goo blog サービス終了のお知らせ 

遊行七恵、道を尋ねて何かに出会う

「遊行七恵の日々是遊行」の姉妹編です。
こちらもよろしくお願いします。
ツイッターのまとめもこちらに集めます。

イケフェス2022、開催ありがとう 1日目

2022-11-04 22:34:57 | 近代建築
久しぶりのイケフェス開催、本当に嬉しい。
コロナへの警戒は忘れぬようにしつつ、建物公開のイベントに参加しました。
今回はなるべく普段から行かない所へゆく、というのを自分向けの目標に設定。
なお個々の撮影したものはまた別項でまとめるとして、この記事は二日間のイケフェス開催中にわたしが何を見たか・何をしていたかの記録です。
まあ例によって漫遊とハイカイなのだけど、時間制限がある中での行動なので案外よく動いています。


で、早速初日からやらかしたのよね。
というのはわたしは遠足前夜に寝れない子供がそのままムダに歳だけ取りましたの人なので、なかなか眠れず。
家事片付けもあふれてきて、結局寝たのは五時前。それで起床が八時だからやっぱり人間三時間は寝てしまうなあ。
マヅラでモーニングの夢も破れ、結局10時に淀屋橋に到着。
土佐堀通りを歩きだすと早速現れたのが浦辺設計。
浦辺鎮太郎に始まる設計会社。

ビルの四階に上がる。
主に倉敷の街づくりに関わったことを教わる。
つまりアイビースクエアとか印象的な建物が創業者・浦辺鎮太郎によって設計されたことを知る。
アイビースクエアはわたしも何年前か宿泊したが、のんびりしたいい心持でいられる場所で、倉敷の良さも味わえて、とてもよかった。全体が可愛くてね。
その浦辺の大阪の本社がこちら。
若き浦辺の卒制のトーキースタジオの図版を見せてもらう。
よいねえ。

時代から考えると、トーキー新時代の頃なんだな。
映画がワクワクドキドキの時代。

あっこれは!と思ったのが本棚。かっこええわ。
家具屋さんとのコラボだということだけど、この発想はなかったなあ。

耐久性は考えないとダメだけど、憧れるね。


そのまま土佐堀通りを行く。
イケフェス初参加の光世証券へ。
ここはもう随分昔から憧れてたのよ。
今出来なのに中世の趣がある、魅力的な荘厳さ。
入ってビックリ五代友厚像。
あら中村晋也の制作か。
なるほどなるほど。
中村の回顧展は90年代に大丸心斎橋で開催され、アグレッシブな奔馬の像が今も忘れられない。


ロビーから二階へ向かう階段も、二階の内装も、何もかもが豪奢でしたわ。
綺麗だったなあ。


そしてここは土佐堀川に面して建つので眺望がすばらしい。

ときめいたわー

そのまま土佐堀通りをゆく。ライオン像、大阪証券取引所と五代さんの立像を遠望。
北浜レトロの可愛い建物を横目に、今では人気のカレー屋さんになった北浜長屋へ。
中之島の美観は永続してほしい…

堺筋に到着。
三井住友銀行天満橋支店(あるのは北浜なのだがそういう名称なのだ。天満橋の方にこの銀行があるのかないのかは知らない)

外観を飾る列柱。こちらはイオニア式だが、内部はまた異なる。この荘厳な美というのも今の世では再現できないだろうな。こちらの柱は大理石。ああ、まことに素晴らしい。

次は東畑建築事務所。
ここも毎回来訪するのが楽しみなところ。
あの建物もあれもこれも、と発見がありいつも感銘を受ける。
そして二階の清林文庫が本当に凄い。
撮影禁止なので挙げないが、今回は地図。プロレマイオス、メルカトル、そして伊能忠敬、更には時代が下がって楽しいガイドブックの名所図や境内図などもある。
閉架図書をみると大塩平八郎の後の焼け野原になった大阪の様子を描いた地図まである…

