン
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新年を迎えた

2015-01-06 | 
 年末ギリギリまで2014年を楽しんだと言うべきだろう27日から31日迄の福岡から山口萩の旅は、思いがけず精神的充足感をもたらした。自由な生き様ができる、日本の社会の礎となった、若者たちが暮らした萩。国の為、藩の為、自らの誇りをもって大志を抱き、志を残して散った若者たちが生きた萩。
 私は、今更の様に、教育の素晴らしさに感動した。吉田松陰や高杉晋作の生家には、幼くして厳しい教育の
下に書かれた書や作文が残されていて、その出来栄えに私は驚く。夫は、生まれながらの天才だからだと言う。
否定はしない、稀なる人物たちだった。だが、彼らの両親や関わるまわりの大人達の、教育ありきの厳しい
姿勢は一貫していて、幼くてもゆるまぬ心や向上心を育てたのだろう。
 萩の町は、日本海に面して厳しい冬の寒さもあろうが、私らは晴天に恵まれておだやかにゆっくりと孫達と歩けた。
木造の町並みは、造りも美しく自然と調和して、建築物が好きな私には、居るだけで癒される。2014年は、娘家族の沖縄暮らし、秋には沖縄とNYで二人の孫誕生とせわしく過ぎた1年だった。夫は、吉田(松陰)神社で、9人の孫達に素晴らしい教育をと祈り、今の私らの幸せを語った。
 温泉や食事も良く、私は家事から解放されたせいか、腱鞘炎の様な痛みのあった左手首が楽になり、心身共に癒された。
萩の志高い若者たちの、生き様に触発されたわけではないが、やりたいことは、淡々とこなすことで成就できるのだと。
幸せな時間をくれた娘に感謝し、来年も家族を大切に私自身も大切にやりたかった事の意志貫徹を誓う。
 新年を迎えた。まずは健康第一と4日に初泳ぎ2kmの予定を足の裏がつって1.5km。5日のテニス初打ちも3時間の
予定が、きしみ始めた関節痛で2時間できりあげる。体力は油断すると落ちる。でもいい~好きな時間だから。

b
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誕生日に、空から北極

2013-11-16 | 
 61歳の誕生日、婿からのプレゼントティファニーのマグカップを喜び、NYから日本へ向かう飛行機の中。私は帰ったらやることがたくさんだな~と思いつつ、時差ぼけ対策は、あまり眠らずに〜と。後部座席付近の窓から、飛行機の外をながめる。眼下に、北極の大地か海か不思議な景色が広がる。やったぁ!とてもはっきり見えるラッキー!白いキャンパスに、氷の陰影で描かれた模様や白のグラデーションを、飽きずに見る。時々、黒い塊りが動いていく、トナカイか!?急に揺れ出した飛行機は、客室乗務員のシートベルト装着を促す。私は誕生日にステキ!~幸せ~✈✈✈

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二ユーヨークの孫ふたり

2013-11-07 | 
 NYにきてから、今日で1ヶ月、私の役目は何とか果たせた。心配した英語は問題なしーーー買物、幼稚園の送り迎え等、英会話は孫が勝手に通訳をする。今回はほとんど英単語を話さなかった、こんな事もある。娘家族の住むNYアストリアは、静かな住宅街と並行して商店街と、街路樹が縦横に走る。この街路樹が、イチョウやカエデなどの10m近くもある大木でリスが住まったり小鳥も多く黄葉は本当に美しく散策は癒される。静かな街アストリアだがさすがにNY、多様な人種が行き交う。耳にはいる言葉はスペイン語、ギリシャ語、ロシア語、イタリア語、韓国語、英語と様々。聞くと70ヵ国からの人々〜英語人が少ない?と感じる程。孫の通う幼稚園も多様な人種が集まる。日本人は孫だけらしい。
 日本語だけで育った孫が言うには、みんな英語人だらけ、大きくなったら担任のミスファーターよりメチャこわい先生になると。明るい性格だが、日々戦い~戦利品のように英単語を覚え、英語ダメなばあばに伝える。私は、孫の逞しさが誇らしい。娘夫婦が、子育てにハッキリとポリシーをもっているから、良く育ったと思う。その娘一家に次男が、私には7番目の孫が生まれた。元気で健康な子。とりあえず娘夫婦の子育ての外部応援団になる。私は、長男のように明るく強い子に育てと願い、明後日には、沖縄に帰る。
 この空の上で61才の誕生日を迎える私だが、老いている暇はない、来年も会いにくる。
二ユーヨークは、私の好きな街になった。
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福島、大内宿、鬼怒川

2012-02-15 | 
2010.3.11から、もうすぐ1年。誘われるままに福島へ向かった。復興に向かう観光地を訪れて、せめてもの応援と京都の娘家族が計画しした旅。
まだ、雪の残る静かな大井宿のたたずまい〜ただ心やすらぐ場所〜鬼怒川沿いのホテルには地震の爪痕がある。それでも、時間が止まった様な不思議な安堵感〜昔から〜これから〜ズーとそこにあるような空間に歴史の時を感じる。眼下の茅葺、合間の真っ白な雪、清らかな水〜沖縄からきた私には異空間〜残ってて欲しい場所。
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もう1度訪ねたい環翠楼

2011-12-16 | 
 忘れられない景色がある。2007年6月会社を閉じると決めて,夫と旅に出た。福岡から北上し、十日間くらいで北海道まで行く、電車に乗る前に宿を探すいきあたりばったりの旅。途中、旅の一番の目的地である京都の娘を訪ねた。事のいきさつを知った娘の、悲しみを受け止めた私達の旅は、富士山を見たいと箱根にむかった。とにかく富士山の近くに行こうと、JRのみどりの窓口で、静かな風情の宿、環翠楼にした。箱根登山鉄道(開業日)で強羅まで、6月の紫陽花に彩られ、緑豊かな自然の中に建つ宿に着いた。岩崎別邸だったという宿は、傷心の私達に、古きよき懐かしさと安堵感をもたらしてくれた。80代だという仲居の、物腰の上品さと、上等の料理(魚料理)に、新鮮な驚きがあったが、何よりも、窓の下に広がる庭園は、素晴らしかった。自然なたたずまいの、広い庭にはもみじが多く、秋の紅葉の時期を想像すると、この美しさは、色々でより増すのだとわかる素晴らしい庭園だった。テレビ番組の紅葉の宿特集で、環翠楼をみた夫が、録画してくれたのを見ていると、本当に美しい。今度は、子供達の家族と訪ねようと思う。
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時々京都へ

2011-11-02 | 
 時々京都へくる。海外出張の婿の頼みで、留守宅を手助けする。今回は1ヶ月余、11月の京都の秋を満喫したいとお寺の検索をする。京都着〜直ぐに保育園に向かう。こっちはとにかく夕暮れが早い。午後5時過ぎの日暮れ道を、保育園から30分ほど3歳の孫と歩く。孫はやわらかな京都弁で、いろいろな事を家に着くまでずっと話す。沖縄では、まだまだ太陽の日差しが強いだろう。YUNUBI仲良しの友人が定例になった京都行きを羨むが、寒さ厳しい京都の冬の気配はYUNUBIの明るくおおらかなゆったりした自然はいいなぁ〜とふと思う。

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ECOで地球を救う

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