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遊行七恵、道を尋ねて何かに出会う

「遊行七恵の日々是遊行」の姉妹編です。
こちらもよろしくお願いします。
ツイッターのまとめもこちらに集めます。

木島櫻谷展をみる @福田美術館 その1

2021-11-30 15:19:38 | 展覧会
前記事の続きで今度は福田美術館。
外へ出たらぽかぽか陽気。
ここの美術館は建物の構造から日に焙られ…ならぬ、日当たり良好なのでめでたい。
階段にはシマシマとかカクカクな影が差したりで楽しい。
長身なので上部ロッカーを使用。皆さんのお邪魔いたしませぬぞ。

こちらもパチパチありがたきところなのですが、行った日はなにやらロケの最中。
入り込まないようにちょっとばかり気を遣う。

皆さんパチパチ。
わたしなぞはこうしたブログの為やTwitterに使用する為にパチパチなのだが、それらとは無縁な方々は撮った画像を見返すこともあるのだろうか。
たまにそんなことを思う。
カルチャーセンターの仲良しさんの奥さん方は気に入ったものを撮ったあと忘れてしまって、ある時不意に「これはなにかな」と思うことがあると言われたが、その時にはまた新たに「綺麗ね」と嬉しくなる、とのこと。
記憶が消えても記録があることで、後にも喜びの種が生まれる。


箕面の滝だよ、これは。 今尾景年も出かけたんだなあ。
わたしには親しいものですがな。
箕面の滝は江戸時代でも洛中の人らが物見遊山に出かけるところなのよ。
その時から猿がいたのかどうかは知らんが、まあいたでしょうなあ。
紅葉の天ぷらが食べたくなってきたよ。
箕面は近いので日曜にでもゆくか。

歴史画をみよう。
木島櫻谷 剣の舞

これは「太平記」の護良親王の最後の宴の様子。親王は剛毅な人で射かけられた矢をつけたまま大酒。
ところでわたしは昭和の子供なのでか、もりなが親王なのよね。もりよし親王ではなく。
この時代により呼び名が変わるのはあまり好きではないんよね。
シュトーレンはシュトーレン。シュトレンではない。
クラナッハはクラナッハ。クラーナハではない。
ウォーレン・ビーティはウォーレン・ビーティ。ウォレン・ベイティは知りません。

お姉さん方も。櫻谷の婦女図屏風




実はこちらを見て「ねじ式」の女医さんを思い出したのでした。





皆さんそれぞれ個性が違う。

櫻谷はどうぶつ絵がいい。
木ですりすり。角研ぐ鹿 これは櫻谷の作品でもよく知られていると思う。京都市美術館で時折見かけていた。

この木はかれの庭に今も残る木。

虎もいます。


お顔


猛禽もいる。


春のお眠なわんこ


可愛い


月下を千鳥の群れがゆくのだけど、

ちょっと鴉天狗の群れにも見えるんよね。
そしてその掛け軸にも千鳥が。

これタイトルは「月下鵆図」げっか・こう・ず なんだが、この「こう」が千鳥を意味する字で、他に使われてるのは歌舞伎の「島鵆月白浪」しまちどり・つきのしらなみ これくらいしか知らんなあ。

次は狸。これはいかにも冬の里山にいそうな奴。 この猿もなかなか賢そう。
 

一旦ここまで。

木島櫻谷展を愉しむ @嵯峨嵐山文華館

2021-11-22 15:11:00 | 展覧会
近年ますます再評価、人気の高まる木島櫻谷の展覧会を嵐山へ見に行った。
福田美術館と嵯峨嵐山文華館がリンクしたよい展覧会で、撮影も可能と言うこともあり、多くのお客さんが来られていた。
密になってはいけないのだが、多くのお客さんが喜んでこの二つの美術館に来ているのを見ると、やはり一部の人にしか知られなくなっている昔の画家の為にも、こうした取り組みはとても良いのではないかと思いもする。
なにしろ「名前だけ聞いたことがある」という画家があまりに多い。
忘れ去られ、百年くらいたってから、取り上げられて再評価されることがある、と言ってもそれも一部だけだ。
こうした形の公開で、忘れられた画家たちを呼び戻すということはとても良いことだと思う。

というわけでわたしもパチパチと好きな作品を撮らせてもらった。
むろん中には撮影禁止の作品もある。
それは会場で見てね。
そしていつもは撮影可能な展覧会の記事は意図的に終了後に挙げているが、わたしの撮ったものが展覧会の紹介となることから、今回は会期中に挙げます。
微力ながら応援したい気持ちがある。

ところでわたしは基本的に遠くから回ってゆく人なので、大体いつも嵯峨嵐山文華館から行くことにしている。
行くとこちらは第二会場だという話だが、まあええわと見るわけさ。

櫻谷は若い頃から随分と旅好きな人で、晩年までそれは変わらなかった。
物見遊山の旅ではなく、スケッチ旅行なのである。
これは昔から絵師には儘あることで、北斎も広重も巴水も吉田博も実に多くの旅に出た。
洋画家だと鈴木信太郎が旅好きで各地を巡っている。
その旅のお供のかばんや帽子など。

