
近年のわたしは終わった展覧会の感想をまとめることがメインになっている。
多忙なのと衰退が原因だと思う。
今回もまた「例によって終了した展覧会の感想」をあげることにする。
ただ、まあ「記憶と記録」のための感想だからええか、という甘えがある。
東京で「奇才」展に行けなかったので、あべのハルカスに来るのを待っていたが、後期しか見ることが出来なかった。
後期だけでも相当面白かったので、前期も行けたらどれだけよかったろうと思う。
しかし見に行けただけでも良かったと思うしかない。
各地のけったいな絵描きの変わった絵を集めた展示、と一言ではくくれない。
例えば円山応挙、尾形光琳、谷文晁などがいる。
このビッグネームはそれぞれの分野の旗手として現役時代から脚光を浴び、後世にも大きな影響を残した。
しかしこの展示には彼らの作品も加わっている。
かれらの中の変わった作品が選ばれた、というわけでもない。
そこが面白くもある。
最初に北斎の小布施にある山車のために描いた絵が二点展示されていた。
山車のための絵だから形は正方形、絵も龍の大首がこちらをぎろっとにらむものと、強い波のものと二点が出ている。
海のない信州の山里の祭りに波と龍とを選ぶところに、神様と人とをつなぐ祭りのための装置だという気がしてくる。
昔、小布施で北斎作品を見に行った時、お寺の本堂の天井絵を見るのにその場に寝転んだが、あれも昔の人と同じことをしたのだとその時思った。
今、こうしてこの二点を見ながら往時の人の気持ちを追体験している気がした。
次は応挙先生のわんこと唐子の襖絵である。墨の濃淡だけでこの世界は構成されている。
坊やたちが琴棋書画のまねごとをするのだが、
宗達が一点ある。墨梅図。花だけやなしに枝ぶりも褒めるのが梅。この梅の枝がまた√みたいになっていて、それが面白いのだが、これは現代人の見方ですわな。
宗達の頃に「√」は輸入されていない。
光琳は菊の絵の香袋。折り目ついてるので使用済み。折り方を見ると「囲」くらいな感じ。
折って現れたのが完成形なのだが、開いてみても綺麗なのが光琳のよいところ。
久しぶりに狩野山雪も見た。
もう何年前か、京博で大きい展覧会がありましたな。
それでいきなり巨大な寒山拾得図。真如堂の所有するあれ。
知らん方でもちょっとググッたら出てきますわ。
画面いっぱいに広がってる寒山拾得。まあ怖い。えぐいくらいな表現。
にやぁとした口元にやたらと長い爪。しかも除く歯並びは犬歯なし。こういうメリハリのない歯並び言うのもけっこう怖いな、こういう絵では。
到底「豊干がしゃべったな」とは言いそうにない。
いや、聞いた時にはこちらのアタマ飛びそう。あの歯に噛まれて。
画風を変えての絵もある。
武家相撲絵巻 これは両国の相撲博物館にあるそうで、思えばあの中に入ったことないからこれはいつか行かねばならぬな。
リアルな人体図で江戸初期の山雪による平安末期から鎌倉初期の相撲技が延々と。
下帯持って投げるのとか、不思議な体勢のがあって、字を何とか読むと「河津掛け」…ああこれがと納得する。俣野と戦う時の手。
それでリアルな相撲絵と言えば大正末から昭和のTVが普及する以前の話だが、挿絵画家・鰭崎英朋が相撲の取り組み絵を描いて大人気だった。
新聞に連載されていたが、とにかく大人気で、随分長い年数描き続けた。
鰭崎英朋展だけでなく、「みんな大好きお相撲さん」展で初めて見たのだが、実に臨場感があってかっこよかった。
若冲 乗輿舟 大倉集古館 ここのが来てたか。わたしが見たときには源八の渡しから最後までの流れが出ていた。
