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遊行七恵、道を尋ねて何かに出会う

「遊行七恵の日々是遊行」の姉妹編です。
こちらもよろしくお願いします。
ツイッターのまとめもこちらに集めます。

巨大ロボット群像展、描かれたロボットたちと対面する

2024-08-29 16:54:03 | 展覧会
京都文化博物館に巡回してきた巨大ロボット群像展に二度ばかり行った。
7/11と8/8である。
これ以前には横須賀美術館で開催されていて、行かれた方々の熱気と興奮を伝えられ、こちらもワクワクして待っていた。
ありがたいことに京都文化博物館は会員ならば何度でも見学鑑賞できるのでわたしは二度行けたのだ。
ちなみにこれまでの最高記録はゴールデンカムイ原画展で、7回観に行った。
なかなかそうはゆかないものの、それでもこうして楽しめてよかった。
この展覧会は基本的に撮影可能で不可は画像は挙げない。

開催の始まった2023年は、巨大ロボットアニメ「鉄人28号」放送から60周年という節目の年だったそうだ。
わたしは「鉄人28号」アニメは見ていないが歌は知っている。
こちら
歌詞の中で「敵に渡すな大事なリモコン」とあるように鉄人28号はリモコンで操作されるロボットなので、金田正太郎くんの手から悪人の手に落ちると、悪の手先として破壊の限りを尽くすことになる。
これはなかなか怖いことだ。
原作の横山光輝には他に巨大ロボットとして「ジャイアントロボ」、「バビル二世」のポセイドン、「マーズ」のロボットなどがあるが、ジャイアントロボもポセイドンも主人公の正義の少年とシンクロ・連動している。
鉄人28号はその意味でとても危ういのだが、このシステムは巡り巡って現代的でもある。
さてその鉄人28号からの展示である。

1963年版の斜め後ろに1980年版も佇む。
よく知らなかったが、鉄人28号は現代に至るまで何度もアニメ化されていて、63年に始まり80年、92年、04年、07年、13年と放送や上映があったそうである。
鉄人はアニメ化されたのが人気を博したが、実は1960年に実写化されている。
これは歴史としてわたしは知っているが、申し訳ないがどひゃーだった。

特撮はこの時代もっと技術が進んでいた筈なのになんでやねんと思うが、思えば丁度中途半端な時代だったのかもしれない。着ぐるみが鉄の感性を失わせたのか。

前述の「ジャイアントロボ」の特撮ドラマは1967年から68年に放送され、その後何度も再放送された。
わたしが最後に見たのは1972年だと思う。幼稚園児のわたしは最終回でU7大作少年が「ロボは必ず帰ってくるよ」と言ったので、それからずーーーーーーっとジャイアントロボの帰還を待ち続け、ロボが最終回でギロチン帝王と共に自爆したので帰ってこれない、ということを知ったのは2005年だった。
文字通り目の前が真っ暗になった。

鉄人28号の話に戻る。
1956年に月刊誌「少年」で連載が開始された。当時の団塊の世代の子供らが熱狂したのはリアルに知っている。
叔父やその周辺、また上司たちが皆「鉄人28号」が好きだったのである。
偶然かもしれないが「鉄腕アトム」より「鉄人28号」が好きだというのは男性が多い気がする。
この「少年」誌からピックアップしたアンソロジーが1989年頃に刊行されて「鉄人28号」は確か2巻だった。
手元にあるがあえて確認はしない。
そして「鉄人28号」のコミックスは様々な出版社から出ているが、ここで展示されているのは秋田書店の文庫本の原画である。担当したのは加藤直之氏である。










めちゃくちゃかっっっこいい。さすが加藤さんとしか言いようがない。

ところで「鉄人28号」は太平洋戦争の末期に日本軍が研究開発を重ねてプロトタイプも27号まで出来ていて、という設定だが、その意味ではあの特撮も確かに原作に沿っているのだなあ。
横山光輝がフランケンシュタインに影響を受けた話も以前から知っているが、以前に川崎市民ミュージアムでの展覧会などでも紹介されていたと思う。
その撮影スナップもある。これらはまたたいへん興味深い資料でもある。








これはアニメージュ1980年9月号。二度目のアニメ化の情報があるが、実はこの号のアニメージュにはわたしは個人的に深い思い入れがある。というのは人生で最初に買ったアニメージュがこの号だったのだ。


今調べたら前述の川崎市民ミュージアムの展覧会「横山光輝の世界」展は2006-2007年だった。
当時の感想はこちら


次は永井豪の生みだした巨大ロボット群像である。
まずは「マジンガーZ」
♪空にそびえるくろがねの城 スーパーロボットマジンガーZ
水木一郎のかっこいい歌声がすぐに蘇る。


数年前、永井豪は「激マン!」シリーズで自己の作品解説、連載状況などの裏話を含めた作品を世に出した。
わたしは連載を読んでいたが、「マジンガーZ」も「デビルマン」もあまりに面白すぎて、やはり天才永井豪の凄さに改めて仰天した。
そもそも「マジンガーZ」の偉いところは世界で最初にマンガで兵站の重要性を描いたところや、パイルダーオンというシステムを生み出したことだ。
科学者兜十蔵博士が無数の特許を持ち、それが資金となってマジンガーZを制作することが可能になった、光子力研究所もまた同じく彼が設立している。
その辺りの資料が展開されていた。






「乗りこむ」という発想はここからだ。




後付の武器にしてもかなり合理的な展開なので、当時はわからなかったが、これはリアリティを追求したのだと理解出来た。


富士の裾野、山梨側でしか採掘できないジャパニウムという合金、光子力、それから「キューティーハニー」の空中元素固定装置という発想も設定も素晴らしい。

アニメの方の光児くんはさやかちゃんとの口げんかもなかなか派手で、盗聴したあしゅら男爵が「なんという口の悪さ」と古代貴族だけに少年少女に対して幻滅するのも面白い。
マンガでは光児くんは案外紳士的なのも「激マン」で知った。顔の怖い十蔵お祖父さんは孫息子らに甘く、かれらの両親が亡き今は光児くんとその弟に丁寧にごはんを拵えている。こうしたところもよかった。顔が怖いのも実験の事故からである。そしてこの事故による酷い傷跡というのは彼の息子、そして孫にもつながるのだが、これはここでは記されない。

