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遊行七恵、道を尋ねて何かに出会う

「遊行七恵の日々是遊行」の姉妹編です。
こちらもよろしくお願いします。
ツイッターのまとめもこちらに集めます。

旧渡辺甚吉邸 その3

2022-01-06 15:31:36 | 近代建築
階段周りなど。







かっこいいなあ。

続いて和の美を少しばかり











洋館の中の和室。和洋折衷は唐突な世界観の変貌を楽しませる装置でもある。

装飾








生活していたということを実感する。














文様の入るガラス




お風呂のタイルがすごい。


シャンデリア




やはり階段は力の入るところかも。












漆喰装飾






ベランダタイル



光が広がる様子と言うのが好きだ。


もっと近く。




好きな処をもう一度。











やっぱり大好き。

旧渡辺甚吉邸 その2

2022-01-05 23:25:49 | 近代建築
続き。

室内のこういうところ、好きだな。




コンセント 本当は縦なんだが横からの方が見やすいので。





キュートなステンドグラス。

天井がとても個性的。







渾身の装飾。
掃除大変だったと思う。
でも、やはり魅力的。

細部色々






窓の見える位置












満ち満ち






作り付け家具



庭へ



旧渡辺甚吉邸 その1

2022-01-03 22:41:26 | 近代建築
2018年に訪ねた渡辺甚吉邸である。
今回、いつもと異なる方法で画像のサイズ変更をした。


外観


遠望


外壁


こちらから




母屋外観


ハーフティンバー


庭木が生い茂る




持ち送りが可愛い



庭の一隅





窓の様子





屋内へ


玄関









連続パターンが可愛い。

階段へ










装飾





照明器具



つづく

廣誠院の思い出について

2021-06-06 23:54:20 | 近代建築
先般、京都文化博物館で戦前の前衛画家たちの展覧会を見た。
その中でシュールレアリスム画家の北脇昇が廣誠院で育ち、終の棲家としたことを初めて知った。
彼は伊庭貞剛の甥だったとは本当に知らなかった。
そしてこの建物が伊集院から伊庭・広瀬家の持ち物となり、かれは終生をここで過ごしたのだ。

わたしが廣誠院に行ったのは2005年の祇園祭の宵宵…山、7/14だった。
詳細は省くがヴォーリズ関連の建物をいくつも見学してから、この日限りの公開をしていた廣誠院へ向かったのだ。そのあたりについてはこちらのブログに記してある。
京都のヴォーリズあれこれをみる

それで北脇について今までにない関心が湧いたので、以前fc2で挙げた内容のものに当時の写真などを加えて再構成したものを挙げることにした。文章も色々と変更している。


「本日限りの登録文化財の和風邸宅を見学に行く。河原町から木屋町に入る辺りの、御池より少し上がる場所にあるお寺廣誠院。ぎりぎり飛び込み、中へ。
ここは山県有朋と縁故のあった伊集院兼常の邸宅跡。現在は臨済宗のお寺。お庭は例によって植治。沓脱ぎ石が巨大な真黒石。橋は長い石。床の間の襖絵は元禄頃の風俗画らしいが、もう少し時代が上がるように思う。
室内遊楽図。庭で蹴鞠をしているが、歯磨きをするものや柱巻きする者もいて、実に楽しい絵である。
一方、地袋は辻が花を貼り付けている。すごいなーと思っていたら、床の間の縁は春慶塗。竹の使い方も見事で、数奇屋建築の粋を凝縮したようだ。説明によると、この後に對龍山荘が造営されたようで、植治も伊集院の薫陶を受けて、いっそうの名庭師になったそうだが、そうすると・・・・・・」

庭園と外観を挙げる。
イメージ (3128)
イメージ (3129)


またここの所有する可愛い動物絵皿も他でみている。
イメージ (89)
当時の展覧会の感想はこちら
幻の京焼 京都瓢池園

湯田中温泉よろづや 松籟荘の思い出

2021-02-12 23:16:28 | 近代建築
2021年2月11日、まさかのニュースを見た。
湯田中温泉のよろづやさんが火事で全焼だというのだ。
しかも出火元はあの有形文化財の松籟荘の厨房。
眩暈がした。

わたしは学生の頃から歌舞伎、文楽にかなりのめり込んでいて、特に90年代は非常によく観に行った。
そして昔の歌舞伎俳優の芸談や評伝を読むのも好んだし、昔のブロマイドや芝居写真を見るのも楽しみにした。
その中で天下の美男・15世市村羽左衛門にも非常に惹かれた。
彼は満天下の人気者で様々な伝説も生まれていた。
その伝説を採りあげたのが里見弴「羽左衛門傳説」で、これはかれが昭和20年に疎開先の湯田中温泉よろづやで亡くなる辺りまでを記している。
わたしは泉鏡花を長く偏愛していて、そこから里見弴を知り、読み始めるとこれがまた非常に面白くてのめり込んでしまった。
里見弴はよろづやに向かい、羽左衛門と実際に交流した当時まだ二十歳前後だった宿のお嬢さん(後の女将さん)からその最期を詳しく聞き取っている。

里見弴、15世羽左衛門好きなわたしとしてはたとえ遠かろうとも折あらばなんとか信州へ、と長く願っていたところ94年に行くことが出来た。
そして女将さんに実は、と打ちあけたところ3時間にわたってお話をして下さり、羽左衛門ゆかりの松籟荘の部屋や碑(当時折れていた)を案内してくださったりした。(橘文様の裏地をつけたファンの女性のお話なども興味深かった)
たいへん嬉しかった。帰阪後にお礼の手紙も送ったくらいだった。

やがて再訪できたのは2002年でその時には松籟荘にも宿泊出来た。
こたつが出ていてそこへ厨房から作りたての食べ物が順序ごとに届けられるのだった。



そのときも94年もぱちぱちと撮影したのだが、今、その94年の写真が何故かこの遠望と、ベランダに来た猿の写真くらいしか見当たらず、みつけだせないままになっている。
そしてこちらの02年の写真もこれだけではないはずなのにどうしてか見つからない。
いずれ時間をとって探し出したいし、その時には今ここでは書いていない話なども記したいと思う。

今わたしの手元にある松籟荘などの写真を挙げてゆこうと思う。
当時の日記も出せたら詳しく記せるだろうが、今回はそれよりも今手元にあるものを挙げたい・挙げねばならない、という思いが先走る。
なお写真は全て日付入のフィルム写真である。


室内は花頭窓のような刳りがされたところもある。


天井も大変凝っている。


欄間は撫子だと思う。


富士山を描いたものだが、これはちょっとよくわからない。


竹の絵は寺崎廣業のもの。落款から推してだが。
ここの桃山風呂の扁額もかれの手に依った。


木々に囲まれていたなあ…


これは本館の方だと思うが、今ちょっと思い出せない。

こちらは絵はがき。
ほかにもまだあるはずだが、いまちょっと見つけられない。


泣きたいが、わたし以上によろづやさんがまずなによりいちばんつらいだろう…
どうか再現が為されますように、と願いを込めてこの記事を挙げる。