遊行七恵、道を尋ねて何かに出会う

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「超絶入魂!時代劇画の神 平田弘史に刮目せよ!」展に慄く!

2017-03-29 23:58:27 | 展覧会

終了したとはいえ、弥生美術館での「超絶入魂!時代劇画の神 平田弘史に刮目せよ!」展は決してそのままにしていてはならぬ展覧会だった。
画期的なことだと言っていい。
現役作家ではあるが、「あの」が着く平田弘史の史上初の原画展なのである。

弥生美術館は挿絵専門の美術館として活きている。
その中でこれまでマンガ家・劇画家の原画展は何度かあり、いずれも大きな反響を呼んできた。
先般完結した村上もとか「フイチン再見」最終話の直前に、弥生美術館での2001年2期目「上田としこ・今村洋子・倉金章介-おてんば少女たち」展が採り上げられていたが、ここでのマンガ原画展と言えば前年の「わたなべまさこ・水野英子・牧美也子」展が手始めだったと思う。
1988年の「松本かつぢ」展にもむろんマンガは出ていたことだろうが、わたしは未見で何も言えない。いや、それよりも現代的な意味での「マンガ」というのなら、やはり2000年の「わたなべまさこ・水野英子・牧美也子」展を挙げるべきだと思っている。

また、近年では2012年に「伝説の劇画師 植木金矢」展が開催された。
(当時の感想はこちら

この時漠然と、「劇画」という今では廃れたものもまた、ここでこそ展覧会として挙げられるべきものかもしれない、と思うようになった。
そして昨年には2本のマンガ家の原画展が開催され、いずれも大きな反響を呼んだ。
「わが青春の「同棲時代」 上村一夫×美女解体新書」展(感想はこちら)
http://yugyofromhere.blog8.fc2.com/blog-entry-3981.html
「山岸凉子展 「光 -てらす-」 ―メタモルフォーゼの世界― 」
前期の感想はこちら
後期の感想はこちら


今回、平田弘史展が開催されたのは将に「満を持して」という状況だったと思う。

1月から3月末の3か月間、ここで凄まじい熱量が放たれていた。
弥生美術館のツイッターをフォローしているわたしはRTされてくるファンの皆さんの様子に慄いた。そして展覧会内の様子にも震え上がった。
画面から飛び出してくるような迫力に恐れをなしたのである。

この展覧会が開催されることを知った時、わたしは平田弘史の作品は実際には未読なので、困った。
マンガ史の中での平田作品の逸話などは聞き知っていたが、実際に読む機会というものがなかなかなかったのだ。
ただ数年前、府中市美術館で「石子順造的世界 美術発・マンガ経由・キッチュ行」展を見ていて、そこに平田の「始末妻」が紹介されているのを見てはいた。
当時の感想はこちら


そうこうするうち、電脳マヴォというサイトを知り、それで検索すると出てきたのが
太刀持 右馬之介」だった。

先の「始末妻」はこちら

その壮絶な物語と凄絶な画力に圧倒された。
読んでる最中から胃が重くなり、読了後も本当に苦しかった。
激しい膂力で以て殴り倒されたような気すらした。
しかし決して厭な作品ではないのである。
右馬之介が気の毒でならなくなるのだ。
つまり主人公への思い入れ・肩入れが強くなり、それがために彼らに降りかかる非運・災難にこちらも激しく強く感応し、つらくなるのだ。

さて、前置きが長いのはいつものことながら、いよいよ原画拝見に赴く所存にござる。

チラシは「桶狭間出陣」の信長。この一枚絵の迫力からしても只事ではない。


平田弘史の半生を紹介する解説パネルや写真資料などを見るのだが、展示室に入った瞬間にギョッとなるのは案内プレートや作品展示ごとのタイトルが全て「平田弘史」なのである。
この言い方は適切ではないかもしれないが、平田弘史だとしか言いようがないのだ。
展示案内にまず「順路は右からです」とあるのだが、それが実は平田弘史のキャラが言うている。
弥生美術館のツイートを見たらどんな意味か分かっていただけると思う。
こちら


このインパクトの大きさには思わずのけぞる。
そしてその壮絶な絵と台詞の丁寧さのギャップに笑ってしまうが、ここで初めて時代劇&特撮ギャグマンガ家ほりのぶゆきの根源に恐らくは平田弘史がいることを想うのだ。

平田弘史の出発点は、他のマンガを参考としていないということを知って仰天した。
木俣清史という挿絵画家の絵を参考にし、更には大阪の千日前のデパートで挿絵スクラップを入手してそれで学んだというのには、絶句するばかりである。
凄まじい気力と計り知れない能力とで平田弘史は作品を世に問うたのだ。
マンガも劇画も小説も一切読まず、他者の創作・フィクションを排除し、天理図書館に通い、徹底的に歴史書や古文書を読み漁り、研究し、自ら解読し、ついにそこから己の妄想を育みだした。

