ゆうちゃんの独り言

モーツァルトが大好きで毎日欠かさず聴いています。人生の生き方は仏教で毎日般若心経を唱え、時間を見つけて寺巡です。 合掌

自分では見えないもの

2008-01-13 16:16:14 | Weblog
 自分では見えないものの代表としてよく言われるものにうしろ姿があります。うしろ姿というものは自分では意識できないことから、あるがままの自分がそのまま出てしまうと言われます。
 これらの他にも自分では見ることの出来ないものとして、カッと怒ったときの自分の顔、自分の寝顔、そして自分の死顔があると相田みつをは、自身の著である「生きていてよかった」の中で述べています。
 見えないものの中には、人間の本性が出るといわれています。この本性は、無意識に中で自然と出るものであるからして、このような状態では正にその人の本性が丸出しになってしまうのです。
 この本を読んだときに、自分では見えないものがまだまだたくさんあるのではないかと思いました。寝顔、死顔、怒った顔は物理的な面から見えないものに当たりますが、人間が生きていく世界では心を開かないと見えない、また相手の想いがが感じられない事が沢山あると思われます。
 他人が自分のために見えないところで何かをしてくれたとしても、それを実際に行っているところに出くわさないと、普通は分からないものです。しかし、その人がしてくれた行為により何らかの影響が自分に起きたときに、敏感に感じ取れれば大したものですが、普通はその人が言わない限り分からないものです。
 ですから今自分が生きていられるのは、多くの人の力が相乗作用として働いているからこそ安心して生きていられると思うようにしています。すなわち全ての事象に対して感謝の心をもって接することが特に重要だと思うのです。
 また、歳を取ったせいで最近はお節介になり、これらのことがまだ分からない人に対して自分の目に見えないところでこのようなことが行われているのだということを、機会ある毎に話をするようにしています。
 このような小さなことを通じて、少しでも人間と人間の関係が改善され良くなるのであれば、社会全体もこれに伴って変化すると勝手に思っています。
 これからも常に自分が生かされていると思いながら、他人に感謝するとともに何事も他人のために一生懸命に行うことを忘れずに行動することが、結果的にはどのような場合でも恥ずかしくない本性がでるのではないかと思っていますし、反対に自分の本性を素直に出せるようにしたいものだとも思います。
 また仮に自分のうしろ姿を見ながら育ってくれるような人材が育ってくれたら本望というほかありません。このようなことが少しでも早く実現するように、自分自身も頑張らねばと思っているこの頃です。 合掌