そうそう、永井豪キャラ総出演の漫画ゴラク版「バイオレンスジャック」ではマジンガーは黒人の空手の達人として登場する。彼は盲目となり、まだ小学生くらいの兜光児くんを肩車してその指示によって戦っていた。
あれを見た時、非常に巧い考えだなあと感心した。
つまり光児くんによる<操縦>なのだ。

続編の「グレンダイザー」は兜光児くんが脇役になったのが受け入れられず、わたしは見なかった。
後年デュークフリードと光児くんが公式でBL風味だったことを知った時には、見ておけばよかったとちょっとだけ悔いたが。

「鋼鉄ジーグ」はどういう事情かわたしは見なかった。ただし歌は知っている。

数年前にイタリア映画「皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ」という実写作品が色々と賞をもらっている。
イタリアでは妙に強かったりすると「おまえは鋼鉄ジーグかよ」と言うくらいに「鋼鉄ジーグ」は認識され、愛されているそうだ。
ハワイで「キカイダー」が道徳の手本とされたり、フィリピンで「ボルテスV」が人民の革命の力となったり、北欧で「銀牙」が愛されたりと、結構なことである。


合体ロボットの登場である。
「超電磁ロボ コンバトラーV」

わたしはこの辺りのいわゆる「ロボットプロレス」ものは本放送では見ていない。
ガンダムに夢中になった後、再放送や上映会などで見たり資料を探したのだ。
リアタイで見ていた同級生から話を聞いたりして、想像したなあ。
現代と違い当時は紙資料で往時を偲ぶのが関の山。
それだけに記憶力が強くなるのも当然だった。

敵の美形キャラはガルーダ。しかしこのガルーダは本人も知らぬこととはいえ量産型アンドロイドだったのだ。
母という存在からの指令を受けて地球征服に励む「息子」。
同時代の竹宮恵子「地球へ…」にもまたそうした「母なるもの」から支配される存在が現れる。





ここで横須賀美術館でスタジオぬえの宮武一貴氏が制作された巨大壁画を見る。




左がマジンガーZで右がライディーン。中央はこれはコンバトラーVか。ロケットパンチが飛んでますがなw

合体も順番によって得意技が変更と言うか形態も変更になるのが「ゲッターロボ」

わたしが見た石川賢の作画で三人…竜馬・隼人・武蔵が肩を組んで激しい内面を見せる様子を俯瞰する図は、とてもよかった。
わたしは今に至るまでロボットのプラモにはあんまり関心がないのだが、ゲッターロボは設定上つなげ方により形態が完全に変化するというのが面白く、これがそのまま三次元化していたらより面白いだろうとよく思った。
カラーも違うしね。

「勇者ライディーン」
後年「超者ライディーン」としてリメイクされたそうだが、そちらは知らない。
わたしはこの「ライディーン」はやはりリアタイでは見ていないが、それでも小学生の頃から主題歌は知っていたし、ライディーンの特徴的な顎などは見知っていた。
なので中学の時の社会科の女性教師のあだ名が「ライディーン」なのも納得がいった。
子門真人の歌も丁度この頃人気だった。
「およげたいやき君」「勇者ライディーン」「野生の証明」などがわたしが小学生の頃に流行っていた。


ライディーンの図解である。
「たちまちあふれる神秘の力」ということでフェードインして内部に入るのだが、やっぱり中はメカメカしている。
金ぴかのライディーン 静

矢をつがえるライディーン 動

表裏一体。
ところでわたしが中2の頃にYMOが大ヒットした。
特に「テクノポリス」と「ライディーン」は素晴らしい音楽で、シンセサイザーの驚異的な音の構成力には驚愕した。一つの音の背後に無数の別な音があり、ナノグラムなほどの細かい音の構成で一つの音が生きるというのは、想像もしたことがなかった。
あの凄い曲が実は細野さんの発案で「勇者ライディーン」から採られたことを知り、びっくりしたなあ。

ここでイギリスの傑作「サンダーバード」の紹介がある。

わたしなどは今もよくOPを脳内再生させているが、大好きな作品である。
スーパーマリオネット、偉大なる人形劇。

わたしは人生の最初に「新八犬伝」に夢中になったことを生涯の誇りに思っているが、人形劇は何故こんなにも面白いのだろう。文楽も好きだしベトナムの水上人形劇もミャンマーの「ヨウッテー・ポエー」も素晴らしい。
そして今のわたしは「PUIPUI モルカー」に夢中だ。

スタジオぬえの仕事の紹介がある。

やっぱりカッコいいよなあ。
こちらはアニメージュのふろく。わたしも持っている。


これまでと違うものが現れる。
宮崎駿のロボットである。

実物大だそう。そうなのか…
ルパン三世2の「さらば愛しきルパンよ」に出てくるロボット兵・ラムダ。
実は一度しか見ていない。資料を読んでいるのでストーリーなどは知っている。

これを見て思い出したことがある。
2012年に東京都現代美術館で庵野秀明監修の「特撮博物館」展に行った。
当時の感想はこちら
その展覧会の中で短編映画「巨神兵東京に現る」をみた。
映像作品への異様な興奮については前掲のブログに詳しく書いているが、それとは別にOPで製作者の名前が出る中に「巨神兵 宮崎駿」とあるのを見て、その場にいた多くの人は宮崎駿が巨神兵の着ぐるみを着て、東京のセットを壊して回るのか、と心配したのだ。
実際には単に巨神兵のデザインをしたという意味でのクレジットだったのだが、あれは庵野の引っ掛けだと思っている。

次にサンライズ作品が来た。
わたしがリアタイで見たサンライズ作品はボトムズ、ダグラム、ダンバイン、ザブングルそれからエルガイムである。前4作には今も非常に強い思い入れがある。
ダグラムは当時は地味でキャラも特に派手ではないのであまり面白くなかったのだが、自分が社会人になり、この世界の構造がわかってくるにつれ、ダグラムの面白さが沁みて来た。
とんでもなく面白い話なのだった。
ところでボトムズはストーリーも好きだがメカニックも非常に好きで、これは乗ってみたいとよく思った。





量産型と言うのがまたいいよなあ。
キリコとフィアナの恋がとても好きで、なので本編までしかわたしは見ないことにした。

こちらは以前みたボトムズの原画展の感想
装甲騎兵ボトムズを思い出す


巨大ロボット群像
そういえば「巨大ロボット」であることを明らかにしたのは
コンバトラーVのEDで「身長57体重550t」とザンボット3のOPで「正義の姿 巨大ロボット」というのがあるな。