しかしそうは言っても一切の人間関係を断ち切ったわけではないようで、多くのマンガ家が貧困にあえいでいた時代に白土三平から仕事を貰ったこともあったそうだ。
そういう逸話は好きだ。
そして「0伝」という作品を連載していたが、その主人公の少年はどこか白土三平の「サスケ」にも似ていた。つまり可愛い少年なのである。
その少年の表紙絵が3点ばかりあったが、いつのまにかこの坊やは片目になっていた。
何があったのか気になる。

平田弘史は天理教の布教をしていた両親の子として板橋で生まれ、やがて天理に戻ったそうで、それだからか初期の作品に「大和川の侍」というのもある。
大和川が出てくるマンガと言えば本当に少ない。大抵は淀川である。
地縁というものを感じる。

初期作品はまだまだ絵も可愛さ・当時の時代性を感じさせるものだったが、やがて「劇画」となると、いきなり物凄いとしか言いようのない絵と物語が飛び出してきた。
この貸本ブームの時代、平田弘史は大阪の日の丸文庫から出ていた「魔像」に連載していた。
その読者感想ページがここで読めるようになっていたので、わたしもちらちら読んだが、当時の読者の心持が伝わってくる。
みんな、平田弘史作品にどつきまくられていたのだ。そしてその痛みに苦しみながらも、読まずにいられない体にされていたようだ。

出た!「おのれらに告ぐ」、そしてその元々の「血だるま剣法」の事件についての解説がある。
ここではそれは措くが、このことはわたしも随分前から知ってはいた。

展示された原画のページだけからでは、青年の言う「自分は差別された」「先生は偽善者だ」ということの真偽はわからない。
しかしその剣術の先生は青年によって無残極まりない殺され方をし、更にはその血文字が残されているというのには息が詰まってくる。
この血文字に匹敵するのは馬琴の八犬伝での犬阪毛野が「鏖」と書いた場面、山上たつひこ「光る風」での兄の自殺の場面、福本伸行「銀と金」の神威家の殺し合いの場面ではないか。

それにしても物凄まじいばかりの画力である。
その画力は物語の強さにふさわしい。
次々と作品を見てゆく。

「日陰者の死」の哀れさは双子萌えのわたしに沁みる。

「被虐の受太刀」 南條範夫原作とあり、とても納得。もう本当にこの分野は南條の独擅場だと思う。
マゾヒストの少年が義理の伯母に「切ってください、傷つけてください」と懇願する場面などは特にたまらなかった。
平田弘史は虐げられる下級武士を描くが、被虐の快楽を追求したわけではない。
しかし描かれた情景には危うすぎる魅力が滲み出ている。
これはなんなのか。

わたしは2-3歳の頃に南條の怖い作品をドラマか何かで見たらしく、今もその作品は大きなトラウマになっていて、恐怖しか感じないのだが、長じてようやく他の作品も読むようになり、南條の被虐趣味よりは少年愛を描いた作品の方により強く惹かれるようになった。
(実際「城下の少年」を読んだことで相当な負担が軽減されたのだ)
とはいえ、決して消えない傷はある。
南條の文章も大概恐ろしいが、それが絵になるといよいよ恐怖が増す。
山口貴由「シグルイ」などその最たるものだが、今回の展示であの題字を書いたのが平田弘史だと知って、改めて震えが来た。

ここで少し飛ぶが、平田の書は独特の力強さに満ち満ちていて、意味不明なまでの迫力がある。
彼に題字を書いてもらった作品群が展覧会最後に集まっていたが、そこに「シグルイ」があるのを見て納得した。
わたしと隣家の従弟とは同じ本はかぶらないようにしながら買い集めているが、互いに「シグルイ」は欲しいけれど手元に置くことが恐怖でならないので、未だに困り続けている。なにしろあの題字を見ただけでぞわぞわするのだ。
今回、平田弘史の書だと知ったことで、却って心が落ち着いてきた気はする。

原画再び。
「嘘」 とんでもない話である。これは困った…
「反骨刃傷記」 表紙絵は十二神将の一が描かれている。強靭な絵である。
「刃返し斬法」 カラー原画が出ていた。

筆書きの書の凄まじさについては一旦措いて、小さいことを書くと、波が打ち寄せる擬音「ザパーッ」が白土三平のそれに似ていた。
こういうのをみつけるとちょっと嬉しい。

1969年の「侍コミック」掲載の「百姓二人」だが、これは表紙絵から迫力に満ち満ちていた。抜身の刃を持った侍が全速力で駆けてくるのだ。絵の枠を飛び越えてこちらへ飛んできそうな威力がある。
この号にはほかに村野守美「モガリ笛」がある。

「それがし乞食にあらず」 これまたなんかモノスゴイ話である。足軽で子沢山なのに乳飲み子残して妻病死、近隣の同僚たちがみんないい人ばかりで早速お乳をあげたり、「うちがあの子を」「うちはあの子を」と言ってくれたりおかずを差し入れしてくれるのに、タイトルの台詞。
原画はこのあたりまでだが、もう本当に貧窮がひしひしと伝わる。
結局子らはみんな餓死して、近隣の人々から鬼扱いされる男。彼は一体なぜそこまで頑ななのか。
結局は主君への忠義からのことなのだが、わたしなどはもう完全に意味不明だとしか思えない。