源八の渡しなどは今も何か石碑くらいあったのではないかな。
ご近所の寺が若冲寺と呼ばれる寺で、トリの襖絵があったりなんだかんだでごく小さい頃からたいへん苦手だった。ここでもしばしば若冲を「トリオヤジ」と呼ばわっているが、ほんにそれで、彼の絵というだけで引いていたが、初めて「ええやないの」と思ったのがこの絵と100匹わんちゃん大集合の図とインコなどの小鳥の版画、あれだな。
この辺りは便利堂さんで見てて「…ええな」と思ったので、わたしの中では便利堂の商品なくして若冲に絡むことなし!だったのでした。

さて真面目なのだが、たまに不思議な絵もある応挙先生の登場。
思えばここのお弟子筋はほんに多士済々。「奇才」代表は蘆雪だが、他にもいてますがな。
まあそんなことを思い乍ら展示を見ると、いきなり奔放な龍がいる。
三井の所蔵の龍だが、「天明甲辰」だとあるから、よい年頃の作品。
天明年間は世情はよくないが、京の絵師たちはけっこう豊饒な作品を生み出している。
三井寺、三井家と似た名前の大きいところがかれのスポンサーになったのはよかった。
若い頃の破墨山水図もある。墨の濃淡で遠近の処理。こんな若い頃からやはりうまいのだなあ。
「奇才」というならこの人を第一に推したい。
蘆雪登場。
例の串本の無量寺の襖絵が来ている。
飛び出す虎、飛び出す龍の襖絵。寺の中での配置をここで再現。
ハルカスはけっこう広くとっているから再現も可能。以前に金毘羅さんの時も再現してたね。
虎と龍は向き合う配置。日本画は←の方向へ見てゆくものだが、今回はそれのみならず→方向からも見てみた。
つまり足や尻尾の方から虎を見たのだ。実に大きいなあ。
そして龍。これもそのように見てみると、非実在であるにもかかわらず、「リアルなサイズの爪だ」と思うのだった。龍の爪の大きさを実感する襖絵。
うーん、凄いな。
同じ襖の裏面の薔薇図や唐子遊図もみる。
薔薇図には猫のいるところだけが出ていた。よかった。
魚狙うにゃんことくつろぎマダムな風情を見せる猫と。ゆとりじゃのう。
唐子遊び図ホント、好き。潤いの少ない筆で描いたか、かすれた感じもいい。
わかってるのか碁石を並べてたり、下手なカラスの絵を描いたり、わんこたちもイキイキ。
まあサイトがあるのは助かるなあ。
b
の可愛いわんこにちびっこたちはそのままどこかへ消えてゆく。
さーてこのほんわかモードが変わるのが蕭白えがく子供たち。
群童遊戯図屏風 九州国立博物館にいてるわけだね、かれら。
そりゃもう一人として「可愛い」のはいてません。その代わりに石川淳風に言えば「殺してもくたばらぬ」気配に満ち満ちていた。
蕭白は蘆雪の師匠の応挙を「なんじゃい」くらいに思ってたようだから、20歳ばかり下の若造もどう評価していたことか。
そして蕭白の子供らには諸星大二郎、近藤ようこ、お二人の描く、この世の理から少しばかり滑った先にいる子供らと共通するものがある。
それでいてかれらは、当時の実相に近いものがあるかもしれない。
蟹の取り合い、相撲、ぼくあほですな面付き、不逞なところがいい。
そんな蕭白だが池大雅とは仲が良かったそうで、その感性というのもいいなと思いもする。
大雅は奥さんの玉欄ともたいへん仲良しで、貧しくても楽しい生涯を過ごしたそうだ。
奥さんの為に描いた「富士十二景図」の11、12月が出ていた。
この作品は東京藝大と芦屋の滴翠美術館とでそれぞれ分割所蔵しているそうだ。
今夏、京都文化博物館では池大雅美術館の所蔵品の展示があったが、行き損ねてしまったなあ。惜しいことをした。