さていよいよガンダムに来た。
以前見た「大河原邦男のメカデザイン ガンダム、ボトムズ、ダグラム」展も素晴らしいかったなあ。
当時の感想はこちら

ガンプラがある。

「モビルスーツ」という概念そのものが新しかったのだよね。
わたしはザクやズゴックも好きだったな。
ジオングの足がない状態のを整備士が「偉い人にはそれがわからんのです」というのが面白かったな。
あとララァの乗るエルメスが可愛かったが、それだけにシャアとアムロの間に入って切断された時はこちらまでが痛むような気がした。
悲痛なあのシーン…

セル画が出ていたがこれは複数枚で構成されているので、ピープショ―ぽい感じもある。











なるほど…

映画の「めぐりあい宇宙」でガンダムの頭部がなくなり、ライフルを発射するあのシーンは名シーンだが、つまり頭部は最重要ではない、ということがけっこうどきっとしたな。

実物大のガンダムを床面に展開している。

足である。






アタマの方へ回るとこんな感じ。

そういえば芝居の絵看板の鳥井派の初代は瓢箪型の体躯にナマズ足と言うスタイルを考案し、近くで見たらバランスが悪いが遠目からモノスゴクはっきりと役者絵が際立つというのを作り上げ、絵看板を独占したのだったなあ。

展示にはないがイデオンの有機的なスタイルもよかった。
イデオン自体も合体化するわけだが、これはイデの力が最優先されてたのだったかな。

エルガイム辺りからわたしはロボットアニメから離れてしまった。
最後に見たのはバイファムだったか。
しかしわたしがロボットから離れている間にも進化は続く。


ヱヴァンゲリヲンは太秦映画村ともコラボしてたのだったか。
わたしはパチンコもスロットもしないが、カヲル君の名台詞「音楽はいいね」のパロ「パチンコはいいね」の幟をみるためにパチンコ屋の前を歩くこともあった。

このあたりはわからない。




ジャイアントロボのアニメも知らなかった。
だから「帰ってきた」わけではないと思っている。




とてもたのしい展覧会だった。
なお音声ガイドはこのお二方。


京都での展示は終了したが、東京は池袋・サンシャインシティで12月から、愛知は来年2月から、福島は来夏の予定。

2012年から2021年までに逸翁美術館で見た三砂良哉の作品について

2024-08-29 13:52:11 | 展覧会
9月21日から逸翁美術館で開催予定の「漆芸礼讃―漆工・三砂良哉-」展で公式さんが「あまりに知られなさすぎる」と嘆いておられるのをみた。

やっぱり工芸作家の仕事は今の時代画像を挙げてお知らせするのがよいかと思う。
あまりに出しなさ過ぎた。
だから知られないままなのも仕方ないともいえる。

わたしはブログを検索し、いくつかの該当記事を見つけ出した。
年度とタイトル、当時の感想、そこに記した一文を別なカラーで挙げる。

2012年の「逸翁と茶会 茶会記をひもとく」
当時の感想はこちら

黒四方矢筈爪紅盆 三砂良哉 昭和の作。黒か青漆でまとめたものの縁に紅をさすのを「爪紅=つまぐれ」と呼ぶそうな。シャープでいて艶かしい拵えだった。


2014年の「花・はな・HANA」
当時の感想はこちら

百合螺鈿蒔絵中次 三砂良哉 1951年 キラキラ~~百合がきらめく。



2015年の「逸翁の審美眼」
当時の感想はこちら

黒地歌劇雛祭楽譜蒔絵棗
清盛塚松古材長茶器
スペイン青貝扇子親骨香合
いずれも昭和初期の制作



2018年の「百貨店で花開く ―阪急工美会と近代の美術家たち―」
当時の感想はこちら

逸翁が可愛がったのが三砂良哉。絵かきの須磨対山と友人のこの人は見事な蒔絵・螺鈿の作品を多く拵えた。
次々と逸翁の注文をうけ、自在に良品を拵えた。
光琳写し、宝塚歌劇の楽譜を文様にしたもの、勅題絵の盆、瓢を菓子器にしたり、キラキラの螺鈿も多く、魅力的。
逸翁のお気に入りのスペインの扇子が壊れたのを香合に作り替えたのもある。
他で見ないものがとても多くて面白かった。



2021年「花のある茶道具展をふりかえる」
当時の感想はこちら

桜雪吹蒔絵茶器 三砂良哉 昭和  逸翁は古いものばかりを大事にしたわけではなく、今出来のものも愛した。懐石に洋食やパンケーキを供したのもやっぱり逸翁の新しもの好きな面が出ているからなのだ。
表千家十二世惺斎好みというこの雪吹型(薄茶器の形の一)に桜吹雪、金銀入り乱れての美。小さな花弁が一枚一枚様子が違うのも楽しい。





これ以前にもみているはずだが、検索に引っかからなかったので、とりあえずここまで。
展覧会が楽しみです。

イスタンブールへ飛んでゆこう その4

2023-10-26 00:14:55 | 展覧会
前回予告で「次はハギア・ソフィアへ」と書いたが、実際にはトプカプ宮殿の後にトトメス三世のオベリスクを見たり、スルタン・アフメットモスク、いわゆるブルーモスクを見に行っている。
で、まずはそちらから。



そうそう、花壇の柵にもチューリップのモチーフが使われていた。



トルコは鋳鉄技術が優れてるのか、綺麗な鋳鉄装飾が多い。


ブルーモスクのアタマの部分。可愛い。

さて世界一綺麗といわれるモスクの中へ。
中庭のこれがまたきれい。


意味不明な位に天井を撮ってるよ。




  

 










何も言えない。すごいよね…
みっちりと装飾が…

外へ。
シンプルな細い塔があると思ったら、これが噂のトトメス三世のオベリスク


面により文字が違う。




奈良の大仏さん同様これも色々あって時代がちょっとずつ違うそうな。
台座


なんというか、いろいろあるわなとしか。




ブルーモスク近くのカフェでランチ。屋外だけど樹木の陰で涼しい。プラタナスかな。
店のメニュー表やちょっとした舞台装置にはコンヤのダンス図がある。

コンヤのかどうかは別として、このダンスを知ったのも青池保子さんの「エロイカより愛をこめて」から。

ドネルケバブ・サンドなどおいしかったわ。わたしは珍しくチキンにした。うむ、美味しい。

トルコはどこで何を食べてもおいしいです。ちょっととういうだいぶ油っぽかったけど、平気。
この店は珍しく瓶コーラだったので、全部はいらないが一口だけ欲しかったので024さんにもらった。
というのは「瓶コーラが一番おいしい」というのを思い出して、確認したかったのだ。
わたしはペットボトルのコーラを買って冷蔵庫に入れているので、多分美味しくない飲み方をしていると思う。
結果、美味しかったがもしかすると暑いので余計美味しさが増してるかもしれない。

