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遊行七恵、道を尋ねて何かに出会う

「遊行七恵の日々是遊行」の姉妹編です。
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奇想の国の麗人たち その1

2021-01-28 23:46:43 | 展覧会
弥生美術館で蠱惑的な展覧会「奇想の国の麗人たち」が開催されている。
メインヴィジュアルは御正伸である。

かれの展覧会も数年前に開催されている。
この傾向の展覧会は以前に「魔性の女」展がある。
当時の感想はこちら
「魔性の女」挿絵展 1
「魔性の女」挿絵展 2

弥生美術館は挿絵作品がコレクションの主体なので、他の美術館にはない面白さがある。
外連味といえば外連味なのだが、そこが魅力なのだ。
一目で心を掴むことが大事な挿絵・口絵にはそれ自体に既に魔性と文芸性とが同居している。それが「奇想」でもある。
そしてそこに現れた麗人たちの前にわれわれは跪くことになる。

わたしは12/26に訪ねた。
年の瀬の押し迫った最中にこの展覧会を主目的として出かけたのだ。
友の会会員としてだけでなく、決して見逃してはならぬ展覧会なのだ。

須藤しげる「春の女神」から始まる展示。
1933.4少女倶楽部。領巾が綺麗な装束。白い蝶がひらひら。

そしていよいよ。
化生のいきものから始まる。
異類婚で最も数の多いのが狐である。
華陽夫人、妲己、玉藻の前の系譜だけでなく、哀れにゆかしい葛の葉の物語は長く人口に膾炙した。
創作物でもこれは男性だが「きつね三吉」などがある。
黒地の着物がある。
一つは狐の嫁入り行列の図。もう一つは山川秀峰の「葛の葉」を写したとおぼしき図様のもの。秋草の野を往く女(=狐)
どちらも拵えた人の遊び心を伺わせる着物である。

葛の葉は芝居になる以前から五大説経の一つにも数えられたり、瞽女歌にもあった。
秋元松代の傑作「元禄港歌」はその「葛の葉」をライトモチーフにし、更に舞台で実際に瞽女役の演者に三味線で弾き語りをさせた。
わたしなどは亡くなった藤間紫の歌声が今も耳に残る。
他にも本当の瞽女さんの歌を録音したものを武蔵野吉祥寺美術館の斎藤真一展で聴いてもいる。


橘小夢の玉藻の前が二点。
以前の展覧会のメインヴィジュアルとなった、影が狐のものと、モノクロで狐が一人くつろぐものと。
几帳の向こうで笑う。几帳も春をモチーフとした小綺麗な装飾がついている。屏風もそう。

・雀
意外なことに雀が来た。そう、「舌切り雀」。講談社の絵本で鴨下晁湖の絵。
これについてはこちらに色々と書いたのでご参考までに。
講談社の絵本原画展 2016年秋
紹介されていたのはおじいさんが雀娘と梅見するシーン。椿や松も綺麗に咲く。
まん丸に近い雀のアタマのついたヒトガタに鮮やかな色合いのおべべ。

雀の変化というとこれ以外思い浮かばないなあ。

・蛇 蛇の化身または化生するのは大概女ということになつてゐる。
いきなり旧仮名遣いになってしまうくらい昔から変わらない。
蛇おばさんというマンガもあったなあ。蛇男といえば伊黒さんくらいか。蛇柱の。でも彼は蛇に変身するのではなく、蛇の親友・鏑丸と行動を共にしているので蛇ではない。
そういえば萩尾望都さんの「マージナル」の何話かに「へびおとこ」がいたな。
さて蛇女の話。

やっぱり王道は安珍清姫。
国会図書館のデジタルコレクションからもパネル展示あり。
出てたのは日高川を行く舟をにらみつける清姫。
そして橘小夢のペン画の安珍清姫。蛇体に巻き付かれる全裸の安珍。もう絶望しかない顔。
かれのヘアの表現が少しばかりアールヌーヴォー風にも見えた。
安珍て受くさいのよね。

現代の画家・加藤美紀さんの描く「日高川」もある。呼吸も描かれていてそれが゜おどろおどろしい。

次に現れたのは上田秋成「雨月物語」蛇性の淫 
小夢の肉筆画もある。真名児のにんまりした顔。髪を弄りながら。
まさかの玉井徳太郎の挿絵もあった。これは小学館の少年少女世界の名作文学47巻の「雨月」の挿絵らしい。
ただここでは物語は子供の頃に豊雄が蛇をいじめたが為に仕返しをされそうになったものの、今の豊雄が可愛くて蛇は仕返しを止めて、という設定らしい。
「今の豊雄は可愛い。仇討ちが出来なくて困っている」とのこと。侍女まろや共々態度が大きい。

・人魚
これも確かに妖しい。
山岸凉子さんの「八百比丘尼」の掲載されたプチフラワーが出ている。
(偶然ながら右ページにはカムイ伝の宣伝)
この「八百比丘尼」は人魚が実は宇宙人でエネルギー補給の為に地球で、というなかなか怖い話なんだよな。
人魚で怖いというと、諸星大二郎「サイレン」もそう。それから人魚で鵜飼するのもあった。
いやいや、もおほんまに怖い。

福井の空印寺縁起のパネル展示もある。このお寺は旅に疲れた八百比丘尼が入定した洞穴があるそう。
絵にはナマズに乗る女、カメに乗る爺さん、まな板に乗る人魚などなど。
とある人からこの軸を貰ったというのがまたミステリアスな。

