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エジプト・トルコ旅行2008 全100話 写真1000枚!

エジプトとトルコへの初回訪問(2008年7月)!カルチャーショック満載の旅、すべて見せます、綴ります。全100話!

パムッカレから約700Kmのバス旅

2008-12-09 | パムッカレ

白い石灰に覆われたパムッカレの山々を後にして、私たちを乗せたバスはさらに内陸へと走行した。
この日はカッパドキアまで移動予定。

途中、コンヤで観光する。

パムッカレ~コンヤ(約410Km)。 
コンヤ~カッパドキア(約230Km)

コンヤでの観光を含め、約700Km!

その車窓のほとんどは、畑、畑、畑・・・・のどかで牧歌的な風景の連続だった。







さすがは、食糧自給率100%の国。穀倉地帯がどこまでも続く。





背の高い木が、ほとんど見られない。





下の写真で遠くに見えるのは、長~い貨物列車!ガイドのヌルランさんの話では、積んでいるのは切り出した大理石らしい。1両は小さいが、30両編成ぐらいありそうだった!





刈り取った小麦の不要な部分は、粉にして果物の皮などと混ぜて、牛など動物のえさとして利用しているとのこと。}



下の写真で手前に、点々と黒く並んでいるのは、ヤギ。





ガイドヌルランさんの話では、全畑面積の2割は休耕田としていること。









どこまでも続く穀倉地帯・・・・畑作業は、9月ごろまでで終わってしまうとのこと。小麦畑が多そうに見えるが、ヌルランさんの話では、ヒヨコ豆、レンズ豆など豆類の他、綿、そして、ケシ畑もあるとのこと。 「ケシの実の収穫の時ケシ畑に入ると、鼻から吸い込むもので眠くなります。」とヌルランさん。





 


ジャガイモ畑。




ポプラの木が、ところどころに見られる。



「トルコでは、男の子が生まれるとポプラの木を植える習慣があります。女の子が生まれたらグミの木を植えます。私の家でも植えました。」とヌルランさん。

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ドッキリ!ハマム体験

2008-12-08 | パムッカレ
パムッカレのホテルは、緑に囲まれた敷地のはなれだった。

本館は、フロントとロビー、レストランとジム、ハマム、室内プール、オープンテラスのバーなどで、客室は敷地内にいくつかある低層のはなれ棟となっていた。

私とNさんが宿泊した客室は本館から10m程グリーンロード(上の写真)を歩いたところにある2階立ての建物の2階。
ホテルの人が観光客の荷物をそれぞれの客室まで運んでくれる。
夜は街灯と足元灯でグリーンがライトアップされ、なかなか良い雰囲気で客室がはなれというのも悪くないなと思った。






部屋のキーを配りながら添乗員のIさんが、このホテル内には普通のプールの他に天然温泉プールがあることと合わせ、ハマムやマッサージを利用したい人は・・・と各種利用料金などの案内を加えた。

天然温泉プールの方は、中央に人口火山がしつらえられ湯気が立ちこめ大勢の観光客が楽しそうに入っていたが、水着を持ってこなかった私たちは残念ながら入ることができず、あー水着を持ってくればなぁと後悔。



下の写真は、ホテルのハマムなどの利用料金表。
ヨーロッパからの旅行客が多いせいかほとんどユーロで表示されていた。




ベリーダンスショーの案内ポスターとグリルサービスのワゴン。
屋外のバーやテラスでは、夜遅くまで、生演奏が流れヨーロッパからの観光客で賑わっていた。




友人のNさんは、まだお腹が本調子でなく部屋で休みたいとのことだったので、
私1人でこのホテルの「ハマム」を体験してみることにした。


ハマムは古代ローマ時代から続くトルコの伝統的風呂。
トルコ入りしてから宿泊した他のホテルにもハマムはあったが、時間的余裕がなく入れなかったのでここで是非体験したいと思った。



トルコタイルと大理石のハマムで、
頭の先から足の先まで、さっぱりリフレッシュできたのだが・・・


・・・それが、・・・ドッキリだった



まず、ホテルのフロントでハマム(TURKISH BATH)の申し込みをした。
(上の利用料金案内の写真にあるとおり10ユーロだが、私はKESE(垢すり)つきをオーダーした。全部で日本円にすると3500円程度だったと思う。)



渡された布に包まり(下着は着用して)ハマムの扉を開けると、湿度と熱気が充満していた。

ハマムは、30畳ぐらいの大理石のサウナに洗い場が付いているもの。
壁にそって1段高い台(幅3mぐらいの広さ、60cmぐらいの高さ)が取り囲んでいて、寝そべることができる。
(上の料金表の写真参照、小さくてわかりにくいかもしれないが)

5分ぐらいすると垢すり師がやってきた。


女性には女性の垢すり師。これ、当然!と思っていた。
ソウルでも日本でも、いつだって女性には女性の垢すり師だ。


し、しかし!


