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エジプト・トルコ旅行2008 全100話 写真1000枚!

エジプトとトルコへの初回訪問(2008年7月)!カルチャーショック満載の旅、すべて見せます、綴ります。全100話!

世界遺産ギザの三大ピラミッド(その4)

2009-01-11 | 感動!謎!ピラミッド&大スフィンクス
クフ王(父)、カフラー王(その息子)のピラミッドを見た後、少し離れた所に位置する
「メンカウラー王(その孫)のピラミッド」へ、
バスで移動した。

これが、クフの孫「メンカウラー王のピラミッド」。



メンカウラー王のピラミッドは、真ん中に縦長の大きな穴が開いていた。

そして、上の写真のピラミッドの下部に注目!
メンカウラーのピラミッドは、建設当時、下1/3が花崗岩で覆われていたが、今もピラミッドの下の方だけ少し残っている。



このラクダの背景が、メンカウラー王のピラミッドの下部の花崗岩部分のアップ。



その花崗岩部分をさらにアップにすると、こんなふう。



メンカウラー王のピラミッドを警備している警官が「こっちだよ」と目で私に合図してきたので、行ってみるとピラミッドの一部にヒエログリフでなにやら刻まれていた。


メンカウラー王は、「ネテル・メンカウラー」と呼ばれ「神聖なるメンカウラー」との意味をもつというが、そのようなことが刻まれているのだろうか?

このメンカウラー王のピラミッドは、現在なぜか内部へ入ることはできないが、
内部の部屋はすべて地下にある。



そして、このメンカウラー王のピラミッド内部地下の部屋からは美しい装飾の石棺などが発見されていた!

しかし!残念なことに・・・・

それらの品々は、大英博物館へ運ばれる途中、スペイン沖で難破し船もろとも海に沈んだと言われている。

本当に海底に沈んでいるのだろうか???

メンカウラー王のピラミッドは、ギザの3つのピラミッドのうち一番小さい。
左からクフ王(父)、(その息子)、(その孫=メンカウラー王で1番右(南))

高さ65m、一辺の長さ102.2×104.6、斜度51.20度

クフ王のピラミッドのだいたい半分の高さ、半分の辺だ。

小さいのは、王の権力、国力が弱くなったということか?



下の写真は、メンカウラー王のピラミッドから右側(南)部分。

メンカウラー王のピラミッドのそばに
小さな3つのピラミッドが重なって見えるが、これらは王妃たちのピラミッド。
1番奥(東にあるのが、正妻カーメレル・ネプティ2世のもの。



ピラミッドの周辺では、ラクダが歩く光景をよく見かけた。



ラクダに乗ってみたいという気持ちもあったが、止めた。

添乗員Iさんが、
「ラクダに乗る場合は、安全に十分に注意してください。ラクダ業者の指示通りにまたがっても、ラクダが急に起き上がり人が振り落とされることがあります。」と過去に1ヶ月病院から出てこれなかった実例をあげて呼びかけていた

しかし、砂漠には、やはりラクダが良く似合う。


オリオン座の3つの星座の配列と、ぴったり一致するというこれらのギザの3つのピラミッド配列。
夜は、ライトアップされ、音と光のショーが行われている。
今回は見られなかった。



このメンカウラー王のピラミッドを最後に、第4王朝の芸術の最盛期は終わったようだ。

サッカラの「階段ピラミッド」、ダハシュールの「屈折ピラミッド」や「赤のピラミッド」の設計体験を活かして、イム・ヘテプがギザで見事に設計完成させたこの三大ピラミッド。

技術的には、進歩したピラミッド建設であり、第5、第6王朝の王たちもかなりのピラミッド造りを行っているが、ギザの三大ピラミッド以上のものは、造られていない。

炎天下、猛暑の中、露店を広げる人たち。




ここギザの三大ピラミッドが王たちの墓だと言う説は、ミイラがピラミッドの中から一体も発見されていないことから、最近では疑問視されてきている。

しかしピラミッド建造の本当の目的が何であれ、「血と汗の結晶」とはまさにピラミッドを表現するためにある言葉だと思った。

実際に3つのピラミッドの石に両手を触れてみて、何のハイテク重機もコンピュータもない4500年以上前に、これほど膨大な数の巨石を切り出し、運び、正確に積み上げた人間たちの壮大な土木工事へのロマン、共同作業の営みそのもの、人間の可能性の大きさに私は感動した!