アマビエも出た。これも人魚の仲間なのか。
海から来るものは不思議だものなあ。

小夢 水妖 サンゴなどが巻き付く蛇体。色々とバージョンがあるようだ。

表情も凄い。


さてここで江戸の戯作登場。
山東京伝「箱入娘面屋人魚」なるふざけた話。なんと近年映画化までされてるらしい。
国会図書館のデジタルコレクションには絵入本がある。

顔の次にすぐ魚の胴というのも怖いな。
しょっぱなに「まじめな口上」と題した序文と作者の絵があること自体ふざけてますがな。
簡単に記すと、乙姫の男妾・浦島太郎は魚と浮気して一女をもうけて困っている。
漁師の平二がその子を拾う。口に筆咥えて絵を描いたりするうち、義足のついたぱっちをはかせて「魚人」うおんど という源氏名で見世に出す。しかし顔は綺麗でも生臭くて客は逃げ出し、ついに「なめ料」で稼ぐことになる。これは人魚を舐めたら若返るということで、色事なしに侍も女客も並ぶほどの人気となる。
やがて人魚も一皮むけてヒトになり、ついには「勘平殿に似たやうな」いい男と和合し、「二人は今も生きてゐる」そうで、「深川の八幡で御開帳ありし玉手箱は即ちこれなり」とオチがつく。
20ページほどだし読みやすいよ。絵は豊国。

いよいよ水島爾保布「人魚の嘆き」登場。谷崎も若い頃は西洋賛美でした。
この挿絵は中公文庫版の「魔術師・人魚の嘆き」で全編見れます。
肉付きのいい人魚。


ここにはないが、清方「妖魚」もいいのですよ。
高橋葉介の人魚の話もとんでもなく異妖。
ぜひ。

・霊魂
今回の展覧会のメインヴィジュアルとなったのが御正伸の「葵」
二人の女の醸し出すただならぬ雰囲気が怖い怖い…
実は最初に見たとき、女が二人いるとはわからなかったのだ。

日本では六条御息所が生霊の代表。光君の正妻・葵上をはじめ色々と。
与謝野晶子の源氏では新井勝利の挿絵。これはカラー版の河出ので11点がある。

平家物語は怨霊オンパレード。ここでも御正伸の油彩画が。
75年「残霊」 青と緑の使い方が怖い。対する弁慶の強さすら呑み込まれそう。

伊藤彦造も「平家」を描いている。これも「少年少女文学全集」。
同じシリーズでは「耳なし芳一」をペン画で描いたのと大物のカラー画がある。

「牡丹灯籠」小夢のモノクロ画。5点ある。
・やってくる二人の女・蚊やりをする新三郎・蚊帳の外にいるお露・凄い顔の新三郎とお露・お米。
怖いよねえ…
実は三遊亭圓朝のそれより先に瞿佑のそれを読んだのよね。講談社少年少女向け本「怪談」で。
しかも辰巳四郎のおぞけを振るう挿絵がまた…棺から出る二本の腕とか、棺の外にはみ出る男の着物の裾とか…

2014年には岩崎書店から佐竹美保さんの絵で刊行されてるが、骸骨が新三郎に添い寝する絵がなかなか怖い。

・両性具有の神々
ここでは男装の天照と弟の素戔嗚との「誓約」うけひが行われたことから始まる。
下って人の時代となり、女装して熊襲を討つ日本武尊、三韓征伐で男装する神功皇后がいる。
やがて白拍子として男舞を見せる静御前、出雲阿国の紹介がある。
異装することで通常でない力を得るという信仰があったのだ。

展示にはないが、大本教の出口王仁三郎が中国大陸に行ったとき、かれは女装しての旅だった。
歌舞伎なども現行の形になって以後「女形」の存在がある。
更にそこで敦盛の女装、天狗小僧の女装が現れ、お嬢吉三、弁天小僧がいる。

白洲正子「両性具有の美」などはそのことについて詳しい。

長くなりすぎるので一旦ここまで。

2020年最後の東京ハイカイ録

2020-12-29 22:55:36 | 展覧会
「漂泊の思いやまず」とは芭蕉「奥の細道」冒頭の一節だが、今のわたしは強く同意するばかりだ。
コロナ禍の下、思うままに出かけられない状況で、この言葉はリアルに自分を焦がす。
行きたい、行きたい、行きたい。
行きたいが、以前のようにスイスイと出かけられないことはわかっている。
しかしわたしを東京ハイカイ者にした(!)要因たる弥生美術館に行くにはもうこのせわしない年末の一日しかなかった。
わたしは出かけた。
「漂泊の思いやまず」出かけたのだ。

芭蕉先生は歩いたり馬に乗ったりして陸奥へ向かったが、わたしは新大阪から新幹線で向かった。
今回はポイントがたまっているのでグリーン車で往来することにした。
少しでもリスクを軽減しなくてはならない。
ガラガーラの車両で快適に東京へ向かったが、快適すぎて寝入ってしまい、久しぶりの富士山を拝むこともなく熱海辺りで目覚めた。
ああ、熱海にも行きたい。

弥生美術館へは東京駅からなら千代田線で行くのがよいのだが、大手町ではなく二重橋駅からの方が合理的だと今回初めてわかった。
行幸通りを皇居へ向かって歩く方が大手町へ出るより早いのだ。
人気のない道を往く楽しみもある。



弥生美術館では「奇想の国の麗人たち」展が開催中。
今回も友の会の会員更新するが、まだ一回分あることを教わる。そうか、コロナのせいでずれてるのか。

展覧会の感想は年明けに予定。

華宵コーナーは戦う美少年、夢二は童画の展示でどちらもとても好ましかった。
好きなものだけで構成された美術館。
1991年12月「美少年の系譜」展でここの会員になったのだが、以来一度も欠かさず通っているのだった。