こんなのアリ??? 


な、なんと、ここでは男性の垢すり師!
しかも、上半身裸で、腰に赤いチェックの布を巻いただけの姿!

私の担当は、 ちょっとお腹の出たいかにもトルコ人という顔立ちのおじさんだった。

ようこそ、いらっしゃいませという感じに満面のスマイルで挨拶されたが、私は顔が引きつってしまった!



私が女性の垢すり師への変更を申し出ると、その垢すりおじさんはスマイルで
「No problem! No problem!」と。

「えっ、そっちは No problemでも、こっちが problemなのよ。」


そんな私にお構いなしで仕事が楽しくてしょうがないという感じの流れるような手順で、その垢すりおじさんは大理石の台に寝そべる私にバケツで陽気にザブーンとお湯をかけ、淡々と垢すりを進めた。
(ハマムには、シャワーというものはない。)



おかげで私は最後まで気が抜けなかった。


しかし、その垢すりおじさん、仕事は丁寧で力の入れ具合も適度で垢すり師としては優秀だったかもしれない。


全身の垢すりが終わると、1.5m程ある長いタオルに石鹸をつけバケツのお湯の中に浸したり出したりを繰り返し、なにやらザブザブやっている。

良く見るとその大きなタオルは袋状になっていて、「フーッ!フーッ!」とタオルの端に口をあてて長い息を吹き込んでいる。すると不思議に細かい泡がいっぱいタオルの表面に噴出してきた。

それをゆっくりユサユサ振りながら弾みをつけて寝そべる私の全身にかぶせ、それを2~3回繰り返し、体が全部隠れるほど泡だらけにした。

しばらくして今度はやわらかい専用布でこすって、何回もザブーンとバケツでお湯をかけた。

次は、大理石の台に腰掛けさせられ、頭から大量のお湯をザブーンと何杯もかけたと思ったら、豪快にシャンプーを始めた。
頭皮をマッサージされて結構気持ちよかったが。

最後に立て続けに頭からたっぷりのお湯をザブーンと何回もかけ、全身の石鹸分をすっかり洗い流した。


さらに丁寧なことに
どこからか乾いたバスタオルを持ってきて丁寧に拭き始めた。
私は、拭くのぐらい自分でやるからいいわよと思ったが、坦々と作業を進めるおじさんの様子に、マニュアルどおりにまじめに仕事しているのだろうと、何も言わず任せることにした。

タオルを片付けたその垢すりおじさんは「これですべて終わりだが、オイルマッサージを希望するか」とトルコ訛りの英語で聞いてきた。

担当が女性だったら迷わずお願いするところだったが、私はNo,thank youと答え、彼の仕事へのAppreciationを伝えた。

すると、紳士的スマイルで「Thank you」と言い、垢すりおじさんは出て行った。



更衣室のロッカーの鍵を返しに行くと、ホテルのフロントマンとその垢すりおじさんが並んで「Good night!」と見送ってくれた。
私も「Good night!」と手を振り、また、はなれの客室へ緑の木立の小道を通って部屋へ戻った。

すっきりはしたけれど、ドッキリのハマム初体験だった
(翌日宿泊したホテルには、「垢すりは女性には女性が担当しますのでご安心ください」とわざわざ日本語が書き添えられており、ハマム体験を1日ずらしていたらこのドッキリは存在しなかった。)









翌日、早朝に、私たちはホテルを出発した。

前夜遅くまで賑わっていたプールも早朝は静かだ。

この日は、全旅行日程中、1日の移動距離が最も長い約700Kmをバスで走行予定。

ドライバーのサルマンさんが、元気良く「オハヨウゴザイマ~ス!」と挨拶してくれた。
私も今日もよろしくと挨拶し、どうか無事故でとバスの中のナザール・ボンジュー(目玉のお守り)に心の中で祈りつつ乗り込んだ。
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世界遺産パムッカレ

2008-12-04 | パムッカレ
大地から湧き出た温泉水が、山の斜面を下るうちに数千年をかけてこのように段々畑のように連なる石灰棚を創り出した。

まるで溶けずに残った雪のように白いが、温泉水に含まれる炭酸カルシウムが、時間をかけて結晶となったもので、まさに自然の芸術!

