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遊行七恵、道を尋ねて何かに出会う

「遊行七恵の日々是遊行」の姉妹編です。
こちらもよろしくお願いします。
ツイッターのまとめもこちらに集めます。

「PUI PUI モルカーTOWN」は楽しいぞ その1

2022-01-02 00:20:55 | 展覧会
2021年の正月から三月まで放送された「PUI PUI モルカー」はたちまち多くの人の心を掴み、自分の愛モルカーを夢見る人が生まれた。
わたしは二話から見始めたが、放送中からの大ヒットによる再放送などもあって、すぐに全話を見ることが叶った。
結果として、わたしもモルカーの飼い主・運転手さんになりたくて仕方ない一人になった。
夏には映画化もされ、わたしもプイプイ言いながら観に行き、貰ったプイプイ鳴くモルカーのポテトをプイプイ言わせた。
本もグッズもたくさん出た。
欲しいものを手に入れたし、モルカーを愛する人々が描く二次創作もたくさん世に出たので、節度を弁えつつ皆さんで共に楽しんでいる。
もう本当にモルカーには夢中になっている。

今回、心斎橋パルコで「PUI PUI モルカーTOWN」展が開催され、わくわくしながら出向いた。

嬉しい限りよ。
有料入場者にはランダムでキラキラシールが渡される。
わたしはチョコちゃんのが当たった。
全シールはこちら。

みんな可愛いなあ。

わたしは特にテディとシロモが好きだが、他にもポン太、ごましおといったモルカーも大好き。
そう、箱推しなんですね。モルカーと言うだけでみんな大好き。
モルカーはそれぞれ個性がある。好きなものも違うし、見た目も違う。
でもやっぱりモルカーは可愛くていとしい。たよりになるモルカーも多い。

このみっしり具合いいなあ。


左端の緑色はワサビ。キュウリ好きのモルカー。その左上にいるゴミ収集モルカーが、ごみだけでなく人参も載せていることに今回気づいた。
その上にはDJモルカーもいる。


モルカータウンの再現をバチバチ撮る。

人もモルカーも普通に存在する街。


双子のテンテンとトントンが交差点にいる。


行き交うモルカーたちを鳥瞰する。


モルカーはタイヤでパタパタ走る。


ポテト、テディ、シロモ。


「魔法天使もるみ」ポスターがある。ヲタロード。


DJモルカー活躍中 聴衆にはゾンビと原始人も。


アビーのヒーロー志願 駐モル禁止マークも。


撮影の様子


どの街角にもモルカーはいる。


誰にでも優しいハンバーガーモルカー。思えばゾンビはタダ食いだよなあ。


小柄なジーニーがあんな隙間にいた。寿司モルカー(えび)、ワサビも。
「アキラ」ならぬ「モルカー」ポスター。


ビルの屋上で危機一髪な冒険モルカー。でもちゃんとポリスも来てくれている。
左のビルの屋上にはタイムモルカーの背中が見える。博士の開発した機材を乗せている。


タイムモルカーと博士。


にぎやかでなにより。


映画ポスター


「モルミッション」でテディが「アキラ」の金田のバイクアクションをやってたが、思えば見里監督は映画「アキラ」上映より後に生まれているのですねえ…


モルカーの後ろ姿は可愛い。とはいえこれはシーナ。花に話しかけるがその後ぱくっ。


悪人たち。そっと猫もいる。


資料色々





武装テディ





映像コーナー 
シロモが強盗に乗っ取られてプイプイ泣きながら走るシーン







第一話ラストシーン


つづく。


「茶の湯と工芸」展

2021-12-27 12:57:41 | 展覧会
香雪美術館の御影館が開館以来の改修を行うそうで、12/19まで開催していた「茶の湯と工芸」展を最後に、当分の間お休みと言うことになる。
うっかりもののわたしはあわててその19日に行った。
その日は更に兵庫県美術館に行きたくてJR住吉までの経路を調べたところGooglemapに「普段より混んでいます」の文字。
そういえばここで混み混みにはなったことがないなあと思いつつ阪急御影から弓弦羽神社の横を通って広大な敷地を囲む石塀沿いに歩く。

今回は「村山コレクション受贈記念展」の掉尾を飾る展覧会。
絵画、佛、刀、茶。
中でもわたしは近代絵画が色々と出た絵画展に大いに感銘を受けたなあ。
「絵画 村山家ゆかりの画家たち」をみる その1
その2

というわけで「茶の湯と工芸の名品」を見る。

ところでこのチラシには黒樂のピカッと光るのがあるが、一目で「ノンコウだな」と嬉しくなった。
樂家歴代のうち、最愛。

ノンコウの作品が好きだからか、それともやっぱり万人が見てもそうだからか、ノンコウの作品はピカッと光っている。いやもう本当にかっこいい。今年は例年に比べ茶道具の名品を拝む機会がたいへん少なく、それでやっぱりノンコウの作品にも会えず、淋しかったのだよ。
ノンコウのピカッにクラクラしたい身としては、このチラシ一枚でもクラクラ出来るわけだね。いいトリップだ…

1. 茶の湯の掛物
小禽遊戯図 明代  いわゆる「唐絵」でこれがまた可愛い。スズメより二回りばかり大きそうな小鳥、黒い頭に目の周囲だけ白い奴らが細い足を嚙み合いしているようで、上下になりながら絡み合っている。
この表具は金森宗和に依るものらしく、薄い柿色の花唐草風な文様が続いた刺繍ものだった。とても愛らしい。

