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YUNUBI

YUNUBI=ユヌビは、私が嫁いだこの地の方言名だ。30年余の会社経営、子育てに良くも悪くも終止符をうった。

債権者集会当日

2008-03-03 | Weblog
 30分程で、終わった。管財人が私らを調査し、回収した財産目録の読上げ、今後の目安、アパートの売却の検討等、いくつかの理由付けをして結局3ヶ月後に次の債権者集会が決定した。
 私は、あれ程細かい調書を提出したのに、ここ3ヶ月の管財人の仕事は、こんな程度の報告?あの報告の殆どは、私が実際に決算等の事務処理して裏づけできるものばかりで税の還付、労災の還付等やれることはやった結果ばかりではないか?
 ただ、やたらに時が過ぎるのを待つしかないのか、現実に金銭的余裕がない私らにはこの先3ヶ月は重い。が、それも、これも、弁護士にも、管財人にも関係ない事と、割り切らなければならないのだろう。
 債権者集会当日に、参加した債権者は3社程の営業社員や事務員が5、6人で、私らの様子伺いといった感じだった。
 夫は一切顔をあげず、私は先日までの管財人や弁護士とのやり取りを思い出し、管財人の言葉を聞き漏らすまいと、まっすぐに顔をあげ聞いていた。
 その視界の中に、債権者の社員の何とも言えない表情を見ていた。

 書くことは、今の私には淡々と自分を見つける時間。
ふと、gooの脳検メーカーのの文字にひかれ遊んでみた。
 私の名前はyunubiうそこさんの脳検の結果は不思議。
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債権者集会

2008-03-02 | Weblog
 債権者集会1週間位前。裁判所で、正式な破産手続き開始の出頭日から、3ヶ月後の債権者集会は、私らにはある意味待ち望んだ日でもある。倒産を決めた日からは、9ヶ月経過したことになる。何度も書いた調書は、悔しさや、憤りを呼び起こしたが、時間の経過はそれらをなだめ、自分達がどれだけ懸命に、会社経営に取り組んだかが見えて、これでいいんだと思う様になった。そして、この曖昧な立場から、早く抜けたい思いも当然強くなってきた。
 
 その日、私の新しい仕事説明会に向かう車で高速道路に進入してから、管財人の電話が入った。調書の中から2.3点確認の後、ここしばらくに私が、債権者と対応したことに質問がきたので、説明のつもりが管財人が勝手な行動と電話の向こうで怒り始めた。債権者が、債権の物件を引き取りに来たのに、立ち会った事に怒り始めたのだった。私は、破産を弁護士に依頼してからは、この事も含め、行動の前に弁護士の指示を仰いだつもりだったので、それを懸命に説明しようとした。だが、私の勝気な性分が、私は悪くないと会話に出させたのだろう、管財人は「あなたが、そういう態度だったら、免責は受けられませんよ。」ときた。私は、先に裁判所で、財産隠しをやりかけた事を暴露した経緯を、思い出し気持ちが覚めてしまった。管財人の相変わらずの活舌が悪さと早口で上から畳掛けるような話しぶりの電話でのやりとりは、この人とこれ以上話しても無駄だし、まるで犯罪人のような(かも知れない)気になり悲しく悔しい気持ちがこみ上げ黙った。翌日、弁護士事務所で会う約束をして、電話を切ったが高速道路の路肩に30分近く駐車していた。もちろん、仕事の説明会は遅刻、心あらずだった。その日は眠れず、管財人の「免責を受けられませんよ。」との言葉が腹立たしく次第に、私らにはこれ以上何があるというのか、自問自答のようになった。
 夫に、昨日の出来事を話した。事柄だけを聞いた夫は、冷静に「管財人も仕事だから仕方がない----債権者集会が間近になり、何らかの収穫がないといけないのだろう」という。勝気だが単純な性分でもある私は、これでとりあえず気が済んだ訳ではないが、落ち着きを取り戻し、管財人にいわれた他の件の報告メモを作りはじめたのは、朝方4時を回っていた。債権者集会当日、管財人とあう気持ちを落ち着ける為に、少し早く予定の30分前に弁護士事務所に待機した。夫にいわれた私らが悪いのは間違いない、とにかくこの場は何を言われても我慢して乗り切ろうと。だが、私の腹の虫は、どこか治まってない。弁護士先生に、少し話したいと言われ、「事が起きてからの自分の行動は、弁護士先生に指示をうけたつもりだし、今更、何も投げ出すものもない。免責って何?明日をもわからない曖昧な日々を、これ以上私らは、何をする必要があるのか?これで、免責受けられないのだったら---。」夫になだめられたが、言ってはならない言葉を口にした。