ところで「奇才」ということでわたしの好きな松村景文は出ないのであった。彼の兄の呉春もいない。しかし呉春の師匠の蕪村は出ている。
蕪村が「奇才」のくくりにいることに多少の違和感があるが、しかし彼の仕事の範疇を思えばなるほど「奇才」くくりの中に入るのも当然かと納得する。
蕪村 山水花鳥人物図 トンビかカラスかわからないが目つきの鋭いのが三羽いてなにやら鳥語で会話している。松を咥えたのもいるな。
蕪村 寒山拾得図 文化庁 この二人はやっぱり賢そうな雰囲気がある。上部に賛が長々とある。
サンダル履きとパンプス履きの二人。けっこうおしゃれな足元である。
祇園井特 本居宣長72歳像 実はびっくりした。井特といえば女の絵しか知らないんで、こんな有名人の肖像画は初めて見たよ。阿古陀型の火鉢による、ちんまりしたおじさん。
それに対抗するかのように「手あぶり美人図」もある。こちらは安定の井特の不気味美人。大顔に首が埋もれていて、下唇に笹紅。デロリもデロリ。
思えば最初に井特作品を見たのは京都文化博物館の「京の美人画」展からだったなあ。
あの時の衝撃は大きかった。
狩野永岳の扇面図が出ていた。金地に林和靖や梅花図。
熊鷹図屏風にはツキノワグマなどが。
いよいよ大坂エリア。
芳中登場。光琳菊と公卿の後ろ姿の図が出ていた。公卿の冠の纓(えい)ひらひらのあれ、それがたなびいてた。
背中向けるだけの公卿だが、観楓を楽しんでるなあと伝わる。
耳鳥斎 別世界巻 関大図書館 出ました「地獄」。和尚の地獄はタコにぎゅーっとされてる。

鬼の三味線弾き婆もいる。

地獄は人間には怖いが、なんだか楽しそうなのだ。
こういう具合。

中で衆道好きの地獄はいつもと立場が逆転で、つまり受と攻の攻守交代ね。
墨江武禅 明州図 寧波のにぎやかな様子を活写!みたいな感じ。港町特有の活気。小さく描かれた人々のせわしなさ。
と、ここまでは随分前に書いてたのだが、その後がかけなくて今日までずるずると…
もう、ごく簡単に挙げてゆこう。
江戸に入ります。
北斎、谷文晁に続いて其一も挙げられていたが、ここでは凧の絵が出ていた。
「紅葉狩」と「達磨」と。鬼の美女のあれね。
狩野一信 五百羅漢図 100幅のうちから。…ああ、あの増上寺のものすごーーーい暗いけど派手な色彩のだ。
これだよこれ。
五百羅漢 幕末の絵師 狩野一信展 当時の感想はこちら
そういえばいまだに増上寺に行ってないんだなあ。
国芳は肉筆が集まっていた。
裾に大津絵を描いたのを着た遊女や湯屋に行く美女などが出ている。
諸国。
これがやっぱり府中市美術館、千葉市美術館で見知った絵師たちの世界。
蠣崎波響 夷酋列像図 民博、御味方蝦夷之図 函館市中央図書館 アイヌの人を描いている。
これらはわたしももう随分前に函館で絵はがきを購入していた。
それで実は蠣崎波響を知ったのはそれ以前で、中村真一郎の著書「蠣崎波響の生涯」から。
今もまだ入手しやすいようだ。本が出たのは1989年だから随分前だが、中村を知ったのが87年のことだからもう本当に昭和の末のことで、当時まだ文学少女だったのだなあと今にして思う。
あの頃の遺産で今も食ってるようなもんである。
林十江 木の葉天狗図 あー、こいつか。こいつだこいつ。
この展覧会で見た。
「百花繚乱列島 -江戸諸国絵師めぐりー」 北海道・東北・北関東ゆかりの画人たち
当時の感想はこちら
暁斎のスケッチブック出ていた。中で八犬伝の伏姫と八房の図がある。不穏な構図ではない。
わたしは八犬伝が大好きなんだが、始まりは「新八犬伝」なのよ。
