クフ王(父)、カフラー王(その息子)のピラミッドを見た後、少し離れた所に位置する
「メンカウラー王(その孫)のピラミッド」へ、
バスで移動した。
これが、クフの孫「メンカウラー王のピラミッド」。

メンカウラー王のピラミッドは、真ん中に縦長の大きな穴が開いていた。
そして、上の写真のピラミッドの下部に注目!
メンカウラーのピラミッドは、建設当時、下1/3が花崗岩で覆われていたが、今もピラミッドの下の方だけ少し残っている。

このラクダの背景が、メンカウラー王のピラミッドの下部の花崗岩部分のアップ。

その花崗岩部分をさらにアップにすると、こんなふう。

メンカウラー王のピラミッドを警備している警官が「こっちだよ」と目で私に合図してきたので、行ってみるとピラミッドの一部にヒエログリフでなにやら刻まれていた。

メンカウラー王は、「ネテル・メンカウラー」と呼ばれ「神聖なるメンカウラー」との意味をもつというが、そのようなことが刻まれているのだろうか?
このメンカウラー王のピラミッドは、現在なぜか内部へ入ることはできないが、
内部の部屋はすべて地下にある。

そして、このメンカウラー王のピラミッド内部地下の部屋からは美しい装飾の石棺などが発見されていた!
しかし!残念なことに・・・・
それらの品々は、大英博物館へ運ばれる途中、スペイン沖で難破し船もろとも海に沈んだと言われている。
本当に海底に沈んでいるのだろうか???
メンカウラー王のピラミッドは、ギザの3つのピラミッドのうち一番小さい。
左からクフ王(父)、(その息子)、(その孫=メンカウラー王で1番右(南))
高さ65m、一辺の長さ102.2×104.6、斜度51.20度
クフ王のピラミッドのだいたい半分の高さ、半分の辺だ。
小さいのは、王の権力、国力が弱くなったということか?

下の写真は、メンカウラー王のピラミッドから右側(南)部分。
メンカウラー王のピラミッドのそばに
小さな3つのピラミッドが重なって見えるが、これらは王妃たちのピラミッド。
1番奥(東にあるのが、正妻カーメレル・ネプティ2世のもの。

ピラミッドの周辺では、ラクダが歩く光景をよく見かけた。

ラクダに乗ってみたいという気持ちもあったが、止めた。
添乗員Iさんが、
「ラクダに乗る場合は、安全に十分に注意してください。ラクダ業者の指示通りにまたがっても、ラクダが急に起き上がり人が振り落とされることがあります。」と過去に1ヶ月病院から出てこれなかった実例をあげて呼びかけていた
しかし、砂漠には、やはりラクダが良く似合う。

オリオン座の3つの星座の配列と、ぴったり一致するというこれらのギザの3つのピラミッド配列。
夜は、ライトアップされ、音と光のショーが行われている。
今回は見られなかった。

このメンカウラー王のピラミッドを最後に、第4王朝の芸術の最盛期は終わったようだ。
サッカラの「階段ピラミッド」、ダハシュールの「屈折ピラミッド」や「赤のピラミッド」の設計体験を活かして、イム・ヘテプがギザで見事に設計完成させたこの三大ピラミッド。
技術的には、進歩したピラミッド建設であり、第5、第6王朝の王たちもかなりのピラミッド造りを行っているが、ギザの三大ピラミッド以上のものは、造られていない。
炎天下、猛暑の中、露店を広げる人たち。


ここギザの三大ピラミッドが王たちの墓だと言う説は、ミイラがピラミッドの中から一体も発見されていないことから、最近では疑問視されてきている。
しかしピラミッド建造の本当の目的が何であれ、「血と汗の結晶」とはまさにピラミッドを表現するためにある言葉だと思った。
実際に3つのピラミッドの石に両手を触れてみて、何のハイテク重機もコンピュータもない4500年以上前に、これほど膨大な数の巨石を切り出し、運び、正確に積み上げた人間たちの壮大な土木工事へのロマン、共同作業の営みそのもの、人間の可能性の大きさに私は感動した!
この世界遺産は何が何でも人類が全力を尽くして、守り続けなければならないと強く思った。
「メンカウラー王(その孫)のピラミッド」へ、
バスで移動した。
これが、クフの孫「メンカウラー王のピラミッド」。