映画とタイアップした仕事が紹介されている。
「座頭市」「人斬り」「片目の軍師」などがそれである。
しかし映画の世界観をそのまま再現するわけではなく、平田弘史は平田弘史の思想でもって作品を完成させている。

描写の凄さを実感した作品がある。
「弓道士魂」 三十三間堂の通し矢をしようとする少年武士の話である。
失敗すれば処刑されるという状況の中での激しい集中力が描かれているが、その表現が怖い。鼻血が出てきたのを見ると、もう彼の内部ではもっと著しい破壊が起こっているのではないか。

子どもの頃に読んだ「アストロ球団」でこんなシーンがあった。一球入魂のあまり、血管が切れるどころか、投げ切った後に老人になる男がいた。
「侍ジャイアンツ」の原作もラスト、まさかの主人公の死があった。
野球も弓も集中しすぎて最後はとんでもないことになるのだった。

この話の外伝にあたるものもあった。弓道の名人「天下惣一」になったとしても次々に新しい者が加われば価値は下がる。そのことを愁いて…

平田弘史はアシスタントを使わないそうだ。彼の画力に追いつける人はいなかったそうで、ある時から愛妻が手伝うようになったが、やはり一人で描くように戻った。
アシなしで物凄い画力の高さというと、ながやす巧が思い出される。

その画力の高さ・構成の巧さを特に強く味わえるのが現れた。
「首代引受人」 この冒頭が素晴らしい。表紙の後の2,3,4ページが一枚絵として使われているが、それがもう只ならぬ雰囲気で満ちている。編笠の侍が向こうからこちらへ歩み寄ってくる情景を描いているのだが、凄まじい気迫がある。鬼気迫るというべきか。
その様子に気づいたのはこの屋敷の息子。目があい、その訪問者を待つ。用件を問うと…

この「歩み寄る」シーンの凄さ・魅力の大きさは映画「アラビアのロレンス」で、ロレンスとあるアラブ人の男とが井戸の水を調達しているときに、ずっと向こう、陽炎が立ち上る果てからゆっくりと近づいてくる黒装束の男を見る、あのシーンに匹敵する。
あれは数分間を使った長廻しのシーンで、素晴らしかった。
萩尾望都はそのシーンにときめいて、自作「マージナル」でも再現を試みている。
平田弘史はその圧倒的な不穏さを3ページで表現した。
いずれも皆素晴らしい。

この首代引き受けの話はリメイクもされている。悲惨な話だがかなり面白いのは事実である。だから何度もリメイクされる。
「約束手形」「新首代引受人」…

機械工学に詳しい平田弘史は1995年の時点でmacを導入し、ソフトウェアの開発にも協力したそうだが、彼の圧倒的なペン画は当時の技術では完全な再現は望めなかったそうで、手を引いている。
そのカラー作品を見たが、細部の魅力が引き出せなくなっていて、惜しい。今ならもっとよい状況になっているが。

珍しく女性誌「週刊女性」にも短編を一本描いていた。
「無双奥義太刀」 これは残酷性はやや薄れてはいるが、しかし悲哀に満ちた物語である。
子の為に辻斬りをする父、その子が長じて後に… せつないのう。
そう言えば70年代初頭の女性週刊誌は意外とこうした作品を掲載していた。
望月三起也「薔薇のイブ」もそう。

父と子の哀しさを描いたのは他にもある。
庶民もせつないが侍も苦しい。

「茶筅髪禁止令」 泰平の世になったから、戦国の気風を残す茶筅髪を幕府が禁止した。それは「侍」の力を削ぐことであり、軟弱化させる目論みなのだが、それを拒否する侍がいる。結局そうなると藩としては御公儀に逆らえぬから死罪を申し付けることになる。検死役も最後にもう一度勧めるが、意志は固く、侍であることを誇りに思う男は息子に介錯の役目を負わせ、十文字に腹を切る。
しかも一旦腹を切ってから息をつき、息子に介錯のタイミングを教えるのだ。
やがて喉を掻っ切ったその時に息子は介錯する。首が跳ね飛ぶ。
息子も後追いしようとするが、それは止められる。

ここで「切腹の美学」という言葉が掲げられていた。
平田弘史は19歳の時に重い盲腸の手術をしたが、昏睡から覚めないかもしれないという理由で、麻酔なしで盲腸の手術をしたそうだ。
臓物が引っ張り出されるナマナマシイ感覚をはっきりと知ったというのが怖い。
そして実際に割腹自殺を遂げた三島由紀夫は平田弘史のファンだったそうだ。

ところで介錯した場合、首の皮一枚残すのが巧い斬り手だと聞いているが、実際の所はやはり首を跳ね飛ばすか、または頚骨を斬り損ねて、中途半端に刺さったままで終わってしまう、というのも多かったと聞く。
平田弘史の作品ではきちんと介錯出来ているので、つまりみんな腕は立つのだった。