夢窓疎石 墨蹟 偈頌 南北朝  西方から来た達磨の教えは身の回り全てに満ちる、というような意味のことが記してあるらしい。
それはいいのだが、この下絵がおかしい。なにか茫然と魂の抜けたような顔のようなものがいくつも出ている。もののけ姫の木霊か諸星大二郎の描く虚無の何かか。
ところで達磨は西域南天竺から中国へきて、その後は葉っぱに乗って帰ったとか色々あるが、実は「達磨なぜ東へ行ったのか」ははっきりとしていない。

祥敬 楼閣山水図 室町時代  左側いっぱいに山。右手に少しばかりの建物。これが楼閣か陋屋かは別として、そこへ向かって延々と歩いてゆく二人。

伝・紀貫之 高野切 第一種 平安時代  春の句が集められているところ
ももちどり さへづる春は 物ごとに あらたまれども 我ぞふり行く
春くればかりかへるなり白雲のみちゆきぶりにことやつてまし
はるがすみたつを見すててゆくかりは花なきさとにすみやならへる
…ちょっとだけ読めました。

伝・藤原顕輔 鶉切  下絵が全然見えなかったなあ。

藤原家隆 熊野懐紙  後鳥羽上皇の和歌か。
行路氷
あさゆけばひかりまつまのこほりゆゑ たえぬにたゆるやまかはの水
暮炭竈
冬くればさびしさとしもなけれども けぶりをたゝぬをのゝゆふぐれ

絵のほかにもこんなのがある。
松島蒔絵硯箱 江戸―明治  千鳥が大群。中の水滴は小舟の形。ああ松島屋。


唐物 木耳駕籠花入 明代 14代飛来一閑 木耳駕籠花入 1926  本物は他に西本願寺、野村美術館にも所蔵のシリーズ。
これはキクラゲと読まずキミミと読む。両脇に耳あり。千家十職の飛来家。これはこの写しとはまた違う感じ。
この年に写しを十個拵えたそう。

2. 茶人と茶碗
唐物 大海茶入 銘「唐大海」 南宋―元  口べりが大きいので「大海」。不昧公のチョイスした名品録にも紹介されている。
いい感じのお仕覆が二つ。白茶地唐花文金襴、浅黄地唐花文緞子

溜塗菊型茶器 18世紀  形の全体は食籠型で、蓋がこんもりと菊。朱塗り

宋胡録茶入 アユタヤ王朝  この時代のものをせっせっせっせ輸入していたのだ。
一面ずつ交代交代図様。花柄のようなものと七宝繋ぎ崩しぽいものと。
小さくて可愛い。

染付草花人物文茶入 デルフト窯 17世紀  二人の婦人がみえる。蓋には子供がのんびりと笑う。青花を手本にしていても、やはりどこか違う。

夜桜棗 江戸時代19世紀  蓋のところに桜がいくつか。夜桜塗なので角度を変えると浮かび上がって見えてくるという趣向。平たく見ては見えないこともある。
七年ぶりの再会のようだ。

以前も夜桜塗のよいのをみた。
樂美術館で類品を見ていて、そのときこう書いている。
茶器 少庵好 夜桜棗 三世宗哲 まったく見えない。
炉縁 少庵好 夜桜模様 黒柿木地 手前の折れるところに薄く、ひどく薄く桜が存在する。
こちら
茶道資料館では七世宗哲のものを見た。
少庵好みの夜桜塗。かそけき美。

香雪村山龍平は薮内流の茶人なので、薮内流の職分の作品がある。
わたしのような門外のものは、なんであろうと素敵なものを見せてもらえて喜ぶばかりである。

遠坂宗仙は薮内流の塗師で、幕末から大正まで仕事をしている。宇兵衛という名だということを調べて知った。
かれの拵えた二つの栗棗をみる。幕末から明治のものと大正のものとである。
マロンがころころ。後世のものは先の反転したものらしく、位置関係で対比がみられた。
モダンな感じがする。

桃山から江戸初期の根来茶器もある。
ところで前述のノンコウの黒樂茶碗には「黄山」という銘があるが、これが本当は「こうざん」と読むところを村山は「きざん」と読ませるようにした。
こういうのも茶人のセンスというものなのだろう。
茶室仕立ての展示コーナーでキラキラ光っていた。

遊撃呉器茶碗 銘「蝉丸」朝鮮時代17世紀  この「遊撃呉器」とはなにかというと、文禄・慶長の役の折に明の遊撃将軍付きの使節・沈惟敬が朝鮮王から筆すすぎとしてもらったものらしいが、この人ゆかりの茶碗だということか。
で、このひとをちょっと調べると…ああそういうね、というようなことが出てきた。
まあやったことはどうあれ、茶碗はいい感じです。

志野茶碗 銘「朝日影」 朝日新聞社主だからなあ。これについて荒川豊蔵が写しを拵えていて、そのあたりのことを記した村山藤子 (龍平長女で、今回の寄贈の人)あての手紙がある。



