昨日は母の日でした。家内には二男から赤いカーネーションを1本送り
日頃の労に長男ともども感謝した次第です。
私の母は今月の1日、80歳となり、ささやかですがGWに傘寿の
祝いを致しました。
本来なら和食が良かったのでしょうが、家内が先日の歓送迎会で
美味しい焼き肉を食べた話をしたところ、二男がすっかりその気になり
母に頼んで同じお店にしてもらいました。
母は上下総入れ歯で心配したのですが、評判どおりとても柔らかいお肉で
最近には珍しく随分食べてくれました。本当に満足してくれたようで
嬉しく思っております。
あと4日で私は五十になりますので、母との付き合いもお陰様で
随分長い事になります。その間親元に就職出来たこともあり、
悲喜こもごも色々な出来事がございました。
私はどちらかと言えば母の気質を強く受け継いでいるようです。
端的に申し上げると、真面目で几帳面で短気、神経質で悲観的で心配性。
それ故、現在二人とも「うつ病」の治療中でございます。
性格が似ている者どうしはうまく行かない、とよく申しますが
子どもの頃はかなりきつく躾られた記憶が多々ございます。
私のぐずぐずした様子が気短かな性格には耐えられなかったのでございましょう。
「濡れぞうきん」が飛んできた事もございました。
そんな母も最近ではめっきり気弱になり、事ある毎に厳しい行いを
侘びてくれます。
しかし、申し訳ないのは私の方で小学1年から英語塾に行かせてくれたにも
拘わらず不得意科目とし、中学は国立の教育大付属に受験番号1番で受けさせて
くれるほで教育熱心。私も環境にめぐまれたお陰で好成績をとったのですが、
高校は母が設立時から望んでいた私立を蹴って道立に進み惨憺たる成績で、
何とか合格した関西のR大は私立で経済的に随分負担をかけてしまいました。
就職後はまずまず順調だったものの、この10年はうつ病に苦しみ
心労を掛け、期待を裏切る状況にございます。
顧みればその全ての場面で母は最終的には私の味方で、父を説得するなど
私を支えてくれました。心から感謝致します。
私は「母は十分、私と家族に尽くしてくれた。母親卒業。」と考えております。
少なくとも平均寿命までは人生を楽しんで欲しいと願っています。
母の夢、私が応えられなかった事は長男が叶えてくれそうな状況にございます。
「赤門ツアー」行こうね、おかあちゃん。
未だにマザコンが抜けず、お恥ずかしい限りです。
「煩う事なかれ、生きてるだけで丸儲け。
おもしろくない事、嫌な事は自分なりにやり過ごし、右から左へ受け流す。
大所高所に常に立ち、いつも笑顔で俯瞰して、ここ一番に毒を吐く。
目指すは「杉下右京」です。」