【あるがまま】

表現ビトの萬(よろず)徒然日記!
気功にヨーガ。そして芝居。あるものをあるがままに…

きっとそいつは小説家。その438 。

2014-08-25 14:51:22 | 小説。
《私見太閤記》

秀長が生きていれば、豊臣家は滅びる事はなかった…。

そういう人は多いし、そうあって欲しかったとは筆者も思う。

だが…秀次は疑っていた…。

果たして叔父・秀長は病で死んだのだろうか?

秀次にとって秀吉は、恐怖そのものだった。

だが秀長は、尊敬そのものだった。

秀次はこの叔父と馬を並べ、幾つかの戦に出た。

小牧長久手の失態に対して 秀吉が教育係として秀長をつけたのだ。

秀吉同様秀次は、
秀長にもよく怒られた…。

だが不思議とそれが嬉しかった。

秀吉には否定されるが秀長には否定されない。
「お前は出来るのに、何故出来ん。」
「もっと自信を持て」
と認めていればこそ…という優しさを感じるのだ。

しかも秀吉と違い、
怒られる時は二人切りの時、
秀吉の様に数多大勢人が渦巻く席で罵倒され恥をかかされた事は一度もない。

秀次は馬を並べて歩く時の 秀長の横顔が好きだった…。

これから戦に行くというのに 利休の茶室で茶を飲んだ時の様に
穏やかで 微笑む様な顔なのだ…。

病なのは知っていたし、見舞いにも行ったのだから、その事で疑いはない…。

だが…死んだ原因は違う気が秀次にはした。
まさかとは思うが…
秀吉の命で誰かに毒でも盛られたのではないか…。

秀次は秀吉が強引に秀長の跡目を丹羽からの養子高吉から
秀次の弟、秀保に変えた時の 秀長の静かな…夜の海の様な怒りの表情と、その顔を見た時の秀吉の怯えた表情が忘れない…。

事実それ以後、秀吉と秀長は疎遠になった。

真相を調べるなどもっての他、秀次はとてもそんな危険な事は出来ないが、確たる証拠もないのに確信している。

秀長様は…我が心の親父様は…あの秀吉に殺されたのだ…。

きっとそいつは小説家。その437 。

2014-08-23 21:51:36 | 小説。
《私見太閤記》。

「見誤ったか…。」

鶴松が逝き 秀次に関白を譲ってから 秀吉はそう思うようになった…。

あくまでお飾り、実権は死ねまで譲る気はなかったし…秀勝が生きて居れば…と思う日もあった。

秀勝とは秀次の弟の事で 信長の四男の事ではない。

秀吉、そっちの秀勝はもう存在すら忘れている。

兄、秀次よりは 秀勝の方が出来がいいと秀吉は思っていた。

だからお市の方の忘れ形見、お江を秀勝の妻にしたのだ。

ところがその秀勝、異国の地であっけなく病死してしまった…。

秀吉はこの知らせを聞いた時、別に涙を流すワケでもなく「そうか…。」と一言言っただけだから、あまり噂にもならなかったが、
これは不幸が続き過ぎて嘆く力もすぐには湧かなかっただけで、
秀吉はその晩、珍しく側室の誰も訪ねる事なく、一人号泣した…。
秀次を見ると お前が死ねば良かったのだと思った事も何度かある。

ところが秀次、近江八幡の街をしっかりと整え、次の天下人にと へつらいやって来る軽薄大名たちには口車を合わせ さりげなく金など貸して恩を売り 弱みを買いつけ、なかなかの関白ぶりだ。

秀吉は秘かに喜んだ…。

嬉しい誤算だった。

「こりゃ本当にわしの後継者にしてやろうかの…。」

そんな事を考えた矢先、新たな誤算が生まれた。

秀吉にとっては狂喜の誤算…。
秀次にとっては悲劇の誤算…。

そして 秀頼が生まれた。

きっとそいつは小説家。その436 。

2014-08-21 06:40:29 | 小説。
《私見太閤記》。

こんな見方もある。

実のところ秀吉は
あくまで関白の座を秀次に譲っただけで
後継者に決めたワケではない…。

ところがどうも諸公が後継者として扱い出した…。

待て待て…勘違いするな!!