中央のケースでは貸本マンガが紹介されていた。
辰巳ヨシヒロ「死人のおかえり」、さいとうたかを「無宿大名」、佐藤まさあき「野望」がある。
「無宿大名」が掲載されていた「魔像」の紹介をしたツイートはこちら

この「野望」の表紙が面白い。ソフト帽にスーツ姿の優男が顎に手袋をはめた手を挟んでいる。妙にナルシスティック。
「野望」はドラマ化されたが、一部だけ偶然再放送で見たことがある。
あの天知茂がハワイの海岸で幼な妻と追いかけっこをしながら「わははははは」と楽しそうに笑っている、という殆どホラーな情景だった。

他にわたなべまさこの薄幸の少女ものがある。
それから雑誌「黒猫」「影」の表紙絵がなかなか怖い。
つげ義春「ゲンセンカン主人」の始まり辺りのページが出ていた。
初期の頃の少年マガジン、サンデー、ジャンプも並ぶ。ジャンプのその表紙は「侍ジャイアンツ」だった。上村一夫の喪服の女の前に髑髏が鼻血ブーしているのもある。

平田弘史は南條範夫作品を描くことも色々あった。
「無為の生涯」「邪淫許すまじ」
滝口康彦作品もいくつか。滝口と言えば「拝領妻始末」しか知らないが、このヒトも無残な話が多そうだ。他にシバレンの「無念半平太」というのもあった。

「介錯」 そのタイトル文字がたまらない。「介」の垂れ方、「錯」の締まり具合。
とてもかっこいい。

二階では「太刀持右馬之助」から始まった。
可哀想な話だが、色々と身につまされるところもある。

そして世評高き「薩摩義士伝」。この異様な力強さ・迫力にはただただ圧倒されるばかりだった。
第一話「ひえもんとり」がそもそも凄まじい。
わたしは「ひえもん」と言うと歌舞伎の「助六」の「ひえもんでぇす」というのを思い起こすが、あれは江戸の銭湯で体が冷えてますが失礼、くらいの意味の言葉なのだが、薩摩の「ひえもん」はなんと生肝のことをいうのだ。
つまり罪人の生肝を奪い合う、という大殺戮ゲームなのだ。
だがその罪人の男がまた物凄まじい。
下帯一枚になりながら「突かば突いてみい、罪人一人に群がる蟻侍共!」
うわーーーーーーっっっっっ

眩暈がして腰が立たなくなってきたところへほっとするものが現れた。
1990年のヤングマガジンでのエッセイマンガ「平田弘史のお父さん物語」である。これは4ページもので絵はあの通りだが、なかなかユーモラスな平田弘史の日常を描いていて、絵があれだけにそのギャップが面白くてならない。
「弘ちゃん」「よっちゃん」と呼び合う仲良しの御夫婦の姿がいい。
ページの端には「お母さん」の一言もある。
こういうのは本当にホッとする。

平田弘史の初期作品に「ボクのおじさん」というのがあるが、あれは風俗は江戸ものだが言葉は描かれた当時のものでほのぼのものだった。
どこか「丹下左膳 百万両の壺」を思い起こさせるようなユーモアがあった。

絵が凄いから却ってユーモアが深くなる。

そして平田弘史の進化は続き、無残な話から転回し、「ミスターマガジン」で連載した「無名の人々」シリーズが生まれる。
中でも「怪力の母」という作品はあたたかみのあるもので、女相撲をしている女たちの描写が明るくていい。

玩具のバンダイの「戦国歩数計」のイラストを担当しているのがまたなんだかスゴイぞ。

前述した平田弘史の書は多くの漫画家たちに支持され、作品タイトルによく使われている。
大友克洋「AKIRA」の「アキラ」もそうだし、「シグルイ」、それから「ディエンビエンフー」、「蛮勇引力」、「バンデット」、「ますらお」などがある。
「ますらお」は最初に連載されたのが中断してから18年後に再開しているが、どちらも平田弘史の書ではあるが、こうして比較すると違う字なので、新たに書き起こしたのがわかる。


この書のど迫力に慄くことも少なくないが、しかしその迫力が魂に響くことは確かなのだ。
「バンデット」もあの暑苦しい絵柄と物語にタイトルがマッチしているし、最近ようやく面白くなってきているので、毎号楽しみに読むようになった。
今後はタイトルは平田弘史ののだと思いながら見ると二重に楽しめるだろう。

ところで平田弘史は天理教と関係が深く、それで教祖絵伝を描いていたが、教義が変容していることを感じ、向こうとの関係もよくなくなって、ついに縁が切れたそうである。そのことも含めてきちんと紹介されているのは、この回顧展にはとても大事なことだと思った。

平田弘史へのオマージュを記した多くの漫画家たちのメッセージがある。
花輪、政岡、山口、宮谷、本宮、ながやす、バロン、池上、みなもと、神田、あだち、かざま、天野、かわぐち、里中、北崎、竹宮…錚々たる人々からのカードはいずれも魅力的だった。