 その後の、弁護士事務所での管財人とのやり取りは、呆気ないほど淡々として進み、私の口座に残ってたお金の1部と私の不動産収入の家賃と計23万円程を、管財人に渡した。この口座も弁護士の許しを得て新たに作った口座だったが、管財人決定日にさかのぼり、お金の回収を支持されたのは腑に落ちなかった。先日の電話で、管財人の怒りにふれたもう一つ、「家賃の件は、私自信が破産者手続中だと借家人に説明して、家賃を回収するのは嫌なので、アパートを出たい人には出てもらった」と告げると管財人は、今はあなたの財産ではないから、勝手な事は許さないと怒ったのだった。私はこれまで、自分なりの誠意をつくしているつもりだったから、関係ない(債権者でもない)アパートの住人(第3者)には、せめて私自信のプライドを守りたいと、管財人に言ってしまった事を悔やんだが後の祭りである。アパートは,売却に向け不動産屋がうごいていたが住人は私の知人だった。知らなくてもいい事は知らせたくない。その他に、取引のあった銀行の会社名義の債権を買取れときた。金額は¥57400だが、今更この債権を買取った所で、私らに役立つ筈もないが銀行側の、8ヶ月先の処理金では困ると言う訳である。手元にあるお金を、理由をつけもっていかれる気がした。どうにも、早くこの事態から抜けたいとの思いは強くなるばかりである。

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大切な時間

2008-02-15 | Weblog
 会社の経営が、日々戦いの様相をおびた2年前位から、私はプールに通うようになった。気が付くと机の前で、資金繰り、営業企画、事業計画と、何時間も過ごした。周囲が驚く程の仕事量をこなした。仕事は好きでやっていたが、体は肩こり、腰痛とつらくて、アップアップしていた。仕事のできる体を維持する為には、水泳がいいときめた。テニス練習中の打球で鼓膜に穴を開け医師から水泳を止められていたが、悪くなったら診てもらうと耳栓をして泳ぎ始めた。
 夜8時過ぎにとりあえず仕事を切り上げ、プールの終い時間10時ギリギリ迄泳ぎ帰宅が11時近くになる。泳ぐことは、水に体を委ねて手や足を動かせるという素晴しい解放感と発散感がある。それでも、プールに通い始めの頃は、体はほぐれていくのに頭の中は、資金繰りや企画の数字がくっきり浮かび、明日の仕事へつながる数字が浮かぶという具合だった。下手なクロールは、考え事をするから、息継ぎを忘れて、苦しくてあわてて水から浮かび上がるという風だった。100、200、500mと泳げる距離が長くなるにつれて、昼の苦しい出来事は、映像のように通り過ぎ、無心に泳ぐようになった。会社が、厳しくなるにつれプール通いは、1日越し位になった。今にして思うと、人は知らずに自分を守るんだと思う、私は、泳ぐ事で必死で自分を守っていた。心も、ほんのしばらくだが仕事からはなれたのだ。水の中で、子供の頃の珊瑚礁の海の思い出がよみがえる。青い海、どこまでも透き通った海、珊瑚の林の熱帯魚、砂浜の貝、幸せな思い出は、海岸の散歩にもいざなわれた。泳げなかった日の翌朝は海岸へひとりで散歩に出かけた。仕事は好きでも、会社の戦場でボロ雑巾のようになった体は心をもボロさせ、仕事以外で、素直に人にあったりする事が苦痛になっていたのだ。

 会社のほころびはなかなか繕えないまま、他社の不渡りに巻き込まれさらに大きな穴があいた。経営陣としての夫とは、その件も含め社内で事あるごとに、私とますます言い争いが起こる様になった。社内会議であまりに激しく言い争った日、取り付くしまもない私のプール行きに夫がついて来た。傍から見てわかる程に、夫の体は悲鳴をあげていた。メタボ、関節通でひきずる足、物忘れ、どこをとってもいい所がなかった。彼も又、知らずに自分の体を守ったのだと思う。私らはその頃、ただ会社の明日の為に、プールに通いリフレッシュさせ、ひたすら日々の戦いに臨んだのだった。