裸足になって足の裏に神経を集中しながら、世界遺産パムッカレを歩いてみた。




まぶしい白さ!
パムッカレとは、トルコ語で「綿の城」という意味だそうだ。





水溜りの底にも、このような模様で覆われている。

足の裏で味わう自然の芸術!温泉水は熱くはなかったが気持ち良かった。






薄水色の水溜りが美しい。





こんなに大きな石灰棚もある!



白くて写真だとわかりにくいが、上の表面が階段状になってきている。




遠くのパノラマの景色も楽しめるが、結構急斜面。



このような石灰棚は全部で100以上あるという。












とにかくパムッカレの中はものすごーく広い。
私たちは水着がなかったので入らなかったが、天然温泉プールもあり、ヨーロッパからと思われる観光客で賑わっていた。遺跡の上に噴出した温泉プール。


実は、パムッカレの楽しみは石灰棚だけではなかった!


パムッカレの石灰棚の背後には、聖なる都市遺跡ヒエロポリス(下の写真右の方)の丘陵が広がっていた!



これは、ヒエロポリス入り口に掲示されていた案内板。
見るとエフェソスの遺跡のように、神殿、アゴラ、半円形劇場などがある!
私たちに与えられている自由時間の中では極一部しか見ることができなかった。

ここから出土した遺物の一部を、同じ敷地内にある「ヒエラポリス博物館」で見学できるが、それも時間がなく入館できなかった。残念!

「ヒエラポリス博物館」は、2世紀につくられた大ローマ浴場を修復し考古学博物館にしたもので壁やアーチをそのまま残しているという。






紀元前190年頃にベルガモン王エウメネス2世がローマ軍とともに戦い、その功績によりローマ皇帝からこの町を与えられ、その後ローマ直属になったという。
17年に大地震が起こり、この町は一旦崩壊したが数世紀かけて復興し約10万人の都市として栄えていた。








この斜面を登っていくと2世紀に建設された半円形劇場(直径100m、1万50000人収容)がある。皇帝を称える碑文や神像が多数飾られていたという。




アポロン神殿のそばには、プルトニュームという温泉の有毒ガスが噴出す洞窟があり、トランス状態となった女神の神官たちが、神の言葉としての予言を行ったと言われている。



道路の向こうにも手前にも神殿の柱跡がたくさん見られる。
今でも掘ると有毒ガスが出てくるのか、あまり発掘が進んでいないようだった。






時間により表情を変える石灰棚。



太陽と月。



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エフェソスから、一路内陸へ

2008-12-02 | パムッカレ
エーゲ海の香りのするエフェソスを後にして、私たちのツアーバスはアナトリア地方をめざして、一路内陸へ走行した。

考えてみればトルコに着いてからここまでは、イスタンブール、黒海に続くボスフォラス海峡、ゲルボし半島に続くマルマラ海沿岸道路、ダータネルス海峡、エーゲ海の沿岸道路、そして海水浴で賑わうアイワルク周辺・・・と潮の香りに包まれながらのバス旅だった。

実はトルコは、海岸線の長い国で
黒海、内海のマルマラ海、エーゲ海、地中海と4つの海に囲まれ、
その海岸線は全長約8,000Km!


しかしこれ以降、私たちは内陸へ内陸へと進んでゆく。
まだ見ぬトルコの内陸がどんな景色なのか、私は興味津々でワクワクしながら車窓を楽しんでいた。
エフェソスから、この日目指すは「世界遺産パムッカレ」!

この日朝のモーニングコールが5:30、エフェソスまでが約250Km、うっとり遺跡散策後、付近で名物チョプ・シシ(小さなシシケバブが7~8本お皿にのってご飯と葡萄の皮にミンチがまかれてパイで包んであるものが添えられていた)をランチをとって、さらに約185Km先のパムッカレ散策を楽しんだ後、パムッカレのホテルに宿泊となった。



この日の気温は35度ぐらいで暑かったが、年によってはアスファルトが溶けてしまうくらいに気温が上がることもあると、ガイドのヌルランさんが話していた。
しかし、トルコは冬は冬で厳しい寒さに襲われるそうだ。





オリーブやひまわりもまだ見られるが、だんだん、小麦や綿などの畑が多くなってきた。


民家にはたいてい屋根にソーラー発電機が備えられていた。


途中、大きな「革製品」の店に寄った。
まず、案内されたのがファッションショー会場!

私たちのバスが到着するのを待ってましたとばかりに、お店の人たちが私たちを丁重に座席に誘導し、全員にさっと「りんごチャイ」をサービス。

早速、ポップな音楽が軽快に流れる中、ノリのよい司会案内役がトルコ訛りの日本語で挨拶すると、美女3人と長身のイケメン3人が入れ替わり次から次へといろんなデザイン、いろんんな色の皮革のコートやジャケット、ワンピースやベストなどをカッコ良く着こなして登場し、いろんなポーズをとってみせ、くるっとUターンした。

「このジャケットは、・・・・・このようにリバーシブルになっております。襟を取り外せば、このとおり・・・・。寒い時は袖口やフードをこのように絞って・・・のように・・・・」などの解説に、モデル達はぴったり同時進行で、モデルスマイルを振りまきながら慣れた調子で着こなしをアピールしていった。

ショーが続く中、モデルがこちらに歩いてきて、突然!私の手を引いた。
見ると、もう1人の女性と男性1人も別のモデルが有無も言わせず、一緒にステージ裏に案内した。
私を一瞬眺めると男性モデルは、クローゼットにいっぱい吊り下げられた中から迷わずAラインのやわらかいワインレッドのフードつき革コートをとり出してきて、すごいスピードで私に着せた。

他のモデルも手早く着替えては、出入りしていたが、ここではモデル自身があらかじめ決められたシナリオどおりに自分で着替えていた。
楽屋には色とりどりのコートやジャケットなどが100着以上ハンガーにかかっていた。

コートは不思議な事にサイズは私にぴったりだったが、男性モデルにボタンを閉められながら壁面鏡に写る自分を見て私の趣味じゃないと思った。が、そんな私の気持ちなど推し量ることもなく袖口を折り、大きなフードの体裁を整え、フード裏地と同じ白っぽい革のストールを巻きつけ前で軽くひと結びさせ、襟の開き加減を調節した。
さすがに着こなしに慣れたモデル、広袖口と襟元とストールとフードがアクセントになり、へえ~こんな感じに仕上がるんだ・・・っと鏡の中のいつもとちがう自分を見てちょっと新鮮だった。

その男性モデル自身も別のデザインのコートに着替え、襟をカッコよく立てて一瞬で準備した。
ここでやっと私の目を見て、ファッションロードの歩き方と挨拶ポーズのとり方とターンの仕方をその場でやって見せながら英語で手早く説明した。私がうなずくと質問する余地もなく、手をつないでステージ側に誘導した。

みんなの視線と拍手を浴びてとっても照れくさかったが、これも御愛嬌。
楽しんじゃえっ、とそのイケメン男性モデルと手をつないで歩き、打ち合わせどおり肩を組んでポーズをとったり、フォークダンスのようにとられた手の下をぐるっと回ったりしてにわかモデル体験を楽しんだ。コートは動いてもしなやかで着心地がよかった。

私の他の2人もまんざらでない様子で楽しんでいた。特に男性の方はカラフルなストライプのロングコートで、同じ柄の革の帽子も被らされて、それがとっても似合っていた。またノリノリのオーバーアクションでステージを闊歩し大うけだった。

こんなお楽しみの後革製品ショップに案内されたが、意外にどれも高価でジャケットなど買っている人もいたが、私は買わなかった。
トルコ人の先祖は遊牧民、革をとったり製品をつくるのも得意なのかもしれない。
デザインもおしゃれなのがあったし、革の質も良かったと思う。


バスに戻り、しばらく走行すると、しだいに下の写真のような景色になった。
遠くの山々の上の方がうっすら白い部分がある。根雪? ではなく、これは石灰なのだ!


どんどん山に登っていくと・・・・


うっすら残った根雪のように見えるが、これが石灰とは・・・



私たちが、世界遺産パムッカレの入り口ゲートに到着した時にはもうこんなに影が長くのび夕刻を過ぎていた。(トルコは日が落ちるのが遅い)


中に入ってびっくり、石灰棚だけではなかった!続きは明日のブログで。
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