シビレますわ。

平野町の小川香料へ。
ここも湯木美術館に行く度じぃーと見つめていたが、ついに一階がオープン。参加者たちの行列。


一時前になったので、一旦船場を離脱。
これまた参加してくれた大成閣に中華料理を食べに行く。

鰻谷やんか…今まで知らなかったのが申し訳ない。
美味しいわ。人気のお店らしくお客がドンドンくる。
これはよいなあ。次も行こう。
食べ終わってから見学と撮影。

ここはご厚意でどこなと好きなようにご覧ください、撮影どーぞどーぞというありがたさに乗ってしまい、撮り倒してしまった。
いやもうホンマにありがとうございます。
で、まとめるのにやっぱり凄く時間がかかるので、とりあえず絨毯を。


畳廊下が真っすぐでなく曲がって作られているのは魔除けの意図かなと思っているが、その答えもいつか出るかもしれない。

さて表に出るとすぐ先が大丸心斎橋、つまりここは鰻谷やないですか。
わたしは二十代の頃よくこの辺りの和風三階建てのお店で友人らとご飯食べてましたわ。
懐かしい…


案外変わってないなあ。


そこから近くの大阪農林会館へ。
ここはもうファッションビルとしてとてもおしゃれなお店がいっぱい入っているので、もっちゃりしているわたしのようなセンス無しの者には、こういう機会以外は到底立入禁止的な場所なのよね。
まあ今はそんなこともないんだろうけど、いちばんファッションセンスが磨かれるべき筈の二十代の頃にはまだまだわたしのような大柄な婦人は排除されてたのよな。
この記事の内容とは無関係ながら書いてしまうけど、あの当時170cm以上の婦人には「おまえらに着るものなんかあるか」的な状況が続いていたのよね。
それが解消されたのはやっぱり21世紀に入って数年経ってからだな。
だから今でもわたしはセレクトショップなんて畏れ多いという感じがあるし、実際お金を使おうとしても店側に拒否されたことがあるので、こんな機会でもないとそういうところに行くことは皆無なのよ。
なのでその意味でもこのイケフェスは遠いものを見せてくれる存在でもあるのです。

話を元に戻し、農林会館内ではスタンプラリーがあり、楽しく参加する。

また来年も開催されたら訪ねよう。

原田産業さんもすっかりイケフェスのお仲間になってくれはって、ほんまに嬉しい…
ここの建物の素晴らしさもさることながら、今回は古写真のよいのをたくさん展示されてるのがよかった。



続いて少し先の大阪写真会館へ。
ここは「高度成長期」の建物で、ガラスタイルがはめ込まれている。
それまで全然無関心なタイプの建物だったけど、これまたイケフェスのおかげで面白味がわかってきたように思う。
古写真で見た昔の建物の様子の方がわたし好みだけど、この建物もいいなあと思えた。
新しい価値観が定着してきたなあ。めでたい。


ちょっと複雑な電車の乗り方をして四ツ橋の方の本町から地上へ出る。
そう、オリックスのビルね。ここへは後で行く。
ここから久米設計へ向かう。
移転したのだね。
ああ、窓から相愛学園、北御堂、竹中工務店が見えるねえ。

すぐそばのコメダで一休み。ほっとするなあ。
それからオリックスビルの28階展望テラスへ。
ここは360度見て回れるのよ。
方向音痴だから自分がどこ見てるかわからんのだが。




さあまたややこしいのりかえをして天満橋へ。
OMMビル。これが10/29最終目的地。
ここは屋上へ。


たくさん見学したが、それでもまだまだ。
もうあんまり以前のようには動けないけど、これでも19000歩弱か。
次の日もあるので初日はここまで。


思い出の笠置館

2022-06-06 12:46:24 | 近代建築
昭和の北摂の小学生は林間学校に笠置へ向かうところが多かった。
そんなに遠くはないが、離れている山間部なのがよいのだろうか。
後醍醐天皇の行在所などもあり、摩崖仏の跡もある。
山紫水明の笠置。
わたしは昭和50年代の小学生なので笠置へ林間学校に行った。
つい先日ツイートしたが、昭和50年代の小学生は、がきデカ、嗚呼花の応援団、八つ墓村の真似をはじめ、破れ傘刀舟や中村梅之助の遠山の金さんの真似もやらねばならなかった。
つまりそんな子供らがわいわいがやがやと地元から遠く離れた笠置について、そこから数キロ先の柳生の里まで歩くのだから、色々トラブルも多かった。

