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遊行七恵、道を尋ねて何かに出会う

「遊行七恵の日々是遊行」の姉妹編です。
こちらもよろしくお願いします。
ツイッターのまとめもこちらに集めます。

2023年3月終りにみた花

2023-04-02 17:27:00 | 記録
二月後半の梅の頃からようよう気分も明るくなり、三月の花が咲く頃には浮かれ心の君となるわたくし。
梅も桃も椿も木瓜も木蓮も桜も、みんな見に行かずにいられない。
たいしてうまくもない腕だけど、見に行ったわたしが嬉しかったので撮り倒した花々を挙げます。
関西で見た花たち。東京で見た桜はまた別に。

3/23 京都御苑と鴨川沿いの花
雨の中、近衛桜をみにゆく。



あとはサムネイルであげてゆきます。

                              


この日はここまで。

3/25 阪急宝塚線の公園と大和文華苑
木花、草花が好きなわたしですが、公園の丁寧に植えられた花も好きです。


こちらもサムネイルで。
                   

大和文華苑とその周辺


                                       
ここまで

3/26 中之島美術館界隈で見た都心の花

      

2023.3月の東京ハイカイ録

2023-03-23 21:48:11 | 記録
3月の東京ハイカイ…というより、今回は漂流に近いかもしれない。
定宿が取れなかったので、横浜に行くかと新横浜の近所のホテルを取ったのが1月末。
シン・ゴジラ、シン・ウルトラマン、シン・仮面ライダーのある時代なんだから、横浜にシンがついていてもおかしくないかと思ったのが、今となっては結果的にラッキー。
ホテルから宿泊確認メールが来て、地図を見てそこで初めて自分が横浜ではなく新横浜の駅近くの宿をとっていたことに気づいた。
あっれーおかしいなー
…こういうセリフ嫌いなんだ。
しかし言ってしまいましたね。
わたしの中で新横浜といえば
・ラーメン博物館に行った記憶(たぶん96年の双十節)
・鎌倉行くのにここで乗り換えたが、窓から見える眺めはやたらと木が多いな、もしや山かね
というくらいしかない。
なので大丈夫かなと思いつつ、雨の朝に家を出た。

雨の朝というと「雨の朝、パリに死す」という映画もあったな。
でもわたしの頭の中ではキャット・スティーブンスの「雨に濡れた朝」Morning has brokenがぐるぐる再生されてるのよな。この歌の歌詞がエレノア・ファージョンによるものだとは知らなかったよ。すごく好きな歌。
それで実は高校の時にラジオから録音したのだけど、編集の都合でこの歌の次になぜかジュリーの「時の過ぎゆくままに」が入っているので、さわやかで敬虔な歌から一挙に退廃的な歌に変わるのが面白くて仕方ないのよね。

というわけで半分以上意識飛びながら新横浜へ向かう。
ついたら予想外のことがあった。
なんやというと、相鉄・東急新横浜線開業日のイベントしていたのよ。
なので混んでたなあ。
わたしも喜んでぱちぱち。

そういえばみなとみらい線と西武が相互直通運転したのは2013年3月16日で、この日もたまたま元町・中華街駅にいたな。
それで「西武球場」行きの掲示板を見てばちっとしたところ、「ついに横浜も西武の二軍になったか」という恐ろしいコメントがきたんよねえ…当時横浜弱かったからなあ。
野球の話よ。

ついでに挙げると、この時は3日間で20近い展示を見てますわ。昔日の面影今やなしのわたくしだが、当時は元気でした。この日のことはは東京ハイカイ録2013.3月の2つめに記してます。

さてさてわたしは宿に荷物を預けて、今度は新横浜からブルーラインで関内へ。16分でつくんやねえ。
それにしても昔と違い新横浜が凄い発展してるのにはびっくりした。
新大阪よりずっと発展が早い。

関内も雨でした。
地上へ出て歩き出すと、やっぱり近代建築の良いのが目に入る。


ほかにもいくつもある。
こうしてみると、近代建築を使い続けているのはこの横浜と大阪の船場が突出していると思う。
大阪にはイケフェスがある。横浜もばらばらでなく、連携した公開をすればいいんだが…

この日はその近代建築の一つ・日本郵船歴史博物館の最後の展覧会と今の建物の最期とを観に来たのだ。

入口入ってすぐの辺りは撮影可能だったのでパチパチ撮ったから、いずれまたまとめる。

思えばここへ初めて来たのは「洋上のインテリア2」からだった。
良い展覧会だったなあ。そして優美な豪華客船たちと、船が無理やりその優美を剥ぎ取られて空母にされて撃沈されたあの悲しい結末・・・
そのことについてもきちんとまとめたいと思う。


元の道を戻り、馬車道十番館へ。

おいしかったです。
ここの建物もいいしね。
さあ動け動け。
というわけで今度は馬車道駅へ。

新横浜線の開業の混乱が飛び火してて、みなとみらい線から東急から色々と時間が狂いまくってた。
実はこの日の朝、まさかの阪急京都線もアウトになってたので、どうやらこの日は電車に恵まれなさそうだった。
結局色々トラブルがあって、その結果として方向転換して中村橋へ向かった。
雨もやっとやんだ。