それで中学くらいから江戸文学を読み始めたのだが、どういうわけか春本の現代語訳のを当時よく読む機会があって、中で伏姫と八房のを読んでしまったのは、今も尾を引いている。あんまり嬉しくはない。
要するに選択肢のない中での環境で、というのがいやなのよ。犬とどうこうというより。
…一体何を書いてのだ、わたしは。
もう、ここまで来ると展覧会の感想と言うより、それに絡めて好き勝手書いてるだけにすぎないのだが、思えば常にこんな感じだったな。なのでまだもうちょっと好き勝手なことを書く。
リハビリ、リハビリ。←エヴァのアスカの「サービス、サービス」のノリね。
高井鴻山の妖怪画もある。オリジナリティあふれてるのだよ。
中でもよかったのが「妖怪書画会」。山越えて集合!みたいな雰囲気がいい。
白隠の一つ目小僧が面白い。ぬーーーっと出たのだが、相手はあんまさん。知らん顔される。
田中訥言 太秦祭図 ああ、摩多羅神の巡行。それを見るために木に登る奴やケンカしてる奴もいる。
こういうのはやっぱり京都のらしさを感じるね。
岩佐又兵衛 梓弓図 昔男くんが悪いタイミングで再訪してくる。
和漢故事説話図 「安宅」を描いているが、弁慶の披いた巻物、白紙ではないやん。勧進帳では白紙だったのに。
ところでこれは実体験なんだが、小学生の時作文の宿題を忘れたのだが、その場で白紙のノートを適当に読んだことがある。
内容もけっこうよく覚えている。
あんな小さい頃からわりとえーかげんな人間だったのだ。
浦上玉堂 煙霞帖 松風秋水図 梅澤記念館 嘘のように静かな風景。本当に?と疑ってしまうくらいに静か。
狂激な玉堂先生の静かな風景と言うのもなかなか怖いな。いつもヒリヒリしているわけではないのだ。
蕭白か玉堂かというほどの狂激の双璧が共に静かな風景を描くというのはけっこう怖いよ…
さて絵金。
絵金はわたしが見たとき佐倉宗吾の子別れと皿屋敷の二点があった。
土佐の絵金については最初に知ったのは小学生の時で、必殺シリーズのOPに使われたのを見たのと、土佐出身の青柳裕介の短編から。絵金祭の夜の女たちの心情を描いた作品。
そして彼の人生については松田修の評論から。かれは映画「闇の中の魑魅魍魎」について蠱惑的な一文を残している。
映画を見るよりも松田修の評論の方に疼いている。
絵師金蔵の生涯については贋作事件が大きな影を落としているが、目前の二作はグロテスクと悲哀と笑いとが同時に存在していた。
前期には累と良弁の鷲の段が出ていたらしいが、どちらも大衆が涙するのに、憤るのに、ときめくのに、丁度合う話ばかりだ。
その意味ではこの大仰で派手な絵は当時の大衆の趣味嗜好を鋭く突いている。
そしてわたしもまた半分笑いながらも半分「可哀想」という気持ちも持って、この絵を眺めていた。
帰宅後、自分の持つ絵金の画集を見て、やはり同じ心持であることを確認する。
そしていつか赤岡へ行きたいと思うのだった。
仙厓の七福神を見る。朗らかで楽しそうで何より。弁天さんが毘沙門天の兜かぶったり、布袋さんがお相撲さんぽかったり。
羅生門図 おお、扁額の文字まであるか。
片山楊谷 龍虎図屏風 銀地に力強い奴らがいる。
逆立ちしてるように見える虎の絵もあったり、顎のあたりが怖いのもいたりで、最後にトラトラトラが来たのは嬉しい。怖い奴らやけど。
後は気を吐く蜃気楼も。
神田等謙 西湖・金山寺図屏風 これ建物は物差しなのかな。意外に近代風。
面白い展覧会だった。やはりこういうのを見ると楽しい気分になるよ。
もっと早く挙げたかったなあ。
多忙なのと衰退が原因だと思う。