ここで韓国の禹那英さんの展覧会のチラシをもらったので四谷の韓国学院ギャラリーに行きたいところだが時間の都合から次回に回す。
そのまま池袋へ。久しぶりにタカセ。少し並んでランチ。オムライスとサバランとをいただく。
おいしかったわ。ああ、以前は池袋に行くたびタカセでこうして食べたり買ったりしてたんだよなあ。
またこんな日が来ますように。

さて池袋の丸井へ。「装甲騎兵ボトムズ」展。
わたしはサンライズのロボットアニメ育ちなのですが特に80年代半ばまでの作品が大好きで。
富野監督作品以外ではこの「ボトムズ」がもう最高に好き。

ぱちぱち撮りたおしたわ。

タイムアップ。丸ノ内線で東京へ。
駅弁買いに行くがエンガワの押し寿司は売り切れてた。でも焼き鯖寿司はあったのでよかった。
再びグリーン車。16時発のにのった。
惜別の念というかなんというか。
やっぱり東京は面白いのよな。
大阪もいいんだが、ぬるいのだよ。
東京に3日ばかりいると早く大阪へ帰りたくなるのだが、それはあのぬるさに癒されるため。
東京で受ける刺激の強さはやっぱり必要。
また行きたい。

今日みた夢二の作品の中にこんな言葉があった。
「ああ 早く昔になればいい」
夢二は草双紙を愛していて、明治大正の世にふっと幕末の頽廃的な美に包まれたいと思ったのだ。
それがこの言葉を言わせた。
そしてこの言葉は久世光彦も愛していて、自作の小説のタイトルに引用した。
「早く昔になればいい」
今のわたしもこの言葉を実感として共有する。
「ああ、早く昔になればいい」
昔のように東海道を好きなように往来できますように…

「奇才」展を思い出す

2020-11-30 17:12:04 | 展覧会
近年のわたしは終わった展覧会の感想をまとめることがメインになっている。
多忙なのと衰退が原因だと思う。
今回もまた「例によって終了した展覧会の感想」をあげることにする。
ただ、まあ「記憶と記録」のための感想だからええか、という甘えがある。

東京で「奇才」展に行けなかったので、あべのハルカスに来るのを待っていたが、後期しか見ることが出来なかった。
後期だけでも相当面白かったので、前期も行けたらどれだけよかったろうと思う。
しかし見に行けただけでも良かったと思うしかない。


各地のけったいな絵描きの変わった絵を集めた展示、と一言ではくくれない。
例えば円山応挙、尾形光琳、谷文晁などがいる。
このビッグネームはそれぞれの分野の旗手として現役時代から脚光を浴び、後世にも大きな影響を残した。
しかしこの展示には彼らの作品も加わっている。
かれらの中の変わった作品が選ばれた、というわけでもない。
そこが面白くもある。

最初に北斎の小布施にある山車のために描いた絵が二点展示されていた。
山車のための絵だから形は正方形、絵も龍の大首がこちらをぎろっとにらむものと、強い波のものと二点が出ている。
海のない信州の山里の祭りに波と龍とを選ぶところに、神様と人とをつなぐ祭りのための装置だという気がしてくる。
昔、小布施で北斎作品を見に行った時、お寺の本堂の天井絵を見るのにその場に寝転んだが、あれも昔の人と同じことをしたのだとその時思った。
今、こうしてこの二点を見ながら往時の人の気持ちを追体験している気がした。

次は応挙先生のわんこと唐子の襖絵である。墨の濃淡だけでこの世界は構成されている。
坊やたちが琴棋書画のまねごとをするのだが、
宗達が一点ある。墨梅図。花だけやなしに枝ぶりも褒めるのが梅。この梅の枝がまた√みたいになっていて、それが面白いのだが、これは現代人の見方ですわな。
宗達の頃に「√」は輸入されていない。

光琳は菊の絵の香袋。折り目ついてるので使用済み。折り方を見ると「囲」くらいな感じ。
折って現れたのが完成形なのだが、開いてみても綺麗なのが光琳のよいところ。

久しぶりに狩野山雪も見た。
もう何年前か、京博で大きい展覧会がありましたな。
それでいきなり巨大な寒山拾得図。真如堂の所有するあれ。
知らん方でもちょっとググッたら出てきますわ。
画面いっぱいに広がってる寒山拾得。まあ怖い。えぐいくらいな表現。
にやぁとした口元にやたらと長い爪。しかも除く歯並びは犬歯なし。こういうメリハリのない歯並び言うのもけっこう怖いな、こういう絵では。
到底「豊干がしゃべったな」とは言いそうにない。
いや、聞いた時にはこちらのアタマ飛びそう。あの歯に噛まれて。

画風を変えての絵もある。
武家相撲絵巻 これは両国の相撲博物館にあるそうで、思えばあの中に入ったことないからこれはいつか行かねばならぬな。
リアルな人体図で江戸初期の山雪による平安末期から鎌倉初期の相撲技が延々と。
下帯持って投げるのとか、不思議な体勢のがあって、字を何とか読むと「河津掛け」…ああこれがと納得する。俣野と戦う時の手。
それでリアルな相撲絵と言えば大正末から昭和のTVが普及する以前の話だが、挿絵画家・鰭崎英朋が相撲の取り組み絵を描いて大人気だった。
新聞に連載されていたが、とにかく大人気で、随分長い年数描き続けた。
鰭崎英朋展だけでなく、「みんな大好きお相撲さん」展で初めて見たのだが、実に臨場感があってかっこよかった。