 戦い敗れたが、私は2年余、夫は1年余プールで泳ぐ生活は変わらない。資産は全部無くし、社会的制裁が始まったが、健康だけは少しずつ取り戻している。今の私は2kmを、夫は1kmを、1時間位で泳ぐ。再スタートする私らの、プールの時間は大切な時間、神様がプレゼントしてくれた時間だ。美しい珊瑚の海は私達の子供達との共通の時間と思い出、美しい自然がたくましく素晴しい子供達にしてくれた。この先、この海を、珊瑚を、守りたいから少しでもできる事はやりたいと思う。カンナタラソの海水温泉プールは海の幸せな思い出に繋がる。
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管財人と弁護士

2008-02-13 | Weblog
 管財人と弁護士、どちらも弁護士の資格をもってと名刺からは読み取れ、私らを挟んで相対する立場なのだとなんとなく判ったが、それについては取り立てて説明もなく債権者集会までの日を待つことになった。
 会社や夫名義の郵便物が届かなくなった。電気、水道、携帯電話それぞれの請求書も届かなくなった。そんなものかと調べて、電力会社や水道局等に支払いにゆく。とりあえず、今の住まいに居れる間は、生活を維持しなくてはならない。
 そうこうしている内に、彼らの支示で、評価価格の見積りに出した車がなかなか帰らない。当初、1万円位の見積りなら私らが引き取ればと管財人から支持され、弁護士の知人の車屋に査定に出したのだった。
 ところが、車屋は見栄えのいい夫の車を商品にするつもりで、中に入っていた夫の私物、小銭から免許証、着替え、諸々の書類、本等を大きな透明袋に無造作に放り込み社内の清掃を終えていた。
 誰がどう支示したのか、私らとは、関係ない第三者の車屋のこの行為で透明袋に放り込まれた夫の私物に、面白くないし憤りもあったが管財人に10万円を払えば引き取ってもいいといわれ、維持費がかかる車だが購入するよりしばらくは助かるとの判断をして10万円を払った。

 私は、パートをしながら日1日1日過ごす今の生活は、殆ど消費だけの生活だとわかっていたが、何かできる事はないかと仕事の説明会等に出かけるようになった。 収入の見込める仕事、組織を作らず、自分が頑張った分、自分に帰ってくる仕事を求めた。だが、仕事上の金銭ごとは、口座や契約書等今の状況によって、全て曖昧にならざるを得ず、どう動けばよいのか、今回の車屋の件は、精神的に袋小路に入った様になった。
 弁護士に口座を作る許可を得たり、些細な事を聞いたりしている内に、物事が事務的に流れ、同じ事を繰り返しているようなジレンマの中で、弁護士の存在に、私は空回りのストレスを感じるようになった。

 債権者集会の1週間前、何の音沙汰もなかった管財人から電話が入った。
これまでの状況確認と思いきや、私の答え方が気に入らなかったのだろう、免責が受けられないかも知れないと言う。
 弁護士なのに活舌が悪く語尾は何を言ってるのかわかりにくく上からたたみかける様に話すのも、この管財人の常なのかも知れない。
 私は、管財人と弁護士との意思疎通がない事に気が付いたが、会話はすれ違い電話の向こうの管財人の話を黙って聞いていた。
 この何ヶ月か、無意識だが人前も避け、裁きを弁護士に託した気になっていた。私は、会社を倒産させた悔しさがよみがえり、だんだん怒りがこみ上げてきた。
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疲れ

2008-02-06 | Weblog
 初出頭から、3ヶ月後に債権者集会が執り行われる。
これで、とりあえず待ちの状態になった。債権者の為の管財人が、私達の調査に入った訳だ。
 私らは開き直り、これからの生活の手段を、確保しなくてはならない。
私は、仕事の話に積極的に向き合う様になったが、会社の為とか、会社の利益の為とか、小さな組織の中であがく気にはならない。自分が頑張った分、自分に帰ってくるそんな仕事を探したい。
 そんな中、コンビニのカードの返却を求められた。俗に言うブラックリストだ。気持ちが、ざわつく。私らが、表の顔で仕事をするには、これからついてまわる社会的制裁なのである。  
 夫は、以前の仕事仲間から声がかかり、出かける様になったが、同じ業界で生きるのは嫌だという私の思いはわかっているようだった。
 日常生活は、少しずつだったが家庭的になってきた。三食向き合って食べる。夜、同じ部屋で眠りにつく。当たり前の事がここ数年は会社の為にできなかった。 昼も夜も会社を立て直す目的は同じでも違う方向で働き、バラバラに、ボロボロになってしまっていた。今は、いろいろな思いの中で、これからの事を考えるのに健康で元気でなければならないとお互いで話し合った。