今回もまた「例によって終了した展覧会の感想」をあげることにする。
ただ、まあ「記憶と記録」のための感想だからええか、という甘えがある。
東京で「奇才」展に行けなかったので、あべのハルカスに来るのを待っていたが、後期しか見ることが出来なかった。
後期だけでも相当面白かったので、前期も行けたらどれだけよかったろうと思う。
しかし見に行けただけでも良かったと思うしかない。
各地のけったいな絵描きの変わった絵を集めた展示、と一言ではくくれない。
例えば円山応挙、尾形光琳、谷文晁などがいる。
このビッグネームはそれぞれの分野の旗手として現役時代から脚光を浴び、後世にも大きな影響を残した。
しかしこの展示には彼らの作品も加わっている。
かれらの中の変わった作品が選ばれた、というわけでもない。
そこが面白くもある。
最初に北斎の小布施にある山車のために描いた絵が二点展示されていた。
山車のための絵だから形は正方形、絵も龍の大首がこちらをぎろっとにらむものと、強い波のものと二点が出ている。
海のない信州の山里の祭りに波と龍とを選ぶところに、神様と人とをつなぐ祭りのための装置だという気がしてくる。
昔、小布施で北斎作品を見に行った時、お寺の本堂の天井絵を見るのにその場に寝転んだが、あれも昔の人と同じことをしたのだとその時思った。
今、こうしてこの二点を見ながら往時の人の気持ちを追体験している気がした。
次は応挙先生のわんこと唐子の襖絵である。墨の濃淡だけでこの世界は構成されている。
坊やたちが琴棋書画のまねごとをするのだが、
宗達が一点ある。墨梅図。花だけやなしに枝ぶりも褒めるのが梅。この梅の枝がまた√みたいになっていて、それが面白いのだが、これは現代人の見方ですわな。
宗達の頃に「√」は輸入されていない。
光琳は菊の絵の香袋。折り目ついてるので使用済み。折り方を見ると「囲」くらいな感じ。
折って現れたのが完成形なのだが、開いてみても綺麗なのが光琳のよいところ。
久しぶりに狩野山雪も見た。
もう何年前か、京博で大きい展覧会がありましたな。
それでいきなり巨大な寒山拾得図。真如堂の所有するあれ。
知らん方でもちょっとググッたら出てきますわ。
画面いっぱいに広がってる寒山拾得。まあ怖い。えぐいくらいな表現。
にやぁとした口元にやたらと長い爪。しかも除く歯並びは犬歯なし。こういうメリハリのない歯並び言うのもけっこう怖いな、こういう絵では。
到底「豊干がしゃべったな」とは言いそうにない。
いや、聞いた時にはこちらのアタマ飛びそう。あの歯に噛まれて。
画風を変えての絵もある。
武家相撲絵巻 これは両国の相撲博物館にあるそうで、思えばあの中に入ったことないからこれはいつか行かねばならぬな。
リアルな人体図で江戸初期の山雪による平安末期から鎌倉初期の相撲技が延々と。
下帯持って投げるのとか、不思議な体勢のがあって、字を何とか読むと「河津掛け」…ああこれがと納得する。俣野と戦う時の手。
それでリアルな相撲絵と言えば大正末から昭和のTVが普及する以前の話だが、挿絵画家・鰭崎英朋が相撲の取り組み絵を描いて大人気だった。
新聞に連載されていたが、とにかく大人気で、随分長い年数描き続けた。
鰭崎英朋展だけでなく、「みんな大好きお相撲さん」展で初めて見たのだが、実に臨場感があってかっこよかった。
若冲 乗輿舟 大倉集古館 ここのが来てたか。わたしが見たときには源八の渡しから最後までの流れが出ていた。
源八の渡しなどは今も何か石碑くらいあったのではないかな。