凄まじい力業に圧倒された。
お礼を申し上げよう。
平田弘史先生、今後の活躍をお祈りいたします。
素晴らしい作品世界をありがとうございます。
弥生美術館へもこの展覧会を企画されたことを讃えたい。
凄かった……

東京都庭園美術館で「並河靖之 七宝」を愉しむ 

2017-03-23 23:12:01 | 展覧会
東京都庭園美術館で並河靖之の展覧会が開催されている。
明治の有線七宝の粋を極めた人の作品がアールデコの館で飾られている。



このチラシで並河の類稀な技術が伝わる。
右半分は藤のクローズアップを、左にはその全体像がある。


どの作品でも共通して言えることは、ただただ感嘆するばかりの決して手を抜かない仕事ぶり、そして超絶技巧と熱意とが合致すると、こんな緻密な作品が生まれる、ということである。



並河の素晴らしさに長らく囚われている。
個々の作品について細かいことを書きだすと時間は無限にかかる。

自分のメモには延々と感想が書いてあるが、それをここに再現することは無駄かもしれない。
いつも以上に作品への・展覧会への称賛が書き連ねてあるからだ。

緻密で綺麗なものを美しい空間で見る。
それもその建物より一昔前の美麗な工芸品を見る、という歓び。

これは1978年に山岸凉子が発表した「ドリーム」という作品で教えられたことだ。
地方の明治の洋館に、幕末までの古い日本の、いや、東洋の古美術品を置く。
一つ前の時代の綺麗なものを美しい空間で眺める歓びは深い。
その館で演じられる物語はここでは措くが、この作品は常にわたしの胸の底に活きている。

ここではアールデコの館に明治の有線七宝が展示されている。
わたしは行きつ戻りつ、それぞれ意匠の異なる室内で並河の七宝焼を堪能した。

ある部屋では鏡がある。その鏡には室内と並河作品とがその姿とそして影とを映す。
現実の自分の眼で直接眺めるのもよいが、鏡越しにその美を楽しむこともいい。
この美しい空間で様々な歓びを見出し、わたしは黙って笑う。

展覧会でいくつか知ることもある。
並河が宮様に仕えていたことを知った。
その関係もあってご下賜のシガレットケースなどを拵えたことに納得する。

綺麗なものをみつめすぎて麻痺し始める。
そのとき、並河の描いた花々や蝶々たちが見ているわたしの脳裏に住み着くようになる。
もう消えなくなる。残像が深く焼き付く。
並河の作品群は常にわたしの心に活きるようになる。



並河の邸宅は記念館として活用されている。

わたしも以前に撮影させてもらった。
こちらにある。
植治の造園。

ここにあるのは数年前のチラシ。
今のは見当たらなかった。


綺麗なものがどのように生まれてきたか、それを知ることが出来たかもしれない展覧会があったのだ。


わたしはもう一度アールデコの館と七宝とを同時に愉しんだ。
そうしてといも気持ちよく帰った。
二月に楽しんでからあの時の心持を記した。
とても楽しめた。

庭園美術館で並河靖之の七宝を楽しめるのは4/9まで。

江戸時代の源氏物語 見立てとやつし

2017-03-22 00:21:23 | 展覧会
宇治市源氏物語ミュージアムへ久しぶりに出向いた。

今回は企画展示が楽しみでやってきた。
「江戸時代の源氏物語 見立てとやつし」
主に源氏物語を元にした「田舎源氏」の絵が並んでいた。


元々の読本もある。いずれも挿絵は三世国貞。華麗な絵で光氏と女たちの逢瀬や出逢いを描いている。
衝立越しに女を口説いたり、大きな布団の中から顔を出す女と話したり、といろいろ。
みつうじは未通じではないのだ。

田舎源氏は時代を室町に置き換えているので、本のタイトルも足利がついたりするときもある。そこからわかるようにお家騒動が絡む筋立てでもある。



足利絹手染之紫、根源実紫、カラー表紙絵がついている。サイズはコミックスくらい。きれいなものです。

これで思い出すのは岡本綺堂の小説。
武家奉公していた娘が「梅こよみ」に夢中になり姫君も女中もみんなで熱烈なファンになった挙げ句に、というのがある。
貸本文化が行き渡っていた時代、多くの人が「梅こよみ」「田舎源氏」「八犬伝」などに夢中になっていたのだ。

室町源氏胡蝶巻 48点が出ていた。壮観な眺め。

今源氏錦絵合 55枚のうち38枚が出ていた。
須磨で殺されかける光氏、ぶちねこといる光氏、いろんなシーンが描かれている。サイズはA4くらい。
基本は源氏物語なのだが、そこがそれやはり江戸の作者の書く話だから、もうちょっと生臭くもなって、暗殺されかけたりなんだかんだとある。