練馬区立美術館で吉野石膏のコレクションを観た。
まさか中世の写本の凄いのを目の当たりにし、撮影可能やなんてびっくりしましたわ。
さすが、練馬美。

閉館寸前までいてから池袋へ。
ここでもまさかの電車トラブルが起こったので、もう完全にこの日はこんなもんですわな・・・

池袋のタカセのレストランの改装が終わったので喜んで3階へ。

デミグラスとサバランの昼夜。

副都心線から乗り継いで新横浜へ。東急新横浜戦に乗る。紺色の素敵な電車だった。
駅に着いたものの朝と違い夜は方向がわからなくなる。
怪しいカルトらしきのに声かけられてもスルー。やっと道がわかる。

二日目、JRで移動。東神奈川経由で東京へ。
いつものロッカーにキャリー預けて早速府中へ向かう。
丁度11時半になったので、スンガリーでランチに。まだだれもいなかったので、ちょっと手間のかかるあんかけ五目焼きそばをお願いする。
おいしかった。次来るのはGWなのであいてるかどうか尋ねると大丈夫ですよーと明るい声。「またそのころに来ます」といってわたくしは店を出ましたわ。
東府中もう早くも桜がよく咲いている。特に自衛隊のところの角地の桜が満開で、みんなぱちぱち撮っていた。
わたしも撮りましたよ。
ソメイヨシノだけでなく江戸桜系のとか寒桜とかいろいろ。
公園に入ると椿もきれい。


毎年恒例の春の江戸絵画祭り。
ヤマザキの春のパン祭りと並ぶ名物。


お絵描きはしないし塗り絵もしないけど、十分楽しめた。
常設もよかったよ。春を思わせるもの…

ここから市ヶ谷に出て東大前へ。
弥生美術館に。田村セツコ展。
可愛かったわ。
わたしはどうも近年の作品にひかれたよ。
前回の展覧会の時、田村セツコさんご本人が小さい女の子にとてもやさしく接しているのを見て、感銘を受けたものです。
いいなあ、ああいうところが作品にも出ている。

夢二の花にまつわる絵、華宵の抒情画も楽しんで、機嫌よく退館。

根津から二重橋前へ出ると行幸通りの地下ギャラリーで丸の内界隈の素敵なワンシーンを切り取った写真展が開催中。
こういう街角で見るものは楽しいね。

さてわたしは常々京都大原の志野のドレッシングを愛用しているけど、それがたまたま日本橋の高島屋に来ているので、在庫切れ対応と応援を兼ねて高島屋へ。
いつもの大きいサイズのを購入する。大阪の人間が京都のものを東京で買うというのも酔狂かと思うけど、ここで買ったから運送費は相殺されるという利点もあるので、合理的なのよ。
店員さんにまた京都でねとあいさつしてるとき、ふと見たら隣のブースがイノダだった。
そうか、イノダもわたらいをするのね。ははあ…

二月の歌舞伎座の観劇用に買った崎陽軒の松花堂弁当がよかったので買いに行くと完売。
弁当コーナーへ行くと店員さんの勧めで天むすの児雷也のお弁当を購入。生麩とかいろいろ好みでよかった。
ところで児雷也といえば天竺徳兵衛と同じくガマの妖術つがいなんだが、ここの屋号はどうも地雷也みたいだな。
「地雷を踏んだらさようなら」は一ノ瀬泰三だったかな。
キャパは「ちょっとピンボケ」。
沢田教一の評伝タイトルは「ライカでグッドバイ」。
みんなうまいタイトルだけに切ない。

帰宅すると猫どもがなかなか集まらない。心配になるが向こうもわたしが帰らないので心配していたのかもしれない。
二時間ばかりして深夜に猫も集合。日常に帰還。
また次までさらば。

2023.1月の東京ハイカイ録

2023-02-02 16:31:25 | 記録
遅ればせながら今年初の東京ハイカイに出発しました。

最近は気象予報もあってJRは運転中止とか遅延とかが多く、更には昭和の昔と違って今は西中島南方の駅も心臓破りの階段のみではなくなっていると知り、この数カ月は御堂筋線乗り換えにしている。
阪急宝塚線から京都線へは十三が同一ホームなので乗り換えしやすいし、すぐ次が南方。
改札出るとすぐに信号を渡ったら、もう地下鉄の駅。エレベーターなりエスカレーターなりでホームへ。
たちまち新大阪到着。それから数分構内を歩くだけで到着。
これは梅田駅から大阪駅へ出るストレスもないし、「JR大丈夫かな」と心配もせんでええし、とても気楽。
ただし帰りは案外面倒なのでそっちはJR使う。

機嫌よく新幹線改札口につき、そのまま乗り込む。
ああ…京都へ向かうほどに外が白くなる。
東寺なんてもう青く見えるくらい。
あれだ、東山魁夷の「年暮れる」だな。

滋賀に入ればますます積雪でとうとう米原あたりはスピード制限かけてゆっくりゆっくり。
もう本当にいちめん真っ白。
しかしそれも岐阜に入れば変わってくる。三河安城などだと晴れてて雪はどこにもない。
とはいえ名古屋到着が24分遅れで、飛騨との連絡が出来なくなったそう。