若冲 乗輿舟 大倉集古館  ここのが来てたか。わたしが見たときには源八の渡しから最後までの流れが出ていた。
源八の渡しなどは今も何か石碑くらいあったのではないかな。
ご近所の寺が若冲寺と呼ばれる寺で、トリの襖絵があったりなんだかんだでごく小さい頃からたいへん苦手だった。ここでもしばしば若冲を「トリオヤジ」と呼ばわっているが、ほんにそれで、彼の絵というだけで引いていたが、初めて「ええやないの」と思ったのがこの絵と100匹わんちゃん大集合の図とインコなどの小鳥の版画、あれだな。
この辺りは便利堂さんで見てて「…ええな」と思ったので、わたしの中では便利堂の商品なくして若冲に絡むことなし!だったのでした。



さて真面目なのだが、たまに不思議な絵もある応挙先生の登場。
思えばここのお弟子筋はほんに多士済々。「奇才」代表は蘆雪だが、他にもいてますがな。
まあそんなことを思い乍ら展示を見ると、いきなり奔放な龍がいる。
三井の所蔵の龍だが、「天明甲辰」だとあるから、よい年頃の作品。
天明年間は世情はよくないが、京の絵師たちはけっこう豊饒な作品を生み出している。

三井寺、三井家と似た名前の大きいところがかれのスポンサーになったのはよかった。
若い頃の破墨山水図もある。墨の濃淡で遠近の処理。こんな若い頃からやはりうまいのだなあ。

「奇才」というならこの人を第一に推したい。
蘆雪登場。
例の串本の無量寺の襖絵が来ている。
飛び出す虎、飛び出す龍の襖絵。寺の中での配置をここで再現。
ハルカスはけっこう広くとっているから再現も可能。以前に金毘羅さんの時も再現してたね。
虎と龍は向き合う配置。日本画は←の方向へ見てゆくものだが、今回はそれのみならず→方向からも見てみた。
つまり足や尻尾の方から虎を見たのだ。実に大きいなあ。
そして龍。これもそのように見てみると、非実在であるにもかかわらず、「リアルなサイズの爪だ」と思うのだった。龍の爪の大きさを実感する襖絵。
うーん、凄いな。

同じ襖の裏面の薔薇図や唐子遊図もみる。
薔薇図には猫のいるところだけが出ていた。よかった。
魚狙うにゃんことくつろぎマダムな風情を見せる猫と。ゆとりじゃのう。

唐子遊び図ホント、好き。潤いの少ない筆で描いたか、かすれた感じもいい。
わかってるのか碁石を並べてたり、下手なカラスの絵を描いたり、わんこたちもイキイキ。
まあサイトがあるのは助かるなあ。

b
の可愛いわんこにちびっこたちはそのままどこかへ消えてゆく。

さーてこのほんわかモードが変わるのが蕭白えがく子供たち。
群童遊戯図屏風 九州国立博物館にいてるわけだね、かれら。
そりゃもう一人として「可愛い」のはいてません。その代わりに石川淳風に言えば「殺してもくたばらぬ」気配に満ち満ちていた。
蕭白は蘆雪の師匠の応挙を「なんじゃい」くらいに思ってたようだから、20歳ばかり下の若造もどう評価していたことか。
そして蕭白の子供らには諸星大二郎、近藤ようこ、お二人の描く、この世の理から少しばかり滑った先にいる子供らと共通するものがある。
それでいてかれらは、当時の実相に近いものがあるかもしれない。
蟹の取り合い、相撲、ぼくあほですな面付き、不逞なところがいい。

そんな蕭白だが池大雅とは仲が良かったそうで、その感性というのもいいなと思いもする。
大雅は奥さんの玉欄ともたいへん仲良しで、貧しくても楽しい生涯を過ごしたそうだ。
奥さんの為に描いた「富士十二景図」の11、12月が出ていた。
この作品は東京藝大と芦屋の滴翠美術館とでそれぞれ分割所蔵しているそうだ。
今夏、京都文化博物館では池大雅美術館の所蔵品の展示があったが、行き損ねてしまったなあ。惜しいことをした。

ところで「奇才」ということでわたしの好きな松村景文は出ないのであった。彼の兄の呉春もいない。しかし呉春の師匠の蕪村は出ている。
蕪村が「奇才」のくくりにいることに多少の違和感があるが、しかし彼の仕事の範疇を思えばなるほど「奇才」くくりの中に入るのも当然かと納得する。

蕪村 山水花鳥人物図  トンビかカラスかわからないが目つきの鋭いのが三羽いてなにやら鳥語で会話している。松を咥えたのもいるな。

蕪村 寒山拾得図 文化庁  この二人はやっぱり賢そうな雰囲気がある。上部に賛が長々とある。
サンダル履きとパンプス履きの二人。けっこうおしゃれな足元である。

祇園井特 本居宣長72歳像  実はびっくりした。井特といえば女の絵しか知らないんで、こんな有名人の肖像画は初めて見たよ。阿古陀型の火鉢による、ちんまりしたおじさん。

それに対抗するかのように「手あぶり美人図」もある。こちらは安定の井特の不気味美人。大顔に首が埋もれていて、下唇に笹紅。デロリもデロリ。
思えば最初に井特作品を見たのは京都文化博物館の「京の美人画」展からだったなあ。
あの時の衝撃は大きかった。

狩野永岳の扇面図が出ていた。金地に林和靖や梅花図。
熊鷹図屏風にはツキノワグマなどが。

いよいよ大坂エリア。
芳中登場。光琳菊と公卿の後ろ姿の図が出ていた。公卿の冠の纓(えい)ひらひらのあれ、それがたなびいてた。
背中向けるだけの公卿だが、観楓を楽しんでるなあと伝わる。