俤源氏五十四帖 これは二世国貞と二世広重が競作したようだが、展示替えの都合でわたしがみたのは二世国貞のみ。二世広重といえば一ノ関圭「茶箱広重」を思い出す。

紫式部源氏かるた かるたと言うても手札のあれではなかった。二世国貞の大きめの絵のシリーズ。雷を怖がる様子や月光の差し込む座敷でいちゃつく様子とか。
なんでも光氏の楽しみになる。



義正側室藤の方・足利次郎君・稲舟姫 役者絵でもある。秋の様子で描かれていた。紅葉ハラハラ。

山城の国宇治の里茶園の風景 茶摘み茶摘み。

宇治川蛍狩り図 これも見立てものだが、けっこう螢そのものも大きく描かれ、夏の夜の楽しさが出ている。

本家の源氏物語の屏風などもある。岩佐又兵衛風な人物たちで、「松風・若菜下・若紫」の3シーンが描かれている。
大きな顔の仕丁と可愛い少年をみつけた。

田舎源氏の絵は昨秋たばこと塩の博物館での専修大学コレクション展でたくさん見たが、それらとはまた違うものが多く、いかにたくさんの作品が刊行されたかがよくわかる。
専大コレクションの感想はこちら


とても楽しい企画展だった。

化粧 KEWAI 舞台の顔

2017-03-21 01:11:32 | 展覧会
逸翁美術館で非常に面白く、そして珍しい展覧会を見た。
「化粧 KEWAI 舞台の顔」展である。
ツイッターでも紹介したとおり、中国の瞼譜(れんぷ)と歌舞伎の隈取りで魅せる内容なのだ。
これまで隈取りの展覧会は国立劇場の資料室で見ている。
しかし中国の瞼譜の展覧会などはなかった。あったとしても知らなかった。
それが今回逸翁美術館で同時に展示されているのだ。
スゴいものをみた、と思った。

逸翁美術館は阪急文化財団を構成する一つの存在である。
宝塚歌劇もその仲間である。図書館である池田文庫もまた。
「化粧 KEWAI 舞台の顔」展は演劇集団であるタカラヅカと池田文庫に所蔵されている浮世絵、中国の演劇に欠かせない「瞼譜」、それらが見事に合致して、これまで見たことのない内容の展覧会として、美術館で花開いていた。

画像の瞼譜(れんぷ)のそれぞれの芝居のタイトルと役柄名とはわたしが後から入れた。

最初にでてくるのは歌舞伎の隈取りである。
六代目菊五郎 鏡獅子押隈 1942.10 歌舞伎座  六代目の十八番の鏡獅子、いい顔である。隈の種類は「むきみ隈」。
その上に黄色と白の蝶が舞うている。
弥生から鏡獅子に変わって舞い狂うが、蝶はその様子を見守っているのだ。

天津乙女 鏡獅子押隈 宝塚歌劇の天津乙女は六代目に心酔し、その舞踊人生を追っていた。なんでも出来る六代目、天津乙女も様々な踊りをみせたが、ただ一つ「浮かれ坊主」だけはしなかったそうだ。やっぱりヅカ乙女の方がちょっとばっちいスタスタ坊主が後家さんとどうのこうのという色懺悔するのを見たくはないしなあ。

二代目猿之助・三代目段四郎 連獅子押隈 1937頃  横並びに父子の押隈。

天津乙女 鎌倉権五郎押隈  「暫」は超人的な存在である。隈は「筋隈」。何本かの線が強くはいる。小柄な人だがなかなか大きな押隈である。
これで思い出したが、昔の人は今よりも顔が大きいので隈も立派に乗ったが、今の人は顔そのものが小さいので、立派な押隈がなかなか作れないそうである。

天津乙女 曽我五郎押隈  「むきみ隈」。この五郎は「対面」のそれだろう。

春日野八千代 桜丸押隈  江戸風に「むきみ隈」で取っている。上方では桜丸は隈取りはなし。
この三つ子はそれぞれ隈取りが違う。
梅王丸は「筋隈」、松王丸は「二本隈」。
筋隈…スティグマ(聖痕)ではない。

山田五十鈴・春日野八千代・神代錦 押隈(車引) 1979.1 帝国劇場  大女優山田五十鈴と宝塚の名優とで車引の三つ子を演じたのか。順に梅王丸、桜丸、松王丸。

春日野八千代は勉強熱心なひとで、歌舞伎の隈取の研究も深めていた。
「隈取全集」として41枚もの隈取パターン図を残している。輪郭のみコピーして、そこへぬりえのように様々な隈を描いてゆく。
うまいものだ。
しかも「○○隈」という風に名称を書くだけでなくルビも振っていた。
とてもわかりやすい、よい全集。
絵心があるから面もきれい。

ここから浮世絵をみる。

初世河原崎権十郎楽屋図 三世豊国 1861.12 楕円形の鏡に向かっているところ。隈取は描いたので、あとは眉を描いてます。

これで思い出したが、一ノ関圭「鼻紙写楽」で五世団十郎がいい年をして白粉をぬる、そのことをかこつシーンがあった。
芝居が好きでなんら疑問を持たないひともいれば、ふと悲哀を感じる人もいる。いろいろ。