この世界遺産は何が何でも人類が全力を尽くして、守り続けなければならないと強く思った。

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世界遺産ギザの三大ピラミッド(その3)

2009-01-09 | 感動!謎!ピラミッド&大スフィンクス
これは、クフ王の息子である「カフラー王のピラミッド」!

クフ王のピラミッドより、1m程低い。

ピラミッド頂上付近に、わずかに残っている「化粧石」が、美しい!
(カフラー王のピラミッドだけでなく、クフ王のピラミッドなどもこのように当初は化粧石で覆われていた。)



カフラー王のピラミッドの高さは、136.4m、一辺の長さ215m、斜度53.10度。


パノラマビューポイントから見ると、

真ん中が、クフ王の息子の「カフラー王のピラミッド」
  右が、クフ王の孫の「メンカウラー王のピラミッド」

小さく見えるが、一番左が「クフ王」(これが最大のピラミッド)



これら三大ピラミッドは、なぜ、このギザ台地にピラミッドを造ったか?
岩盤がしっかりしていたことと、近隣で石灰岩が十分に採れることが理由だという。




カフラー王のピラミッドを
スフィンクスを正面側から見ると、ちょうどスフィンクスの真後ろに位置していた。




カフラー王のピラミッドの内部へは、特に1日の入場人数制限は無い。
時間がなく、入ってみなかった。
やはり、花崗岩をくりぬいた空っぽの石棺があるらしい。

カフラー王のピラミッドからも、カフラー王のミイラは発見されていない。
一体どこへ?




「ラクダに乗りませんか~?」アラビア語だが、たぶんそう言っている。



パノラマビュ^ポイントで、水タバコやエジプト土産を売っていた。


ピラミッドの周りには、必ず、ライフル銃を肩から提げた数名の警官が、立っている。下の写真でも、小さくだが、白い制服の警官が映っている。



私は、メンカウラー王から見るカフラー王のピラミッドの写真を撮りたいと思い、メンカウラー王のピラミッドの周りをウロウロしていた。

すると、メンカウラー王のピラミッドの周囲を警備していた警官が
「私が撮ってあげましょう」というようなポーズとスマイルで私に近づいてきたので、デジカメを預けてお願いしたところ、私の手をとって私にヘンなポーズをとらせ、「そのまま動かないでね。」(アラビア語だが、たぶんそういう意味)と言い、自分は急いでバックして中腰になってシャッターを切った。デジカメを返してもらおうかとサンキューというと、また、別なポーズをさせておいて、シャッターを切った。

デジカメを返してもらい、画面を確認したら、なんとこんな写真が撮れていた!


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世界遺産ギザの三大ピラミッド(その2)

2009-01-08 | 感動!謎!ピラミッド&大スフィンクス
前回のブログ後半を切り離し今回ブログとさせていただきました。ちょっと長すぎちゃいましたので。
「世界遺産ギザの三大ピラミッド」は(その1)~(その4)の全4回に分けたいと思います。

クフ王のピラミッドの内部に入ってみた。
内部に入れるのは、1日入場300人と制限されている!

これがピラミッドの入口。しかしここは封鎖されており、内部への入場口はここではなかった!


下の写真で右下の人がいる小さな穴(モハメッドさんは盗掘口と呼んでいた)から入る。


ピラミッド内部は一切撮影禁止!
というより、一般の入場者がカメラ・ビデオ類を中に持ち込むこと自体が禁止されていて、入場口では身体検査も行われていた。
添乗員Iさんが気温35度以上の中、美しい顔を帽子のひさしで深々と覆いながら、私たちのカメラやビデオを大きなバッグに入れ外で預かっていてくれた。

中の上昇通路は、うす暗く蒸し蒸しする上に、天井が低く(高さ1.3m程)とにかく狭い。
入る前に、添乗員Iさんが「狭所恐怖症の人はいませんね」と念を押していたのがよくわかる。

身をかがめて40m登ったところで大回廊に出る。
大回廊は、長さ約47m、高さ約9m、幅約2m。壁面のブロックが内側に6㎝づつ張出す形で下から上へ積まれている。(持ち出し構造)

大回廊を登ると控えの間と呼ばれる所に出る。東西の壁に大きな溝がある。
この溝に沿って石を滑らせ通路を遮断していたのではないかと考えられている。

そして、やっとクフ王の間に到着。

しかし!