あっ路面電車か。


こぢんまりした花壇の愛らしさ。




ハギア・ソフィア、アヤ・ソフィア。ギリシャ語読みかトルコ語読みかの違いだそうだけど、いにしえの関西人は「ハギア・ソフィア」と聞いて多分「はぎや整形」のあのCMを思い出すと思う。
淡々と「はぎや整形」と繰り返す言葉と共に白い波打ち際が写るあのCM。
いつまでしてたのかは知らんのですが、21世紀になってからは見てないなあ。

さてそのアヤ・ソフィアですが、キリスト教からイスラム教の聖堂に変遷し、更に長らく博物館として愛されてましたが、近年からはまたイスラム教のモスクに変わりました。
それで聖堂内の聖母子像とか覆われてしもたんですね。
今キリスト教で残ってるのはドームの隙間のセラフィム、出口の通路のところのキリスト像のみ。

迫るような感じ


靴を脱ぎ、中へ。






行きたいけれど無理だろうなあと思っていた地へ行けたのだから、それだけでも舞い上がるね。
舞い上がった身は天へ向かうのでなく天井にぶつかるのだけど、その天井がまた素晴らしいのがハギア・ソフィアの身上。
首が痛くなるほど見上げる、とよく言うけれど実際問題そこまで見上げんでも、視界いっぱいにモノスゴイ装飾が見えてるから、もうほんまにそれだけで十分。
とはいえ残念なのはキリスト教時代の聖母子像が見れないこと。見事に覆ってはりますわ。
これはもう政治問題がかかわるからどうにもなりません。
ただ、画像の良いのが残されているのが救い。巨大仏像を爆破しよるような国ではないことがありがたい。

ところでまた蒸し返すけど、わたし自身はアヤ・ソフィア派なのだが、今回のツアーの元締めの西洋美術史家のわれらが先生は「ハギア・ソフィア」派なので、今回わたしもそれに倣います。
賢い生徒。Apt Pupil これはスティーブン・キングの小説のタイトルですな。
99年にはイアン・マッケランとブレッド・レンフロ主演で「ゴールデンボーイ」として上映、わたしには非常に面白い作品でした。
そういえばジェダイの弟子もこれか。

残されたセラフィム



前にも書いたが、申し訳ない位わたしはトルコ語もアラビア語もわからない。一文字も読めないししゃべれない。
耳の遠さを理由にしてるけど、それ以上によその国の言語を習得する気力も能力も足りないんだろうなあ。
なので天井近くに鎮座するこれらの言葉は「言語」ではなく秀麗な装飾に見えてしまうのよ。
尤もアラビア語には装飾文字や書道もあるというので、ある意味間違いではない。
ただこれがアラビア語なのかトルコ語なのかすら判別がつかないが。

とりあえず見たもの・撮ったものを挙げます。























これだよ、この文字が全くわからないままに綺麗だとしか。







これは桟敷なのかな、天井桟敷?












いやもう本当に素晴らしい、すごい、うわーっという感じ。
それでもうちょっと前まで行ってみようと壇上に上がると、優しく「女性はごめんねダメなのよ」とおじさんが指示が出た。
優しい笑顔だけど、これはもう聞くしかないわな。
そしてちょっと離れた四角い枠内も何らかの聖域のようだけど、そこでは白人坊やが一人で走りまわっていた。


全体も美しく、細部も美しく、構成も美しく、佇まいも美しく。









やっぱりまた見渡すわけです。













天上の美が天井にあるのでクラクラし、お仲間の座り込むあたりへ戻ると、ふと視界の端に大理石のきらめきが。
いやもう要するにこの空間は大理石空間なのよ、すごいわ。
皆さんも暑い中、このひんやりに癒されてたなあ。

大理石の素晴らしさもネチネチ書きたいのだが、とにかくどこまでも大理石で、それにびっくりした。
思えば暑いこの国にひんやり大理石はあまりにぴったりではないか。
きっとそういう暑さを配慮して天地がそのように配分したのかもしれない。
ついでに言うと日本で大理石というと美濃赤坂の矢橋大理石がある。
ここの大邸宅は二度ばかり拝見させていただいた。
当時の記録はこちら
今はなかなか見学できないみたいねえ。

その大理石












もう本当に何が何だかわからない。








ようよう出ていくことにしたとき見上げると通路に…




とうとう見たのだなあ、アヤ・ソフィア、ハギア・ソフィアを。
感銘深いわ。









ツアーメンバーの最年少がわたしと言う段階でこのツアーが体力保存にも力を入れているのがよくわかる。
早い時間に切り上げて、われらがバスはホテルへ向かう。
それで不満かと言うと全然違う。これでいいのだとバカボンのパパ的発言が出るぜ。
というわけで、いいコンコロモチでホテル近くのスーパーで飲み物とかフルーツとか購入。
今夜は女子会なのさ。ホテル近所のお総菜屋さんに買い出しに行く人もいて、参加者6名。
われわれは10人グループで、二組ご夫婦参加なのよ。

晩御飯のお惣菜、おいしかったわ。これは普通のおかずなのだが、いいもんだなあ。
桃もきれいにカットしてくれる人もあり、機嫌よく飲み食いしたが、もう殆ど山賊の宴やん。
わははははは。
なんと恐ろしや。大トラ風なわたしが実は下戸で唯一ジュース飲みなのはいちばんやばいじゃねえか。
皆さん鯨飲してはるよ。

というわけで続く。

ひんやりしたところで寝そべる猫

「桜男 笹部新太郎を育てた文化」展をみた

2023-03-12 01:10:42 | 展覧会
白鹿記念酒造博物館へ行った。
今回は三つの展覧会が開催されている。
・桜男 笹部新太郎を育てた文化
・変化する酒蔵建築
・節句の人形 京(みやこ)の五節句
この三つである。
前後期に分かれていて、わたしが行ったのは後期最後の前日で、前期の「めでたい浮世絵」は見なかった。