京都住まいなので国鉄京都駅からの時刻表は必須。


場内の様子


旅の成果は風景画。

賀茂 大正時代 光彩文庫 木間隠れに鳥居などがみえる。
賀茂の社の尊さよりもどこかのんびりした空気感がいい。

同時代の他の京都画壇の絵師の作品をもある。
京都画壇と書いたが、櫻谷もこの華岳も若いうちは参加していたが、そのうちにその枠から出て行って、自分の思うとおりにした。
村上華岳 墨絵牡丹図 昭和7年(1932) 福⽥美術館  見るからに静謐にして幽玄ながらどこか艶めかしくもある。


山口華楊の赤松と堂本印象の観世音菩薩が並ぶ。
こちらは撮影禁止なのでぜひ見に行ってほしい。
大正時代の若い頃の絵なので、後の画風とは違う。
尤も印象の仏画はこの頃既にたいへん良いものが多く生まれていたので、この長身細身の観世音菩薩にも脈打つ命がある。

岩佐古⾹ 朝顔⽇記図屏⾵  ⼤正〜昭和時代 福⽥美術館  この画家は本当に知らない。初見どころか名前すら知らないので、生涯も知らない。
作品も今回初めて見た。福田美術館が所蔵しているのも知らないことで、それがこうして出てきてくれたので知ることになった。
他の人も恐らくは知らぬ人が多かろう。機会があって本当に良かった。
画題は文楽や歌舞伎の「生写朝顔話」から。上村松園さんはこのヒロイン朝顔がまだ出奔せず、深窓の令嬢である頃を「娘深雪」と題して描いた。
好きになった男の為に出奔し、苦労の果てに盲目の芸人・朝顔となり、大井川まで流れてきた。

そこで初めて好きな男が自分の見合い相手と同一人物だと知り、盲目の身で川を渡ろうとする。
そんな劇的なシーンである。



しかしあくまでもこの朝顔は静かである。
女の激情と川と去る男と言えば「日高川」があるが、ここではハッピーエンドが約束されている。
よかった。
未だに歌舞伎では観ていないが、文楽ではよく掛かるのでわたしも何度か見ている。

今回の展示で個人的に嬉しくてならなかったのは、この作品が福田美術館に所蔵され、展示されるようになったことだ。
菊池契⽉ 浦島 ⼤正4年(1915) 福⽥美術館

これまで二度ばかり見ている。奈良県美の「神話」展など。
浦島を描くというと、絵本では最初から最後までのシーン、山本芳翠は海の眷属たちに送られる浦島を描いている。
かれはイルカの背に立ってはるか向こうに竜宮城が残る。とても印象深い絵。
あるいは玉手箱を開いて後の老爺から鶴になり、追ってきた乙姫が亀になった鶴亀の吉祥図もある。
ところがこれは御覧の通り、退廃的な魅力のある作品なのである。
歌にもある通り「遊びに飽きて」それ。

姫様の婿として愉楽の日々を過ごした浦島。
侍女たちも遊び疲れて眠る。

大正時代らしい艶やかさがある。


そしてこの浦島の表情。

愉楽を極めつくした果ての顔。
足元には貝殻など。


三幅対の真ん中だけでなく左右をみる。
右の海浜に鴉の風景はうら寂しい漁村を示している。

ここからの脱走は考えていなかった浦島だが、それだけに行った先の竜宮城での歓待・愉楽の日々は驚天動地だったろう。
そして何もかもが終わったあとの風景として松林。

宴は終わったのである。永遠に。


ここで常設展示の百人一首関連の展示を見る。

源氏物語や古今集をモチーフとした札。江戸時代の楽しみ。いいねえ。

二階へ上がる。
靴を脱いで畳の大広間へ。キモチいいなあ。

⽊島櫻⾕ 鴉群⾶図 明治時代 福⽥美術館

鴉は好かれはしていないが、画になるのは確かだ。黒い鴉の様子を描く人は少なくない。



「群れ鴉笑ひける」という情景にも見える。

⽊島櫻⾕ 猫 明治時代 光彩⽂庫  身を低めてそろりそろり…

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                             
⽊島櫻⾕ 狗児 ⼤正時代 個⼈蔵 スヤスヤ