3.香合と蓋置
これが可愛いものがガラスケースにずらりと並んでいて、実に良い眺めだった。
まるでケーキ屋のケースを眺めるような楽しさがあった。

鹿螺鈿八稜形香合 明―清  蓋の中心に枠を拵え、その中に柄付きの鹿がいるのだが、その角の感じが麒麟ぽくもある。

伝長次郎 鰐口香合  禅寺などにある叩きものの鰐口を模したもの。小さいと可愛い。

藤村庸軒 黒樂菊文香合  鉄ぽい感じのみためだな

龍泉窯 青磁袋鼠香合 これは永樂妙全の写しも並んでいた。元のは明代、妙全が写したのは1924年。子年、そう甲子園の年。甲子だわーっ

景徳鎮窯 赤絵獅子覗蓋置  おててが可愛いお獅子。これと同じボーズの黄瀬戸登獅子蓋置もあるが、キャラメルポップコーンみたいな感じ。
この獅子たちは井戸の口べりにいます。


大樋長左衛門 飴釉井筒蓋置  外枠ね、井戸の。これは昭和の作だが、先行作品もあるのかもしれない。

萬古焼 桶型蓋置 内側に青海波があるのがいい。水桶だけの水でなく、一天四海の一部のような気分になる。

三つの人形が外向きに手をつなぎ合う蓋置がある。
唐物 三つ人形蓋置、薩摩焼のは色絵。背中で何かを守る三人組。

村田耕閑 笹蓋置 1915 これは大正天皇のご大典記念の作品だそうで、菊絵入りの高御座に使われたものを転用したそう。

ところで村山龍平は竹が好きだったようで、竹の絵も竹型蓋置もある。
私邸の洋間にも竹モチーフが遣われていたりする。。
この辺りは中之島香雪美術館の紹介コーナーの再現展示で確かめることも可能。

4.茶室の設え
明治の大茶人だけに多くの茶会を催している。
ここで面白いものが三つばかり。
一瀬小兵衛 大阪城古材炉縁 1926  その年まで保存されていたのだ。

毛織花文建水 明代  モールの当て字である。三島とはまた違うが外に小さい花が並ぶ。叩き出しで花が表現される。

寸松庵井戸茶碗 朝鮮時代  目跡が四つ。この寸松庵とは例の猫好きオヤジの佐久間将監のこと。

5.水指と建水
佐野長寛 真塗手桶水指 1832   これは綺麗な塗りの黒。

常滑 烏帽子形水指  細川三斎、千宗旦ゆかりのもの。

デルフト窯 色絵花文建水  中に黄色の大きな花。可愛い。

山里棚  春慶塗仕立てのなかなか素敵な棚。

6.懐石器と菓子器
野々村仁清 灰釉透彫桜花文鉢  これも好きなもの。けっこう大きいサイズ。透かし彫りの影が綺麗。


景徳鎮窯 五彩雲鶴文瓢形振出 明代  華やかで可愛い。


織部、鍋島、備前、と産地の違う表現の異なるやきものが一緒に並ぶのがよい感じだなあ。

樂宗入 交趾釉牡丹文向付 緑の地に朱の牡丹。艶やか。

唐津 盃 桃山時代  小さいめのが五つ。こういうのもいいな。

景徳鎮窯 祥瑞松竹梅文徳利 綺麗。やっぱり祥瑞よろしいな。

7.炭道具
南蛮 焙烙 東南アジア なんとなく焙烙ていいよね。

備前 火入 これもそうだが、「火」を感じるものはやっぱり焙烙と備前焼だと思う。

神戸雪汀 炭斗 銘「玉椿」 1923 薮内流の職方で蒔絵師。調べたところ、薮内流家元に推挙されて吹田の仙洞御料庄屋を勤めた西尾家の家礼(執事)を務めたそう。
そして吹田の内本町に工房を構え、90歳を超えるまで作品を作り続けていたらしい。
なにやら親しみがわくぞ。
西尾家は今は一般公開している邸宅で、洋館は武田五一の設計。
この炭斗は可愛らしい椿が二つ描かれている。他の作品でも椿モチーフのものがあり、それもとても愛らしい。
他の作品はネットで見る限り可愛らしさか目立つね。

一つ知らないことがあると調べるようになり、そこから新しい知見を身につけたり、また興味が開いていったりする。
わたしは茶の湯は完全な素人なので、こうして好き勝手な自分の感想を挙げられる。
知ってたら、到底そんなとはできまい。
だが知らんからこそ好きなことが言えるし、そこからこうして学ぶことも出来たり、知ってゆくこともある。
なのでこれからも茶道の展覧会には出来る限り行きたいと思う。
ただし茶席に出席はムリなので、そぉっと一人お抹茶をいただくばかりです。

「乙女文楽 ―開花から現在まで―」展をみる

2021-12-14 16:58:30 | 展覧会
人形浄瑠璃というものは三人遣いが基本だと思っていたが、その世界へ入り込めば入り込むほど、様々な「人形芝居」があることを教えられる。
一人遣いでは八王子の車人形、江戸時代から続く結城座の活動、そして浄瑠璃にしても「娘義太夫」が明治に流行り、青年たちのlibidoを刺激して「ドウスル連」が生まれたことまでも知る。
そんな中で今回初めて知ったのが「乙女文楽」である。
「近代大阪に生まれた女性一人遣いの人形浄瑠璃」であると、展覧会の副題がついている。
そしてこの乙女文楽は現在も生きている。
「開花から現在まで」として、今回初めてその全容を紹介する展覧会が大阪大学総合学術博物館で開催されている。