ご近所の寺が若冲寺と呼ばれる寺で、トリの襖絵があったりなんだかんだでごく小さい頃からたいへん苦手だった。ここでもしばしば若冲を「トリオヤジ」と呼ばわっているが、ほんにそれで、彼の絵というだけで引いていたが、初めて「ええやないの」と思ったのがこの絵と100匹わんちゃん大集合の図とインコなどの小鳥の版画、あれだな。
この辺りは便利堂さんで見てて「…ええな」と思ったので、わたしの中では便利堂の商品なくして若冲に絡むことなし!だったのでした。

さて真面目なのだが、たまに不思議な絵もある応挙先生の登場。
思えばここのお弟子筋はほんに多士済々。「奇才」代表は蘆雪だが、他にもいてますがな。
まあそんなことを思い乍ら展示を見ると、いきなり奔放な龍がいる。
三井の所蔵の龍だが、「天明甲辰」だとあるから、よい年頃の作品。
天明年間は世情はよくないが、京の絵師たちはけっこう豊饒な作品を生み出している。
三井寺、三井家と似た名前の大きいところがかれのスポンサーになったのはよかった。
若い頃の破墨山水図もある。墨の濃淡で遠近の処理。こんな若い頃からやはりうまいのだなあ。
「奇才」というならこの人を第一に推したい。
蘆雪登場。
例の串本の無量寺の襖絵が来ている。
飛び出す虎、飛び出す龍の襖絵。寺の中での配置をここで再現。
ハルカスはけっこう広くとっているから再現も可能。以前に金毘羅さんの時も再現してたね。
虎と龍は向き合う配置。日本画は←の方向へ見てゆくものだが、今回はそれのみならず→方向からも見てみた。
つまり足や尻尾の方から虎を見たのだ。実に大きいなあ。
そして龍。これもそのように見てみると、非実在であるにもかかわらず、「リアルなサイズの爪だ」と思うのだった。龍の爪の大きさを実感する襖絵。
うーん、凄いな。
同じ襖の裏面の薔薇図や唐子遊図もみる。
薔薇図には猫のいるところだけが出ていた。よかった。
魚狙うにゃんことくつろぎマダムな風情を見せる猫と。ゆとりじゃのう。
唐子遊び図ホント、好き。潤いの少ない筆で描いたか、かすれた感じもいい。
わかってるのか碁石を並べてたり、下手なカラスの絵を描いたり、わんこたちもイキイキ。
まあサイトがあるのは助かるなあ。
b
の可愛いわんこにちびっこたちはそのままどこかへ消えてゆく。
さーてこのほんわかモードが変わるのが蕭白えがく子供たち。
群童遊戯図屏風 九州国立博物館にいてるわけだね、かれら。
そりゃもう一人として「可愛い」のはいてません。その代わりに石川淳風に言えば「殺してもくたばらぬ」気配に満ち満ちていた。
蕭白は蘆雪の師匠の応挙を「なんじゃい」くらいに思ってたようだから、20歳ばかり下の若造もどう評価していたことか。
そして蕭白の子供らには諸星大二郎、近藤ようこ、お二人の描く、この世の理から少しばかり滑った先にいる子供らと共通するものがある。
それでいてかれらは、当時の実相に近いものがあるかもしれない。
蟹の取り合い、相撲、ぼくあほですな面付き、不逞なところがいい。
そんな蕭白だが池大雅とは仲が良かったそうで、その感性というのもいいなと思いもする。
大雅は奥さんの玉欄ともたいへん仲良しで、貧しくても楽しい生涯を過ごしたそうだ。
奥さんの為に描いた「富士十二景図」の11、12月が出ていた。
この作品は東京藝大と芦屋の滴翠美術館とでそれぞれ分割所蔵しているそうだ。
今夏、京都文化博物館では池大雅美術館の所蔵品の展示があったが、行き損ねてしまったなあ。惜しいことをした。
ところで「奇才」ということでわたしの好きな松村景文は出ないのであった。彼の兄の呉春もいない。しかし呉春の師匠の蕪村は出ている。