わんこもにゃんこも向かうところ敵なしである。

⽊島櫻⾕ 舞燕之図 ⼤正時代 光彩⽂庫  初夏らしい闊達なものがある。


⽊島櫻⾕ 鳶図 昭和5年(1930) 個⼈蔵  トンビもあんまり喜ばれないが、先達に蕪村がいる。
猛禽の横顔。

「四谷怪談」で南北は伊右衛門に死なせた人たちに毒づかせるが、その中でこんなセリフがあった。
「トビやカラスの餌食となりて」江戸時代の感覚は今も生きている。

⽊島櫻⾕ 秋宵群雁図 ⼤正時代 下御霊神社 これはまた静かな…

雁がゆくのは秋ではあるが、広重の浮世絵にも雁渡のよい絵がある。
雁も一羽ならグース、こうして集団になるとギース。野生の雁はワイルドギース。…傭兵。

静かな風景を見よう。
 


⽊島櫻⾕ 残陽 ⼤正時代 光彩⽂庫


⽊島櫻⾕ 秋⼭霜⾊ 通期(10/23〜1/10) ⼤正時代 光彩⽂庫

⽊島櫻⾕ 双家鴨 ⼤正〜昭和時代 光彩⽂庫  こちらはアヒル。のんびり。


⽊島櫻⾕ 富岳瑞雪 昭和6年(1931) 学校歴史博物館  最後に櫻谷が出身小学校・明倫小学校に贈った絵を見よう。

富士山である。それも上部のみ。これは子供たちに富士の頭を見て心持を上へ向かわせようという、心づもりではなかろうか。
そんな気がする。

美術館から見る。
また後期にも行きたい。
前期は11/29まで。


「美男におわす」展に溺れる その4

2021-11-14 01:47:04 | 展覧会
ようやくここまでたどり着きました。
もう多分フィナーレを迎えるでしょう。

第5章 わたしの「美男」、あなたの「美男」
実にいいタイトルだ。

ここでは二つのマンガが紹介されている。
とはいえ展示の視点は異なる。
竹宮さんの美麗にして、上品でありながらも艶めかしく、欲望を露わにした一枚絵が並ぶ様は、まさに壮観だった。
代表作の一つ「風と木の詩」の表紙絵などがここにある。
原画ではなく、その複製品であり、限りなく原画に近い「原画ダッシュ」である。
この様式を提唱し実行したのも竹宮さんと、その勤務した京都精華大学だった。
わたしは竹宮さんの作品ではこの「風と木の詩」より「変奏曲」「夏への扉」「地球へ」の方が好きだが、「風と木の詩」と同時代に生き、リアルタイムに読み進めることが出来たことは、とても喜ばしいことだと思っている。

わたしなども気づいた時には既にフジョシであり、自覚してからもう随分長く生きているが、先達として竹宮さんがこの世界を切り開いてくださったことには、まさに感謝しかない。

竹宮惠子(表紙) 『JUNE』No.2~14号 全13冊 1982~84(昭和57~59)年 雑誌 島根県立石見美術館  
いずれも素晴らしく艶めかしい、美麗な表紙絵である。少女たちから大人の女性の少年愛へのときめきを具現化する絵が並ぶ。
欲望を隠すこともよいが、こうした雑誌があることで欲望を隠さなくてもよくなった。
喧伝はせずとも、自分が好きなものはここにある、と秘かに宣言したあの時代。
なんというトキメキの時代であったことか。
耽美的なこの「JUNE」表紙絵は今こうして目の当たりにしても、やはり歓びを与えてくれる。
ミノタウロスでなくタウロスであるかもしれない牛のそのタン、それだけでも艶めかしい。
このときめく官能性こそが欲しいものだったのだ。
美少年たちの宴。どの表紙絵にもその魅力があふれ出している。

当時わたしは「JUNE」の姉妹誌「ALLAN」の愛読者だった。
「ALLAN」は「少女のための耽美派マガジン」と銘打たれ、数多のときめきを得た。
デヴィッド・ボウイの美貌、ニジンスキーへの深い陶酔、軍服の魅力…


今回のチラシのバージョンの一つにもなった、泰西名画風な作品をみる。
川井徳寛 共生関係~自動幸福~ 2008(平成20)年 油彩、カンバス 鎌苅宏司氏

本当にこれは現代絵画とは思えなかった。綺麗な作品。

川井徳寛 相利共生/Mutualism~automatic ogre exterminator 2011(平成23)年 油彩、カンバス 田邊育男氏

桃太郎なんだね。auのCMの桃太郎、浦島太郎、金太郎の仲良しぶりも好きだけど、だいぶ前のサントリーの桃太郎のがまためちゃくちゃ好き。
家来になる犬・サル・キジは黍団子によって主従契約が結ばれたわけだけど、むろんそれだけではないわね。
桃太郎は海を渡ってわざわざ戦いを挑むというのが魅力の一つなんだろうけど、それはそれで「海の神兵」にもなるし…
このタイトルはぴったりだなあ。