桜男 笹部新太郎を育てた文化
この展覧会のことから記したい。

笹部新太郎は大阪の堂島の大地主の息子に生まれた。
1887年だから大阪では折口信夫、小出楢重、他地域では小村雪岱、山本有三など錚々たる綺羅星と同い年である。
笹部の生まれた頃の堂島は今よりもっと広範囲の地域と捉えなくてはならない。
つまり現在の北新地の堂島で生まれたそうだ。
確かに堂島と言えば堂島なのだが、今の感覚の堂島とは少し違うのだ。
明治20年代の堂島は米相場で盛り上がりを見せていた。
相場師が大車輪で活躍し、とにかく「相手に負けたらあかん」という気概があったそうで、そうした気質を幼い頃から笹部新太郎は目の当たりにして来たらしい。
大阪弁で言うところの「ええしのぼんぼん」たる笹部新太郎は幼くして母を失い、20代初めには「堂島の丸焼け」で実家が燃えてしまった。
総領の兄が面倒を見ていたのか、その兄も早くに亡くなり、笹部新太郎が家督と大財産を継いだ。

カネはあるに越したことはないが、笹部新太郎は所謂「活きた金遣い」をした。
桜に魅せられたかれは生涯にわたって日本古来の山桜・里桜の保護育成を続け、造幣局の通り抜けの桜も、樹齢約450年の荘川桜の移植も指導し、武田尾に桜の保護地区として「亦楽山荘」を拵えて、そこで多くの桜を育て、守った。そこは今では公開されている。なお白鹿のサイトにも探訪記がある。こちら

自らを「桜男」と称したかれに惹かれた人も数多い。
自伝「桜男行状」が世に出たことから文壇との付き合いも生まれ、小林秀雄、白洲正子、水上勉らと一緒に写した写真もこの展覧会に出ている。

水上勉はその桜男をモデルに「桜守」を書き、これがベストセラーとなった。
また笹部新太郎は大正十年頃に大阪の名士らしく大阪倶楽部に入り、そこでも多くの人と交友した。
写真を見ると、日本画家で「浪速御民」を称した菅楯彦と機嫌よく笑う写真がいくつかあった。
かれらは昭和26年に同時に大阪市民文化賞を受賞したそうな。

この世代のことをわたしは「綺羅星」だと記したが、実際1887年前後に生まれて名を成した者は現代にもその名を残し業績を残し、死後も讃えられているように思う。
時が過ぎてかれらの名を知らぬ人々が現れても、それでも耀きは消えることはない。

さて笹部新太郎の年譜を見ると本当に若いうちから桜好きなのがわかる。
またそれだけでなく、生まれ育った堂島の地に生きる文化を多く吸収している。
笹部新太郎自身が大阪倶楽部での講演会でその辺りのことを詳しく話し、それが文字に書き起こされていて、ここで紹介されているので、今回興味深く読んだ。
それは堂島追想・追懐といった内容である。昭和33年の講演。

・桜橋に福井座という芝居小屋があり、二流の小屋ではあるが嵐佳笑という「いつまでたっても」綺麗な男がいて、多くの女客が押し寄せた。この一座には曾我廼家五郎も参加していた。

・大毎のところに藤井座と言う寄席があり、ここでは講談も聞けた。旭堂南陵が小南陵の時代から出ていた。
(大毎とは大阪毎日新聞の本社のことであり、現在は北館跡に堂島アバンザが、南館はホテルと堂島プラザビルがその跡に建つ。笹部の講演のあった年に南館に毎日ホールと大毎地下劇場が落成した。その二年前には北館に毎日文化ホールが落成。大毎地下劇場は二本立ての名画座。1993年3月末に閉鎖、毎日ホールは芝居、講演会、試写会など開催。その意味では藤井座の後継の地という血脈があるのかもしれない)

・梅田新道を西に入って見えるのが永楽館。よい寄席で、贅沢な内装だった。
初代春団治も機嫌よく高座に上がっていた。森繁久弥が映画で演じたような気難しい男ではなく、会うとよく喋った。

講演で挙げた三つの小屋の位置特定をした地図があるが、三つ目の永楽館だけははっきりしないらしい。お初天神の方のようだが。

笹部新太郎の残した資料や関わった資料を見ていると、この人は本当に世話好きと言うか、自分から動く人だというのがよくわかる。
造幣局の桜の通り抜けもそうだが、ちょっとした何かの世話役もするが、いずれも名のみではなく実際に行動している。
しかもそれで実績を残しているのだから、とても信頼が出来る。
後世の、何のゆかりもない第三者のわたしのような者でさえそう思うのだから、リアルに接していた人からすれば、頼りがいがあったろうなあ。
ただの夢みるぼんぼんでないところがまたよろしい。
きちんと利が出て、理が通っている。そうでないとあかんのです。

多くの人との交友をみる。
・寄席の年賀状や暑中見舞いが並ぶが、おばけが飛び出る仕掛けものは楽しかった。
・笹部新太郎本人の年賀状は毎年版画制作に励んでいたようで、そのハンコが並んでいた。
干支の動物を描きこむもの。
・大阪倶楽部の人々との記念撮影 
中でも仲良しの菅楯彦との写真がいい感じ。菅楯彦は四天王寺との関係が深く、おうちでは天神祭もしてはるので、神主さんみたいなかっこで写っている。いわゆる「うちの天神様」。
菅楯彦の描いた桜の一部


木谷蓬吟編集の「大近松全集」には多くの日本画家による一枚絵の版画がついている。
今回は七点並んでいた。チラシにはその一部分がいくつか載る。
野田九甫「毛剃」船乗りなので海上にいる。
富田渓仙「文覚」これはほぼ全景だな。滝に打たれて修業していた文覚の熱心さに不動明王と童子たちが現れたところ。

前期に出たらしき北野恒富「梅川」もある。

上村松園さんの雪女もある。
島成園の紫鉢巻の立兵庫は「夕霧」。
この大近松の版画については以前に近松研究所のある園田学園女子大の展覧会の感想で細かく書いている。
こちら

おお、加賀正太郎の「蘭花譜」も並んでいた。大山崎山荘の加賀正太郎。

かれは桜ではなく蘭愛好者で、その為にあの大山崎に山荘を建てて蘭栽培をしたのだ。2007年に大山崎山荘で絵を見ている。
その加賀の大山崎山荘から向こうを見た図絵もある。チラシにも一部出ているので挙げよう。