蕪村が「奇才」のくくりにいることに多少の違和感があるが、しかし彼の仕事の範疇を思えばなるほど「奇才」くくりの中に入るのも当然かと納得する。
蕪村 山水花鳥人物図 トンビかカラスかわからないが目つきの鋭いのが三羽いてなにやら鳥語で会話している。松を咥えたのもいるな。
蕪村 寒山拾得図 文化庁 この二人はやっぱり賢そうな雰囲気がある。上部に賛が長々とある。
サンダル履きとパンプス履きの二人。けっこうおしゃれな足元である。
祇園井特 本居宣長72歳像 実はびっくりした。井特といえば女の絵しか知らないんで、こんな有名人の肖像画は初めて見たよ。阿古陀型の火鉢による、ちんまりしたおじさん。
それに対抗するかのように「手あぶり美人図」もある。こちらは安定の井特の不気味美人。大顔に首が埋もれていて、下唇に笹紅。デロリもデロリ。
思えば最初に井特作品を見たのは京都文化博物館の「京の美人画」展からだったなあ。
あの時の衝撃は大きかった。
狩野永岳の扇面図が出ていた。金地に林和靖や梅花図。
熊鷹図屏風にはツキノワグマなどが。
いよいよ大坂エリア。
芳中登場。光琳菊と公卿の後ろ姿の図が出ていた。公卿の冠の纓(えい)ひらひらのあれ、それがたなびいてた。
背中向けるだけの公卿だが、観楓を楽しんでるなあと伝わる。
耳鳥斎 別世界巻 関大図書館 出ました「地獄」。和尚の地獄はタコにぎゅーっとされてる。

鬼の三味線弾き婆もいる。

地獄は人間には怖いが、なんだか楽しそうなのだ。
こういう具合。

中で衆道好きの地獄はいつもと立場が逆転で、つまり受と攻の攻守交代ね。
墨江武禅 明州図 寧波のにぎやかな様子を活写!みたいな感じ。港町特有の活気。小さく描かれた人々のせわしなさ。
と、ここまでは随分前に書いてたのだが、その後がかけなくて今日までずるずると…
もう、ごく簡単に挙げてゆこう。
江戸に入ります。
北斎、谷文晁に続いて其一も挙げられていたが、ここでは凧の絵が出ていた。
「紅葉狩」と「達磨」と。鬼の美女のあれね。
狩野一信 五百羅漢図 100幅のうちから。…ああ、あの増上寺のものすごーーーい暗いけど派手な色彩のだ。
これだよこれ。
五百羅漢 幕末の絵師 狩野一信展 当時の感想はこちら
そういえばいまだに増上寺に行ってないんだなあ。
国芳は肉筆が集まっていた。
裾に大津絵を描いたのを着た遊女や湯屋に行く美女などが出ている。
諸国。
これがやっぱり府中市美術館、千葉市美術館で見知った絵師たちの世界。
蠣崎波響 夷酋列像図 民博、御味方蝦夷之図 函館市中央図書館 アイヌの人を描いている。
これらはわたしももう随分前に函館で絵はがきを購入していた。
それで実は蠣崎波響を知ったのはそれ以前で、中村真一郎の著書「蠣崎波響の生涯」から。
今もまだ入手しやすいようだ。本が出たのは1989年だから随分前だが、中村を知ったのが87年のことだからもう本当に昭和の末のことで、当時まだ文学少女だったのだなあと今にして思う。
あの頃の遺産で今も食ってるようなもんである。
林十江 木の葉天狗図 あー、こいつか。こいつだこいつ。
千葉市美術館に今ならいる。林十江 左 蝦蟇右 木の葉天狗 pic.twitter.com/bh5N6xn1aM
— 遊行七恵 (@yugyo7e) April 17, 2018
この展覧会で見た。
「百花繚乱列島 -江戸諸国絵師めぐりー」 北海道・東北・北関東ゆかりの画人たち
当時の感想はこちら
暁斎のスケッチブック出ていた。中で八犬伝の伏姫と八房の図がある。不穏な構図ではない。