大阪は人形浄瑠璃の盛んな土地柄だった。
人形芝居の源流の一つの傀儡は西宮に傀儡師の像もあるが、その西宮と言う土地も大阪とは殆ど心の距離がない。
狭い大阪でも摂河泉と大まかに分かれるが、その摂津の国と西宮の属する阪神間は特に近代には親い(ちかい)感覚がある。
わたしは代々の北摂の住民だが、大阪市内の人よりも阪神間の人に余分に親しみを懐いている。これはやはり小林一三の敷いた阪急電車がその要因だと思われる。
まあそれはどうでもいいことだが、行き来しやすいということは確かなのだ。

さて乙女文楽とは何か。
ここで開催する阪大博物館のサイトを引用する。
「 乙女文楽とは昭和初期に大阪で誕生した一人遣いの人形浄瑠璃の総称です。当時流行した少女歌劇などを手本に人形遣いは主に十代の少女が担い、床の浄瑠璃は素人義太夫や女流義太夫によって担われたとされています。人形は三人遣いの文楽人形をもとにした大振りのものを一人で遣えるよう改造されていました。昭和戦前期の大阪を中心に活動がなされましたが、全国に伝えられ、特に神奈川県などでは現在でも活発に乙女文楽の伝承活動がなされています。
 戦後の大阪には、戦前の系譜を引き継ぎながら、活動を続けていた乙女文楽の一座がいくつかありましたが、昭和40年代以降、大阪を中心とした活動は下火となり、解散する一座も現われました。当時解散した乙女文楽の一座の人形や衣装・道具類は各方面に譲渡されていきましたが、後にそうした衣装類の一部が大阪大学に寄贈されることになりました。本展覧会では大阪大学が所蔵する乙女文楽の衣装を中心に乙女文楽の歴史と現在を紹介します。」

つまり、現代も神奈川県で活動があるという訳だ。

チラシには古い写真から今に近い写真が載る。
人形は女性一人が操りやすいように改造が施されている。
現代の文楽では「三業」と呼ばれる職能がある。
胴串(どぐし)を持つ主遣い、左遣い、足遣いの三人で一体化した人形遣い、浄瑠璃を語る太夫、伴奏を受け持つ太棹の三味線弾き、この「三者」をあわせて「三業」。
しかし乙女文楽は太夫、三味線はそのままに、人形を一人の女性が遣う。
重たい人形をどう動かすか。
そこに素晴らしい新案があった。
胴金式と腕金式の二種である。
そのどちらのやり方も生きていて、現代にも伝承されている。
素晴らしい。
いつか見てみたいと思う。
とりあえず今はここに展示されている人形の衣装などを見てゆこう。

1. 人形浄瑠璃の近代
吉田光子所蔵 乙女文楽「艶姿女舞衣」お園  目の大きい人形で、藍地に白の梅柄の着物。
梅は五枚の花弁が半円形で中央に五線の蕊。
このお園という役は例の「今頃は半七さんどこでどうして」のクドキで有名だが、その半七はお園と結婚したもののこれには縁を持たず、芸者の三勝との間に子まである始末。
だからかお園は娘娘している。
こういう芝居は不条理さゆえに涙ぐまされるのだが、今では若い人には理解できない話かもしれない。
可哀想なお園だが、そもそもお園が可哀想な理由を考えると…

この人形ケースはそのコーナーの中央に配置され、そこから斜めの壁際のケースには文楽人形のお園がいる。着物の柄は同じで、色はこちらの方が濃い目。顔立ちはこちらの方が大人びており、目もそこまで大きくはない。全体にこちらの方が奥さんぽいのだ。

人形芝居の一人遣いの絵が載る本があった。
「人倫君蒙図彙」 人形の切り結ぶ様子が描かれている。これを見ると近世風俗画での人形芝居が一人遣いなのもよくわかる。
国会図書館のデジタルアーカイブに該当ページが出ているので、ご参考までに。
コマ番号11/30。
なおこの20/30ページ目には西宮から来たらしき傀儡子が一人で人形芝居をする様子を見せている。元禄三年の本。

ところで先ほどの人形の制作は文楽人形の作り手の第一人者・大江巳之助だそう。
その件についてはまた後程の展示にもある。

光造銘文楽人形胴  これは二代目吉田栄三の所蔵したもので乙女文楽に譲られたが、結局は使われずそのまま阪大に寄贈されたとある。
そのことから考えると、文楽の人たちは乙女文楽をそうそう邪険にしてはいなかったのか。
ほっとする。
栄三の母方の叔母が女義太夫だということも関係するかもしれないな。
この人は名人だということだが、終戦の年に気の毒に餓死している。
そしてそのことについて八世三津五郎と武智鐵二の対談集「芸十夜」が記している。

様々な人形衣装が杭型マネキンを使って展示されている。経年劣化はあるものの、とても丁寧に保存活用されてきたことがわかる。補修などもあり、破れても捨てはしない。
こうした遣い手の努力や気持ちが乙女文楽を永らえさせた一因でもあろうと思う。
半襦袢、長袴、石持着付、長裃。素袷、肩衣、ぶっさき羽織、道中袴、打掛、椀袋、小忌衣などなど。








小道具も虚無僧の編笠、針山台、鏡立て、琴、太鼓、行李、軍扇、脇差、小判包、椀、箸、煙管、仮名手本忠臣蔵の連判状、判官切腹上意、アワビ貝などなど。
これらを見るだけで様々な芝居のシーンが思い浮かんでくる…
芸の細かいところは、忠臣蔵の連判状で、個々人のサインと指の血を押印するわけだが、大星由良助に始まり最後の一つ前が寺岡仙右衛門、〆が早野勘平である。その勘平のところだけが大きいのは勘平の腹切りの血を使ったという印。
そして判官切腹の文面もある。
「此度塩冶 判官高家 刃傷に及候 切腹申付 くる者在」
ほぼ四文字ずつ分かれて記されている。

お染への書状もあれば、大きいサイコロもあり、キャンデー入りのを思い出した。
アワビ貝は中サイズで、これはあれか玉手御前が毒酒を飲ませるのに使ったものか。

大道具では道具幕が数点。石摺襖がある。石で摺った書画を貼った襖。ここでは漢詩の書かれた四枚ものが並ぶ。
「ども又」の芝居だと土佐将監のところに出てくる襖。
ここのを写したがわからない字もある。
「豹死鼡皮豈偶 湊川遺路水連」「人生有限名舞」「少年勿死学 一寸光 不可軽」
「未覚池塘春草 階前梧葉己秋」
最後のはこれか。
「未レ覚池塘春草夢、階前梧葉已秋声」か。
一文字ずつなくなっている。

山寺の幕はほのぼの系で、草色の可愛い絵。
世話物のための幕はミニ箪笥、大福帳、暖簾、箪笥が描かれている。

2. 乙女文楽の歴史
大阪の新世界にラヂウム温泉があったそうでそのチラシがある。いいなあ、素敵。
新世界噴泉浴場というらしく、その絵葉書も四枚ほど。アールヌーヴォー風なイラスト入りスタンプが押されていた。トランプのクラブマークの中に女の横顔。
初代の通天閣のスタンプも。
ここで最初に余興として乙女文楽が始まったそうだ。
宝塚少女歌劇が宝塚温泉の余興から始まったのと同じである。
大正2年創業で700坪の敷地に温泉、セルフの食堂、理髪、そして椅子席の舞台など。
これについてはこちらのブログが相当詳しく紹介している。
画像、値段、どんな状況だったかまで色々。

ただし「乙女文楽」については記されてはいない。

ここで興行師が現れる。
林二輝という人が素人の少女を集めて文楽を始めたのだ。
井上政次郎は吉田光子と言う少女を中心に一座を組み、片山栄治は全国の温泉を回る新義座という一座を組んで、後には中国、朝鮮興行をはたしている。
彼らの資料や番付なども展示されていた。
「郷土雑誌 上方」の数号があり、そこに乙女文楽の記事がある。
文楽座の協力もあったようで、前述の大江巳之助のノートに記した書状もある。
人形の拵えを変えたことについての話。
指導も受ける少女たち。

御霊神社の御霊座時代の写真があった。1936年11月11日の様子。つばめ大夫がいる。後の人間国宝・竹本越路大夫。新義座出勤もあったそう。
引退前に自伝を読んでいるが、さすがにわたしも細かいところを忘れている。
わたしが文楽に行き始めた頃はまだ現役だった。引退後は可愛いTシャツで後進の指導をされているのを記事などで見ている。

乙女文楽の首は大江巳之助の仕事。文楽の人形の首はみんな殆ど彼の仕事か。
ここには婆さんの人形の首が出ていた。

座が分かれて独立した理由などもいろいろ説明されているが、それはここでは割愛する。
冒頭に挙げたように腕金式、胴金式の二種があり、どちらも存続しているのはめでたい。
吉田光子使用腕金・足具・耳紐一式 そう、人形と人形遣いは耳紐で繋がっている。
桐竹政子使用胴金一式。人形との距離がこの耳紐だというのもいい感じである。



3. 現代の乙女文楽
吉田光華公演資料 一式 みれば2015年には池田のマグノリアホールで公演があったようだ。
サイトはこちら。東住吉に拠点があるそう。

桐竹繭紗也公演資料 一式 こちらもサイトがあります。

乙女文楽座公演資料 一式 絵はがきがとても綺麗。神奈川で94年から活躍中。
神奈川が胴金式。

乙女文楽座の人形「傾城阿波鳴門」お弓とおつる  哀しい母子の人形が一つのガラスケースにいる。
このままずっと一緒にいさせてあげたい。

ひとみ座乙女文楽公演資料 一式 このひとみ座って知ってるぞと思ったら「ひょっこりひょうたん島」か!
あっ調べたら「笛吹童子」「紅孔雀」もなのか。
長い歴史の中、たくさんの人形劇を演じてきてはるんやなあ。

ひとみ座乙女文楽の人形「奥州安達原」袖萩、傔仗 父・傔仗の苦境を知った盲目の袖萩が娘に手を引かれて家へ向かうが…義理と情のせめぎ合いがせつない。

現代の映像も3分ずつ流れている。「酒屋」「おつる」「千本桜」など。

とても興味深い展覧会だった。いつか機会があれば見に行きたいと思う。
とりあえず年明けには日本橋の国立文楽劇場へ行きたい。
こちらは三人の人形だけど、気分がとてもノッてきている。
展覧会は12/18まで。

幻の天才画家 鈴木華邨 蘇る花鳥風月の世界展 

2021-12-07 15:56:10 | 展覧会
逸翁美術館で本当に久しぶりに鈴木華邨展が開催されている。
30年ぶりだそう。
その時の展覧会は見ていないが、しかしそのすぐ後に池田文庫で鈴木華邨の装丁本などをみているので、わたしにとっても嬉しい再会となるのだった。

近年明治の美彩な絵を恣にした日本画家たちの再発見が続いている。
渡邊省亭に始まり、この鈴木華邨が続いたことはまことに喜ばしい。
かれらは同門であり、そのため色彩感覚に通じるものがあるように思う。
決して濃厚な色彩は使わず、淡い色彩を塗り重ね、重みを見せず、しかし十二分にリアルな作品世界を構築する。
それは特にいきものを描くときに発揮される力であり、どうぶつ、植物に差異なく使われる。
素晴らしい世界がそこにある。

個人的なことを挙げると、わたしが最初に鈴木華邨を知ったのは泉鏡花「照葉狂言」からだった。
かれはあの優しくも悲しい物語に外観を与えた。
装丁と口絵を描き、物語の登場人物たちの見た目を作り出したのである。
そしてその絵は明るく派手な原色を使っていたが、そこに印刷物と絹や紙に水彩絵の具を使うものとの違いを感じた。

今回、前後期に分かれる展示の前期に出かけたのは、秋の恒例の「池田文化DAY」の最中だった。
池田市内にはいくつもの文化的な施設が点在し、そこをスタンプラリーで巡るのだ。
わたしも毎年この企画を楽しみにしている。
それで丁度前期展末期に当たる時期にイベント開催が当たり、出かけると相客が少なからずいた。
皆さん「綺麗だ」と色彩を喜び、花鳥風月の美を愉しんでいる。
わたしも仲間入りしてよいものを見て歩いた。

そして後期展示をこの土曜に見た。挙げるのが毎度遅いのでもうこんな時期に入ってしまった。
感想をまとめる。
・表記ナシは逸翁美術館所蔵品。個人は個人蔵。

瀑布群猿図 明治23年 1890年  瀧の横には松があり、その松の下には八匹の猿がいる。中には母子の猿もいるのだが、みんなどこかしみじみと瀧からのマイナスイオンを浴びつつ、瀧の美しさを鑑賞しているようだった。

群鴨図 明治42年 1909年  七羽の鴨が跳ねようとしたり着水していたりと。みんなリアルな鴨である。明治末の絵画だというのがよくわかる。
いちばん羽ばたきつつつある鴨の横顔にはリアルな影が差していた。

四季図 四幅対 明治40年代  花鳥風月である。燕と雨の様子などが特にいい。

竹梅図屏風 明治後期~大正時代 石川県立美術館  金地の屏風で対になる。老梅は紅白の花を咲かせる。描き方も左右異なる。

熱心に観察し、それを絵筆で再現した華邨。
基礎となるものを見よう。
写生帖 明治24~25年 1891~1892 石川県立歴史博物館  蝶々、藤豆花、瓢、二なり小豆など。
写生帖 明治後期~大正時代 石川県立歴史博物館  バッタ、紫の美しい桔梗。
雑画帖 明治後期~大正時代 石川県立歴史博物館  鶫の横からの姿。
草稿 明治後期~大正時代 石川県立歴史博物館  逸翁美術館にあるわんこの絵の草稿。

日記 明治32年 1899年 石川県立歴史博物館  なかなか日々の様子を詳しく描写。ほぼ毎日牛乳を一合飲んでいる。ちょっとばかり絵日記の趣もある。
牛乳と言えば同時代の正岡子規が「病床六尺」に日々食べたものを記しているが、かれは牛乳をよく飲み、周囲にも飲め飲めと勧めた。
伊藤左千夫も牛乳屋さんになり経済的にゆとりが出来た。「野菊の墓」が牛乳のおかげで書けたとかそんなことは言わないが、やっぱり経済が楽にならないと書き手は困るものだ。
芥川龍之介も実父は牛乳屋さんだった。

会信旅行記 明治40年 1907年 石川県立歴史博物館  日本人は旅好きだ。関所のあった時代でもなんだかんだと言っては旅をした。
絵師も旅をする人が多かった。
リアルなアユの絵がそこにあるが、一回り大きいように思う。いや、まさかこのサイズのを見たのだろうか。

柿目白図 明治30年代  五羽の目白の内、一羽だけ羽を広げるものがいた。柿は丸々としたもの。抱一が描く目白と柿のコラボに通じるものがある。


群鳩図 大正3年 1914年  鳩色と言うものがあるが、これはその色の美を味わう絵でもある。中には白鳩もいるが、やはりグラデショーンの綺麗な鳩が目に残る。
鳩色と言えばフレデリック・フォーサイス「ジャッカルの日」で、ジャッカルが鳩色のスーツを着てオーベルジュで美味しい夕食をとるシーンがある。これはなかなか重要なシーンで、そこからかれはパリ潜伏の手掛かりを得てゆくのだ。

秋景嘯虎図 大正時代 個人  ガオーと吼える虎のずっと下には渓谷。
ここが月下の丘ならば「二声三声咆哮したかと思うと、又、元の叢に躍り入って、再びその姿を見なかった」というところか。

花鳥図 十二幅対 大正時代 個人  タイトルは玉堂によるものらしい。
鶴、薄紅鮭、椿、ワラビにキジ、河骨、崖の百合、モズに烏瓜などなど。白梅に椿の取り合わせもよく、花鳥のよいところを愉しめた。

ここで本の仕事を見る。
日本画とは画風がかなり変わっているのもみどころになる。
これはやはり華邨が花鳥画がメインの人だからかもしれない。
同時代に挿絵画家として働きに働いた清方は日本画も挿絵もそう違いはない。
後世の上村松篁さんが井上靖「額田女王」の挿絵を担当したとき、万葉人の表現があまりに素晴らしく、美人画家の母上の息子としての誉れを謳われた。

挿絵・口絵というものは一目で見るものの心を掴む力がなければならない。
華邨の仕事は魅力的で、多くの良作を生んだ。
(国文学研究資料館などにDBがあるものはタイトルとリンクさせます)

泉鏡花著『照葉狂言』木版口絵 明治33年4月 1900年
これは悲しくも美しい話で、少年貢をめぐる女たちの情愛と、それ故のせつない別れ。
貢自身も最後は一人旅立つ。ここで紹介されているのは照葉狂言の一座の人となった貢にヒロインの一人・小親が舞台で使う舎熊や装束を見せているところ。

幸田露伴著『天うつ浪』第三 木版口絵 明治40年1月 1907年
重病の女を見舞う。恋愛譚ではないというが、わたしは未読なので話は分からない。
しかしこの口絵を見て少しの手掛かりを知ると、読みたくなってくる。
口絵にはそんな引力がある。

尾崎紅葉著『不言不語』木版口絵 明治28年6月 1895年  風が強い中、窓を開ける女。花も散る散る…

尾崎紅葉著『なにがし』木版口絵 明治34年12月 1901年
柳の下、橋の欄干にもたれる女は簪をいじりながら男の話をどうでもいい顔で聞いている。
シュッとした女で、男よりずっとかっこいい。

尾崎紅葉編 『五調子』挿絵 明治28年12月 1895年
炎にまかれる女が描かれていた。そして救えないのだ。…読もう。

尾崎紅葉著『多情多恨』挿絵 明治30年7月 1897年

坪内逍遙著『牧の方』挿絵 明治30年5月 1897年  これも近年上演あったかなあ。わたしがみたのは六世歌右衛門の写真だけかな。
鎌倉時代の武者の絵があるが、ページをめくるような構成の挿絵。
初演やはり五世歌右衛門。

村井弦斎著『阿古屋及食道楽』木版口絵 明治38年2月 1905年  天女が描かれている。胸の下に鞨鼓があるのは和風天女の定番。天の羽衣の天女らしく、漁師の男がニコニコ見守っている。
まあ前半は脚本だからなあ。
後半は村井の大大大ヒットの「食道楽」の芝居版の。

ここからはちりめん本。
縮緬本『Schippeitaro(竹箆太郎)』 明治21年 1888年 梅花女子大学図書館
タヌキかネコかわからん奴らがぐるぐる回ってる。光前寺の早太郎などと同じ形の話。
この表紙絵のはフランス語版。

縮緬本『ニルヴァーナ』 明治30年 1897年 梅花女子大学図書館
ポール・カラス。涅槃ですね。ねてはんのです。

縮緬本『The boy who drew cats(猫を描いた少年)』 明治31年 1898年 梅花女子大学図書館  机に向かって描いてましたな。足の指で鼠なら雪舟と言うところてすかね。この彼は誰だ。

この辺りの文を書いたのはエミール・ヴェルハーレンによるらしい。
参考論文を紹介する。

縮緬本『Sword and blossom poems from the Japanese vol.1(詩集 刀と桜)』 明治42年 1909年 梅花女子大学図書館  
縮緬本『Images Japonaises (日本の面影)』 明治29年 1896年 千葉市美術館
やはり綺麗な。花や虫や鳥が舞う。

『日清戦争絵巻』 第一京城之巻・第七 黄海之戦之巻 明治28年 1895年 個人
樺山海軍大将とかいるな。この人が白洲正子の祖父さんか。

村井弦斎著『Hana, a Daughter of Japan』 明治37年 1904年  ウルトラグルメ・グルマンたる村井とはよく組んだようですな。これは最初から海外向けの小説。
ロシア人とアメリカ人の両方から求婚されたお花さんの話。
カラフルな彩色で秋の様子が描かれたシーンが出ていた。

四季図 四幅対 明治40年代  フグ、エビ、菊が目立つ。

雲雀図 明治30年代後半  さえずる図。雲雀と言えばわたしは「春琴抄」ラストを必ず思い出すし、更にヴォーン・ウィリアムズの「揚げ雲雀」も脳内再生される。

秋海棠図 明治30年代後半


ずらりと綺麗な彩色の絵が並ぶ。

筍図が二点あるが、一はころんと転ぶ大きな美味しそうな筍、一は竹のそばでかなり伸びつつある筍。

秋草図屏風  桔梗、女郎花などが風にそよぐ。しかしながらあくまでも静謐。
 
観音図 大正時代 個人  たいへん美人。満月の下、岩に座す白衣観音。

洛外春色図 明治30年代後半  大原女が二人のんびりと歩く。頭の上には柴。

蘆に千鳥図 明治30年代後半 個人  群れだって飛ぶ。

菊鶉図 明治40年代~大正時代  チラシでは菊の位置が下。このチラシは良い出来だよねえ。

芦鷺図 明治40年代~大正時代  ぼんやりと影のある鷺。

狗児図短冊 明治40年代~大正時代  可愛らしすぎる。耳は垂れ気味で前足が太くて可愛い。
この絵は斎田記念館のだからまた違うのだが、華邨のわんこは応挙、芦雪と並ぶ愛らしさに満ちている。



猿猴図短冊 明治40年代~大正時代  猿回しなどの芸を仕込まれている猿。

牡丹猫図 明治30年代後半  前々からこの絵葉書購入済み。平和なめでたい絵。


菜花狗児図 明治39年 1906年 
zen630.jpg
もう本当に愛らしいなあ。好きすぎるわ。松涛美術館の再開展の「犬・いぬ・イヌ」展にも参上。

月下兎図 明治39~40年 1906~1907年  二匹が寄り添ういい感じの絵。

あけび狆図屏風 明治40年 1907年  狆、可愛いな。こちらを見ている。

楽器図扇子 明治39年 1906年  むろん和楽器。琴、鼓、笛。

河骨図扇子 明治40年代~大正時代 少し墨交じりの黄色の花。

朝顔図 明治20年代~30年代前半  麦と一緒に。そよぐねえ…

葉桜釣人図 明治39年 1906年  これは文人画風な趣がある。

鼎会寄せ書き巻子 明治39年 1906年  寺崎廣業、川合玉堂と三人。

月下兎図 明治39~40年 1906~1907年  白うさぎ、茶うさぎの二羽。丸い月の下、ススキの野で。秋草は廣業が担当。

人力車図扇子 明治39年 1906年  日露戦争凱旋記念。ガス灯が立つ街をゆく

蟹図扇面  七匹の蟹が歩く。夏の日の様子。

いずれも温厚で上品な作品で「綺麗なものを見た」と言う感想が湧く。
華邨、省亭、古邨らの再発見が為されたことは本当に良かったと思う。
綺麗なものを綺麗だと言え、綺麗だと感じる。
このことは大切だと思うのだ。
彼らが忘れ去られた理由や状況についてはここでは挙げない。
百年余り経ってまた愛されてゆけばいい、と願うばかりだ。

最後に華邨は小林一三と交流があり、その書簡も展示されていた。
小林一三宛書簡 明治40年5月23日付 明治40年 1907年
小林一三宛書簡 明治41年7月25日付 明治41年 1908年
個人的な感慨としては、この頃は「ゴールデンカムイ」と同時期なのだなあ。
そして小林一三の活動期が昭和半ばまで続いたことを思うと、多くの芸術家がかれに大事にされたことに、よそから感謝したくなる。

30年ぶりの回顧展、いっそ全国に巡回されれば…ちらりとそんなことを思った。

雀、可愛いな。

木島櫻谷展をみる @福田美術館 その2

2021-11-30 15:46:06 | 展覧会
屏風絵を色々と拝見。
画壇から離れても個人から依頼があるのでそれでやってゆく画家と言うのが少なからずいたわけです。
櫻谷もそう。
あと、大阪の日本画家で専門職ではないがめちゃめちゃええ画家もいるのですが、彼らなんぞもそう。
賞貰ったりなんやかんやより、というのを選ぶことも出来た人々。
ただし圧倒的に凄い画力がないとあきません。

群芳之図

綺麗な花の地へ




撮影可能でありがたいのは、自分の好きな草花を見つけると、それをこうして自分のいいように撮らせてもらえるところですな。

ああ、まさに百花繚乱










見ててこちらの目もキラキラしたよ。ちょっと南画風なところもあって面白い。

キラキラと言えば、元祖キラキラな琳派風な描写の屏風もあります。
秋草図




派手と言うのではなく、どこかシックな感じがある。
空間処理、いいなあ。







金屏風の良さを堪能しましたわ。

竹林白鶴 1923 泉屋博古館東京



こちらは竹に鶴。住友吉左衛門へ納めた作品。ドヤ顔な鶴。
ところでこの1923年に竹鶴政孝(ニッカウヰスキー創業者)は鳥井信治郎に招かれ、後のサントリー山崎蒸溜所初代所長として、日本初の本格スコッチ・ウイスキー製造を指揮したそう。
ところでどうでもいいことだが、櫻谷の作品を収集した住友吉左衛門の建てた住友ビルディングと堂島のサントリーとは徒歩圏内です。どちらも魅力的な建物。

駅路之春 1913 この華やかな彩色の屏風は細部を見るのがまた楽しくて、見るたびに新発見がある。
今回は馬の足元に目が行った。



馬の優しい顔がいいよねえ。

馬を使って旅をする人々。一休み一休み。



近世風俗画の花見の様子を見ているような楽しさがある。

月下遊狸 大正~昭和時代 華道家元池坊総務
 
タヌキが立ってるわけだよね。
タヌキは確か化ける時に木の葉をアタマに載せるんでしたかね。
そうそう、「ゴールデンカムイ」によると、タヌキは死んだふりをホンマにするそうです。
それでこの絵は今回の展示が初公開となるそう。
池坊さんの所にあったということはもしかするとお茶席には使われていたかも。
たとえば茶釜も分服茶釜とかで…

こっちはおやすみにゃんこ
 
可愛いよね。

厩 これは前に泉屋博古館で見た時とても惹かれた絵 昭和六年の「トレド日本美術展」出品。

馬ののんびりした顔がいいなあ。

春園閑興図 のんびりわんこ

雀が来たのをながめる。
 

さあ明日から後期。
福田美術館・嵯峨嵐山文華館とまた回りましょう。

そうそう、現代に活躍する作家さんの絵もありましたわ。
岡原大崋 氷雨  1961年生まれの方だそう。孔雀がいっぱいいたわ。
わたしはこの水仙を描いた「氷雨」がよかったです。