松梅雪花三吉野 あいじゅのゆきはなとみよしの 銀光 1881.1新富座  車引の場。時平隈。ただの公家隈より更に強大な悪の隈。
時平 三世中村宗十郎、梅王丸 左団次、桜丸 菊五郎、松王丸 団十郎。水色や赤の顔料が使われているところがやはり明治の浮世絵。思えば「車引」はこうして隈取をたくさん見る芝居なのだな。

仁木とねずみと男之助 三世豊国 1857.10市村座  五世彦三郎の仁木が巻物咥えどろどろ。大ネズミを踏む男之助は初代権十郎。

車引 国貞 1835.11中村座  梅 5世海老蔵、松 5世幸四郎、桜 3世菊五郎。22年前の絵では役者の世代も違うな。サーモンピンク地にそれぞれ梅柄・桜柄を着た二人と白地に松柄の一人。ぐーっと見てると力の入る鼻高幸四郎のよさ。

鳴神 三世豊国 1851.5市村座  雷鳴の下の二人。しうかの雲絶間姫に8世団十郎の上人という黄金コンビ。いつみてもいい絵。
騙されて柱巻きしたり顔に隈作って追いかけてきたり…

八陣守護城 北洲 1820.9角の芝居  三世歌右衛門。このヒトには一時はまったなあ。一本隈が入っている。チラシで眼をむいている顔。

助六も出てきた。むきみ隈してる。芳幾の幕末のものと20年後の明治の国梅のものとが並ぶが、仙平の朝顔の隈は戯隈というそうだ。

故人となった役者たちが隈取をする写真パネルが現れた。
7世蓑助の朝顔隈、17世羽左衛門の景清隈、10世半四郎の猿隈、3世延若の公家荒隈…
凄いのが17世羽左衛門の火焔隈。不動明王だということで青と金とで顔を拵えていた。

土蜘 国周 1894  五世菊五郎の「梅幸百種」の一。久しぶりに見たな。池田文庫での特集以来かも。

茨木 周延 1883.4新富座 角がやたらやらかそうである。

桜山艶忍夜 ゆめみぐさうきなのしのぶよ 三世豊国 1857.2森田座  「矢の根」の書き換えか。
「やっとことっちゃ、うんとこな」と五郎が馬に乗り大根を鞭に走らせようとする場面。そう、五郎は退屈していたのです。そこへ兄の生霊が来たから助けようと出てゆくところ。

空を飛ぶのは奴凧平。ええ名前や。 

通俗西遊記 周延 1878.9市村座  孫悟空は猿隈なんだが猪八戒は隈取なしで豚と言うよりゾウのかぶりもので出てくる。なんなんだ?と思ったら、京劇では豚は大耳だということで、この扮装もおかしくないそう。

宝塚のスタッフが採集した瞼譜のイラスト貼り付けがある。1ページに四点。56点のフルカラーのが出ていた。
以前に日本全国の祭の採集ノートも見たが実に熱心。

さていよいよ瞼譜。出ているのは「鍾馗嫁妹」と「達磨渡江」と「劉氏望郷」の三本の芝居から。
これらはいずれも人間ではない者ばかり。
人間のそれは梅蘭芳が所蔵しているそうで、解説によるとこの瞼譜も彼の仲介があったのではないかということだった。
梅蘭芳は日本に何度か公演に来ている。清方などもその美貌を絵に残している。
2009年に梅蘭芳の展覧会があったが、その時の感想はこちら
彼に魅せられた人は多かった。
小林一三も1924年の宝塚大劇場での公演は当然、戦後の1956年の公演を大阪・東京どちらも見に行ったそうだ。

発声の違いで色々な分類があるそうだ。
崑山腔は16世紀前半に江蘇から出て宮廷に入り、弋陽腔は17世紀に民間から出たが、やがて消滅し北京の京劇が残った。
ここにある瞼譜はいずれも崑山腔と弋陽腔。20点ばかりが並ぶ。凄い顔である。
鬼たちの顔の面白さはちょっとやそっとではない。しかしこれは笑わすためのものなのか、そうでないのかはわからない。



最後に正月のおめでたい「年画」が出てきた。
色んな小説から有名なシーンを抜き出して絵画化したもの。20世紀前半のものなのでけっこう丁寧に描かれているが、動きは少ない。
西遊記、三国志といった日本でも著名なものから向こうでの人気作も色々。

そういえばだいぶ前だが「變瞼」という映画があったことを思いだす。
そして「さらばわが愛 覇王別姫」での化粧した顔…
色々なことを思いだすと案外見ているのかもしれない。

しかし、全く見たこともない<内容>の展覧会でとても面白かった。
こんな展覧会は本当に新鮮でいい。
3/26まで。

実力の見えるコレクション展 その4 大阪市立美術館「硯箱の世界」「天神さま」

2017-03-17 23:59:00 | 展覧会
続き。

*硯箱の世界
一つのぞいてみんな蒔絵で装っている。
東アジアの文房具愛への深さに改めて感心する。
中国に由来を持つものと平安時代に生まれた美意識から来るものとが良い具合に並んでいた。