富士山は雪をかぶって綺麗わ。

さていよいよ東京入り。先月18日のあの大々的な新幹線動かず事件の時に比べてもしかたないが、今回はまだましだよ。
いつものロッカーに荷物をほうりこみ、そのまま日本橋から動き出す。
無事にヒカリエから地上へ。渋谷駅東のハチ公バスに乗ろうと歩くと、タクシーから出ようとする車いすの女性が難儀していたので手助けする。
しかしビルに入るのに苦労する。そこへ地下から一升瓶下げて上がってきたおじさんが手助けしてくれて無事にそのビルに入れた。
段差があると大変なのを知りましたわ。

それから一分後にバスも来たのでそれに乗って白根記念渋谷郷土博物館へ。
久しぶりの渋谷郷土博物館なりよ。
同潤会の展覧会。20年ほど前にとある同潤会の最後を通りすがりに見かけたのだけど、知らなかったので入れなかったのよな。で、外からじーっとみてたら、そこへ同じような通りすがりの家族が来て、こっちは警備員が「見たいなら入っていいよ」。
をい、さっきとえらく対応が違うな。
とまあこういうちょっとイキドオリな思い出があるのでした。

本物から引っぺがしてきたドアや階段の親柱などが展示中で、これらのみ撮影可能。
パチパチ撮らせてもらいましたよ。

いいものをたくさん見たが、面白い発見があった。
当時のレジスターがあるが、メーカー名はわからないけど読み取れたのが「KANE」
うん、まあな。

常設展示も久しぶりにじっくり眺めましたわ。ナウマンゾウがいた渋谷。
春の小川が暗渠になった渋谷、奥野健男が生まれ育った渋谷。
それで機嫌よく図録も買って、お隣の國學院大學へ向かう。

方向音痴なので一瞬方角がわからなくなる。隣に行くのにそれだ。
社会人ウェルカムの学食に行く。
タイミング的に助かるな。ここのいいところは学生向けと一般人・教職向けの食券機を別々にしていることだな。
学生よ、安く食べてください。その分をお客のわたしら一般人が少しばかりは担いたい。
というわけで唐揚げとサラダを同じドレッシングかけたのを食べたが、ご飯の量が多い多い。
東大も明大も早大もみんなそうだけど、ご飯量が本当に多い。

この日から始まる久我家の嫁入り本の源氏物語写本をみる。
「物語絵―嫁入本『源氏物語』全54帖公開―」前後期に分かれてはいるが、主なものはパネルでも展示されている。
なんというか、珍しいシーンを描いているのもあり、これはもうある意味「見たいシーンを描く」二次創作的なところがあるなと思ったわ。

満足しながら渋谷駅へ。そのまま東横線で元町・中華街へ。500円でした。
いつもは6階迄上がるけどそのまま地上に出て谷戸橋を渡り、ついに横浜・人形の家へ。
実は1992年に行こうとして臨時休館で、それから一度も行ってないんだよな。
本当に短いようで長い歳月でしたな。…というか気づかんかったわ。

今回は宇山あゆみコレクション「少女ノスタルジック展」を見に行くために来たのでした。
同世代の宇山さんの集められた昭和の品々。ちょっと泣きたくなった。
特に赤ちゃんの寝間の風景は自分の持ってたものと変わらず、「ああ自分も祝福された赤ちゃんだった」と実感した。

尤もぐるぐる回るオルゴールつきのあれは母曰く「うるさかった」らしく、それを娘に言う辺りに母と合わないのをチリチリと感じもした。
そんなことを思い出しながら、撮影可能なものはパチパチ撮らせてもらい、禁止のものはじーーっとみつめるのでした。
あれだ、クッキーゲームとか持ってるのに忘れてた。もう本当に胸がいっぱいになるよ。
そうそうこんな猫さんもいたいた。

今度また宇山さんのコレクション展があればぜひ早い目に行きたい。

常設に行くと平田郷陽の人形があった。
色っぽいね。
そういえばわたしは辻村寿三郎を偏愛しているが、彼の人形はここにはいないな…
鹿児島寿蔵の紙塑人形も好き。
リカちゃん人形についてはここでは収まらないくらい語ってしまうのでまた別項で。

日本の郷土人形と西洋人形、各地の人形を眺め歩く。
少し苦しくなった。向こうからも見られているのは確かだから。
民博、天理参考館の仮面や人形を思い出す。その地による違い、民族の嗜好の違いを思う。

素直に楽しめたのは真ん中にあるドールハウスだが、これも思えば生活様式は西洋風なのでそこからまた考えてしまうのだが、もう特にどうこう言わず、可愛いものは可愛い、それでいいと思う。

モルカーのガチャでテディが来る。嬉しい。
ショップで黒猫柄の可愛いマッチ箱メモを買う。
そこからマリンタワーを見上げる。あそこへも92年に行ってから入ってないな。
あの時に思ったことが結局今も続いている。

元とは違う地下鉄入口へ。こっちの方が地上からだと合理的だな。
久しぶりに横浜で1日過ごしたいな。
馬車道に行くつもりだったが、時間を考えると日比谷に行けそうなのでそのまま向かう。
今回本当は池袋タカセに行きたかったが2月末まで喫茶もレストランも改修工事中なので回避した。
馬車道十番街でもサバラン食べ損ねたから、今回は本当にサラバサバランだ。

中目黒で乗り換え霞が関で下車。五時半に着いた。しかし地上に出たら真っ暗。ああそうか、西より東の方が日の入りは早い。
日比谷公園では大音響で何かコンサートでもしているらしい。
しかし日比谷図書文化館内は静寂。えらいものです。
日比谷区所蔵の龍星閣の夢二コレクションをみる。
わたしが子供の頃既に夢二はレトロブームで誰もが知る絵師だったが、そうなるにはこの出版社の熱意があったわけだね。素晴らしい。


渋谷二件、元町、日比谷…昔を思い出すような動きだったか。
そこから赤坂見附に出る。
てんやかサイゼリアに行きたかったのだ。
で、地上に出た途端にてんやが見えたのでそっちに行く。
レンコン食べたかったのよ。
今回は送迎バスがないので自力で宿へ。
んん?京都発祥のスーパーがある。
半額のファンスーパープレミアムレモンを購入したが、ポイントつくだけか。
しかし東西の価格違いはひどすぎるな。このスーパーは割と好きだけど、東京では同じものでも値段がかなり高い。

宿でぐったりしつつ明日の支度をし、やっぱり遅いけどいつもよりは早い目に就寝。
一日目はここまで。

二日目は朝から気合が入りすぎてパン食べ過ぎた。
美味しかったからよいけどさ。
それで東京駅まで送迎されていつものロッカーに放り込んでからが勝負。
とりあえず新橋へ。ゆりかもめに乗り…来ましたヲタの聖地ビッグサイト。
先月はこの帰りに新幹線大停止という悲劇に見舞われたのだが、今回はそうはならんかったから、まあよかった。

話を戻し、今回はオンリーイベントなのでそちらへ皆々様にご挨拶いたしまして、ささやかな差し入れを贈りましたところ、その倍くらいのお礼をいただいたりで、いやほんまにたいへん。
いよいよ目前に迫るロードショーもあるしで、皆さん共々大いに盛り上がったのでした。
2/3節分の日に鬼退治話なわけだけど、それよりわれわれは上弦の壱に会いたいだけよ。

それにしても次は2/11にまたわたしは別ジャンルのイベントに行くけど、そっちはそっちで3/3のひな祭りの深夜にFinal前編あるのよね。
そう、進撃の巨人。
これでたぶんヲタ語の「情緒壊される」というやつになるわけだな。
マジで怖いわ。

新幹線のお供に崎陽軒のシウマイ弁当と思ったら、やたらと焼き飯弁当がピカピカ光ってて、これに負けてしまった。美味しかったわ。
正式名は横濱チャーハンというそうな。

新大阪からJR乗り換えたが、やはり雪のせいでかやたらと延着。
以前からJR沿線住民の友人に「来たのに乗れ」と言われてたので、来たのに乗った。
時間どうなってるのかわからんわ。
あとはもう梅田に出て阪急で帰る。
帰宅すると猫共が順次登場してやっぱり喜んでる。
まあそうやわな。一応みんな飼い猫だものなあ。
例によってぐったりしつつ気分だけは高揚したまま一月の東京ハイカイは終わり。

2022.12月の鎌倉横浜東京ハイカイ録

2022-12-27 23:45:57 | 記録
いよいよ年末。
昔人間だからか、年末は落ち着かない。
新造人間なら落ち着くのか、いやちがうだろうとセルフツッコミしているが、そもそも新造人間は「噂に聞こえた凄い奴」なのだ。
キックアタック電光パンチだ。
それでは笛の音で動きが変わるのは誰だ、それは人造人間だ。←良心回路からの切替。
いや、それと年末は関係ない。
そもそも「人造」というと「ジロー」とか「ゼロワン」とか「ハカイダー」がでるのはわたしのような旧人だよな。
「新造」もキャシャーンだとばかり子供の頃は思っていたが、ちょっと大きくなると「新造」を「しんぞ」読みして、ごしんぞさんえ、お富さんえ、いやさお富、久しぶりだなぁ とやらかす程度には歌舞伎にのめった。
まあ振袖新造あたりはここではパス。
…というどうでもいい話から始まる、相変わらずどうでもいいハイカイ録の始まり始まり。


基本的にスケジュールはガチガチに埋めまくるのだが、昨今の疫病流行や己の体調不良もあって、大まかな決め方に変えて、ゆったりと出かけるようになりました。
さて今回はめちゃくちゃ久しぶりに新横浜で下車。
そこから新子安へ。今回は定宿ではなくこちらへ。
そこには色々事情もあるけど、鎌倉と横浜の一日の次はビッグサイトの半日なので、むしろこの方が合理的なの。
新横浜から乗り換えもけっこう気楽で、新子安に着いたのが案外早い時間ではあるが、まさかの巨大陸橋。ああ…これで歩行者は動くのね。
宿は見えてるけど遠い。しかし色々見回して、最短の道を発見。
どこをどう通ったかは秘密だが、公式のアクセスよりかなり早く着いた。荷物を置いて再び横浜経由で今度は鎌倉へ。