川井徳寛 Sleep collector 2010(平成22)年 油彩、カンバス YAMAMOTOコレクション

静かな空気が好ましい。美少年のこういう雰囲気はヴィクトリア朝の絵画などでもみる。
同じ空気感がある。

こちらも油絵の面白味の濃い作品。美男と言うより美しい坊やたち。
唐仁原希 もういいかい 2016(平成28)年 油彩、カンバス 作家蔵

動きのない空間の良さ。
静謐な世界。
足元の絨毯がまた魅力的。

感触まで伝わってきそう。

唐仁原希 キミを知らない 2015(平成27)年 油彩、カンバス 作家蔵

タイトルの意味を考えても、答えはここにはない。作家の心に答えはある。
こちらも絨毯が素敵。

先の絵には人が入るサイズの棺が三つ立てられていて、こちらはおもちゃの王様の後に棺が三つ続く。

唐仁原希 旅に出る虹の子ども 2020(令和2)年 油彩、カンバス 作家蔵

手にしたワイングラスに虹が立つ。
子供の服にはニベアが挟まれている。スキンケアのニベア。

この作家さんのサイトを見に行くと、他の作品にも出会える。
シュールな世界。静謐で時間が止まったような空間に子供がいる。

木村了子 男子楽園図屏風 − EAST & WEST 2011(平成23)年 紙本着彩 六曲一双屏風 作家蔵


ジャニーズ系だよな、これは絶対。特に農業系男子は皆そうだよね。

木村了子 夢のハワイ− Aloha 'Oe Ukulele 2016(平成28)年 絹本着彩 二曲一隻屏風 作家蔵

一昔前の雰囲気がいい。


木村了子 月下美人図 2020(令和2)年 絹本墨彩、黒銀箔 軸 作家蔵

描表装がまたよくて。

ときめくよね。
木下さんは年々歳々作品の魅力が増して行く作家さんだなあ。

ここでよしながふみさんの 『大奥』登場。
確かに「美男揃い」。本質的な意味での「美男揃い」。
それはこの物語の根幹にかかわるもの。

思えば随分長い連載で、実写映画にもなったなあ。
個人的な考えだが、このタイトルはあまりわたしは好まない。
なにしろ「大奥」と言えば岸田今日子さんの出た映画の方がすぐに思い出されるので。
アニメの「君の名は。」タイトルを好まないのと同じ感覚。
それで実の所、わたしはよしながさん描く美男と言えば、実は「ジェラールとジャック」のジェラールを推したいんだよねえ。ジェラール好きよ。

𠮷田芙希子 風がきこえる 2021(令和3)年 ポリエステル樹脂、FRPサーフェイサー
壁面展示のこの立体作品はかなり大きかった。

現代の作品だからFRP仕様だが、五十年以前なら漆喰になるか。
音楽家のような雰囲気のある横顔。

小部屋に佇む舟越桂。
舟越桂 風をためて 1983(昭和58)年 楠に彩色、大理石 栃木県立美術館
舟越桂 ルディーの走る理由 1982(昭和57)年 楠に彩色、大理石 野木町(栃木県立美術館寄託)
この人以降だと思うのだ、タイトルが詩的なもの・謎めいた表情のものは。
40年近い前の作品だが、いつまでも時間を制止したまま生きる作品。

金巻芳俊 空刻メメント・モリ 2021年(令和3)年 木彫、榧、楠に彩色 フマコンテンポラリートーキョー|文京アート
骸骨との関係が妙に響く。






金巻芳俊 空刻メメント・モリ 2021年(令和3)年 ドローイング、鉛筆、コンテ、紙フマコンテンポラリートーキョー|文京アート

「死を想え」のメメント・モリではあるが、キリスト教的なものではなく、「日本霊異記」などにみえる、志半ばで行路病死した修行僧の髑髏が喋る、あれを思いもする。未だ死なずという骸骨にも思えるし、「すべて虚しくなる」わけでもなさそうに思えるのは、たぶん骸骨をかぶる青年の下腹部のふくらみがあるからかもしれない。
休止中だが、いずれは固くなり熱くなるのを想像するからだろうか。

市川真也 Lucky star 2021(令和3)年 アクリル、カンバス 作家蔵
美男ではないが感じのいい青年たち。


どちらかといえば「さぶ」とか「アドン」を思い出したぞ。
若い頃の吉田秋生さんの世界観にも近そう。

森栄喜 "Untitled" from the Family Regained series 2017(平成29)年 Cプリント 作家蔵
赤い画像の中の青年。映画「二十歳の微熱」はナマナマしかったが、この映像で見てみたいと思った。


そしてバロック絵画のような作品が来る。
井原信次 Afterimage 2018(平成30)年 油彩、カンバス、パネル 個人蔵
井原信次 Daily gate 2012(平成24)年 油彩、パネル 個人


良い展覧会でした。
長々とお付き合いくださりありがとうございました。

「美男におわす」展に溺れる その3

2021-11-11 22:48:13 | 展覧会
さて「美男におわす」展もついに浦和に於いては閉幕いたしまして、次は島根へ巡回と言うことでございます。
美男たちが巡回、追っかけも出てきそうな美男ツアー。
ときめくなあ。

わたくしの感想もそろそろここらで終わる予定…は未定で、とりあえず書けるところまで書きます。

3.魅せる男
役者絵や歴史上のキャラのカッコいいところを絵にしたものが登場。

絵師不詳 若衆歌舞伎図 1661~73年頃(寛文期) 紙本着色 軸 島根県立美術館  みんなで踊る。群舞、いいよね。これぞ和のレビュー。

絵師不詳 大小の舞図 17世紀(江戸時代初期) 紙本着色 軸 板橋区立美術館  烏帽子をつけて手に金扇もって舞う。小袖も派手でいいな。


菱川師胤 中村竹三郎図 1716(享保元)年頃 絹本着色 軸 千葉市美術館  編笠を島田髷が崩れぬように挙げて持つ。野郎帽子もつけたまま。今から「おつとめ」に行くのか。
歌舞伎に詳しい一ノ関圭「鼻紙写楽」の「小紅」編でそうした風俗とその惨めさが描かれている。