わたしは八犬伝が大好きなんだが、始まりは「新八犬伝」なのよ。
それで中学くらいから江戸文学を読み始めたのだが、どういうわけか春本の現代語訳のを当時よく読む機会があって、中で伏姫と八房のを読んでしまったのは、今も尾を引いている。あんまり嬉しくはない。
要するに選択肢のない中での環境で、というのがいやなのよ。犬とどうこうというより。
…一体何を書いてのだ、わたしは。
もう、ここまで来ると展覧会の感想と言うより、それに絡めて好き勝手書いてるだけにすぎないのだが、思えば常にこんな感じだったな。なのでまだもうちょっと好き勝手なことを書く。
リハビリ、リハビリ。←エヴァのアスカの「サービス、サービス」のノリね。
高井鴻山の妖怪画もある。オリジナリティあふれてるのだよ。
中でもよかったのが「妖怪書画会」。山越えて集合!みたいな雰囲気がいい。
白隠の一つ目小僧が面白い。ぬーーーっと出たのだが、相手はあんまさん。知らん顔される。
田中訥言 太秦祭図 ああ、摩多羅神の巡行。それを見るために木に登る奴やケンカしてる奴もいる。
こういうのはやっぱり京都のらしさを感じるね。
岩佐又兵衛 梓弓図 昔男くんが悪いタイミングで再訪してくる。
和漢故事説話図 「安宅」を描いているが、弁慶の披いた巻物、白紙ではないやん。勧進帳では白紙だったのに。
ところでこれは実体験なんだが、小学生の時作文の宿題を忘れたのだが、その場で白紙のノートを適当に読んだことがある。
内容もけっこうよく覚えている。
あんな小さい頃からわりとえーかげんな人間だったのだ。
浦上玉堂 煙霞帖 松風秋水図 梅澤記念館 嘘のように静かな風景。本当に?と疑ってしまうくらいに静か。
狂激な玉堂先生の静かな風景と言うのもなかなか怖いな。いつもヒリヒリしているわけではないのだ。
蕭白か玉堂かというほどの狂激の双璧が共に静かな風景を描くというのはけっこう怖いよ…
さて絵金。
絵金はわたしが見たとき佐倉宗吾の子別れと皿屋敷の二点があった。
土佐の絵金については最初に知ったのは小学生の時で、必殺シリーズのOPに使われたのを見たのと、土佐出身の青柳裕介の短編から。絵金祭の夜の女たちの心情を描いた作品。
そして彼の人生については松田修の評論から。かれは映画「闇の中の魑魅魍魎」について蠱惑的な一文を残している。
映画を見るよりも松田修の評論の方に疼いている。
絵師金蔵の生涯については贋作事件が大きな影を落としているが、目前の二作はグロテスクと悲哀と笑いとが同時に存在していた。
前期には累と良弁の鷲の段が出ていたらしいが、どちらも大衆が涙するのに、憤るのに、ときめくのに、丁度合う話ばかりだ。
その意味ではこの大仰で派手な絵は当時の大衆の趣味嗜好を鋭く突いている。
そしてわたしもまた半分笑いながらも半分「可哀想」という気持ちも持って、この絵を眺めていた。
帰宅後、自分の持つ絵金の画集を見て、やはり同じ心持であることを確認する。
そしていつか赤岡へ行きたいと思うのだった。
仙厓の七福神を見る。朗らかで楽しそうで何より。弁天さんが毘沙門天の兜かぶったり、布袋さんがお相撲さんぽかったり。
羅生門図 おお、扁額の文字まであるか。
片山楊谷 龍虎図屏風 銀地に力強い奴らがいる。
逆立ちしてるように見える虎の絵もあったり、顎のあたりが怖いのもいたりで、最後にトラトラトラが来たのは嬉しい。怖い奴らやけど。
後は気を吐く蜃気楼も。
神田等謙 西湖・金山寺図屏風 これ建物は物差しなのかな。意外に近代風。
面白い展覧会だった。やはりこういうのを見ると楽しい気分になるよ。
もっと早く挙げたかったなあ。