梅に鶯蛙蒔絵硯箱 姫路酒井家伝来 1合 室町時代 16世紀  下に池畔がある。梅に鶯だけでなくカエルまでいるところが可愛い。

南蛮人蒔絵硯箱 1合 江戸時代 17世紀 大阪府教育委員会  日傘をさしている。堺港辺りで見慣れた光景をモチーフにしたのだろうか。

月秋草犬蒔絵硯箱 1合 江戸時代 17世紀 本館蔵 カザールコレクション  銀の月と犬と。

錦木蒔絵硯箱 尾張徳川家伝来 1合 江戸時代 17世紀  この「錦木」は想い人にその気持ちを伝えるために家の前に立てられるもの。
しかし「錦木」には悲しい物語もある。

九曜紋筒井筒蒔絵硯箱 1合 江戸時代 18世紀 本館蔵 カザールコレクション  顔の見えない幼い子供ら。九曜紋といえば細川家もそう。

竹牡丹蒔絵硯箱 伊達侯爵家伝来 1合 江戸時代 18世紀  物語性はなさそうだが、「竹に雀」の紋所の伊達さんが持ってらした、というのが面白くもある。

猩々蒔絵硯箱 1合 室町時代 16世紀  留守文様。菊と流れと柄杓のみ。こういう留守文様というものには本当にシビレる。
本来の意味とは違うかもしれないが「秘すれば花」の意識とも通じているような気がする。

須磨住吉蒔絵文台・硯箱 「観松斎(花押)」銘 1具 江戸-明治時代 19世紀 本館蔵 カザールコレクション  この時代の凝りようも凄い。かなり繊細な拵えである。網代も表現されている。

流水萩蒔絵螺鈿文台・硯箱 1具 明治時代 19世紀 本館蔵 カザールコレクション  萩は螺鈿。文台は盛り上がる螺鈿。綺麗な蒔絵。

宇治川群螢蒔絵文台・硯箱 1具 明治時代 19世紀 本館蔵 カザールコレクション  もうびっくりするくらいのホタルの数。それを赤で表現し、しかも盛り上がる盛り上がる。これで字とか書けるのか文台。
  
和歌浦蒔絵文台・硯箱 初代山田常嘉、中院家伝来 1具 江戸時代 17世紀  思えば名所・和歌浦として、お江戸に六義園として再現されてもいるのだ。

寝殿蒔絵料紙箱・硯箱 1具 江戸時代 18世紀 本館蔵 カザールコレクション  室内のお琴がまたリアル。

蓬莱山蒔絵料紙箱・硯箱 初代飯塚桃葉、秋本子爵家伝来 1具 江戸時代 18世紀 本館蔵 カザールコレクション  鶴と亀のファミリーがいる。

六玉川一閑張料紙箱・硯箱 1具 江戸時代 18世紀 本館蔵 カザールコレクション  これのみ一閑張。

山水蒔絵硯箱 1合 江戸時代 17世紀 大阪・安福寺  尾張の徳川光友より安福寺に奉納されたそう。

竹橘椿蒔絵硯箱 1合 江戸時代 17-18世紀 本館蔵 カザールコレクション  椿がもっとあればなあ。

菊慈童蒔絵硯箱 1合 江戸時代 18世紀 本館蔵 カザールコレクション  こちらは菊を手にして座っている。朱唇。片方の手には筆。

扇面蒔絵螺鈿硯箱 1合 江戸時代 17-18世紀 本館蔵 田万コレクション  扇面ものと言うのは思えば複層だな。

許由巣父蒔絵硯箱 山本春正 1合 江戸時代 18-19世紀 本館蔵 カザールコレクション  牛がけっこうコワイ。主人の思想なんか知らんがな、水飲みたいのに、というのが顔に出てる。

橋姫蒔絵硯箱 1合 江戸時代 18-19世紀 本館蔵 カザールコレクション  薫君御一行が橋を渡る。川の中には蛇籠もあり、そのあたりで働く人もいる。
橋姫といえば、例のアタマに五徳つけて丑三つ詣りした女がこの辺りへ逃げてきて…だったかな。最後は「失せにけり」。

象蒔絵硯箱 「破笠製」銘 1合 江戸時代 18-19世紀 本館蔵 カザールコレクション  タイのかな、派手で可愛い。飾り付きでいいね。

最後は天神様の特集だった。
色んな天満宮からの所蔵品がある。菅生、佐太、和束、天満、そのあたりからの。そして束帯天神、渡唐天神、ザクロで火を噴いたり祟ったり…
美少年時代のもある。
室町時代の北野天神縁起絵巻も。落雷シーンと例の狂気になり半裸で走る女房とかね。
梅がたくさん咲いている。

ところで近衞信尹が「信伊」と表記されてたが、それは違う。

なんにせよ大阪市立美術館のコレクションの素晴らしさはもっともっと知られていいし、政財界こそ、もっと先人の輝かしい業績を知るべきだと思う。