歌川豊国(三代) 揚巻の助六 (八代目)市川団十郎 三升 1860(万延元)年 木版、紙 千葉市美術館  白目の青いのがまた清々しい。

歌川豊国(二代) 助六 市川団十郎 18世紀末~19世紀初期(江戸時代後期) 木版、紙 早稲田大学坪内博士記念演劇博物館  かっこいいなー。

ここで近代の役者絵があらわれる。
山村耕花 梨園の華 十一世片岡仁左衛門の大星由良之助 1916(大正5)年 木版、紙 島根県立美術館  個性のにじむ顔。とはいえ、この11世仁左衛門は「大松島屋」と謳われた名優で、戸板康二に言わせれば「加古川本蔵をやるために生まれてきた」ような人というので、ニンはそっちなのか。
大正時代の名優たちを見てみたかったよ。わたしはこの時代の役者たちの芸談や話を読むのが好きで、川尻清譚や三宅周太郎らの劇評本なども読んだなあ。
それと八世三津五郎、戸板康二ね。

山村耕花 梨園の華 初世中村鴈治郎の茜半七 1920(大正9)年 木版、紙 島根県立美術館  実にいい横顔。伏目がちの切れ長の目。いいなあ。
「ほっかむりのなかに日本一の顔」と謳われただけある。
この絵はほっかむりなしの顔。


そういえば前期にはこのシリーズでこちらが出たそうな。
山村耕花 梨園の華 七世松本幸四郎の助六 1920(大正9)年 木版、紙 島根県立美術館  この人の息子三人が後の海老蔵(11世團十郎)、八世幸四郎、二世松緑になるわけだが、役者らしい面長なよいお顔なのだった。

次からは見立てもの。
要するにファンの皆さんが「推しにしてほしい」キャラやスタイルを描くもので、別に現実にその扮装をしたわけでも芝居をしたわけでもない。まあ夢の一種です。
ここには出ていないが、三世豊国が13世羽左衛門時代の五世菊五郎を弁天小僧に見立てた一枚絵がある。
あれなど艶が滴るようで本当にいい。小さい箪笥に座りながら片足を床に降ろし、更には女装しながらも片肌脱いで桜柄の刺青も露わに、娘島田も崩れて、そんな様子で急須から注いだ酒を満たした杯を持つ。どこかの蔵の中で、そのくせそこにはお鯛さんも肴に出ていて、部屋には大きな百目蝋燭、床柱には竹筒に差し込んだ白椿。
この絵がないのはまことに残念。
ついでに言うと、横溝正史の耽美小説「蔵の中」にはこの浮世絵にときめくあまり、美少年の弟の白肌に針を刺す聾唖の姉があらわれる。

歌川豊国(三代) 当世好男子伝 1858(安政5)年 木版、紙 早稲田大学坪内博士記念演劇博物館
これは三世豊国つまり国貞の水滸伝の好漢を江戸の芝居に現れる男に見立てたもの。
三人ずつの三枚続きもの。それをばらで見る。
弟弟子の国芳が水滸伝もので爆発的ヒットを飛ばしたことで、江戸では水滸伝大好き民があふれるようになった。
国貞は国芳のようなエネルギッシュさを絵には出さないが、しかしカッコいいものは描く人なので、だいぶ晩年ながらこの連作を世に贈った。
なので「好男子伝」は「すいこでん」と読む。いい読ませ方やなあ。

花和尚魯智深に比す 朝比奈藤兵衛  真っ向の顔。魯智深は坊主でも暴れん坊なので、侠客の藤兵衛が当てられた。この人は膂力が強かったので芝居でやっぱり人気の「朝比奈」と呼ばれもしたのだ。
調べると東軍流の使い手だとある。おお、そうなのか。荒木又右エ門の弟子。
とてもエネルギッシュな感じがある。

行者武松に比す 腕の喜三郎  手にするうちわ、拭う汗で夏らしさを感じる。
武松なので肩には虎が。

九紋龍支進に比す のざらし語助  髑髏柄は野晒悟助の決まりもの。腕の刺青が九龍。
かっこいいなあ。

このシリーズはボストン美術館蔵のを見たのが最初かもしれない。
「俺たちの国芳 わたしの国貞」展で。
当時の感想はこちら

そして次に国芳の忠臣蔵列伝ですね。
歌川国芳 誠忠義士傳1843~47(天保14~弘化4)年 木版、紙 青木コレクション(千葉市美術館寄託)
リアリズムというか、あまり面白味は追及していないものの、一人一人の個性(描き分け)を大事にしたシリーズ。
物語を思うと、ああこの人がと色々感慨深く思う。
名前表記は例によって違う字を当てたりしている。
背景は基本白。そこに一人一人の来歴や当時の状況などが記されている。他はキャラとそのアイテムのみ。
ところでこれから数年後の元治元年には兄弟子で長生きの国貞が同じタイトルで、しかも役者の見立て絵で作品も発表している。

礒合重郎右衛門正久  いい体つき。
大鷹玄吾忠雄  槍を構えている。
岡島弥惣右エ門常樹  手形のついたものを持つ。
徳田貞右衛門行高  簑笠姿。
菅屋三之丞正利  細紐が刀から身体から絡まりまくっている。ポーズ、好みよ。

弟子の月岡芳年の怪作「和漢百物語」登場。1865(慶応元)年 木版、紙 町田市立国際版画美術館
大宅太郎光圀  瀧夜叉姫とその一派の敵。背景には骸骨共の戦い。
鷺池平九郎  池か川かに突き出した崖の上で上部の蛇を睨む。傍らには紫陽花。
小野川喜三郎  部屋で一服してるところへ現れたろくろ首に煙を吐きかける。
仁木弾正直則  かっこいいよなあ。悪のダンディズム。ネズミ可愛い。

