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エジプト・トルコ旅行2008 全100話 写真1000枚!

エジプトとトルコへの初回訪問(2008年7月)!カルチャーショック満載の旅、すべて見せます、綴ります。全100話!

ボスフォラス海峡クルーズ

2008-10-15 | ロマンチック!ボスフォラスクルーズ
ガラタ橋のたもと、エミニョニュの波止場を出発し、旅行会社が手配してくれたチャーター船で約1時間余りのボスフォラス海峡クルーズに出かけた。

この日イスタンブールの気温は30度。でもクルーズ船のデッキの風は爽やか!!
海峡沿いの名所旧跡をゆっくり眺めながら、すっかりリラックスできて、とっても気持ち良い!

イスタンブールは、アジアとヨーロッパの両大陸にまたがる街。
その間を貫いているのがこのボスフォラス海峡。北の黒海と南のマルマラ海を結ぶ海峡だが、
海というより、大きな河のような感じがした。



中型船だったがたった20人で貸切はもったいない感じだった。2階のデッキ席が人気で、風を感じながら左右に広がるイスタンブールの景色をそれぞれが思い思いに楽しんだ。










下の写真は、オスマン帝国の迎賓館「ベイレルベイ宮殿」。 大理石の白亜の宮殿!
日に映えて眩しいくらいだった。スルタンの夏の離宮として、また外国来賓客のゲストハウスとして使われていたという。1865年にスルタン・アブドゥル・アジスが建設。



こちらの白亜は、「チュラーン宮殿」。
現在は、高級ホテル「チュラーンパレスホテル」の一部として使われているそうだ。



クレリ陸軍士官学校。





第1ボスフォラス大橋の袂にあるのは、モスク「オルタキョイ・ジャミイ」。



第2ボスフォラス大橋は、
日本企業(石川島播磨重工、三菱重工など)も参加し、1988年に完成。1510m、高さ64m。





第2ボスフォラス大橋の対岸直ぐそばアジア側には、
1452年、オスマン帝国メフメット2世がコンスタンチノープルを攻略するために、たった4ヶ月で築いたといわれる要塞がある。
そのため、第2ボスフォラス大橋は「征服王メフメット2世大橋」とも呼ばれる。

「ルメリ・ヒサール」(ヨーロッパ側の要塞)




メフメット2世は、この「ルメリ・ヒサール」を海峡の最も狭いこの位置に対岸アナドル・ヒサール(メフメット2世の祖父が建設)と対峙して建設した。この2つの要塞によりビザンチン軍を海上封鎖し、コンスタンチノープル攻略を成功させたと言われている。

現在は、野外博物館として開放され急勾配の斜面に広がる場内を散歩できるようになっているらしいので、次回訪問時には是非歩いてみたい。





下の写真は「ドルマバチェフ・ジャミイ」
向かって右側一帯に「ドルマバチェフ宮殿」(敷地総面積1万4000㎡そのうち5000㎡が建物面積)が広がっている。
オスマントルコ帝国末期1843年から1856年もの長い時間をかけて築かれたゴージャスな宮殿。36mの高さの天井から4.5トンの豪華なシャンデリアというからすごい。その他、豪華な絨毯や黄金を惜しみなく使った天井画や壁画があり、専属のガイドによってのみ見学できると言う。

メインの宮殿「トプカプ宮殿」を見学したが、こちらも素晴らしいそう!!!



共和制以降は、大統領官邸として使用され、アタチュルクはこの「ドルマバチェフ宮殿」で亡くなった。宮殿内の時計は、今も彼が亡くなった9時05分をさしているとのこと。



海峡の岸辺には、オスマン時代からの別荘(ヤル)が立ち並ぶ。



船内は禁煙!



ウスキュダルの緑が広がる。











上の写真は、ヨーロッパサイド新市街の高層ビル群。下の写真は、アジアサイドのベッドタウン住宅。




イスタンブールの光と心地よい海風、ゆっくりと流れる時間に身をまかせ、歴史に思いをめぐらせながらのクルーズは、最高だった!そして、とてもロマンチックだった!!!
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