久しぶりの鎌倉はもうだいぶ人出が戻ってて、エキナカみっしり。
わたしはそのまま江ノ電へ。ホームに出た途端に電車が来て、すいっと座る。
行く先は由比ガ浜。
勝手に長谷だと思い込んでいたが由比ガ浜で下車したら見覚えのある牛乳屋さん。
それを背にして少し山へ向かうと忽ちに鎌倉文学館の敷地へ。
旧前田侯爵家の鎌倉別邸。
久しぶりよの。
まだ紅葉も残るが山茶花が可愛く垣根に絡む。

内部は完全に撮影禁止なので外観を丁寧に写す。素晴らしい喃。
堪能してから内部へ。

このステンドグラス2件は文学館の栞から。




澁澤龍彦「高丘親王航海記」の展覧会。彼の最後の長編小説。
そしてコミカライズした近藤ようこさんの原画も展示されている。
高丘親王の旅は幻想に満ちたものになったけれど、それは澁澤が子供の頃に読んでいた南洋一郎の著作なども発想の根にあり、夢のアジアを旅した

何年ぶりなのかちょっと思い出せないが、ここで前も澁澤の展覧会を見ている。有島三兄弟の展覧会もよかった。
元々里見弴のファンなので、その随筆から「鎌倉文士」の交友や暮らしぶりを見ていた。
町自体は立原正秋の小説を読んで育ったので、どうしてもそのイメージがある。
十年ほど前からは西岸良平「鎌倉ものがたり」のヴィジュアルが焼き付いている。

最近はどうもブログにまとめる能力が著しく低下中なので、Twitterやこうしたときでないとなかなか展覧会の感想が記せない。
書いてる今も眠気に負けてところどころ何を書いてるかわからなくなっている。

「高丘親王航海記」は澁澤龍彦本人の健康状態とリンクしてゆき、夢の中で真珠を飲み込んだ親王はのどの痛みに苦しむ。
澁澤も病名が判明してすぐに手術を受けて声を失くしてしまう。真珠を取るか痛みを取るか。
そんな究極の選択をパタリヤ・パタタ姫に夢の中で迫られるが、この時の姫の言葉がまことに真珠の粒が連なるように美しく、そして不吉で残酷でもあるが、たいへん魅力が深い。
小説刊行後数年経ったあるとき、なかにし礼が美輪明宏のコンサートへの言葉にそのセリフを引用していた。
そぐう言葉であり、また改めて澁澤の魅力を思い知らされる<事件>でもあった。

更に歳月が流れ、近藤ようこさんがコミカライズされた。
前作の終わり頃にお会いしたときか、そっとそのことを教わり、わくわくした。
そのときわたしは幸福な秘密を持ったと思った。
床屋が「王様の耳はロバの耳」だと喋りたくなる気持ちもわかるが、「王様の耳がロバの耳なのを知るのは」とにんまりと秘密を抱え込むのが愉しい気持ちもこの世にはあるのだ。
わたしはいつからか後者になっていた。

その近藤ようこさんの成果であり精華たる「高丘親王航海記」は澁澤龍彦の生み出した世界を忠実にたどりつつ、作品世界の枠を更に広めた。
これは近藤ようこさんでなくば可能でなかったことだと思う。
わたしは単行本が完結したとき、その感想を書き出していたが、込み入った環境の変化に負けて、未だに書き上げていないまま放置している。
だが、今回のこの展覧会を機に感想をきちんと挙げようと思う。
それは別に世に知らしめたいからではなく、あくまでも自己満足からのことだが、書き上げたときには新たな喜びが得られる気がする。
「高丘親王航海記」には、読み手にそんな気持ちを齎すところがある。

第二展示室に並ぶ近藤ようこさんの原画を眺めながら、昨年の彼女の個展を思い出していた。
中世日本を背景にした作品を世に贈り続けてきた人が、幻想のアジアを旅する物語を描いたのだ。
それまでにも少しばかり南洋の話を描いてらしたが、この作品が禅機となったかもと思うのも楽しい。

常設展示では里見弴をたくさん見出せてそれが嬉しい。
90年代初頭から里見弴の面白さに惹かれた身としては、戦後の彼の楽しい暮らしがこの鎌倉で営まれたことを思うと、お礼を言いたくなる。

楽しい気持ちで庭へ出ると、さすがに冬薔薇は静かだったが、一本の椿の木が大きな花を咲かせていた。
椿が大好きなわたしは喜んで近づいたが、それは里見弴にゆかりの椿だった。
かれには短編「椿」がある。佳品。あの作品を思いながらわたしは鎌倉文学館を去った。


由比ガ浜駅に戻ると、丁度藤沢へ向かう江ノ電が行くところだった。
ここの線路は一つなので、次は鎌倉行きになる。
二分ほど待つと江ノ電が来た。小さい路面電車が好きなので喜んで乗る。
すぐに鎌倉に到着する。出口をちょっと間違えて遠回りになったが、それはそれで楽しい。
鳩サブレの豊島屋さんの「扉」を少しのぞいてから、今回のもう一つの目的地に向かう。
レポーターの迫文代さんの自宅カレー屋さんへ行くのだ。
昔から迫さんがとても感じの良い人だなとファンだったので、今回はスマホに誘導されて歩いた。
ああ、中央市場てか。なんだか外国の市場のような雰囲気がある。

