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エジプト・トルコ旅行2008 全100話 写真1000枚!

エジプトとトルコへの初回訪問(2008年7月)!カルチャーショック満載の旅、すべて見せます、綴ります。全100話!

インジェ・ミナーレ神学校(彫刻博物館)

2008-12-12 | コンヤ
インジェ・ミナーレ神学校は、1267年に造られたイスラム神学校。
コンヤのアラアッディンの丘の直ぐ近くにある。

インジェは「細長い」、ミナーレは「尖塔」という意味。
この神学校はセルジュク朝様式の代表傑作とされる。

しかし、
残念なことに、1901年の落雷によって尖塔上部が崩壊してしまった

そのため、上の写真のようになってしまっている。
もとは、この3倍の高さがあったという。



塔の壁面に装飾されたブルーのタイルの色、正門前面の精緻な幾何学模様が、
とっても美しかった!




現在は、セルジュクとオスマンの時代の彫刻品(石彫と木彫)を展示する博物館となっている。




正面前面を埋め尽くすこの華麗な石の彫刻、実は、コーランの字句と聞いてびっくり!



アラビア文字を芸術的な幾何学文様に昇華させるとは、見事!!!
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メブラーナ博物館

2008-12-11 | コンヤ
上の写真は、コンヤのメブラーナ博物館内に展示されていた人形で、
旋舞教団として知られるイスラム神秘主義の一派、「メブレヴィー教団」の旋舞の儀式の様子を表わしたもの。

メブラーナ博物館は、実は、
このメブレヴィー教団の創始者「メブラーナ・ジェラルッティン・ルーミー」、信者たちの霊廟なのだ。


トルコが共和国となってアタチュルクの宗教分離政策により、神秘教団の活動は禁止され、1927年以降博物館となっている。
霊廟の他、約6500㎡の広大な敷地にはジャミイ、修行場、資料室などがある。


このトルコブルータイルの美しいとんがり屋根の建物が、霊廟。(13世紀末建設)



名僧たちの棺が並ぶ中、最も奥にメブラーナの棺が安置されている。
棺は金銀の糸で織られた布がかけられていた。
ブルーの屋根の色が本当に美しい!



メブラーナが旋回舞踏の際に実際に着た衣装、直筆の書物も展示されていた。

アラビア文字が金文字でびっしり手書きされていて美しい。





そして、資料室の中央のガラスケースの中には、ある貴重なものが納められていた。

なんと!


「イスラム教開祖ムハンマドのあごひげ」!!!


ただ、残念なことに
あごひげが納められたその箱の蓋は、閉められた状態だった。
したがって、美しい銀色のその箱をつくづく眺めるだけしかできなかったが。




旋舞の儀式(セマーと言う)は、笛や太鼓に合わせ始めはゆっくりと、しだいに音楽が速まり旋回も激しくなり神の世界に入るという。

長い帽子は墓標を、脱ぎ捨てられる黒い上着は死を象徴し、上着の下の白い衣装は神による再生を意味するのだそうだ。




この旋回舞踏自体は、1970年代の緩和政策によって再開され、
毎年ちょうど今の時期(12月)に市内の体育館で公演されるようになったという。

コンヤの大きなホテルでは、観光客向けに12月以外にも非公式だが旋回舞踏ショーが行われているらしいが、私たちはコンヤには宿泊しなかったので見る機会もなかった。







創始者メブラーナが残した言葉のひとつに、このようなものがある。


「あなたが外から見えるのと同じようになるか、または内面と同じように見えるようになるか、どちらかになりなさい。」



博物館内には、コーランの美しい当時の写本、旋舞儀式に使用した道具類、その他セルジュク朝時代、オスマン朝時代のなどの工芸品も展示されていた。


これは、セリミエ・ジャミイ。



16世紀スルタン・セリム2世の時代に建てられたもの。
大ドームはオスマン建築様式の最高傑作といわれている。



写真中央に、霊廟のとんがり屋根がのぞいている。


メブラーナ博物館の敷地内は、ことごとくきれいに整備されていた。




資料室(1599年にハサン・パシャから献上され建設)では、メブレヴィー教団の修行について説明する絵画、人形、ビデオ、地図などがあった。



修行僧の生活の様子が人形で表わされていたが、これはその一部。






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セルジュク朝時代の首都「コンヤ」

2008-12-10 | コンヤ
バスがコンヤの街に近づいてきた時、車窓から頭にスカーフを巻いた女性が多く見られるようになった。
イスラム教の宗教色を濃く感じる街だ。


コンヤは、かつてローマ領セルジュク(ルーム・セルジュク)の首都として繁栄した。
(11世紀~13世紀)


アラアッディン・カイクバード1世(在位1219~36)の時代が最盛期で、今もその時代につくられたモスクや神学校などが残っている。
この街には、彼の名のついた「アラアッディン通り」「アラアッディンの丘」「アラアッディン・モスク」・・・なども多い。

現在コンヤは、トルコではイスタンブール、アンカラ、イズミールについで4番目に人口の多い都市、トルコ最大の面積をもつ県として栄えている。
セルジュク大学があり、アナトリア平原の中のアカデミックな街でもある。



また、近くにチャタル・ホユック遺跡(紀元前6000年頃の人間の農耕・牧畜の文化を持った集落跡あり、数千人が居住とされる。人類史上重要遺跡で、英米チームが発掘中という)があり、ここは世界最古の都市のひとつでもある。






アラアッディン通りは、この街のメインストリート。




バスの中の女性達も頭にスカーフを巻いている。









ドーナッツを買い求める女性たち。



このドーナッツ屋さんの自転車、エジプトで見たピーナッツ屋さんの自転車同様、前が2輪で荷台のバーがハンドルになっている。
(エジプト編でも書いたが、この自転車、日本でも災害時に活躍できそうな気がする。)



上の緑は、アラアッディンの丘。







連結バスが、街を走る。



この連結バスの裏側に少し見えるのは、セリミエ・ジャミイ。(次回に詳しく)

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