4月2日に紀尾井ホール開館15周年記念演奏会に出掛けました。演奏は室内オーケスト
ラの「紀尾井シンフォニエッタ東京で、指揮が高関健、ソプラノ:天羽明恵、ピアノ独奏:
田部京子で、演奏曲目はJ.シュトラウス2世:ワルツ「春の声」作品410、モーツァル
ト:ピアノ協奏曲第26番ニ長調K.537「戴冠式」、マーラー:交響曲第4番ト長調で
した。
これまでに紀尾井ホールでコンサートを聴いたのは、今回が2回目でした。こじんまりと
したホールで音が良く響くホールの印象を持っています。今回のコンサートに出かけたのは
モーツァルトのピアノ協奏曲を聴きたいとの思いがあったからです。さらに田部京子のピア
ノをいままで聴いたことがなかったので、是非とも聴きたいと思い紀尾井ホールへ出かけま
した。
指揮者もまた室内オーケストラも今回初めて聴く組み合わせでしたので、とても期待して
いました。最初の曲であるJ.シュトラウス2世のワルツ「春の声」は、とても楽しく聴け
たので、モーツァルトとマーラーにも必然と期待が高まりました。
ピアニストの田部京子に関して、現在までの演奏経歴をプログラムで読みましたが、凄い
経歴の持ち主で常に高い評価を得ているとのことでしたたので、どのようなモーツァルトを
聴かせてくれるのか楽しみにしながら曲が始まるのを待ちました。
ところが、モーツァルトのピアノ協奏曲が始まって田部が引き出したモーツァルトは自分
がイメージしていたモーツァルトと異なりました。モーツァルトの曲なのですが、内容がモ
ーツァルトらしくなく、さらに田部の演奏が通り一遍の内容でがっかりしました。
有名なオーケストラとの共演があり、かつCDを30枚程度出している演奏家であるのに、
なぜこのようなモーツァルトの弾き方なのかと思いました。極端な良い方をすれば感情が殆
ど入っていない表面的な演奏だといえると思いました。
音の強弱や感情に従ったリズムやさらに楽想の微調整がなく、ただひたすらに楽譜通りに
弾いている印象でした。このような印象を持ったのは、以前にNHK交響楽団でラフマニノ
フのピアノ協奏曲を弾いた中村紘子の演奏と同じ感覚を持ちました。
田部ですが、モーツァルトではなくシューマンやシューベルト、メンデルスゾーン等の作
曲家の音楽の方が会うのかも知れません。折角才能があるのですから、それを最大限に発揮
する曲を選択すべきだと思いました。今回の演奏を聴きながらピアニストに合う作曲家は確
実にあることを痛感しました。
最後の曲はマーラーの交響曲第4番でしたが、いつもお話しているようにマーラーの曲を
演奏する際には結果は良かったかあるいは駄目であったかの2極化に落ち着きます。今回は
残念ながら後者の方でした。
折角ソプラノの天羽明恵が良かったのに、高関健の指揮による紀尾井シンフォニエッタ東
京のマーラーは退屈な演奏内容になりました。問題は、弦楽器のヴァイオリンのパートにあ
るような気がしました。音が一つになっていない響きだったのです。
多分エキストラを入れた分だけ意思の疎通が完全に取れるまで行かない状態で本番を迎え
たような印象を受けました。演奏が終わった際の拍手はかなりありましたが、聴衆は本当に
あのマーラーの演奏に満足したのでしょうか。儀礼だけの拍手は演奏する側にもまた聴く側
にとっても不幸な結果を招くことになります。
アンコールは、グスタフ・マーラー:歌曲集「子供の不思議な角笛」から「ラインの伝説」
でした。皮肉なことにこの演奏が力が入らない点が良かったのかもしれませんがこの日の演
奏の中で最も良かった内容でした。
演奏後、四谷の駅まで歩きましたが、ちょうど桜が咲いており金曜日の夜もあっていたる
ところで夜桜を見ながらの宴会が開かれていました。夜桜は綺麗で美しかったですが、モー
ツァルトのピアノ協奏曲が花開かなかったことが残念でした。