耳鳥斎 別世界巻 関大図書館  出ました「地獄」。和尚の地獄はタコにぎゅーっとされてる。

鬼の三味線弾き婆もいる。

地獄は人間には怖いが、なんだか楽しそうなのだ。
こういう具合。


中で衆道好きの地獄はいつもと立場が逆転で、つまり受と攻の攻守交代ね。

墨江武禅 明州図  寧波のにぎやかな様子を活写!みたいな感じ。港町特有の活気。小さく描かれた人々のせわしなさ。

と、ここまでは随分前に書いてたのだが、その後がかけなくて今日までずるずると…
もう、ごく簡単に挙げてゆこう。

江戸に入ります。
北斎、谷文晁に続いて其一も挙げられていたが、ここでは凧の絵が出ていた。
「紅葉狩」と「達磨」と。鬼の美女のあれね。

狩野一信 五百羅漢図 100幅のうちから。…ああ、あの増上寺のものすごーーーい暗いけど派手な色彩のだ。
これだよこれ。
五百羅漢 幕末の絵師 狩野一信展  当時の感想はこちら
そういえばいまだに増上寺に行ってないんだなあ。

国芳は肉筆が集まっていた。
裾に大津絵を描いたのを着た遊女や湯屋に行く美女などが出ている。

諸国。
これがやっぱり府中市美術館、千葉市美術館で見知った絵師たちの世界。

蠣崎波響 夷酋列像図 民博、御味方蝦夷之図 函館市中央図書館  アイヌの人を描いている。
これらはわたしももう随分前に函館で絵はがきを購入していた。
それで実は蠣崎波響を知ったのはそれ以前で、中村真一郎の著書「蠣崎波響の生涯」から。 
今もまだ入手しやすいようだ。本が出たのは1989年だから随分前だが、中村を知ったのが87年のことだからもう本当に昭和の末のことで、当時まだ文学少女だったのだなあと今にして思う。
あの頃の遺産で今も食ってるようなもんである。

林十江 木の葉天狗図 あー、こいつか。こいつだこいつ。

この展覧会で見た。
「百花繚乱列島 -江戸諸国絵師めぐりー」 北海道・東北・北関東ゆかりの画人たち
当時の感想はこちら

暁斎のスケッチブック出ていた。中で八犬伝の伏姫と八房の図がある。不穏な構図ではない。
わたしは八犬伝が大好きなんだが、始まりは「新八犬伝」なのよ。
それで中学くらいから江戸文学を読み始めたのだが、どういうわけか春本の現代語訳のを当時よく読む機会があって、中で伏姫と八房のを読んでしまったのは、今も尾を引いている。あんまり嬉しくはない。
要するに選択肢のない中での環境で、というのがいやなのよ。犬とどうこうというより。
…一体何を書いてのだ、わたしは。

もう、ここまで来ると展覧会の感想と言うより、それに絡めて好き勝手書いてるだけにすぎないのだが、思えば常にこんな感じだったな。なのでまだもうちょっと好き勝手なことを書く。
リハビリ、リハビリ。←エヴァのアスカの「サービス、サービス」のノリね。

高井鴻山の妖怪画もある。オリジナリティあふれてるのだよ。
中でもよかったのが「妖怪書画会」。山越えて集合!みたいな雰囲気がいい。

白隠の一つ目小僧が面白い。ぬーーーっと出たのだが、相手はあんまさん。知らん顔される。

田中訥言 太秦祭図  ああ、摩多羅神の巡行。それを見るために木に登る奴やケンカしてる奴もいる。
こういうのはやっぱり京都のらしさを感じるね。

岩佐又兵衛 梓弓図  昔男くんが悪いタイミングで再訪してくる。
和漢故事説話図 「安宅」を描いているが、弁慶の披いた巻物、白紙ではないやん。勧進帳では白紙だったのに。
ところでこれは実体験なんだが、小学生の時作文の宿題を忘れたのだが、その場で白紙のノートを適当に読んだことがある。
内容もけっこうよく覚えている。
あんな小さい頃からわりとえーかげんな人間だったのだ。

浦上玉堂 煙霞帖 松風秋水図 梅澤記念館  嘘のように静かな風景。本当に?と疑ってしまうくらいに静か。
狂激な玉堂先生の静かな風景と言うのもなかなか怖いな。いつもヒリヒリしているわけではないのだ。
蕭白か玉堂かというほどの狂激の双璧が共に静かな風景を描くというのはけっこう怖いよ…

さて絵金。
絵金はわたしが見たとき佐倉宗吾の子別れと皿屋敷の二点があった。
土佐の絵金については最初に知ったのは小学生の時で、必殺シリーズのOPに使われたのを見たのと、土佐出身の青柳裕介の短編から。絵金祭の夜の女たちの心情を描いた作品。
そして彼の人生については松田修の評論から。かれは映画「闇の中の魑魅魍魎」について蠱惑的な一文を残している。
映画を見るよりも松田修の評論の方に疼いている。

絵師金蔵の生涯については贋作事件が大きな影を落としているが、目前の二作はグロテスクと悲哀と笑いとが同時に存在していた。
前期には累と良弁の鷲の段が出ていたらしいが、どちらも大衆が涙するのに、憤るのに、ときめくのに、丁度合う話ばかりだ。
その意味ではこの大仰で派手な絵は当時の大衆の趣味嗜好を鋭く突いている。
そしてわたしもまた半分笑いながらも半分「可哀想」という気持ちも持って、この絵を眺めていた。
帰宅後、自分の持つ絵金の画集を見て、やはり同じ心持であることを確認する。
そしていつか赤岡へ行きたいと思うのだった。