そこには、花崗岩でできた蓋の無い空っぽの石棺が一つ、ぽつんとあるのみだった。

「遅かったか!してやられた!」と悔しがる刑事の気分。
そして、「いや、どこかに何か手がかりがあるはずだ!」と部屋中を隅々見回してみるも、やはり何もない。「何もないことが、何かのサインか?」などと、考古学的教養もない私なりに思いをめぐらし、部屋をウロウロ。

ただ、魂の出入り口とされる小さな穴だけがある。

部屋自体はしっかりした造りの部屋だが、それだけに空っぽ感を強烈に味合わされた感じだ!

私は壁に手をあて、頬を寄せ、耳をあて、目をつぶって深呼吸を一つし、4500年という時間に挨拶した。

ここでは、ミイラも副葬品も発見されていないという。
しかし、本当に初めから無かったのだろうか?すでに盗掘された後だったのでは

ツタンカーメン王の副葬品の価値が、アメリカ国家予算の1年分と言われているから、これだけのピラミッドを造らせたクフ王の副葬品は、一体「どんだけ~?」

このピラミッドのどこかにまだ眠っているのだろうか、それとも、地下でつながった離れた場所に埋められているのだろうか?

謎である。ピラミッドについては、あれも謎、これも謎、・・・謎だらけなのだ。

昨日のことも謎の私に4500年前の謎が解けるわけがないと諦め、部屋をもう一度眺めなおし戻ることにした。

実は、ピラミッド見学の翌日、エジプト考古学博物館へ行った。
1階の第32展示室で、高さ7.5cm×幅2.5cm、1903年発見の象牙製の小さなクフ王さんに会った。王権のシンボルの竿を握り、クフのヒエログリフ。慈悲深い優しいお顔。

ピラミッド建設は、奴隷たちによってなされたという説があったが、近年否定されている。ピラミッド建設にあたった者と見られる人間達の骨を調べた結果、栄養状態が良好で、豊かな生活を送っていた労働者である可能性が高いという。
ピラミッド建設は、職を失った労働者への雇用確保を考慮した事業とも言われている。

古代エジプト語で「クヌムクフィ(クフの正式名)」とは、「クヌム神は我を守護したもう」との意味だそうだ。


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世界遺産ギザの三大ピラミッド(その1)

2009-01-08 | 感動!謎!ピラミッド&大スフィンクス
この手でピラミッドに触れてみなければ、私のエジプト旅行は終わらない!

そう思いながらエジプトに降り立って10日目のこの日「世界遺産ギザの三大ピラミッド」と対面!クフ王のピラミッドについては内部への潜入も実現した!
実はカイロ滞在中、ギザのピラミッド通りの建物や行き交う車の間から、レストランの窓から、ピラミッドは既に私の視界に何度もチラチラとその姿を表わしてきた。
 
しかしピラミッドには、近代文明のかけらなど視野に無い砂漠側で、
私の方から、歩み寄って対峙したかった!それが、やっと実現した。

最初に目指したのは「クフ王のピラミッド」。
4500年前に10万人が参加し20年間かけて造られたという世界最大の石造建築。

背景にあるのは青く大きな宇宙だけ!一歩近づく毎に私の目に巨大さが迫る!



斜度と斜面が、なんて美しいんだろう! これが私の最初の印象だった。
ピラミッドの斜度と斜面が人間の視覚にもたらす陰影そのものに、不思議な落ち着きと神々しさがある!そう感じた。

クフ王のピラミッドの斜度は、51度52分。
高さ146.6m、頂点部分が欠け現在138.75m。
底辺の長さは、なんと約230m。

実は、下の写真がバスを降りて最初にクフ王のピラミッドを目にした風景!
警備なのか観光客向けサービスなのかわからないが、入場して最初にピラミッドを見上げる良い位置に、ラクダに乗った警官がニクイことにちゃんとポーズを取っている!



近づいて見ても斜度が美しい!そしてこんなに斜面もきれい。
座ると足が全然下につかないほど、石が大きい。



大きさの違う石を積み上げているのに、とにかく斜面が美しい。
しかし、当初は、表面がすべて化粧石で覆われていたという。
太陽の光が、この斜面を捉える様を想像し目が眩んだ!

以前は頂上まで登れたらしいが、
観光客の転落死があり、現在は入口の高さのところまでとなっている。

下からピラミッド頂点を見上げると、こんな感じ!