それにしても、花好きな人は少なくない。
菊好きな人、五月・躑躅に懸命な人、月下美人を待つ人、いろいろ。
そう言えば清岡卓行には「薔薇ぐるい」という作品があったな。
ところで今回初めて知ったのだが、笹部新太郎の接ぎ木する用のお道具は名工・千代鶴是秀の切出刀なのだった。
時代的にそうだわなあ。2015年に竹中大工道具館で展示があったのだが、その時に限って見に行ってないのだ。

チラシの笹部新太郎の肩の辺りに「浪花方言(上方なまり言葉)大番附」なるものがみえる。
これは他に京都編もあって比較するのも面白かった。
だいぶ失われた言葉も多いが、それでも今も活きてる言葉もある。
「ええし」は今も使うが「だいなしや」って大阪弁なのか!
色々と面白かった。これは杉本宇造という人の出したもの。杉本書店。

ちょっと調べたら「浪花風俗図絵」正続本とか色々出してはるね。
それでなまりシリーズがある。
浪花、紀州、大和、兵庫、京、岡山と言う順で刊行している。
昭和32年から。
こういうのを調べ出すと時間がいくらでも必要になるのでここらへんで止めよう。
そうそう、チラシ左上の「紅葉を訪ねて」はよく見るとふざけた内容でなかなか楽しい。

これやもん。

ところで菅楯彦との交友の他にその菅の女弟子の生田花朝とも交友があった。
こちらは花朝の父の生田南水からのつきあいでもある。
花朝の手紙が紹介されていた。おお、サインは「生田花朝女」だ。わたしはこちらのサインを先に見知っていたので、ずーっと「生田花朝女」というのが正確な雅名だと思っているのだが、「大阪の日本画」展では「花朝」と表記しているので最近はそれに倣っていたが、やっぱり本人がサインに入れてるから「女」をつけるべきか。
それともこれは加賀の千代女と同じものなのか。

生田南水も粋(すい)な人で、俳画を以前に大阪歴博で見ているが、ここでも色んな芸人の様子を描いた絵巻などがある。よう考えたら5年ぶりか、見るの。
当時の感想はこちら「ほのぼの俳画、生田南水」と大坂画壇の絵など。
因みにわたしが最初に生田南水の絵を見たのは2013年が最初らしい。
くらしの今昔館の「なにわユーモア画譜」展の感想に記していた。


大阪にはやはりこうした豊かな文化的土壌を享受して育った才人が多い。
今の大阪ではなく、昭和までの話だが。
最後の粋人は肥田晧三さんだが、近年亡くなられたなあ…
INAXギャラリーでええ展覧会があったのはまことによかった。

本当によい展示を見せてもらえました。

さて二つ目に見たのは丸平の節句人形を中心とした展示。

こちらだけでなく、阪神間では旧山邑邸にもあるし、奈良の寧楽美術館では曲水の宴を人形で再現していた。
東京の三井記念美術館では三井各家の歴代の大木平蔵の人形があった。
このチラシの五節句官女は七世大木平蔵の制作で、今回の展覧会のために京都の丸平文庫から出てこられたそうな。
絵の方は上村松園、中島来章、植中直斎、猪飼嘯谷らの節句絵が並ぶ。
直斎の「秀吉の瓢」は2015年にこちらの「関西の彩り 近代日本画を中心として 」展で見ていた
その時にも大近松の版画を見ている。
松園さん以外はもう殆ど忘れ去られた画家たちなのが淋しい。
復活してほしいものだが…

平田陽光の昭和初期の人形の周囲に現代作家・崎山智水のうさぎたちを配するのはいいと思った。
平田陽光は平田郷陽の弟。
以前、郷陽のいちまさんと崎山のうさぎの共演が三井記念美術館であった。

なお三つ目の「変化する酒蔵建築」展は別稿で挙げる。
いずれも既に終了。

麗しいほとけと仏教工芸-中国・朝鮮・日本の仏教美術-をみる

2023-01-19 02:33:25 | 展覧会
大和文華館の2023年初の展覧会に行く。
題して「麗しいほとけと仏教工芸-中国・朝鮮・日本の仏教美術-」展である。
特に意図したわけではないが、初日の開館直後に展覧会を見た。


この大和文華館の展示の構造を御存じの方にはわたしが何を言ってるのかわかってもらえると思うが、ここはいつも展示室に入るやすぐに、三つ並ぶガラスケースが出迎えてくれる。
わたしたちはまずその独立した三つのケースを眺めることから始める。
今回はそこに様子の異なる仏像が配置されていた。
それを眺めるのだが、ただ眺めるだけでなく、むしろ向き合うという感覚があった。
ニーチェの言葉ではないが、向こうもこっちを見ているのだ。
そのことを実感する。

左から右へ順に
石造如来坐像 朝鮮・高麗 高23.1
金銅十一面観音懸仏 個人蔵 日本・平安 径32.8
金銅如来坐像 庚□銘 中国・北魏 高12.7

左は高麗の石像はその前代の統一新羅の石造の影響下にあったそう。滑石製で丸顔の佛。のっそりしている。
中は平安時代に流行した懸仏だが、これは中央の観音の像をそのまま貼り付けましたと言う状況で、顔は大変長めで彫もとても濃やか。一見墨書きに見えるくらいの文様も彫ったもの。

右は北魏の特徴を備えた小さな如来像には金がよく残っていた。足下の二人の供養者の姿もはっきりしている。
「庚□銘」の年号銘文は480年か490年からしい。後ろにも回るとくっきりと仏が浮かんでいる。



Ⅰ 麗しい仏の姿 インドからの東漸
この「東漸」という言葉は仏教東漸という単語くらいにしか使われていないように思う。
東へ進むのだ、新しい宗教は。

石造二仏・供養者像 スワート出土パキスタン・2-3世紀 高32.0 幅40.0
中央に二仏と右にギリシャ風の女人二人、左にパルティア風男性、背後に僧侶二人という構成。そしてこの二仏は釈迦と多宝かと思いきや、どうやら釈迦と過去仏または未来仏という設定らしい。
文化の多様性を感じさせるキャラ達。

石造釈迦如来坐像 延興2年(472)銘 中国・北魏 高33.5 幅24.5
チラシ表のにこにこする丸顔仏像。幅の関係で全体は出ていないが、左右の脇侍の手が大変くっきりと刻まれている。それぞれ何やら器らしきものを捧げている。
台座には二人の人物か仏関係、そしてその左右に二足龍のようなものがいる。