仙厓の七福神を見る。朗らかで楽しそうで何より。弁天さんが毘沙門天の兜かぶったり、布袋さんがお相撲さんぽかったり。

羅生門図  おお、扁額の文字まであるか。

片山楊谷 龍虎図屏風 銀地に力強い奴らがいる。
逆立ちしてるように見える虎の絵もあったり、顎のあたりが怖いのもいたりで、最後にトラトラトラが来たのは嬉しい。怖い奴らやけど。
後は気を吐く蜃気楼も。

神田等謙 西湖・金山寺図屏風  これ建物は物差しなのかな。意外に近代風。

面白い展覧会だった。やはりこういうのを見ると楽しい気分になるよ。
もっと早く挙げたかったなあ。




瑞獣伝来/神獣図鑑

2020-10-25 23:09:13 | 展覧会
既に終了したが、泉屋博古館の「瑞獣伝来」展は面白かった。
行ったのが閉幕前日だといういつものパターンなので、この感想も当然ながら例によって例のごとくの出だしなのである。
まあわたし本人の記憶と記録の為に、というのが第一義だからよいか。

それで「瑞獣」とは何かというと、ここでは龍に虎に鳳凰と朱雀だった。
これだけにしたのはいいと思う。
獅子を出せば狻猊も出てくるし、そうなると他の動物だって「なぜ自分を出さない」になるから、龍、虎、鳳凰と朱雀に限ったのは賢いと思う。←えらそう。
賢いといえばこの日のわたしは賢くて、まずは河原町今出川の北村美術館に行くために四条河原町の3番バス停から203系統に乗り、今度はそこから同じ203系統で錦林車庫経由の東天王町へ向かう。
それで泉屋博古館に行き、帰りもその203系統で四条河原町へ戻った。
203といえば日露戦争の二百三高地を思い出すのは「ゴールデンカムイ」の影響なんだが、バスには別に第七師団の連中がいるわけでもない。

話を元に戻す。
泉屋博古館、最終日寸前なかなかの混雑。
「瑞獣伝来 空想動物でめぐる東アジア三千年の旅」


ところで昔から不思議なのだが、何故「龍虎」なのだろうか。
先に必ず龍を置く理由がわからない。
中国、朝鮮も皇帝や王室は龍を第一にする。虎ではない。
虎が第一なのは東南アジアの方か。
個人的には阪神タイガースファンなので虎を推したいが、まあそれこそどうでもいい話だ。

そんなことを思い乍ら展示室に入ると、お出迎えが虎だった。
そう、泉屋博古館にはこの殷代の虎がおるのでした。



虎の形の青銅器。それが人間を抱え込んでいる。虎は大きく目を開き、口も大きく開き、なにやら嬉しそうである。
これは昔から「何を表しているか」不明ということで、わたしは「食べる」説を押しているが、虎が人を守ろうとするという反対の意見もある。
謎だ。わからないものはわからない。
ただ、中国には虎に食べられた人が「倀鬼」というものになって虎の手先として働く話がある。
しかしこの説話がいつからなのかも知らないので、あくまでも妄想するしかないのだ。

章のタイトルは「聖なるもの」と「危険なもの」。納得する。
ところで以前にここの青銅器を写したものをまとめている。
こちら。
泉屋博古館の古代中国青銅器をたのしむ


次からが龍である。
2.龍 権力の象徴、あるいは昇仙の系譜

拓本の龍の画像がある。横長だからお墓に使われてたのかもしれない。
飛竜画像石拓本 後漢1-2C 京大人文科学研究所  あのいい建物のところにあるのだねーと思いつつ眺める。 
細い胴が長いが力強さはない。そういえば後漢だからあれだけど、前漢の劉邦は「赤龍王」だったな。

龍文軒平瓦 新羅6-7C 大和文華館  四角の中に龍らしきもの。新羅も王族は龍の文様を衣装に着けていたのだね。

単龍・単鳳環頭 古墳6-7C 黒川古文化研究所  杖なり刀なりの上のところに取り付ける。透かし彫、鏨彫の技術が素晴らしい。

五龍図巻 伝・陳容 南宋13C 東博  これが来たか。右手に四龍が湧いてて左へ目を向けると大きめの龍がいる。しかしこの集まり具合が我が国の八岐大蛇ぽくもあるのですね。


龍袍 清19C 黒川古文化研究所  これは正確には「蟒袍」マンパオというそうな。
蟒蛇だよ、うわばみ。親王、世子らの装束。青に金刺繍。
全然関係ないが、大酒飲みを「蟒蛇」、酔っぱらって大暴れを「大虎」というのは面白いね。語源は知らんけど。

十六羅漢図 十五尊者 金大受 南宋12C 東博  龍と目を見かわす羅漢。丸い目をくりくりする二者。

ほかにも龍の絵が色々あるが、海北友松の大きい襖絵が来ていたのにもををとなる。


出ました呂洞賓図。雪村のこの仙人図、実は主役は彼を乗せてる龍なんだといつも思っている。この表情がいいのだよね。
ドヤ顔の龍の代表。大和文華館の人気者の一つ。
先年「雪村」展にもでかいツラして出てましたわ。
雪村 奇想の誕生
 
瑞龍図大下絵 今尾景年 1908 櫻谷文庫  日露後に南禅寺法堂天井のための下絵。
ぐるりと円の龍。

3.虎 瑞獣から動物へ
つまり対象としてリアルな生命体になったわけだ。

古代中国の文物での龍は確かに瑞獣だった。
青銅器の虎の器、耳は四角くて歯並びも四角いが妙に可愛い。
これみて思い出すのが「ゴールデンカムイ」で北方少数民族ウイルタの人が木彫りで虎を拵えたのが、背中をギザギザ造りにしていた。虎と言うのは暑い国から寒い地域までいるのです。

