※以下は吉田理論です。これは正しいとか正しくないとか、内容について討論や議論をするものではありません。
ですから、読まれた方は自分で考えてください。
私は一切の答えを持ち合わせておりません。そもそも答えなどなく、正しいも間違っているもありません。
在るのは、あなたがどう感じるのか、専門家とか根拠とか一切合切どうでも良いことです。これは他の事柄(事象)においても最も大切なことです。
自我(エゴ)はオペレーションシステム
人間に自由意志は存在しない。自由だと錯覚を与える自我(エゴ)が存在して、あなたに自由だという幻想を与えている。
この現世においては、自然界を含めあらゆる現象が法則として一ミリの狂いもなく完璧に作用している。
すべてが法則の通りに決められて通りに作用している。それは細部にわたり緻密に作用する。
この作用にエラーは一切存在しない。
目には見えないがこの地球の大気には酸素があり、酸素があることを知らなくても、信じなくても確認しなくても呼吸ができる。
太陽は必ず昇り沈む、川は海に流れる。水に熱を加えると温まる。水を冷やすと氷になる。生まれたら死ぬ。
なにもかもが決まっている。例外は一切存在しない。いずれ、人間がそのまま空を飛べるようになる可能性はある。あるいは海にアクアラングなしで潜れるかもしれない。
それは人間が新しい発見をしたことによるものであると思われるかもしれないが、そうではなく赤ちゃんが立って歩くようになるようなもので、成長の段階に過ぎない。
タイミングがくれば、法則は変わる。それは成長の段階であり、人間が発見したものではない。
人間が何かを自由意志で発明や発見をすることは出来ない。子供が思春期を迎え成長し、大人になり老いていき、やがて死を迎える。
すべては成長の段階なのだ。
例えば遺伝子を解明して、寿命を飛躍的に(1000歳とか)延ばしたとする。それも人間の自由意志によって成されたものでは無い。
赤ちゃんが言葉を話し、立って歩けるようになったのと同じ現象が起きているだけのこと。
それはあらゆる法則の基にあり、人間に自由意志など存在せず、決まったことが決まったように起こっているだけなのだ。
だから、あなたには何一つ自由はない。あなたはあなたの一挙手一投足、何を話し、何を食べ、誰と会い、何が起こるのかについて、あなたに自由は無く、一ミリもコントロールすることは出来ない。
いやそんな筈はない。現に私はこうやってものを考えて、自分の意志で動いているじゃないか。こんな話はバカバカしい。私は自分の身体を自分で動かし、自分で思考している。
とあなたは反応したとする。それも自由意志ではなく、あなたがどう反応するかは決まっている。
あなたの心臓は規則正しく、死ぬまで動く。心臓に自由意志は存在しない。今日は疲れたから休もうと心臓はしない。
もし心臓が止まった時は、それはあなたに決まっていたことなのだ。あなたは何もすることは出来ない。そもそも思考が存在しないので、ただあなたは反応しているだけのこと。
その反応について、あなたはあなたで一切コントロールすることは不可能です。
今日は俺が太陽を昇らないようにするぞというほど、不可能なことです。
そもそもあらゆることが、法則で決まっておらず、人間に自由意志が存在するならば、この世は一瞬で崩壊するでしょう。おそらく一秒も存在できない。
決まったことが決まったように起こるので、私たちは存在している。
もしも、目の前が決まっていなければ、あなたは一歩も動くことはできないだろう。目の前に道があるので、安心してあるけるのだ。だから、あなたの意識より先に道はある。
もっともそれは物理的に用意されているものではなく、システムとしてVisionが用意されている。
何か不思議な体験をしたとしても、それも法則に基づいて行われている。あなたが生まれて、体験したこと、これから体験することすべてが何もかも決まっている。
あなたが自分の意志で達成したり、手に入れたものなど存在しない。あなたの努力の結果、得られたものは一切無い。それは決まっていることが起こっただけのことです。
自分の努力により何かを達成したというのは錯覚です。もしそう思うならば、それは自我(エゴ)がマジックを使っているのでしょう。
あなたが世界をコントロールすることはできません。
もし、そんなことが出来るならば、あなたはこの世界の創造者ということになります。
大自然を見て下さい。何もかもが決まったように動いています。一切の例外はありません。
すべて法則の基にあります。
法則の基にあらゆるテクノロジーは完成しています。もし法則が無ければ、テクノロジーは存在しないでしょう。
人間が思考して自由意志があると考えているのは自我(エゴ)によるものです。そのエゴも決まったように決まったことしかしません。
あなたがどんなに努力しようが、出来ないことがあっても、それは能力の問題では無く、それは法則の基に出来ないと決まっているのです。
だから、あなたが出来ないことがあっても、それはあなたのせいではありません。
いや頑張れば出来る。僕が出来たからあなたにも出来るはずということは無いのです。
出来ることは出来て出来ないことは出来ない。それだけです。従って出来るから偉いとか、出来ないから駄目だとかそういうことはありません。
あなたがそれを努力して出来るようになったのは、法則の基に起こっていることであり、あなたの努力によるものではありません。あなたが努力して自分で達成したとエゴがマジックを見せているだけです。