TVを見ていて人柄の良さを感じた迫文代さんだが、実際にお店に行って本当に感じの良い人だなあと思った。
先客の赤ちゃん連れの若い夫婦への親切な声掛けを陰ながら聞いて、嬉しくなったほどだ。
わたしは焼チーズカレー、プリンなどのセットを頼んだ。
その後少しお話をして店を出たが、最後まで良い心持だった。

若宮大路を歩く。可愛い狛犬を見て段葛に上ってカトリック雪ノ下教会を撮影したり、三井住友銀行を撮ったりするうち、急に倒れそうになった。
これは非常にまずい。
そこで急いで清方記念美術館へ入った。



一通り見て回れそうだと思って展示室に入ったが目が回ってきたので、休憩室で休む。
結局ここから浄智寺へ向かうことはあきらめた。
時間がかなり経ってしまっていた。

ああもう…
それで鎌倉から横浜へ出たが、これがいつもと違う出口に出ていた。
ちょっと買い物をしようと思いつき、小雨の中ビブレへ。
もうこの頃には元気になっている。
やっぱり鎌倉がわたしには鬼門なのかもしれない。
おばあちゃんは平家の末裔でわたしの女紋はアゲハ蝶だからかもしれない。

さてわたしはここでまさかのポプラ社刊行の子供むけ物語絵本「東海道四谷怪談」発見。



さねとうあきらと岡田嘉夫コンビの艶めかしくもおぞましい絵本なりよ。
ヒャッハー!2005年刊行。よく手に入ったものよ。ありがとう。
こういう本が出ていることすら知らなかった。買えてよかった。

ホクホクしながらポルタへ。
おおー凄い行列の崎陽軒食堂。でも今日はここで晩御飯食べたいので並ぶ。
…だいぶ並んで入ったのだけど、ちょっと手違いで好きではないものを頼んでいた。
いや、わるくはないんですよ。ただ口に合わないだけの話。

そこから新子安に戻り、近道して宿に。
ぐったりしつつも結局いつもの意味不明な時間に寝てしまう。ダメダメだ。


二日目。朝食の後は早い目に新橋へ向かう。ロッカーに荷物を放り込み、キャリーを持ってゆりかもめに乗る。
実に久しぶりにイベント。冬コミ前のイベント。
あちこち出かけ挨拶して回り、薄い本をたくさん手に入れるが、とある方のだけ完売でそっと泣く。
こちらも早い時間に撤退。再びゆりかもめで新橋へ戻るが、ここでも選択ミス。
わざわざ有楽町まで歩いてしまった。いや、味を知ってるところだしゆったりできたからよいけどね…

それでまっすぐ東京駅へ行ったらさあここからがえらいこっちゃ。
12時から新幹線は再開未定というとんでもない状況になっていた。
まあ結局これで17時過ぎに一部再開したけど、わたしが乗ったのが動いたのは19時過ぎというか20時前か。
それでも薄い本を買ってたし、おなかいっぱいだったし、まあなんとか普通に待ってたな。
この状態で普通に待っていたのもおかしい話なんだが、普通に待ってたのよ。
隣家の従弟が同じ状態だと知ったのは、叔母に猫の餌を頼んだ時の話から。
あーそうなのか。しかし会うことは出来なかった。ホームにいる者と改札外の者とは割と大きく隔てられていたな。
従弟は直にしゃべる分には楽しい人間なんだが、メールにしろラインにしろこちらはもう本当に投げやりで話が続かない。
なので向こうの方が一本早く出たと知ったのは新幹線が動き出してから。

新大阪でexicカードのはどうするのか尋ねたらカード決算の方で返金しますとのこと。
ただしSuicaがちょっと面倒なことになったので後日これをなんとかしないといかんのだが、一週間後の今もSuicaを使う当てがない。
来年早々話をするしかないか。

終電に乗り帰宅したのがもう一時前か。えらい目に遭うたよ。
猫たちは大歓迎。まあそりゃあね。わたしもなでなで。
結局いつものように三時過ぎに寝て六時過ぎに起きるという…

当分は東京へは行かないよ。
次はたぶん1月末か。またその頃にね。


2022.11.3から11.6まで 東京ハイカイ含む

2022-11-08 23:59:14 | 記録
四日間ずーーーっとなんだかんだと出かけておりました。

代表二枚を挙げておこう。
展覧会の個々の感想はまた別に書けたら書きます。

10/29,30の土日が久しぶりのイケフェスで浮かれて歩き倒した結果、10/31から11/2の平日の記憶が飛んでしまった。
それでいきなり11/3の文化の日になったような気分。
さすがに疲れ切っていたので起床は10時前。木曜なのでゴミ出しは一切なしの日。
猫もオジ夫婦がこの日は世話をしてくれてたのでなんにも心配なし。

基本的に休日だけ丁寧に紅茶を淹れる。カップはNARUMIのティーカップ5客セットを順繰りに使う。
全て違う色柄で可愛いし軽いし、使い勝手がいい。
それでトースト、サラダ、ヨーグルト、柿とリンゴ。
遅い時間の朝食。

