あれから12年・・・月日が流れるのは本当に早い。
2001年9月11日、驚くことにあの時、私はニューヨークにいた。
一度は見てみたかった『自由の女神』。
あのワールドトレードセンターを通り抜け、船に乗って見に行った記憶がある。
船に乗る前、遠めに見える生女神を見たとき、嬉しさのあまり思わず駆け出していた。
近くに行くと、とっても太っちょな印象。
中にも入れて、資料館のようになっていた。
テロの後、再度、訪れたけど、セキュリティーがきつくなっていて、
入ることができなくなっていた。
この写真はテロの1週間前に撮ったもの。
ツインでそびえ立つタワーを見ながら、
ニューヨークを感じていたのに・・・
あの日の朝は、前の晩、本場のジャズを聴きに行ったり、
遅くまで楽しんでいたこともあり、まだ、ベッドの中にいた。
同じアパートでシェアしていた大学生のトモちゃんのお母さんの電話で起こされた。
部屋はもう一人、国連関係の仕事をしていはヒロミさんと3人。
2人はそれぞれ、早くから出かけていたので、私一人だった。
電話口でものすごく焦っているトモちゃんのお母さん
「娘に代わってください!!」
出かけていることを伝えると、どこに行ったか聞かれるので、
私たちは部屋をシェアしてるだけだったから、行動はそれぞれ~
「テレビつけて!!」
日本は夜、こっちは朝、寝ぼけながら言われるままテレビをつけた。
昨日、行ったビルから煙が・・・どういうこと???
ともちゃんのお母さんが慌てて電話をかけてきた理由が分かった。
彼女はニューヨークにいる間の行動計画をベッドに貼り付けていたので、
見ると、ツインタワーがある方向とは逆。
それを伝えても、トモちゃんのお母さんはNY中がすごいことになっていると思い
半信半疑で電話を切られた。確かに、後になって、ともちゃんの母の気持ちを理解。
アパートの外に出ると普段と変わらず子供たちが走り回っていた。
少ししたらヒロミさんが帰ってきて、地下鉄が全部ストップしているとのこと。
国連関係で仕事をしていたヒロミさんのお陰で、
少しは情報がもらえたけど、現地にいる方が現場近くに行かないと、
何が起こっているのか全く分からなかった。
バスは全部フリーになっていて、私も貿易センタービル近くにあった洋服屋に
ジャケットを忘れていたのを取りに行くと行っていたので、近くまで行った。
結構、離れたところなのに道路は真っ白なで、
どこのお店の屋根も窓ガラスも全てが埃まみれ・・・
ある程度の所からテープが貼られ、米兵の人だらけで異様な空気。
ジャケットだけ取りに行き、アパートに戻った。
次の日の朝、アパートを出ると壁にこんな絵が書かれていた。
街中、いたるところにこんな感じにアートされ、
花とキャンドルでいっぱいだった。
次の日から地下鉄も貿易センター以外のところは全て動いて、
スピーディーさにアメリカを感じていた。
不謹慎だけど、あの時は、他は全く変わりなくだったので、ニューヨークを満喫していた。
しっかりした詳細は日本に帰ってから知ったような気が・・・
また、ゆっくり訪れてみたいなぁ。
2001年9月11日、驚くことにあの時、私はニューヨークにいた。
一度は見てみたかった『自由の女神』。
あのワールドトレードセンターを通り抜け、船に乗って見に行った記憶がある。
船に乗る前、遠めに見える生女神を見たとき、嬉しさのあまり思わず駆け出していた。
近くに行くと、とっても太っちょな印象。
中にも入れて、資料館のようになっていた。
テロの後、再度、訪れたけど、セキュリティーがきつくなっていて、
入ることができなくなっていた。
この写真はテロの1週間前に撮ったもの。
ツインでそびえ立つタワーを見ながら、
ニューヨークを感じていたのに・・・
あの日の朝は、前の晩、本場のジャズを聴きに行ったり、
遅くまで楽しんでいたこともあり、まだ、ベッドの中にいた。
同じアパートでシェアしていた大学生のトモちゃんのお母さんの電話で起こされた。
部屋はもう一人、国連関係の仕事をしていはヒロミさんと3人。
2人はそれぞれ、早くから出かけていたので、私一人だった。
電話口でものすごく焦っているトモちゃんのお母さん
「娘に代わってください!!」
出かけていることを伝えると、どこに行ったか聞かれるので、
私たちは部屋をシェアしてるだけだったから、行動はそれぞれ~
「テレビつけて!!」
日本は夜、こっちは朝、寝ぼけながら言われるままテレビをつけた。
昨日、行ったビルから煙が・・・どういうこと???
ともちゃんのお母さんが慌てて電話をかけてきた理由が分かった。
彼女はニューヨークにいる間の行動計画をベッドに貼り付けていたので、
見ると、ツインタワーがある方向とは逆。
それを伝えても、トモちゃんのお母さんはNY中がすごいことになっていると思い
半信半疑で電話を切られた。確かに、後になって、ともちゃんの母の気持ちを理解。
アパートの外に出ると普段と変わらず子供たちが走り回っていた。
少ししたらヒロミさんが帰ってきて、地下鉄が全部ストップしているとのこと。
国連関係で仕事をしていたヒロミさんのお陰で、
少しは情報がもらえたけど、現地にいる方が現場近くに行かないと、
何が起こっているのか全く分からなかった。
バスは全部フリーになっていて、私も貿易センタービル近くにあった洋服屋に
ジャケットを忘れていたのを取りに行くと行っていたので、近くまで行った。
結構、離れたところなのに道路は真っ白なで、
どこのお店の屋根も窓ガラスも全てが埃まみれ・・・
ある程度の所からテープが貼られ、米兵の人だらけで異様な空気。
ジャケットだけ取りに行き、アパートに戻った。
次の日の朝、アパートを出ると壁にこんな絵が書かれていた。
街中、いたるところにこんな感じにアートされ、
花とキャンドルでいっぱいだった。
次の日から地下鉄も貿易センター以外のところは全て動いて、
スピーディーさにアメリカを感じていた。
不謹慎だけど、あの時は、他は全く変わりなくだったので、ニューヨークを満喫していた。
しっかりした詳細は日本に帰ってから知ったような気が・・・
また、ゆっくり訪れてみたいなぁ。
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