今も忘れないが、歩くのが嫌だと言ったWくんが先生にしばかれて*昭和の子供は体罰当然 、泣き泣き歩いているうち、柳生ならぬ柳の木に登って落下し、肩を脱臼してしまった。
刀で割ったという石に挟まれたアホな子供もいた。滝に飛び込もうとしたのもいる。

まあ色々あって、ようよう戻った笠置館ではなんだかスレッカラシな感じのちょっとカッコいい婆さんがいて、我々を見てニヤニヤ笑っていた。
この婆さんはなかなか印象深く、十年後に再訪したときも元気でいてくれて嬉しかった。

やたらめったら広い旅館だが古くて暗いのがまた怪談にぴったりなところで、わたしはそこで実際クラスメイトに怪談を話した。
大体役回りとして、わたしは怪談係なのだ。
何の話をしたのか今となっては思い出せないが、実はこの頃から存外レパートリーは広かった。

最後の日は前を流れる笠置川で水遊びをし、例の婆さんの指示でみんな並んで婆さんの切ったスイカを食べた。
正直な話、味など覚えてはいないが、今に至るまで「笠置で食べたスイカは美味しかった」という設定がアタマに刻まれている。

それから十年経ち、大学か社会に出たか今となってはあいまいだが、初めて自分で笠置を訪ねた。
友人二人は笠置は初めてだという。一人は堺市、一人は橋本市の住民で、三人で笠置館に泊まると、案外ごはんも美味しかった。
婆さんに尋ねると、今はもう林間学校の生徒を預からなくなったという。
「さみしいですか」
「うるさいのがこなくていいよ。さみしいのは慣れた」

それで昼間に笠置の街を歩いていると、堺市の友人がコンタクトの水がないと言い、薬局に行ったらなんとコンタクトの水そのものがこの町では知られていないことが分かった。
びっくりしたなあ。大学のクラスメートに笠置からの通いがいたが、そんなこと一言も言わなかった。

その日は笠置山に上ったが、噂の案内猫・かさやんの二代目がいた。
チョコレート色の毛並みの猫で、めんどくさそうに歩きながらも笠置寺の方へわれわれを導いてくれる。
磨崖仏の痕や後醍醐天皇の行在所などをみて蟻のとわたりをくぐったり。
山の上から笠置へ来る関西本線の電車を見下ろしたのもいい思い出だ。
そして下山する時じゃんけんゲームの「パイナップル」をしながら下りて行ったのも懐かしい。
声ばかりで姿も見えないまま、わたしたちはゲームを続けたのだ。

さてそれから更に十年ばかり後に今度はまた別な友人二人をつれて笠置に来ると、なにやら「わかさぎ温泉」なるものが出来ていた。
オープンしたてらしく、綺麗な施設で、小川珈琲が入っている。
わたしは三条小橋の小川珈琲には一度入ったが、珈琲が合わずそれから再訪していない。
基本的に保守的なところがあるので、あまり店を開拓しない。
わたしはイノダコーヒーが最高だと思うので小川珈琲を諦めても苦しくはなかったのだ。
だがここは相楽郡である。洛中ではない。
小川珈琲にその時以来久しぶりに入った。
そして同行の二人も実は前回の三条小橋の小川珈琲に一緒に入ったメンバーだった。