 矢先に夫は、私らと同じ境遇だが、必死に会社を立て直そうとしていた友人の死に出会う。明るくて優しい人柄の彼は私らより若い52歳だった。
 私には、厳しい試練に彼の体が生きるのを止めた様に思えた。この友人の突然の死は夫を憔悴させた。
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管財人

2008-01-31 | Weblog
 裁判所から、出頭案内がきた。私らの申立てに物申すの様な感じで---。その前に管財人が決まったと、弁護士から報告を受けていた。
 管財人、裁判官、弁護士、当事者の私らという構図だ。5ヶ月間の、弁護士との付き合いの中で、こういう作業がかなり事務的に進むということを、聞取り中心の事情聴取だったことから、「報告」「受理」となんとなく思い、破産に向かう自らの状況にも納得してきた頃だった。
 この日、管財人の「隠し資産はないか」との私らへの強い問いに、この対応は、私らの弁護士とは違うと感じた。現実は苦しくなる生活が見える、その為に私は近い将来現金化できると、社債3件、農地等を、取りおいていた。
 だが、「嘘は、つけない」というとっさの判断であからさまにした。関西弁で、強い口調の管財人は、弁護士とは思えないほど聞き取りにくい言葉や、専門用語を意識的か無意識か、当事者である私らの前で私らが依頼した弁護士とやりとりする流れの中で、早いテンポで質問してきたのだ。
 私は、あえなく当座の生活費にと隠した社債や、農地等の資産を暴露せざるを得なかった。その時の私らの、弁護士の驚いた顔、怒った管財人、とっさの覚悟だったが、これでつらい立場になったのは確かだった。
 
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債権者

2008-01-27 | Weblog
 私は、会社整理7ヶ月を経てようやく債権者への思いを巡らすようになった。済まないと思う。債権者の大半は金融機関だった。彼らとの長い付き合いは30年を超える。少し前までは、メイン銀行があって当然、そんな風潮だった。バブルがはじけた頃から、金融機関に何度か裏切られ、いつか取引先が5行になり、浅く広く借りるという資金繰りになった。今、振り返るとこうなるまでに、銀行や同業者にただの一度も遅延や不払いはなかった。高い利息や保証料、求められる保証人、腹が立っても、きっと良くなると必死で資金繰りをして、会社を支えた。

 だが、ここ10年は、嵐の中の襤褸船だった。蛇行を続けても、重い荷を降ろせず、とうとう沈没した。襤褸舟に海賊のような社員を乗せて走ったのだ。襤褸船に、信用という名札をつけた私らの会社に、自らの責任等どこ吹く風〜銀行は立腹したに違いない。同業者の債権者は友人関係が多く中堅の会社が殆どだった。私らにつられる事がない額だったのはせめてもの救いだったと思う。が、私らの突然の倒産は、取引先には晴天の霹靂だったに違いなく、彼らの立腹も又仕方のない事で、それぞれの担当者の顔が浮かび済まないと思う。同じ地域で生きる同業者の債権者との助けたり助けられたりの情の関係は、音もなくスパッと切れた。一方で、長い付き合いに感謝と励ましをくれた債権者がいた事に、心が和んだことは生涯忘れない。

 会社が倒産した事で、会社の保証人である私らは、普通に働いては一生返せない借金を背負う事になる。その回避の破産手続きの為に、21万6千90円の夫と二人分43万2千180円を弁護士を通じて裁判所に予納金として収めた。これで、弁護士関連の支払い金額は193万2千180円となる。
 