数年後の明治元年には「魁題百撰相」刊行。木版、紙 町田市立国際版画美術館
滋野左ヱ門佐幸村  血まみれの部下を抱き寄せて末期の水を飲ませようとする。
松永春松 1869(明治2)  えろい美少年を…いいなあ。

この頃の芳年は色々大変なのだった。
わたしは明治の画風が変わってからの作品から入ったので、まだ師匠の影響の濃いこの時代の作品は、また別な楽しさを懐いて観ている。

抒情画から好きなものが登場。いずれも弥生美術館で会う度に蕩けそうな心持で眺めている美少年たち。
高畠華宵 月下の小勇士 1929(昭和4)年 印刷、紙 弥生美術館  もうほんと、この二人の少年の凛々しい美しさにときめくのよね。
この絵を使ったガチャもあったけど、売り切れてたなあ。
好きな作品。江戸時代の少年武士のこの潔さ、意気地、いいなあ。
こちらは以前挙げた華宵の美少年たちの絵。参考に別の作品も。本作の画像がちょっと行方不明中。
イメージ (10)


高畠華宵 古城の春 1927(昭和2)年 印刷、紙 弥生美術館  打って変わってこちらはどことなくスィートソローな雰囲気がある。これもまたよい。


高畠華宵 さらば故郷! 1929(昭和4)年 印刷、紙 弥生美術館  この絵と弥生美術館創立者・鹿野さんとのお話は弥生美術館の一隅で紹介されている。
本当に良いお話で、この美術館の生まれた物語でもあるので、行かれたらぜひご一読してほしいです。
少年が家を出てゆこうとするとき、愛犬が寂しくその裾を噛む。せつない。
この絵についてはもう一つ好きなエピソードがある。
弥生美術館が開館したその日、田中角栄が大急ぎでやってきて、この絵の前で涙ぐんだそう。
かれもまた「さらば故郷!」の少年の一人であり、立身できた人なのよ。

いわゆる本画こそ立派なもので、挿絵は下がったものとみなされることもあるが、心に残る名画は実は少年少女の日に見た挿絵ではないか。
だからわたしは絶対に挿絵の価値を下げることを認めない。

山口将吉郎 馬上の武田伊那丸 1927(昭和2)年 印刷、紙 弥生美術館  かっこいいのよ。

これは吉川英治「神州天馬侠」の主人公を描いたもの。物語は群像劇でもあり、いろんなキャラがあらわれる。
わたしなどは吉川英治と言えばこの「神州天馬侠」と「鳴門秘帖」がベストですわ。
そして前者はこの山口将吉郎が、後者は岩田専太郎が描く。

伊藤彦造 杜鵑一声 1929(昭和4)年 印刷、紙 弥生美術館
img233.jpg
この「杜鵑一声」は昭和四年の作だが、その当時、昭和天皇の天覧の栄に浴したそうだ。
これも杜鵑の鋭い声が聴こえてきそうな緊迫した空間。
伊藤彦造の本人は意図していない艶にときめく。

ここで画伯登場。
山口晃 夢枕貘 著『大帝の剣』(角川文庫)装画 2015~16(平成27~28)年 ペン、墨、水彩、紙 3枚組 作家蔵  ほんと、画伯はなんでも描けるし、どんな表現でも出来る作家さんだよなあ。
丁度今京都の鍵善さんの美術館で画伯の挿絵「親鸞」の展示が開催中だけど、まさに変幻自在、精妙巧緻というべき作画で、見飽きることはないねえ。

近代日本画から。
猪飼嘯谷 頼朝手向の躑躅 1938(昭和13)年 紙本着色 京都市美術館  昔の人なので、面長の静かで美しい佇まい。白躑躅が咲く。

安田靫彦 源氏挙兵(頼朝) 1941(昭和16)年 紙本着色 京都国立近代美術館  色白のおじさま。後白河法皇を「日本一の大天狗」と罵ったのはきっと少年時に愛でられたのを恨んでのことだろう、という説があるけど、しかしながらこれはやっぱりそんな風情あるわ。

川合玉堂 小松内府図 1899(明治32)年 絹本着色 東京国立近代美術館  明治の頃は玉堂もヒトを描いた。
いきりたつ父の清盛らを鎮めに来たところ。

さて、ここで噂の聖闘士星矢が登場。それも原作やなしに東映アニメの設定資料集などなど。
聖衣の最初のんと後から変更した分と。
わたしは原作ファンだけど、荒木・姫野コンビの作画あらばこそ世界に売れた、というのは強く同意するよ。
丁度その頃荒木・姫野の作画がクラシックな感じに見えてたのが、その優美さが逆に受けたわけだしね。

