これは頂いた方の名前も忘れたけれど、確かに萩焼の湯飲みです。
結構長い間母が使っていて、見てわかるとおり、向こう側に三箇所、手前に一箇所
ヒビがあったのは気づいていました。
そしてそれを昨日まで私が使いました。
それもこのうちに来て長い歴史が出来、味わいを感じていましたし。
壊れたら、これ、修理に出すべきか、それともまだ貰ったのが沢山あるから
それに変えるべきかと数日前に悩んでました。
そして、とうとう、昨夜立ち上がった瞬間私はよろけて人差し指が茶碗の淵にかかったかと思うと
ああ、だれも責められません。
最初からヒビの入っていた部分やあちこちに茶渋がしみ込んで黒ずんでいるのか判ります。
この黒ずみが萩焼の愛される由縁です。
数が増えました。
拾い合わせていても、小さな欠片も拾いますが、とても手に優しいのです感触が。
土で作ったものが土に帰る手触り。小さな粒々感がとても温かく。
ガラスが割れて人の手を突き刺す冷たさを思い出して、違うんだなぁ~土って。
と、しみじみ思いました。
この湯のみは夫婦湯のみで、あと一つ大きいほうが残っています。
でもそれも唇の当たる淵の部分にヒビ筋がちょっとずつ見えてます。
また、割っちゃうのかなぁ。
でも使ってやらないと、寂しいだろうな。
お婆ちゃんの湯飲みは昨夜、お婆ちゃんとこへ行っちゃったんだもん。
お爺ちゃんのは、これから私が使い、送ってあげるときまで持っていたいな。