解説を読むと、北魏の文成帝は、太武帝が446-452年の間に仏教弾圧したのに対し、滅罪のために仏教を手厚く保護したそうだ。それで雲崗石窟寺院の建造を始めた。
大きな反動である。弾圧の次に今も残る雲崗石窟寺院を拵え、更にその後の孝文帝は龍門石窟を拵えた。
北魏の時代にこうした大事件と文化的な大変換があったのだ。
まだまだ学ぶことは多いなあ。

石造二仏並坐像 孝昌2年(526)銘 中国・北魏 高33.8

とても仲良しな感じがする。胸元のリボンもいい。アクティブな雰囲気。
ところでこの背後にはシッダルタの城を出るシーンが刻まれている。三日月の下、御者も馬も伏して泣く。

石造仏頭 大同出土 中国・北魏 高27.8
ぱっと見て『能見投手やん』と思った。いやほんまにそういうお顔。大同出土とあるがこれも実は雲崗のらしい。

石造如来立像 中国・北魏 高114.0
三つのガラスケースの右の背後、パティオの竹林の前に佇む配置。一目見てこれまた『しりあがり寿の作画かな』と思うような顔立ち。龍門石窟から剥ぎ取られてきたそうで、光背ではなく壁面がついている。
「僧祇支」の襟のリボンが大きい。挙げられた手を見ると親指と人差し指の間に立派な水かきがあった。

石造浮彫飛天像 龍門出土 中国・北魏 高43.0 幅28.0
車輪の上にいる飛天の身の8割が乗りだしている造形で、とてもスピーディーな感じがある。顔も全面ではなく大体出ているところがいい。全体像は欠落しているが、この部分だけというのもいいものだ。

石造四面仏 中国・北周末-隋初 高38.5
これは龕四面にそれぞれ仏たちがいるのだが、その囲いの上にも立体的な装飾がついていて、これがビザンチンの王冠のようにも見える。エキゾチックな美がある。

石造四面仏 中国・北斉 高12.4 幅8.7
黄華石という石で出来ているのだが、セイロンカレーのような黄色みがある。

石造道教三尊像 大唐開元13年(725)銘 中国・唐 高33.7 幅20.0
道教を保護した玄宗皇帝の頃のもの。老子が中央にいる。・・・そうか、楊貴妃も女道士になっていたものなあ。

塼仏をみる。
如来形塼仏 中国・隋-唐 高9.5 幅6.5 千体仏の一部で20仏がここにある。
如来形独尊塼仏2点 中国・唐 高4.8 幅3.7高4.9 幅3.8  小さい。

金銅楊柳観音立像 中国・唐 高14.3  隙間と言うかそれがたいへん綺麗。細身の美。

金銅如意輪観音像 中国・唐末期 高10.7

肘などが黒光りしていた。手首から先がない手がいくつも。

金銅板仏 中国・遼 高14.0 幅10.2  
上部にシビがついている。本体には30尊。中央に別に一。

木造釈迦如来立像 中国・唐末期あるいは遼 高42.0
これはもう完全に淡谷のり子オンステージ。物凄くよく似ている。歌声が聴こえてきそうだ。
両手首先がないが、片腕を挙げて歌っているに違いない。
木造とあるが、実は胸元などは乾漆で作られているそうな。白毫の所が欠落している。なにか石でも嵌めていたのかもしれない。

刺繡如来像 中国・明 10.5×9.0  結びが表に出るようにした「相良縫い」という手法だそう。
と言われてもわたしではよくわからんので帰宅後に画像を色々見てなんとなく納得した。
なるほど螺髪にぴったり。

ここからは古代朝鮮。

金銅薬師如来立像 朝鮮・三国(新羅) 高12.8   丸顔の可愛い如来。

金銅如来立像 朝鮮・統一新羅 総高 12.2  両肩を覆う通肩衣。これが流行った時代。 7世紀後半。

金銅飛天形飾金具 朝鮮・統一新羅 高9.2  鳳凰に乗る飛天。とても薄い。

飛天文軒平瓦断片2点 慶州・興輪寺、普門寺出土 朝鮮・統一新羅 長14.3 11.6
統一新羅時代が朝鮮における石造の頂点を極めた時代だったそうだ。
なるほど、この二種の瓦に浮かぶ飛天はそれぞれがとても綺麗だ。
興輪寺のは雲の上にいるようだし、普門寺のは横向きの姿で、「三人吉三」のお嬢吉三の隠れた飛天の羽目板を思い出した。

金の煌めく経巻が出た。
大方広仏華厳経2冊(巻第三十五、三十六) 紺紙金泥著色 朝鮮・高麗後期 各帖31.0×11.0
これはもう何度も観ているが、見返りのところに仏の世界が描かれていて、とても綺麗。
この作品についてはこちらに多少詳しく記している。

日本へやっと来た。
日本への伝来と求法

如来形三尊塼仏 奈良県・伝橘寺出土 日本・奈良前期 高9.3 幅9.6 厚1.3
赤茶けているのはこれは・・・埋もれていたのだろうか。

三尊塼仏・三尊塼仏断片 大阪府・太平寺、西琳寺出土2点 日本・奈良前期 高11.0 幅8.5高6.7 幅5.6
太平寺は堺にある行基菩薩の創建。西琳寺は西(=かわち)文氏の氏寺。王仁氏の末裔。こちらは羽曳野。
その二つはほぼ同じ図様なのだが、どちらもなんというかSF小説のイラストのような趣がある。
しゅっとしたプロポーションのドレスの女性像が幾何学文様と共に並ぶ・・・こういうのが結構好きなのだ。

上代裂帖 日本・飛鳥-奈良 31.0×21.5
法隆寺から出たものを集めている。髪の辺りの刺繍は解けてしまったが、丸顔の愛らしい飛天がこちらを向いている。なんでも初代館長の矢代幸雄はこの飛天を「愛くるしい」といってお気に入りだったそうだ。

そういえば白鶴美術館にある法隆寺伝来の幡の飛天も、東博の法隆寺館の飛天たちもみんなけっこう眉がしっかりしている。目もはっきり開いている。白鳳時代はぱっちりした目が好まれていたと思っていいのだろうか。
平安時代とは全く違う顔立ち。

一字一仏瓦経法華経観世音菩薩普門品第二十五 兵庫県・楽音寺出土 日本・平安後期 高17.8 幅17.2
『粘土やな』という実感が強い。15の仏の胸元に一字ずつ漢字が浮いている。

木造菩薩立像 伝興福寺千体仏の一 日本・平安中期後期 高38.3
両腕は肩から完全に失われている。後に腕を取り付けたらしくほぞもあるが、しかしそれもまた失われている。