原作:車田正美/シリーズディレクター:森下孝三、菊池一仁/シリーズ構成:小山高生、菅良幸テレビアニメシリーズ「聖闘士星矢」
 オープニング映像「聖闘士神話」より
 エンディング映像「夢旅人」より
 オープニング映像「ペガサス幻想」(1分27秒)
 エンディング映像「永遠ブルー」(1分12秒)
 設定資料
1986~89(昭和61~64)年放映 映像 東映アニメーション
改めて青銅の連中全員が城戸の爺さんの子どものうちの一部だというの凄いよな…
あと個人的に歌はどの歌も全部よかった。
わたしは黄金聖闘士が好きなので青銅の小僧どもみると、ついついシオン様の「うろたえるな小僧ども!」やりたくなるんよね。
冥王篇の「地球ぎ」は歌も映像も何もかもが好きです。


「美男におわす」展に溺れる その2

2021-11-02 23:54:49 | 展覧会
つづき。

2.愛しい男
近世風俗画、初期浮世絵などから

菱川派 花下遊楽図屏風 1701(元禄14)年頃 紙本着色 八曲一隻屏風 島根県立美術館   浮かれ具合がいい。奴を連れてその場に現れる若侍がこの章での「美男」にあたるか。
元禄の頃は特に美少年が好まれたので色々と嬉しくなる。

ふと思ったが、南條範夫の作品に元禄頃の遊楽図を合わせるのもいいかもしれない。
無惨な話ばかりではなく、爽やかな話もあの人にはあるのだ。

宮川一笑 色子(大名と若衆) 18世紀(江戸時代中期) 絹本着色 軸 たばこと塩の博物館

この絵は客と買われるものであっても、その間に情と言うものが感じられる。
客の膝にやる手と目元に何とも言えぬ情感が込められている。
手練手管の一つかもしれないが、そうだとも言いきれぬように思う。

枕屏風には色子が客のもとへ向かう様子の絵がある。

髷を崩さぬようにかぶりものを手でそっと上げるのだ。
ところでこの画像は2007年のたばこと塩の博物館「風俗画と肉筆浮世絵」展から。

勝川春潮 喫煙若衆図 18世紀(江戸時代中期) 絹本着色 軸 板橋区立美術館  柳の下で喫煙。弟分は振袖を着ている。若衆は振袖を着るものなのだ。

鈴木春信 風流艶色真似ゑもん まねへもん十四 1770(明和7)年 木版、紙 島根県立美術館  出ました。真似ゑもん。ここでは遊女につれないようなことをいいつつも実は夢中な客の様子をバカバカしく眺めている。

喜多川歌麿 お染久松 1801~04年頃(享和期) 木版、紙 島根県立美術館  これまたお染よりもなお初々しい美少年ぶりで、手籠めにしたくなるのはこっちだな。
大体主家のお嬢さんと秘かに密通する手代はみんな線の細い美少年・美青年ばかりで、悪い奴に駆け落ちをそそのかされてその気になったりすると後でえらい目に遭ったり、結局は破滅するしかないのだ。

歌川国芳 源氏雲浮世画合 花散里 1846(弘化3)年頃 木版、紙 島根県立美術館  椿柄の着物の艶やかさ。綺麗なあ。

吉川観方 入相告ぐる頃 1918(大正7)年 絹本着色 二曲一双屏風 京都市立芸術大学芸術資料館  

出ました「生き過ぎたりや」世代。この絵を見たのは90年代初頭だが、その時既に近藤ようこさんの「雨は降るとも」「月は東に昴は西に」を愛読していたので、風俗考証家である観方の絵を見て、秘かに喜んでいたのだ。
一言でいえば「かったるい」ムードがあるわけで、それが実は不吉な匂いまで含めてもいる。
「生き過ぎたりや」の大鳥逸平は松田修の著書で知ったが、「華文字の死想」からか「闇のユートピア」からか、今はちょっと判然としない。

三宅凰白 楽屋風呂から 1915(大正4)年 絹本着色 二曲一隻屏風 京都市立芸術大学芸術資料館  この絵も上述の「入相」と同時期に見た。大丸心斎橋での展覧会から。
芝居がハネたか出番を終えたか、立役と女形の役者二人が連れ立って楽屋風呂へ向かう様子。
楽屋風呂と言えば面白い話がある。18世勘三郎がまだ勘九郎だった青年時代、風呂に浸かっていると誰かが来た。
それがまさかの中村歌右衛門で、しかも「助六」のセリフ「冷えもんでぇす」を口にしながらの入浴で、若い勘九郎は驚いて文字通り飛び上がったそうだ。
あの上品な歌右衛門のおちゃめな話。
三宅凰白は山元春挙の弟子であり、縁戚でもある画家で、非常に妖艶な京劇の女形の絵もあり、また祇園祭の稚児の絵もある。
この画家の息子さんとはご縁があって、短冊の作品をいただいたこともある。
作品の紹介はこちら。三宅凰白の作品


村山槐多 二人の少年(二少年図) 1914(大正3)年 水彩、紙 個人蔵(世田谷文学館寄託)  おお、久しぶりの再会。この作品は江戸川乱歩が愛して、自宅にずっと飾っていたもの。
最初に知ったのは何からだったか。やがて実物を見ることが出来てとても喜んだ。
この作品の論考は須永朝彦「美少年日本史」「世紀末少年誌」、松田修の前述のどれかで読んだと思う。
二人の少年は健康そうに丸々としており、その時代の真っ当な少年である。
ところで作者の村山槐多は好きな少年に振られるという失恋経験があった。
わたしは彼は絵より先に小説「悪魔の舌」から知った。
カニバリズムへの嗜好の話でおぞけだつのだが、そこかしこに美少年への欲望がのぞいていて、そちらにもぞわりぞわりしつつ忘れえぬ作品となった。