一見優雅なようだが、実はその背後では大量の洗濯があるわけです。
そう、わたしは二層式洗濯機をフル回転していたの。いかに合理的に洗えるか、組み合わせを考えながら洗い続け、洗濯干しにも大活躍。
これで結局遅く起きたのがたたって正午を越えたのだけど、幸いめちゃくちゃ晴天なのでよーーーく乾いたのでした。

二時から池田へ。なんしかご近所なので。
池田はこの日から毎年恒例の「池田文化day」開催。昔はシールだったけど今はスタンプのリレー。
台紙をもって市内あちこちの文化施設を巡るのよ。これが手形になって無料です。

池田文庫の通路を歩く。紅葉はあまりしていない。
でもこの道を歩くのは昔から好き。
逸翁美術館へ。食器の展覧会。たいへんよかった。章ごとにガラスケースの上部にその皿小鉢の文様をシール化したのを貼り巡らしているのもいい。
綺麗なもの・可愛いものをたくさん見て眼福。解説は「ポケット学芸員」でも楽しめる。

次に久しぶりに池田歴史民俗資料館へ。
逸翁から大体15分くらい。ここでは屏風絵の展示を見る。呉春の昔から文人墨客の里で、近代も須磨対水や木谷千種も住んでいたのでいい作品を所蔵している。
図録の出来もいいので購入。600円。
ああ、少し紅葉している。


それで帰途に同級生のジャム屋さんに行ったら閉店してて、近所のコープによって尋ねると、6月に閉めたそう。
早速というか手遅れなんだけど、主催のお姉さんが先日市民センターで展覧会されてたことを思い出し、調べたらアート一本でやってゆかれることになったそう。ここのジャムはイギリスのフォートナム&メイソンでも取り扱いされてたのだけど、ジャム事業は別な方に譲られたらしい。
なんというか、人生の転換期と言うところへ来たのを実感する。

11/4。平日金曜だけど用事があるので有休を取っている。
それで七時には起床してサンテレビで「宝島」をみる。先週も医者に行くので休んでやっぱり「宝島」を見ている。
会社が近かった頃は絶対に見れただけに、色々と残念。
改めて出崎統と杉野昭夫コンビの作品に感銘を受ける。OPとEDは先ごろ亡くなった大橋学。
実にいいOPで「さあ行こう夢に見た島へと」と始まる歌がまたとてもいい。その時に「宝島」のロゴが画面いっぱいに広がっていたのが音楽と共に後方へ遠のき、企画の吉川の名が出て、次に音楽 羽田健太郎の名が現れる。
ハネケンの豪華な音楽、素晴らしいよなあ。
そして本編では海賊の正体が現れたシルバーとジムがヒスパニオラ号で嵐に遭遇、昔の仲良し時代のように共闘する。若山弦蔵の声がもう本当に最高。
ああ面白かった。18話だから今年中に終わるか…

さて整形外科に行き例によって治療を受け、その後にインフルエンザワクチン接種。
それから歯科医へ向かう。定期検診。何が好きと言っても自分で出来ないレベルの清掃をしてもらうことかな。
これも一種の快楽ですよ。歯ピカピカ。

それからなんばへ向かう。ここでランチするが、場所柄なんばウォークの551を選んだけど、美味しいけど、不満が生まれる。これならやはり先週のイケフェスで知った大成閣で春巻きを食べたかった。
551もやはり本店がベストだなあ。

学園前へ行くだけなので企画チケットは購入しない。
あら、学園前フェスタが11/5から開催か。旧福本家が今年も会場になるのはめでたい。


大和文華館の庭ではもう山茶花が咲いていた。
三分咲きくらいだけど、もう咲くか。

紅葉とコスモスは少なかった。

住吉派の住吉広行展。大変ノーブルで真面目な作風。
綺麗かった。しかも勉強家。儒者との共著では鎧の縅の研究も。
松平定信に重用されていたのもわかる。
紫宸殿や将軍家の養女や諸大名の姫の輿入れの調度品や大名正室の誕生日祝にと依頼がたくさんあり、大和絵の優美さを示したわけだ。住吉派の中興の祖。
たいへん綺麗だった。良いものを見たよ。

シナモン入りカプチーノを飲んでから大阪へ戻る。
特急を見かけた。

ならシルクロード博、1988年なんだよなあ。今もそのハンカチは自室に飾ってるのよ。

帰宅してから翌日の日帰り東京の新幹線予約をする。
めちゃくちゃ元気に思えるが、もうあかんのである。
最近のわたしのキャッチコピーは「もうラメだ螺鈿だエナメルだ」だが、これが出ると疲労困憊状況なのだ。
とかなんとか言いながらやっぱりドキドキして眠れず、お弁当を拵えるのであった。

11/5土曜。新幹線に乗るのに、以前は梅田から大阪駅へ出て新大阪へというルートだったが、先月から南方から地下鉄で行くことにした。
とにかくJRに乗ると不安が強まるのでよくない。地下鉄は何とでもなる気がするし、南方が昔と違いエレベーターもエスカレーターも完備したと聞いてから、それならと思うようになったのである。
実際乗り換えにストレスがない。
新大阪についてからも8分歩くかと思ったが、実際はもっと短時間でつくし。