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事情聴取

2008-01-20 | Weblog
 会社の決算処理がすみ、かなりの額の還付金を確定し決算書を提出できた頃には、事情聴取もほぼ終わりに近かった。弁護士事務所の私らの、担当職員は30歳になったばかりの若い女性である。倒産をきめてから、すぐに私らの担当となった彼女との付き合いは、もう7ヶ月になるのだ。丁寧で毅然とした対応の中にも優しさがみえるのは、彼女本来の性格だと思う。が、私とのやり取りは事務的にならざるをえず、いったん提出した書類の内容をさかのぼって言葉で確認するという作業は、彼女にとっては、事実に基づいた冷静な記述の必要性があったに違いない。

 この間は、私には30年前の会社設立時のいきさつから現在までの大波、小波、寄る波、事細かに記憶を正す作業になった。夫は、私が倒産後の会社の決算処理に追われる頃、倒れた母親の入院する病院に足しげく通っていた。こんな時だが、最後の親孝行になった。会社の事情聴取の、再々の確認作業は、私がやらざるをえず事情を誰よりも把握していた私には、当然の作業だとの思いがある傍らで、その他の個人的事情もザラつき心はイラだってきた。例えば、カード会社から、更新料のみの請求など、私としては言いたくもない破産手続きをしている事を告げなければ、解約に応じないカード会社がある。その一方、自分が入った保険やネットのプロバイダーのお金のたてがえカード会社や、さろに、NTTと半分かかわったような料金システム、リース契約の裏のカード会社、それらは、一つの契約に、3社が関わっているような複雑な購買社会を、今更のように認知しなければならず、つまり3社全部とやり取りをしなければ解約にならなかった。立場上、私らはこれらのカード会社に支払いをしてはならない筈だが、私が持っていたカードの5社程、使い出してからは10年程だが便利に使わしてもらった、せめてもの感謝とプライドが、キチンと解約しなければと行動したのだった。会社のカードも含めると解約まで4、5ヶ月かかったことになる。当初の私の思惑(電話一本で解約)ははずれ、解約までの使用料を払うはめになった。少しでも、身辺をきれいにしておこうと開き直ったつもりも、破産に向かう自分の立場を再認識することになった。
 現代社会の仕組みの中で、労せず、リスクを省くべく、利益をえる、電話の向こうのカード会社や、保険会社等に、無性に腹がたったが、働けど働けど、わが会社楽にならずから、やっと抜けられたとの思いもしてきた。月日がたち私らの生活の方向が見えぬまま、事を処理しなければと動きつつ、それでも、30年の会社の後かたずけはエネルギーのいる作業だ。いつでもこの家屋敷や事務所を立ち退く用意をしなければといけない。やることが、つぎつぎでてくる。心がザラザラしてくるのは、弁護士事務所に、再々同じ事を話したり、報告することは、一旦はこれでいいのだと納得した筈が、悔しさや、腹立たしさを、付き合いのなかにみたり、自分に腹が立ったりする事になった。

 事情聴取の書類ができた(裁判所に提出できる状態)頃、夫の母親が亡くなって49日をむかえた。
 
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雑穀

2008-01-20 | Weblog
 雑穀の言葉に引かれてネットのやずや喫茶を訪れた。共に暮らして30余年、健康管理なんてどこ吹く風、食事も好き嫌いなのか、わがままなのか良くわからない夫が、雑穀を食べようとの事?!とりあえず自分の事ふりかえる気になったのかしらね 試供品が届いたので、こしひかりと炊いた。ムチムチ感がいい。いろいろな雑穀のひとつひとつの味が、噛み応えもあるなかでしっかりわかる。ひとことで、「おいしい。」最初はシンプルに、味噌汁卵焼きで噛み締める程にいい味。次は、野菜カレーとこれまた合性がいい。カレーが、素朴でシンプルな分、雑穀ご飯で美味しさ倍増、お試しあれ。束の間の癒し〜
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7ヶ月経った。付き合いパートⅡ