一番上の石は、点にしか見えない。
見上げていると石の巨大さに圧倒され、怖くなった! 

1個の石灰石の重さ、平均2.5トン。
「1個18トンの石もあります」とモハメッドさん。
それが、210段230万個積み上げられているというから本当に言葉を失う!

一番下の石は7m近い巨大な石もある。

ピラミッド全体の推定重量は、約600万トン。これは、日本国民1人を50kgとして計算すると1億2000万人分の総重量に匹敵するそうだ。

石の中には、貝の化石が見え隠れし、このあたりの石を切り出して使ったと言う事だが、ギザ台地は昔海だったということか。

各辺の長さの誤差は、なんと、たったの4.4㎝!

そして、4つの辺は、正確に東西南北を向いている!

このピラミッドがクフ王のものだと特定されたのは、王の間の上にある部屋にヒエログリフでクフの文字があったからだという。
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世界遺産ギザの大スフィンクス

2009-01-06 | 感動!謎!ピラミッド&大スフィンクス
近くで見ると本当に大きい!!!

これが、世界最大のスフィンクス!!!長さ57m×高さ22m。

砂漠の中に凛としてまっすぐ前をみつめる姿から、何かに迫るような威厳を感じる。


びっくりしたのは、頭部は別の石とはいえ、このスフィンクスの身体が石を組み合わせて造ったのではなく、1つの岩山を削って造られたということ。


なぜ、こんな大きなスフィンクスをここに造ったのか?


今年のお正月のテレビでこの謎に迫る番組をやっていた。
諸説があるが、結論として、謎のままということだった。

「スフィンクスの姿をしたカフラー王が、太陽神の化身であるクフ王に供物を捧げるために造られた」

「太陽神のご神体として造られ、三大ピラミッドはこれを頂点にして配置された」

などなど・・・これまでいろんな説が出ている。


しかし、「スフィンクスの姿をしたカフラー王が・・・」という説は、
最近の年代調査でスフィンクスがカフラー王の時代、クフ王の時代より、もっと前に造られた可能性が高いという事がわかってきたため、違うのではないかということだった。

謎を解明できなくても想像するのは楽しい、でも、真実も知りたい。


スフィンクスの真後ろに見えるのが、カフラー王のピラミッド。



そして、


横顔の向こうに見えるのは、クフ王のピラミッド。(下の写真)




百獣の王ライオンの体に、人間(ファラオ)の頭。

スフィンクスという名は「シェセプ(姿・形)・アンク(再生復活の神)」が由来とか。



鼻が崩れ、顎髭が取れている。目も崩れかかっているが鋭い視線が感じられた。
何かをはっきりと見つめている目!

かつては着色されておりアイラインの色が残っているというが、よくわからなかった。

鼻は、1798年にナポレオンのエジプト遠征の際に攻撃を受け、破損したとガイドのモハメッドさんが話した。

頭に頭巾を被り、額にはコブラがあったがコブラも崩れ落ちてしまったとのこと。

7mの顎鬚も落ちたが、これは大英博物館で保管されている。















前足の間に石碑がある!これは何?ガイドのモハメッドさんが説明してくれた。



この石碑は「夢の碑文」と言われ、このような物語が記されている!

「まだ王子だったトトメス4世が狩りに連れて行かれ疲れて眠っていた時、夢にスフィンクスが現れ『砂を取り除いてくれたら王位につけるだろう』と予言した。4年後王位についたトトメスは夢を思い出し、スフィンクスの周りの砂を取り除いた。」

スフィンクスは、長い間砂に埋もれていたが、第18王朝トトメス4世が掘り出したといわれている。

上の写真の前足部分はレンガによる壁で、砂による侵食から守るためだそうだが、修復され、この足は新しいものとのこと。





スフィンクスの前方に見えるのはスフィンクス神殿。



スフィンクス見学は上の写真のように高い位置にある。下の写真はその入り口。



スフィンクス神殿には、屋根のない巨大な中庭と供物殿がある。








少しずつ石灰岩の風化が進んでいるという。





3つのピラミッドの頂点をつなぐと一直線になり、スフィンクスを頂点とする直角三角形の底辺になるという。
今から4500年以上も前から存在する神秘の巨体スフィンクスをめぐる謎は尽きない。


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ピラミッドとの出会い

2008-08-16 | 感動!謎!ピラミッド&大スフィンクス
子どもの頃から、エジプトと言えば、らくだが歩く広大な砂漠に神秘的にそびえる雄大なピラミッドを思い浮かべていた。

そして今回エジプト行きを決めてからも、私は心にあるピラミッドのこの幻影が現実になる楽しみに、胸が膨らみ、心がときめき、弾んだ!