だから見せしめとして権力の誇示の為に殺した…。

確かに晩年の秀吉は恐ろしく、かつ哀しい…。

利休切腹…。秀次の一件…。そして朝鮮出兵…。

惚けた…という説もある。

これはそうかも知れない…。

だが案外、脳は冴えわたっていた気がする。少なくとも惚けを忘れ 杞憂し 頭が冴え過ぎる瞬間があったのだと思う。

秀次はそれにやられた…。

いつ俺がお前に天下を譲ると言った…。
お前は慢心しておる。

それすなわち
謀反である。

きっとそいつは小説家。その435 。

2014-08-20 12:43:22 | 小説。
《私見太閤記》

筆者、棗宝石が子供の頃…秀吉の妻はねねだった。

いつの間にか今は おねが定説になっている。
だがこれだって一つの説…。
ねいという説もある。

当時の室は一文字表記。
また寧々は当時大層流行った名前…。
寧々が一番正しい様な気がする。

その寧々、ご存知の様に子は産めなかった。
子がいないわけではない。
豪や秀家、清正に正則…皆、寧々の子だ。

が、いかにせん跡取りは居なかった。

寧々は秀家になって欲しかった…。
夫もそう思っていた…。

だが…豊臣の殿が選んだのは秀次だった。

理由は至って簡単…王たる資質も持つ秀家よりは
秀次の方が扱いやすい…。

血への拘りももちろんあった…が、それよりも秀家に家督を譲る事で
その妻本来の家、前田家の口出しが大きくなるのが嫌だった…。

そんなものはもちろん一喝すれば済む事なのだが…足軽の頃からの友、前田利家と喧嘩するのは嫌だった…。

昔と変わらぬあの男と話していると ついつい昔の自分に還ってしまう。

それが堪らなく嫌だった…。

それに白状すると…秀長が死んだ時、覚悟したのだ…。

この家は一代限り…。
故にまあ お飾りとして
秀次に決めた。

妻は反対したが、そこは夫ではなく、豊臣の長として そう決めた。

きっとそいつは小説家。その434 。

2014-08-19 23:06:24 | 小説。
《私見太閤記》。

秀吉は畏れていた。

我が甥 豊臣秀次という男を

小牧長久手で尽きた命の筈だった…。

池田が喧しく奇襲策を売り込んだ時 最初は拒んだが思い直した。
こやつの旧領に大阪城を建てている。こやつは大阪の価値も判らんうつけだが、いずれは知れよう…。
信長時代を知るこやつは邪魔だ。いや…信長ゆかりの全てが邪魔だ…。

奇襲が当たれば儲け物。しくじって池田が死ねば、それはそれで後々楽だ。

故に許した。

最初はいっそ信長の子、秀勝を大将にとも考えた…。が、秀勝はまだ使い道もあろう。

そこで およそ大将らしからぬ秀次を大将に据えた…。
大将らしからぬこの男は俺の後継者にもらしからぬ…。

「まあ 死ね。」

と秀吉は思った。

ところが秀次、確かに大将らしからぬ男故 とんでもない事をしでかした…。

逃げる事を恥と思わず 形振り構わず逃げて帰って来たのだ…。

激怒して見せたが、それは芝居だ。

まんまと池田の首を獲りよったわ…。

と内心小躍りした。

戦場から平気で離脱したかつての甥は、今は関白職についていた。

何故エルドレッドを外したか…。

2014-08-10 09:42:42 | 野球について語ろう。
まったくノムケンには呆れる…。

四番をなんだと思っているのだ…。

確かに不振だ…。

だがそれでも巨人戦でも
中日戦でもタイムリーを打っている。

外す必要など全くない…。

ファーストに固定し、五番に堂林などキラよりは頼りになる打者を入れ…一試合三打席限定、ヒット狙いの指示でも出せば、充分復調するだろう。

阪神戦にしたって
最初の打席でもう少しマシな審判に当っていれば、全然違って居ただろう。

外すならむしろキラの方では…いや、現在投壊状態を考えたら、キラは落としてフィリップスを上げるべきだったのだ…。

ここ最近のモタつきも…あの9連敗も…悉く ノムケンの采配によるものだ…。