2008-01-16 | Weblog
 弁護士に、破産の方向へ依頼してから7ヶ月が経過した。破産に関する私のイメージは全てをなくした人間が、文字どおりなすすべもなく全て弁護士が事を進めて行った上の結論だと思っていた。だが、違った。当然といえば当然なのだがまず債務の報告、手持ち財産の目録等書類つくりから始まった。
それらに、添付される公的書類(登記簿類、証明書)も結構な手数料がかかったが、おおよそ提出したときは、1ヶ月が過ぎ私らの経営していた会社は、本来の決算期を迎えていた。事務的作業の中で、落ち着きを取り戻した私は、決算処理を進める事にした。労災、税金等の還付が取り付けられるからだ。書類の整理を一人で黙々と進める私の元へ、事務員だった彼女が手伝いたいと申し出てくれた。今回の会社倒産について、私の周りで事の成り行きについていくしかなかった彼女。到産の1週間前は私の指示で銀行へいったり、外出させる事が多くなったが、心もとなく用件を忘れたり時間がかかったりドジ続きに自分でも驚いていた。張り詰め落ち着かないつらい1週間だった筈なのに---。もともと明るくて立ち直りが早い彼女の良さに感謝し、手伝ってもらうことにした。

 彼女が来たことで、税理士に電話をし決算処理をやる旨を伝えると、破産処理を進める中での、決算処理はやったことがないとの事だったが、24年間のお付合いに免じてボランティアでやりますとの返事は有難いと感謝した。この頃に、たな卸し資産に計上しているヤードのプレハブ小屋や、作業道具、クーラー等、中古だが十分使用できる品々がなくなっているのに、気が付いた。突然の倒産に、請求書が出せず何か持っていければと、対処した業者がいた事も周囲の情報から入ってきた。請求書以上の物をもっていった業者もいたが、債務が生じたにもかかわらず、「ながい付き合い今まで、仕事をありがとう」「ご苦労様、体に気を付けて」と言葉をかけてくれた経営者がいた事に感謝した。

 突然の倒産を、社員には知らせなかった。理由は、その時抱えていた仕事が完了検査迄こぎつけるからである。だが、一番の理由は長い付き合いの中で、彼らをよく知っていたから。性格上、月末に手形が不渡りになるという不穏な空気では、彼らは動揺し仕事が完結しない。私は、彼らの家族を良く知っていた。資金繰りが苦しくても、良くなると信じふんっばったのは、彼らの家族の顔があったからである。それも、遠い昔のようだ。結局どうにもならず、どうしようもなかった。
倒産した日の社員の様子は、弁護士や事務員の話から想像どおりだった。「来月は給料がでない」事態に労働基準監督所に電話したり、弁護士に電話したりかなり動揺したのは言うまでもない。ただ、突然、姿を消した私らに、携帯電話があるのに7ヶ月経った今も、彼らからは、電話ひとつない。夫にさえ、なぜなのか!?

 素人から資格取得をし、業界で何とか仕事ができるようになった彼らだったが、私に言わせると会社に利益をもたらす意味をわかろうとしない人間だった。
そんな彼らを、友情だとか身内意識だとかで採用した夫との間に激しいやり取りがあった。辞めさせることが出来なければ社員教育で、又は資格で変えようと努力した。だが、人は簡単には変わらない。1個の事業が厳しい予算なら逃げ腰、責任のがれにリーダー役をおりる、それでも、建物を何とか顧客に渡せる内に赤字にも慣れたのか、寡黙になった彼ら。今、私の脳裏に浮かぶのは能面のような無表情な彼らの顔だ。彼らとの付き合いは長い---夫は願いを込めて彼らを見守っていたと思う。倒産後の10日間の旅は、傷つきくたびれた夫を知ることになった。尻たたきの私が、彼らのなぜ?を理解する日がくるのか?
 彼らの給料は、回収債権から優先され支払われると聞き、給料台帳も提出した。
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付き合い

2008-01-08 | Weblog
 付き合い。辞書には、役が付く、かたが付く、気が付く、味方に付くとある。何気に付き合いがあるという人間関係は、味方についてくれるとの思いだろう。

 会社を止めると決めてから3週間足らずの間に、家と土地を売却し共同担保の親の土地と家を守るには内密で動かなければならなかった。どれだけの付き合いかよりどんな人間に、信頼をおいてかたが付けられるか(家と土地の売却ができるか)になった。まず会ったのは、不動産会社の社長、私には初対面の人間だったが、夫の言うとおり誠実で展望をはっきりと伝えてくれた。2.3日で返事をくれという無理を承知で動いてくれたが、大金を1度に出せる状況はそんなに簡単ではない。会社が、もう駄目だと最初に告げた、この不動産会社の社長は40代の若い経営者だった。