広大な砂漠を自分の足でゆったりと歩きながら、ピラミッドに近づくにつれ積まれた石の大きさに気付き感激する!
そんな自分を想像していた・・・・

しかし

現実のピラミッドは、らくだではなく自動車が混雑する道路の間から、舞い上がる砂漠の砂埃にかすみながら、「待ってたよ。」と、ちょっとおどけて私の前に現れた。

私は観光バスの窓に顔をつけ、「会いたかったのよ!」と、ドライバーがハンドルを切るたびに街路樹や建物の看板に遮られ、一向に全貌を現そうとしないピラミッドを、必死に目で追った。



チラチラと見え隠れしながら私をじらす3つのピラミッドは、数分間でやがて視界から姿を消し、バスは走り去った・・・・ああ、全姿に早く会いた~い!

半殺しにされ火照った心を持て余していると、なにやらピラミッドの近くの砂漠で、エネルギッシュに多くのトラックが蠢き、大掛かりな工事が行われている光景が目に飛び込んできた!
何だろう?!

「ここに、世界最大の博物館が誕生する予定です!日本の援助により、現在工事が進んでいて、まもなく2011年には、完成予定なんですヨ。世界に散らばっているエジプトの遺産もこの博物館に帰ってくるかもしれません。」と嬉しそうにマイクをにぎるガイドのモハメッドさん。

すると道路のその反対側でも、なにやら砂漠にクレーンや大型トラックが何台も入り、大掛かりな工事が!

「ここには、エジプトで最大の客室数を誇る、7つ星の大型ホテルができます!」

見ても聞いてもエジプトの観光開発に対する意気込みがジンジン伝わってくる。
そして、将来の楽しみが一つ増えた。

あこがれのギザの三大ピラミッドとスフィンクスには、旅行10日目に、ついに思い描いていた通り広い砂漠の中で対面することができた!
しかも、この度の旅行では、1日300人限定となっているクフ王のピラミッド内部への入室も果たすことができ、感激!。(後日くわしく記載予定)



バスは、「砂漠道路」をアレキサンドリアへ向けて、235Kmひた走った!

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昨日2008.08.07のニュースによせて

2008-08-08 | 感動!謎!ピラミッド&大スフィンクス
カイロ7日AFP=時事のニュース、また、新たな歴史の事実が判明しそう!!!

<ニュース記事>
エジプト考古学最高評議会は7日までに、黄金のマスクで有名な古代エジプトのツタンカーメン王(在位紀元前14世紀)の墓で見つかった死産とみられる女の胎児2人のミイラのDNA鑑定を、カイロ大医学部と共同で実施し、同王の子供かどうかを確認すると発表した。
 胎児のミイラは、1922年に南部ルクソールの「王家の谷」で発見され、カイロ大に保存されていた。このミイラが同王の子供ではないかとの見方は以前からあったが未確認だった。同王は18歳前後で死亡したとされる。(時事通信)
                        以上


今回の旅行で、私はカイロの考古学博物館のひんやりしたミイラ室に入り、エジプトの代々の王達23体のミイラに会ってきた。ガラス越しだがわずか50cmほどの距離での対面だった。
髪の毛も唇から覗いた歯もすらっとした指先の爪も綺麗で、3000年以上も前の人間と思えない姿、現代人とあまり変わらぬ表情で、横たわっていた。
ミイラと現代人である私との50cmほどのこの空間にあるのは、ただただ時間だけのような気がした。顔を近づけじっと見つめていたら身震いがして、これが本当のタイムスリップではと感じた瞬間があった。人間は数千年もの長い時間に秘められた史実を解き明かそうとする。そこには、様々な言葉で説明される多くの真実があるに違いない。しかし今、私とミイラの間には、言葉にならないぬくもりのようなものだけが、止まった時間としてひっそりと結晶のようにオーラを放っている、そう感じた。
ミイラ室から出ると、暑い空気と喧騒が待っていた。・・・・私は悠久の時空のどこを彷徨い生きているのだろう。

旅行中には数々の自然の神秘や世界遺産に触れたが、最後日の「エジプト考古学博物館」への訪問は、私にとって「壮大なロマン」そのものだった。
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