往時は丸坊主少年が基本であり、どんな美少年も丸坊主で描かれた。
とはいえ少年の髪の美しさを描きたい気持ちも強く、その時は時代劇に場を借りた。

講談社と袂を分かった高畠華宵が『少年倶楽部』から去り、『日本少年』に移ってからその表紙絵を描いたのを集めていた。大正末から昭和6年までの本が並ぶ。
いずれも弥生美術館所蔵品で、あちらで見るたびドキドキするものたちである。

凛々しい美少年たちがきりっとスポーツにいそしむ姿を描いているものが多い。
中には『日本少年』26巻8号(昭和6年8月)のように北極探検に行って、シロクマを撫でるというなかなか夢のある図も。
明治末に白瀬隊による南極へ向かう探検行があり、ペンギンの様子を写した映像も残るが、この時点で実は北極は既に到達した者がいるので南極へ行くという考えからの行動だった。
南極にはシロクマはいないが、ペンギンはいた。
絵が北極でシロクマと2ショットなのは憧れを描いたものだろうか。
マンガでシロクマが出てくるのは「勝手にシロクマ」と「シロクマカフェ」か。
シロクマが凄い凶暴なのは「ワイルド7」から学んだなあ。

壁面に黒い輝きを放つのは金子國義の青年たち。
金子國義 殉教 1995(平成7)年 油彩、カンバス 金子修氏

既に澁澤龍彦亡き後の時代の作品。
細部を舐めるように眺めてゆこう。

殉教者の右膝・右腿を傷める少年たち。

無表情でありながらもなにかしら職務に熱心な刑吏にもみえる。

向かって右側の少年たちはポーズだけを見れは何をしているのかわからない。


そして殉教者たる青年のバストアップ


なにもかもにときめく。
1990年に当時心斎橋にあったキリンプラザで「EROS'90  楽園へ 金子國義展」が開催された。
むろん90年だからこの93年の殉教者はいない。それ以前の初期の少女たち、アリス、そして「青年の時代」の青年たちが現れた展覧会だった。
その展覧会には図録はなかったが、数点の作品をまとめたものがあり、そこに高橋睦郎の一文があった。
あの時からわたしはずっとときめき続けている。

金子國義 メッセージ 1983(昭和58)年 油彩、カンバス 金子修氏

こうして青年が描かれ出した頃からがとめどなく魅力が…


こちらを向いてはいるが、見てはいない眼に吸い寄せられる。

今度は山本タカトのほぼ20年の間の三点が現れた。
山本タカト 夕化粧 1997(平成9)年 アクリル、紙 作家蔵  少年にまだあざとさがある。自分が人目を惹くことを知るからこその。

山本タカト 天草四郎時貞、島原之乱合戦之図 2004(平成16)年 アクリル、紙 作家蔵  大きな画面の中に死が溢れかえっている。死と官能。芳年の無残絵にも通じるものがある。血と官能性の高まりと。

山本タカト Nosferatu・罠 2018(平成30)年 アクリル、紙 個人蔵  口から血が一筋。人形のようなおもてでありながらもそこに生を感じ、同時にその血が死に導かれるものであることを思い知らされる。
1920年代のムルナウの製作した映画、その映画をリメイクしたヘルツォークと吸血鬼を演じたキンスキー。
かれらとは一線を画するこのノスフェラトゥは別系統のポーの一族の一人かもしれなかった。

そしてここでアールヌーヴォーの影響を強く受けた 魔夜峰央の登場である。
彼の絵を最初見た時、ポーの挿絵を担当したハリー・クラークを想った。
ビアズリーでいえば「サロメ」ではなく「アーサー王の死」に近いかもしれないが、やはり魔夜さんはハリー・クラークの系譜の人だと思う。
そしてこの絵であのギャグをやらかすのである。

ここで紹介されているのは主に「パタリロ」だが、「ラシャーヌ」の方が先に世に出たと思う。
しかしその2大連載の以前に短編のホラー「怪奇生花店」が先に掲載されたのではないかな。
それから稚児の話も…
因みに「怪奇生花店」は近年の原画展で全頁展示があったらしい。
こちらの方がブログにまとめておられます。
こうした温度の低いホラーを読んでいたところへ破壊的ギャグが来たので、いっぺんに好きになった。

まだ一巻の頃はやっぱり後のというかパタリロのパブリックイメージとちょっと違うね。
展示にはないが、個人的に好きな表紙を挙げる。


そして近年まさかの映画化作品「翔んで埼玉」PARTⅡもあった。
過去作だがやっぱり面白いものは面白い。
絵とギャグのギャップが本当にいい。

「パタリロ」がアニメ化された時わたしもよく見たし、学校に行ってもクックロビン音頭 ♪ぱぱんがぱん、だーれがころしたクックロビン~と手拍子歌付で踊ったものである。
アニメの脚本に金春智子さんが参加されていて、そのお名前に印象が生きて、現在おつきあいがあるというのも不思議なものだ。

続く。