おいしいではないですか。
シロップにメイプルが使われているのを措いても、この珈琲は美味しかった。
結局そこで水の良さが作用していることに気づいた。そうかそうか。

この時にこちらの撮影をしたのである。
客はわたしたちの他はなし。あの婆さんも残念ながらもういなかった。
会いたかったがなあ…

近所に住まうおばさんが食事を作る係と言うことで、朝食は八時にしてくれと言われた。
旅館の風呂も沸してはいるが、わかさぎ温泉に入ったならもういいかと言う話になり、見るだけにとどめた。
なにしろ誰もいない。
二階に上がるにはちょっと静かすぎて怖くなった。
そこでまたわたしは得意の怪談を…←やめろ。

笠置館正面玄関


二階への階段


笠置館のサイド


駐車場


笠置山から見る笠置館


山と川に囲まれている。


川にかかる橋


そして今年初めころ、笠置館が完全に廃墟になったことを知った。
最後の見学もあったようだが参加できなかった。
あとはもう自分のささやかな記憶だけである。
わかさぎ温泉も休業中。
笠置はやっぱり遠い地になってしまった。

どうなるのだ旧西陣電話局

2022-05-29 19:29:23 | 近代建築
ツイッターでいきなり旧西陣電話局の外観が工事中のようになっているのをみてびっくりした。
どうなるのだ旧西陣電話局。
この建物は夭折した岩元禄の傑作なのだよ。

わたしは2000年と2005年とに見学させてもらった。
かつてその記事を挙げていたが、色々と中途半端なので今回ここでその2回撮った写真をまとめたいと思う。

この辺りは堀川通りを入ってすぐにあり、ちょっと狭い。
お向かいのバレエ教室に上がりたいがそういうわけにもいかない。

前面に裸婦モチーフのテラコッタ


曲線との相性もいい。


出来た当初ここを通る若いご婦人は俯いて歩いたそうだ。

上には水吐きライオン。実際には水なんか吐かないが。


2005年に撮ったのがいちばんマシかな。


横顔を見れたのは嬉しい。


列柱



軒下にもみっしり。

列柱のところから外を見る。
大文字とご近所の煉瓦の建物


何もわからないので心配だが、どうか保存工事でありますように…

旧尼信本店を訪ねる

2022-04-19 16:24:53 | 近代建築
先日尼崎信用金庫の旧本店を訪ねた。尼信会館に寄り添うように建つ煉瓦の可愛い建物である。
二階建てで小ぢんまりとしたその可愛い建物も常に公開しているわけではなく、折を見ての公開なのだ。
隣接の尼信世界の貯金箱博物館は常に機嫌よく開館してくれているが。


尼崎と言う町は昔の藩主・桜井氏が初代市長として下水道の設備をはじめ市民の為に尽力した町で、東難波町や武庫之荘など計画的な住宅街もあり、近松門左衛門生誕の地と言うことで、この地にある園田学園などが資料室を一般公開している。
その一方で阪神タイガースの城下町だと自認し、下町の商店街として、薄利多売のにぎやかな商業地を形成している。
だからこそこの地で尼崎信用金庫というしっかりした金融機関が活きている。

旧本店は1921年に建てられた。
正面


二階
全景 

暖炉 

木彫部分 

煉瓦の壁と家具とかマッチする。

照明 



窓 

階段




煉瓦の隙間に大理石 


この建物の由来などが紹介されている新聞記事もある。


あましんは地元のマンガ家・尼子騒兵衛さんが「あまちゃん・しんちゃん」というキャラを拵えた。
丁稚小僧の二人。

一階
全景…まあ半景ですよね。




こちらの暖炉



内から 

外から 

斜めからの眺め



お向かいの駐車場の壁面には瓦の装飾があり、その先端には鶴などの絵柄が。




つくづく可愛い。

こちらは博物館入り口である。



鋳鉄の美 

今後も長く活きてほしい。

ところで白い建物の尼信会館の方はこれまた美術館・博物館の機能を有していて、市内のコレクターの名品展があったり、尼崎藩主桜井松平家ゆかりの品々も展示していて、近所の尼崎城・尼崎歴博の先駆者として歴史と文化の展示を重ねている。
詳しくはこちら