白虎文瓦当 新1C 黒川古文化研究所  白虎の背中に乗るように〇がある。虎は←向き。

西王母画像塼拓本 後漢2-3C 京大人文科研  この拓本が面白くて。西王母は虎のソファに座り、ヒキガエルの弓取り式のようなダンスをみる。その周りには三本足の烏にウサギという嫦娥のところのメンバーが待機中。雰囲気的にはヘロデ王の宴席ぽい。主賓は真っ向に顔を見せる。そして右下に客らしき夫婦がいるが、これが実は供養者。
つまり死後よろしくという画像。お墓にはこういう文様が入る。

風虎図 伝・牧谿 室町16C 泉屋博古館  大徳寺の牧谿のを写したらしい。日本人の手によるもの。可愛いのよ、これがついついわたしもササっと描いちゃうよ。小さい三角耳に吊り上がる枇杷形の眼に鼻もΛな口も可愛い。むんって感じ。

虎図 応挙 1771  出た―応挙先生の愛らしい虎。猫虎。「にゃー」という感じ。見返る首がたくましいけど可愛い。墨なのでホワイトタイガーぽい。

深山猛虎図 橋本雅邦 明治19C 泉屋博古館分館  これはいかにも雅邦らしい虎たちで、左側にいて右の空を見て吠えるのは、静嘉堂文庫のあれの仲間。
住友にも三菱にも雅邦の虎がおるのです。

木島櫻谷の膨大な写生帖から虎を描いたものがピックアップ。
実に色んな虎の絵。芦雪の写しの虎はカワイイし、京都市恩賜動物園の写生でのリアル・トラは本当にリアル。肉球まできちんと写生。寝る虎も横顔もリアルでかっこいい。

実は虎の展示は一番少ないのだが、わたしとしてはよい虎を見れたので、満足はしています。
龍や鳥たちに負けるな虎!!←ドラゴンズ、スワローズに打ち勝て阪神タイガース!

3.鳳凰 装飾と寓意の三千年史
正直なことを申しますとわたくしは鳥がニガテでして、トリを描いたもので好むのはそれこそ芦雪の雀くらい。
花鳥図でも小禽はまだしも…あまり鳥の話はしたくない。
観念的にはいいのだが、現実には逃げたくなるから。

鳳文瓦当 秦―前漢BC2-3C 黒川古文化研究所  これも同じく〇を乗せる。この〇が何か意味があるのかな。
ちなみに瓦当はガトウ。軒丸瓦の先端の丸いあれ。

朱雀画像石拓本 後漢1-3C 京大人文科研  曲阜から出土。孔子の故郷だったな。孔子の後にこれらが出てくる。儒教は四神については何も言わなかったのかな。怪力乱神を語らずに入るのかどうか。論語なんてもう何十年も前にチラ見しただけだ。
ところでこの朱雀、何故かアマビエ風だったりする。

鏡、瓦などがずらりと並ぶ。
やはり唐代の鏡が一番華やかでいいな。

五星二十八宿神形図 伝・張僧繇(ちょうそうよう) 梁6C 大阪市立美術館  「画竜点睛」の故事の絵師。星の神様の人格化。髑髏頭に乗せた人や牛に乗る人のほか、朱雀に乗る人は太白つまり金星。画像はこちらにある。
以前この絵を見た感想をこちらに記している。
中国書画 阿部コレクション/雲の上を行く 仏教美術2

十六羅漢図(十六尊者) 金大受 南宋12C 東博  こちらは両耳にお団子髪をした坊やと羅漢がいる。ナシが傍らにある。坊やが師匠の為に剥いている。
その二人の上に瑞鳥。

百鳥図 伝・辺文進 明16C 鹿苑寺  金閣か。これは「安寧」を意味する図らしい。
小鳥遊は鷹がいないから小鳥遊というわけだが、ここには猛禽類はいなくて鳳凰のみが立ち、小鳥たちが遊ぶ。諸星大二郎「私家版鳥類図譜」の「鵬の墜落」を思い出す。


桐鳳凰図屏風 狩野探幽 17C サントリー美術館  左隻が出ていた。桐と鳳凰は梅に鶯と同レベルのバディもの。
苦楽園のホームからふと見返ると桐の木が立ち、そこに鳳凰を探したこともある。

木画箏 銘「三穂風」 鳳凰飛天蒔絵箏箱 1641 大阪市立美術館  木のモザイクに象嵌の素敵な箏。鳥取・池田家伝来品。雅楽用の箏。13弦。糸を止めてる方が龍尾、糸の始まりの所を龍頭。小さな文様がいろいろ入る。

線刻仏諸尊鏡像 平安12C 泉屋博古館  和の鏡。頂点と対とにいる。


こういうのが。

面白い展覧会でした。

さて、タイトルにはもう一つ「神獣図鑑」とあるが、それもまた終了した展覧会のタイトルから。
「愉快奇怪 神獣図鑑 中国古代篇やきもの篇」大阪市立美術館
これもとても楽しかった。
龍と鳳凰がメインだったけど、虎もいたし獅子にクマまでいた。
やきものの方は魚に唐獅子に珍しく翼龍がいる。
龍も色々種類があるようで、顔だけで羽つきの、まるで天使のドラゴン版みたいなのもおるのよ。応龍だったかな。
結構謎な動物もいたなあ。