メンカウラー王のピラミッドは、真ん中に縦長の大きな穴が開いていた。
そして、上の写真のピラミッドの下部に注目!
メンカウラーのピラミッドは、建設当時、下1/3が花崗岩で覆われていたが、今もピラミッドの下の方だけ少し残っている。

このラクダの背景が、メンカウラー王のピラミッドの下部の花崗岩部分のアップ。

その花崗岩部分をさらにアップにすると、こんなふう。

メンカウラー王のピラミッドを警備している警官が「こっちだよ」と目で私に合図してきたので、行ってみるとピラミッドの一部にヒエログリフでなにやら刻まれていた。

メンカウラー王は、「ネテル・メンカウラー」と呼ばれ「神聖なるメンカウラー」との意味をもつというが、そのようなことが刻まれているのだろうか?
このメンカウラー王のピラミッドは、現在なぜか内部へ入ることはできないが、
内部の部屋はすべて地下にある。

そして、このメンカウラー王のピラミッド内部地下の部屋からは美しい装飾の石棺などが発見されていた!
しかし!残念なことに・・・・
それらの品々は、大英博物館へ運ばれる途中、スペイン沖で難破し船もろとも海に沈んだと言われている。
本当に海底に沈んでいるのだろうか???
メンカウラー王のピラミッドは、ギザの3つのピラミッドのうち一番小さい。
左からクフ王(父)、(その息子)、(その孫=メンカウラー王で1番右(南))
高さ65m、一辺の長さ102.2×104.6、斜度51.20度
クフ王のピラミッドのだいたい半分の高さ、半分の辺だ。
小さいのは、王の権力、国力が弱くなったということか?

下の写真は、メンカウラー王のピラミッドから右側(南)部分。
メンカウラー王のピラミッドのそばに
小さな3つのピラミッドが重なって見えるが、これらは王妃たちのピラミッド。
1番奥(東にあるのが、正妻カーメレル・ネプティ2世のもの。

ピラミッドの周辺では、ラクダが歩く光景をよく見かけた。

ラクダに乗ってみたいという気持ちもあったが、止めた。
添乗員Iさんが、
「ラクダに乗る場合は、安全に十分に注意してください。ラクダ業者の指示通りにまたがっても、ラクダが急に起き上がり人が振り落とされることがあります。」と過去に1ヶ月病院から出てこれなかった実例をあげて呼びかけていた
しかし、砂漠には、やはりラクダが良く似合う。

オリオン座の3つの星座の配列と、ぴったり一致するというこれらのギザの3つのピラミッド配列。
夜は、ライトアップされ、音と光のショーが行われている。
今回は見られなかった。

このメンカウラー王のピラミッドを最後に、第4王朝の芸術の最盛期は終わったようだ。
サッカラの「階段ピラミッド」、ダハシュールの「屈折ピラミッド」や「赤のピラミッド」の設計体験を活かして、イム・ヘテプがギザで見事に設計完成させたこの三大ピラミッド。
技術的には、進歩したピラミッド建設であり、第5、第6王朝の王たちもかなりのピラミッド造りを行っているが、ギザの三大ピラミッド以上のものは、造られていない。
炎天下、猛暑の中、露店を広げる人たち。


ここギザの三大ピラミッドが王たちの墓だと言う説は、ミイラがピラミッドの中から一体も発見されていないことから、最近では疑問視されてきている。
しかしピラミッド建造の本当の目的が何であれ、「血と汗の結晶」とはまさにピラミッドを表現するためにある言葉だと思った。
実際に3つのピラミッドの石に両手を触れてみて、何のハイテク重機もコンピュータもない4500年以上前に、これほど膨大な数の巨石を切り出し、運び、正確に積み上げた人間たちの壮大な土木工事へのロマン、共同作業の営みそのもの、人間の可能性の大きさに私は感動した!
この世界遺産は何が何でも人類が全力を尽くして、守り続けなければならないと強く思った。