徳井由美子の音楽活動(アイリッシュ・ハープ、弾き語り/シンガーソングライター)、思い、日々の記録(2014年以降)

神戸出身・大阪在住。クリスチャン、シンガーソングライター、アイリッシュ・ハープ演奏や他活動・思いの記録

1月3日釜ケ崎越冬ステージ・他

2016-01-04 13:01:24 | イベント・行事

2016年1月3日(日)PM16:50~17:20

年明け、最初のライブは、釜ケ崎三角公園(西成区)での、越冬闘争にて。(ホーリー・ホーシー)

年末の人パトロールに続いて、この3日も釜ケ崎講座による、”街歩き”(ガイドつき)に、午後1~3時半まで、がっつり参加したあと・・

三角公園に戻ってきて、のライブでした。この写真を撮ってくれたYamadaさんもですが、あと、知人・友人、牧師が、数名来てくれ、また同じ場所に、声がけ・顔見せは互いに出来なかったが、同時に多くの知り合いが集まってきていたようです。

動画(全部)> この日のセットリストは、 『希望の灯り』『ひかりのかがやくなかで』『Eternal~永遠の都』「雪の降る街を」「愛の賛歌」「南国土佐を後にして」「見上げてごらん夜の星を」『空の彼方へ』「ふるさと」でした。{※『 』=オリジナル曲です}

{以下の1・2・3・5枚目は、photo by"Milky Way"(K.Yamadaさん) }

 

 

   

(↑ photo by S.N)

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1月3日(日)は、釜ケ崎三角公園ステージです!

2016-01-02 10:39:03 | ライブお知らせ

おはようございます。新年2日です、今日は。あけましておめでとうございます 本年も、よろしく、どうぞ。

年末、30日に、私は(昼間の炊き出しは別として) 夜間、初めての釜ケ崎越冬闘争に、少しだけ 加わることをしました。午後6:30に、(ちょうど、釜ケ崎講座から、便りがあったのもあって) 釜日労に集合して、それから三角公園に出向き・・ (会場には、本部席などに知った人が) しばらく、いろんな方と立ち話を1時間ほどし、ステージも同時進行しているのでそれも見つつ・・ 釜の最近の事情や、年末のシェルター閉鎖に代わる、臨時宿泊施設の様子や利用人数の様子、釜に住む人の心情、それらを詳しい人に、尋ねたり聴いたりしながら。 それから、20時になって、比較的多くの人々と隊列をつくり、カイロを手に、この日は、この周辺の野宿者を見回る、人パトロール、に21時すぎまで、参加。その後は、また、医療パトロールといって本格的に、1人ずつの安否を確認しながら、回るのだが、私はこれには参加せず(年末で家庭もある)帰りました。がいつも何年も前から気にかかって参加してみたかった、この事に、今冬やっと少しかかわった。

 <なぜか、事務所で 猫三昧な図>

  

<越冬闘争の釜ケ崎三角公園の様子と、パトロール中の路上~労働センター横 12/30>

 

 

そして、明けて 1月3日(日)は、三角公園野外ステージで、1人歌とギターで、演ってきます。

午後の16:40~17:10。 (ホーリー・ホーシーとして)

 夕方の、炊き出し18時~ に、広場に集まり出す人が増える時刻です

昨年は、飛び入りの形で、夕方16時くらいだったかな・・ それでも30分しました

夏も出ました 通算4回目かな

 


新年、(1.17が近づいてきた)に思う

2016-01-02 10:38:04 | 信仰・瞑想・考察

・・新年早々、このような話題は、「不吉な!」と思われそうで恐縮ですが、それでも、・・たった今、1人きりになっていて思い浮かんできたことがあります、それは、この季節になると、ひたひたと押し迫ってくる、あの気配です。そう、21年前になる、阪神淡路大震災、のこと。それは、このように、新年あけて、2週間と数日しかたたない、1月17日、という日に起きたのです。

 思うに、あの事が生きると死ぬを分けたのは、一体何だったのだろうか、と思いつめてみても答えはまったく出ませんし、少なくとも、この自分は、神戸市でも山側の方の実家にいて、あのもの凄い揺れは体験したとしても、実際、命などは助かった側にいるわけです、だけど、それが必然なのか、たまたまなのか、考えてみてもそれはわからない、というものです。助からなかった人々が、天の罰などを受けたのか、と問えば、それは、「ぜったいに違う」ということは、できるのですが・・以下、聖書による裏付け → [”イエスはお答えになった。「そのガリラヤ人たちがそのような災難に遭ったのは、ほかのどのガリラヤ人よりも罪深い者だったからだと思うのか。 決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。 また、シロアムの塔が倒れて死んだあの十八人は、エルサレムに住んでいたほかのどの人々よりも、罪深い者だったと思うのか。決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。」/ルカによる福音書 13:2~5]・・

・・それにしても、命がその時点で絶たれてしまえば、人間、誰しも誰に文句を言えるものではありません、自然災害そのほかの事由により、理不尽にもそうなってしまった場合にしても、そういうことが言えます。とすれば、また、同時に、反対に今日(たまたま?または、必然的に)私が生きている以上、その上で不都合な諸事情が色々あったとしても、それに対し、文句を言うこともなく、黙々と生きる、ということしかできないのではないか。ということを考えるのです。人間、自分が死ぬ、という事に対して、文句も言えず受け入れることしかできない存在であるのならば、生きる、ということに対しても然りであって・・、死ぬにしても、生きるにしても、自ら選択することはできず、甘んじて受け入れる、という態度が必要という、表裏一体をなすべきものであるのだ、というように思えてきます。・・

いずれにしても、そのような重い事を考えてしまう、「あの気配」、が、この正月明けの時季になると、いやでも脳裏に押し迫ってくるのであります。1.17は、また神戸にまいります。