他にこれは動物メインではないけれど、大和文華館で「鏡中之美」展が開催されたがそのチラシには獅子や蛙らしきやつの背中が。

しっぽしっぽしっぽよ…

関西ではこうして京都、大阪、奈良で東アジアの瑞獣、神獣を楽しめたのでした。

「ラブリー!ジャパン」展はラブリーなのが多かった。

2020-08-27 22:40:47 | 展覧会
最近本当に書けなくなって困っている。
美術ブロガーさんだと言われたのは過去の話、もぉダメだ。
いや、もともとあれだ自分の「記録と記憶」のためのブログだから読み手さんのこと考慮してないか。
だから遅くても平気なんだが、それにしても「書けない」は困る。
リハビリとして書きやすいのを挙げよう。
こういうときにコレクション展はいいなあ。優しくしてくれる。
とはいえあれだ。
「例によって終了した展覧会だが」
これで始まるのでした。
今日は大阪市立美術館のコレクション展「ラブリー!ジャパン」展の感想ね。
特別展のおフランスの感想も半分あげたところでリタイアしたなあ…

大阪市立美術館はもともと市民からの寄贈で成り立っている。
まことに大大阪の時代の大阪市民というのは偉かった。
文化への愛情が深い。それで美術館を造成するのなら、とお宝をどんどこどんと寄贈してくれはったのです。
実際、わたしの知人のお宅も寄贈してはった。
持ち堪えることのできたところはそれが出来、没落したところは売るしかない…

作品名称などはリストを引っ張ってきてます。こちら pdfです。


猫図 Cat 原 在正 筆 四辻公説 賛 1幅 江戸時代 18—19世紀 本館 (田万コレクション)

この眠る猫も久しぶりの再会。可愛くて可愛くて。
2015年の田万コレクション展以来かな。
白地に黒ぶちの可愛い猫で耳の辺り、口元のリアルさ。尻尾も前足も内側に。そしておしりのあたりにそっと咲く花がまた可愛いのですな。
原在中の息子で長生きはしなかった。文化七年に京都で亡くなっている。
この人の孔雀の絵が三井下鴨別邸にある。

小野小町図 Ono no Komachi (One of The Six Immortal Poets)清原雪信 筆 1幅 江戸時代 17世紀 個人
雪信は例のへちま棚の下でくつろぐ一家を描いた久隅守景の娘で、母親の許しを得ずに好きな人と一緒になったそうだ。江戸時代でしかも大叔父は探幽、それでも尼崎で好きに暮らし、よい絵を描いて生きたというのはいいなあ。
この小町も品よく綺麗。

扇面流図屏風 Fans Floating on a Stream8曲1隻江戸時代 17—18世紀 個人
これまた派手にド派手にいいねえ(宇髄天元ぽく言いました)。
金地に色んな絵柄の扇面。唐子もいれば五条橋の二人もいる。

伝 江口君像 Standing Beauty, Attributed to Eguchi Courtesan (Eguchi no kimi)1幅 江戸時代 17世紀 大阪・寂光寺
これはもう近世風俗画に現れる美人図の範疇に入るね。このお寺がいわゆる江口君堂ね。

舞楽図屏風 People Dancing Bugaku狩野永納 筆 6曲1双 江戸時代 17世紀 個人
色んな舞楽を描くあれだ。右は安摩からはじまり、左は青海波から納曾利まで。例のお遊戯みたいなのがやっぱり可愛い。胡蝶の少年が妖しい…

絵入り幸若舞曲 『敦盛』『八島』 Illustrated Texts for Kowaka Dance <Atsumori> <Yashima>2冊 江戸時代 17世紀 本館(細見良氏寄贈)
横長本。
・敦盛の遺体が船に流れ着いた。熊谷から「供養する」という意味の文が添えられている。
・能登守との戦い、佐藤兄弟の活躍などを回想する。
細見良さんて細見美術館の?ありがたいことやなあ。

七福神図 Seven Deities of Good Fortune 狩野休圓 筆 1幅 江戸時代 17世紀 本館
(ウンゲルンコレクション)
ほのぼの。
ところで英文訳みると色々興味深いよな。

伏見常盤絵巻 Tokiwa and her Children in Fushimi   1巻 室町時代 16世紀 本館 (田万コレクション)
これは前掲の猫やんと一緒で田万コレクション展で見たが、ページが違う。

素朴な奈良絵本な描画。色は明るい。常盤母子の流浪と逃亡。たいへん。親切な処もあるのでよかったが…
しかし常盤自身はこの後清盛の寵愛を受けて娘を生み、更には一条大蔵卿の北の方になる。
案外平穏を手に入れてるよね。

化物草紙 Tale of Ghosts 1巻 江戸時代 17世紀本館 (田万コレクション)
「今昔物語」から採ったのを描いているシーンもある。
20巻第七話「染殿后為天狗被嬈乱語」これな。
現代語訳はこちらhttps://hon-yak.net/20-7/

他にも三善清行の引っ越し先の化け物屋敷の話の絵。ちゃんと障子全部に目があるのが芸の細かさ。おばけたちがなかなか個性あるしね。
今の醒泉小学校内に碑もある。あの辺りらしい。
あと「起世経」とやらの中の、閻魔大王が屈強な鬼の獄卒から毎日蹴り上げられたり突き上げられたりするのもあった。
とんだ「鬼灯の冷徹」である。

着物も二領
浅葱縮緬地雪輪模様友禅染小袖 Kosode(Garment with Small Wrist Openings) with Snowflake Patterns scattered on the Light Blue Silk Crape 1領 江戸時代 18世紀 本館
紅綸子地松竹模様匹田絞小袖 Kosode(Garment with Small Wrist Openings) with Pine-tree and Bamboo on Red Satin   1領
江戸時代 17-18世紀 本館
どちらも綺麗。
それにしても面白いのは漢字の羅列と英訳と。この二つの文字列から中身を想像するのも面白い。