仏画が集まる。

刺繡五髻文殊菩薩像 日本・鎌倉 40.2×24.8
左から右へ向かう。この動きは信貴山縁起絵巻の剣の護法童子と一緒。獅子が勇壮にガオーっと首だけ後ろに向けて吠える。
文珠少年は頭上に5つの小さい髷を載せている。

画帖や一枚物の肖像を集めた絵巻は分割されやすい。
佐竹本とかね。ここにある金胎仏画帖もそう。
紙本著色 日本・平安後期 各25.3×14.0
大和文華館には12図があるが、並び方が原本とは違うらしい。よそ様のも一図あり。いずれもカラフル。
モノクロの参考物件が展示されていた。


Ⅱ きらびやかな仏教工芸―荘厳具と法具、梵音具、僧具
仏教工芸というのも興味深い分野だと常々思っている。
これは仏教だけではなく、宗教全般に言えることかもしれない。
以前、鍍金の小さな法具を見たが、それとほぼ同じ形のものをキリスト教の遺物として映画で使われているのを見た。
「さまよえる人々」というオランダ映画で、プロテスタントとカトリックの紛争時期を背景にしたオランダでの不思議な物語。
共通する形というものは、そこに人々の共感があるから生まれるのかもしれない。
無意識の、というものよりも。

金銅龍頭特別出陳 個人蔵 中国・唐 高39.0
結構首が長い。その首が実は把持部分かもしれない。なかなか猛々しい顔をしている。龍というよりラドンに似ていないか。いやあれも龍の一種か。三つ首翼竜とでもいうべき怪獣。

金銅製合子・銀製合子 朝鮮・統一新羅 高3.0 径5.1 高3.5 径6.1
ああやはり銀は真っ黒黒になっているね。

金銅経筒 朝鮮・統一新羅―高麗 高15.5
細いわ。だからか実はシャリ器かもしれないのか。

羅漢図 五百羅漢のひとつ 乙未(1235)七月銘 絹本墨画淡彩 朝鮮・高麗 57.8×39.6
これ実は蒙古襲来に対し、羅漢図を描いて敵のメッサツを祈願しているわけです。この年と翌年の国家的事業。

銅製銀象嵌柳水禽文浄瓶 朝鮮・高麗 高27.0 胴径12.7
これも以前から好きな一品。本当に黒地になっているのだけど、その分象嵌された線描がくっきり。
鷺などが楽しげに静かに遊ぶ様子がいい。こういう高麗の美意識がとても好き。

銅製五鈷鈴 朝鮮・高麗 高17.5 径5.6
チラシ表の左のあれ。ベルですな。

太政官符案 延暦廿四年(805)九月十一日 紙本墨書日本・平安 30.3×24.2
この公文書の内容、何かと言うと空海の身分証明書。讃岐の国の真魚と本名も記されている。
774年生まれだから満31歳か。で、この書類が「空海」の名が初めて公式に現れたものだそう。

常暁請来目録 紙本墨書 日本・平安後期 29.5×401.7
これは常暁と言う僧侶が入唐して「これだけのことしましたよ、みてみて」というもの。つまりたった一年しか向こうにいられなくて、それで軽視されては困るのでこれでもかと内容を・・・盛ってるのかどうかはわたしは知らんわ。
いろいろ大変やってんなあ…
ちょっと違うけど、例の「蒙古襲来図」のあれかて鎌倉殿に「いかに自分がよく働いたか」を証明するための絵巻なんよね。あれもこれも国宝です。

両部別録 紙本墨書 日本・平安後期 27.2×542.3
こちらは持ち帰り現物の目録

金銅舎利容器 個人蔵 日本・鎌倉 高13.0
元は有馬の温泉寺からのもの。筒内ガラスが3スペースに分かれている。

金銅蓮弁飾火舎 個人蔵 日本・鎌倉 総高8.0 径8.3
なんだか「えへん」といいそうな、チビの癖にエラそう、みたいな。かわいいやつめ。

以下、仏具であり武器であるものたち。
金銅宝珠杵 個人蔵 日本・鎌倉 長14.5
柄の中央の鬼目が盛り上がる。そっとわたしは「虚哭神去」を想ったわ…

金銅羯磨及び台 日本・鎌倉 (羯磨) 幅12.1 (台) 高1.5 径12.6
金銅五鈷五種子鈴 日本・鎌倉 高17.5 底径7.6
金銅輪宝 日本・鎌倉 径18.6
みんな「武器」なんよなあ。で、わたしは荻野真「孔雀王」を思い出したよ。それも孔雀がインドラの力を招来するシーン。あの辺りの話の盛り上がりは今思い出してもカッコよかったなあ。

鳥文磬 個人蔵 日本・平安 幅15.8
植物を中心に左右に鳥が佇む。平穏な図柄

金銅柄香炉 個人蔵 日本・鎌倉 長37.0 火炉口径9.9
チラシ表の右。可愛い獅子が乗る。

元は名古屋の近藤友右衛門旧蔵品。この人についてはこちらで調べた。

銅板地螺鈿花鳥文説相箱 日本・平安 高7.0×30.0×26.0

前々からこの縁周りにいる文鳥たちのくりくりした目の可愛さにををとなっている。

木地銀蒔絵禅機図経箱 日本・室町 高28.8×31.5×41.0
禅機図だから例のいらんことしいの南泉の図とかもあるわけさ。このおっさんだけはほんまにしばいたろかと思うね。

造東大寺勧進栄西書状 石津浦地頭宛 三月十六日 紙本墨書 日本・鎌倉 27.5×52.3
何年か前に東博で栄西(そのときにヨウサイと音の違いを明らかにしてたな)の展覧会があったが、これが出てたかな・・・ちょっと思い出せない。

最後は漆器。
根来塗茶入 日本・室町 高5.7 径7.2  上が黒で下が朱とセパレート。
根来塗茶杓 日本・室町 長21.4   縦筋3本ながれる。
堆朱入子輪形香合 中国・明 高3.3 径6.9   やはり明代の技巧の凝ったものはいいな。
堆黒屈輪盆 中国・明 高3.7 径19.3  ぐりぐり
堆青屈輪盆 中国・明 高3.6 径33.0  いや、青には見えないな。赤茶に近くないか。


珍しく初日に出かけ、一週間以内に感想を挙げれた。
今年は何とかこれくらいのペースでやっていきたいな。

展覧会は2/19まで。今は寒椿と山茶花が盛りです。