日本橋から表参道へ。紅ミュージアム。ここではミニチュアの展覧会を楽しむ。撮影可能なのではあるが、200円上乗せで解説入りパンフがつくのを選ぶ。

香呂の日本玩具博物館の所蔵品がやはり多い。
そういえばこのミニチュアのおもちゃを「美似」と称して大清水さんと言う方がコレクションしていたものは、今はどこかの施設に入ったそうだ。・・・海洋堂だったかな。

表参道から沼袋へはJR乗り換えが推奨されるのだけど、あの混んでるのを考えると憂鬱になるので、青山一丁目から大江戸線に乗り換えて中井で地上に出て西武新宿線に乗り換えるというルートを使っている。
そして中井でランチにするのだが今回もミスった。
あまり好きではない味付けのものを大量に出されてもなあ。
選択した自分の責任だが、毎回反省するだけで進歩しない。

中野歴史民俗資料館へ行くわけだが、その沼袋駅が大工事中で、全く方向感覚が狂ってしまった。
あーこれは困った。しかし小さい町なのでなんとか街道へ出れた。
江古田へ入る。バス停も確認。この辺りに来ると日本橋ヨヲコ「少女ファイト」の地元なんだなと実感。
しかし知ってる店が無くなったり変わったりと、やっぱり来るようになって20年も経つと、だいぶ変わるな。
この手前の駅の新井薬師にかつては三井記念文庫「美術館」があり、美術館部門だけ日本橋の三越前へ移転したが、文庫は今も健在だそう。わたしの好きな沢村宗十郎丈の葬儀が築地の本願寺で行われた日は雪で、その朝に文庫にいたのだが、時間がずれてしまって、とうとう本願寺へは行けなかったのだった。

中野歴民では戦前戦後の子どものおもちゃ。

こういうのも大好きだから嬉しいよ。
庭の方の洋館をちらちら眺めつつも由来とか知らないまま。

沼袋から吉祥寺へゆくのにバスで中野へ向かう。江古田4丁目が近い。10分ほどで中野についてそこから乗り換え。


商店街を抜けて何街道かな、面したところにあるギャラリーで青池保子展。
70年代80年代のカラー作品が中心。いやもう実に豪華で壮麗で素晴らしかった。
本では再現できないような深みと繊細さがあった。

わたしはエーベルバッハ少佐はむしろ再開後、つまり冷戦終了後からの作画の方が好きなのよ。
ちょっとおじさん度が出て睫毛がへった顔が。
その方がかっこいい。
ファイルや今回の本などを購入。ほくほく。

そこから武蔵野市立吉祥寺美術館へ。片山健の油彩画を見に行く。
これがもう物凄かった。暴力的なまでのエネルギッシュな子どもの力とでもいうか…うわーという感じ。
特に「来迎図」とかもう…やー、えらいもんみてもた。

浜口陽三のノワールの作品で赤い蝶がひらひらと3羽いるのはよかった。絵はがきがないのは残念。
萩原英雄は宇宙の図が集まっている。こういう作品には詩が似合う。詩が欲しい。

出たらまさかの猫のダヤンの池田晶子さんが!
ああ、ファンですとお伝えしたかった。

さすがにこれでタイムアウト。矢口高雄展は2から見ることにするわ。
ぎりぎりで東京。
今回もよく遊びました。

11/6日曜。さすがにぐったりしていたが、スポーツニュースが見たいので九時過ぎには起きた。
そして洗濯をして(家事の中では調理と二層式の洗濯が好きなのだ)、それから出かけた。
今回はまず四天王寺へ行く。
金剛組の展覧会。世界最古の企業。
いやもう本当に大変な組織で、そしてその責務の重さに衝かれた。うう、たいへん。
素晴らしい仕事を残すための努力。
そしてその金剛組を存続させるために動いた高松建設にも感銘を受けた。


夕陽丘を少し行く。時間の都合で今度は谷町線にのり天六へ。
くらしの今昔館で膨大と言うか莫大な数の絵ハガキを見る。
いやもう今回はどんなものかと事前視察よ。次が本番。
凄すぎた。

どこにも寄らず天六から淡路経由で十三乗換て宝塚線へ。
梅田に寄らないで帰るのはこれですよ。
四日間、無事に遊び倒してぐったりでした。

おまけ。
11/7月曜日。出社してまあまあ働いて、いつもの時間のバスに乗って、早めについたのでマッサージをうけたらついつい寝入ってしまった。それて変な時間に起きだして洗い物したりお風呂に入ったりして「ゴールデンカムイ」のアニメを見てから三時過ぎに寝る。

11/8火曜日。主な仕事が午前中に終わったので午後二時半からはずーっと記事を拵えた。
いわばリハビリでもあるのよ。最近本当に書けなくて困ってたので。
それで帰宅後も続けて、一本挙げた後、続いてこれを作成。
2時過ぎ現在、ようよう完成。ははは。今から入浴して寝ますわ。
次は6時過ぎに起床なのになあ。
月食の様子。


また今度。ああ、2時間かかったか。描き始めが23:59で今は2:06.
おやすみなさい。