 2日後、私がM&Aにと会社の存続に一縷の望みをかけ模索していた時に、ネット上で信頼できると判断した人物に会った。会社概要、2年分の決算書等を用意したが、彼が金融筋の人間だとわかった時点で、緊張が走り3時間程話しをして別れた。その彼は、31歳と素晴しく頭の切れるポジティブな人間だった。若いエネルギーは再生を感じさせたが、金融筋の人間に本音は出せない。今、大切なのはこの2週間余りで、家と土地を売却してしまう事!M&Aは、もっと以前に取り組んでいたらと悔やんだが今さらである。

 この件で勇気がでたので、家と土地を処分するのに夫の友人にもあった。県内でも3指に入る大型倒産の会社の後処理で忙しい彼だが、情報量があるのでこれも2.3日で返事をくれと、無理は承知で全てを託した。長年勤めた会社の破綻処理事務で忙しそうだったが、会社を買ってくれとの話に淡々と応じた。知り合いの会社が私らの会社に興味をもってくれるかもと。だが、先立つものは、金である。日1日1日と経つ中で、私らは人に会うことで勇気をつけていった。2日後早い決断をしてM&Aを諦めた。

 最後は、1番大きい相手だ。同業者だが誠実で先見性のある2代目社長とその会社の金庫番である部長にあいたいと私は願った。その事は、夫には驚きだった様だ。私らが会社を立ち上げた30年前から、素晴しい成長をしたその会社は、私にはもっとも信頼できる相手だった。私らが、お願いしようとしている事が、当然迷惑をかけるかも知れないことも頭をよぎった。でも、このままでは夫の実家(担保拘束)は守れず夫の心も駄目になる。きれい事じゃない、生きる術なのだと---。私は、この会社の経営陣である頭がきれ人間味ある部長を信頼し尊敬している。部長の計らいと社長の英断で一気に家と土地の売却の交渉が進んだ。この付き合いは、今にして思うと私らに100%味方に付いてくれた。夫の年老いた両親,姉、兄嫁と5人の子らの住む実家を守れたのは、夫の付き合いの賜物、会社30年の付き合いが見えた。生涯ありがたいと感謝することになる。

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弁護士

2007-12-18 | Weblog
 このブログに気持ちを綴ろうと決める。誰にも言えない心のザワメキをとりあえず筆の向くままに。
法律の専門家に、30余年夫と走り続けた会社を倒産させたその処理を依頼した。当初の私らは、それこそ不安とあせりでパニック状態だった。

 会社をやめようと決断させたこのわずか1ヶ月足らずの間、取り返せない赤字の露呈、取引先側の資金計画不備による契約解除、2年に渡る営業活動をなし崩しにした公的権力、綱渡りの資金繰り、極めつけは、赤字になれた社員、これでもかこれでもかと会社の悪しき部分が露呈した。会社を止める決断からわずか2週間で、私らは全財産を処分した。共同担保に設定されていた親の家屋敷を守ることだけを希望に動き、2金融機関への返済を終えた。

 その後に相談した弁護士先生は、私たちの行為が法的には好ましい状況でない様な感じで対応したが、残った負債の額と身も心も疲れ果てた私らが、破産という道を選択したことを受け入れた。破産という状況は、破産者が社会的制裁を受けることによって第2の人生のスタートができると弁護士先生の話の中から、私は勝手にそう思った。私らは弁護士先生に頭から尊敬と信頼をもって会社の状況を話し決意し預納金150万を支払い、事務的処理が始まり半年になる。
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早速

2007-12-16 | Weblog
 早速、ショップ翠にコメントがきた。いかにも憎たらしい題なので削除した。
 私が当初HPにこだわったのはサイトビジネスに興味があったから。ブログの反応の良さに考えを改めて、私が書きたいことを書こうとブログ名を変更、人生55年、いろいろだけど2007は毎日何かがおきた様な年だった。
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ブログ初心者です。

2007-12-15 | Weblog
 ブログ初心者です。自分のホームページ作成しようかなと、説明書を探すことから始まり、せっかちだからとりあえずトライしたら、意味不明な言語が出てきた。
 その中から、ブログがより手軽だと知りgooにゆきついて、今gooの説明とにらめっこしながら記事初投稿、なんとか自分のものにしたいのでガンバル!
   gooさんよろしく
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ECOで地球を救う

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