この世に起こる出来事は、全て決まっており、あなたはただ決まっていることを解読して体験するだけなのです。
あなたは只々、観察して体験する。現世はそれ以上で以下でもありません。
だから、悩む必要は無く、ただ体験するのだなというのが私たちです。
それでも悩むのであれば、あなたは法則の基に悩むように決まっているのです。あなたの責任でもなんでもありません。
多くの人々はエゴのマジックに取り込まれ、目の前で幻想が起こり、あたかもそれが真実、現実、事実かのように思い込みます。
そして、それは違うとか、こうあるべきだとか、こんなはずじゃなかったとか、許せないとか、自分はダメだとか言っています。
そこにあるものが善に見えたり悪に見えたりして、右往左往し、憤り、悩み、不安になり怒りに満ちて、争いばかりになります。これも全部オペレートされています。
そもそも私たちは何が善であり悪であるかも知りことはできません。そんなことも理解も出来ず、自我(エゴ)がジェットコースターのような人生劇場を演じています。
それはそれで、法則の基に起こっていることであり、それも法則通りに起こります。
一ミリも自由はありません。
決まっていることが決まったように起こっているだけのこと、あなたが変えられるものは一切ありません。
いや自分が変えられると考えて、変えたことがあるという経験をしたことがある人がいたとしたら、変えたことがあるという経験(エゴによるマジック)が決まったように起こっているだけです。
ですからやはり、そこには自由意志は存在していません。
決まったことが決まったように起こっているだけなのです。
この文章をここまで読んでいるあなたも、この文章を読むことが決まっていただけで、あながこの文章を読もうと思い、読んだものではありません。
すべてが決まっています。
こうしている間にも、あなたは何回も吸って吐いて呼吸をしていたでしょう。そんなことは考えてもいませんが、勝手に決まっています。
あなたの机から落ちた消しゴムは必ず下に落ちます。天井に上ることはありません。
現世には、ラプラスの魔物(何もかもが決まっているという理論:現代においては否定されているが、私はその否定でさえも決まっていると考える)を超えたものが存在しています。
人間が3つの選択肢を与えられた時に、その選択を自分で選べるではないかという話がありますが、どの選択肢を選ぶかはすでに決まっている。ここでも自由意志は存在しない。
その選択の結果は、この世界の大きな仕組みの中で起こっていることであり、それは呼吸をするぐらい無意識に行われる。
細胞の代謝の酵素反応と同じくらい正確に行われる。もし、それが間違った選択肢であれば、その細胞はアポトーシス(細胞の自殺)という、これもまたプログラムの法則の出来事であり、したがって間違いなど存在しません。
間違いという自我(エゴ)のマジックがあるだけです。
どこまでいっても、法則にのっとって決まったように行われている。
だから、私たちは決まっていることを決まったようにただ観察して体験する。これが現世における“生”の営みである。
そこに自我(エゴ)が介入して、この自我(エゴ)が喜怒哀楽の人生劇場(マジック)を作り上げる。
法則の範囲内で、苦しみ怒り、悲しみ喜ぶ。これはすべて機械的な反応であり、自由意志では無い。
そして、私たちは自我(エゴ)ではありません。だから、私たちは自我(エゴ)を観察できるが、自我(エゴ)は私を観察できない。
私たちはすでに決まっている法則の基で。生まれて死ぬまで体験を解読し観察する為に現世にいるのだ。
だから、あなたに出来ることは何もない。いや解読した情報を体験して観察することが決まっている。
何もかも決まっているので、あなたは今生の“生”安心して観察して下さい。
人生に意味など一切ありません。
かといって、なんだ人生に意味はないんだ、と投げやりになるのでは無く、映画のスクリーンを見るように自我(エゴ)を使って、悩んだり、楽しんだり笑ったり、悲しんだり、怒ったり、嫉妬して、憤り、時には幸せを感じたり、これが今生での過ごし方です。
自我(エゴ)は現世を体験するための五感を備えたメインシステムです。一時的に自我(エゴ)に備わった五感システムにより、苦痛を感じることはあると思いますが、実際は痛みや恐怖も、映画のスクリーンと同じで、存在していません。
しかし、残念ながらそこは現世において超えることが出来ない(厳密には痛みを感じなくすることができるので、超えられる人はいるかもしれません)ので、恐怖や苦痛は避けられません。しかし、それも実は幻想です。
あなたが病気になったとしたら、すでに病気になるように法則が働いていた結果なので、あなたが煙草を吸ったり、酒を飲みすぎたり、間違った生き方をした結果でもありません。
あなたは過去を後悔したり、自分を責める必要はありません。それはあなたの責任ではありません。決まったことが起こっただけです。
あなたはただそれを解読し、体験して観察するだけなのです。
あなたが存在して、はじめて世界が存在しています。世界が存在して、あなたが存在しているわけではありません。
そしてあなたが存在したときには、全てが決まった(プログラムされて)世界に生れ落ちます。
自我(エゴ)のシステムによる体験と観察それが、現世での過ごし方です。
中秋の名月 自宅のウッドデッキから撮影
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます