「独り善がりの記」・吉祥点

うつ病発症十余年。
寛解?が心身症、不安障害に。
現在食事療法で糖尿病治療中!
独自・独断・独善の我儘放題自由帳。

日本共産党に物申す

2007-07-29 04:27:50 | Weblog

今日は参議院議員選挙です。選挙に限らず、日頃「日本共産党」(以下共産党)について考えていることを書かせてもらいます。
驚くかも知れませんが、私は小学校3年生位から共産主義に共鳴していました。
「人民平等」という考え方が単純に好きだったのでしょう。ちょうど時代はベトナム戦争の真っ只中。当市で「大ベトナム展」が開催された時、「毛沢東語録」を買うと言って、父親にストップをかけられた記憶があります。
それから、中学、高校と進み、大学生の時には逆に「反民青」になっていました。
現実を知るにつれて、変化していったのです。映画「いちご白書」のように女子大生党員に勧誘され、民青に入っていた友人が毎月5000円会費を取られ、そのためにバイトをしていた事に憤慨しました。30年前の5000円は大金です。当時私の仕送りは60000円でした。貧乏学生からも「平等」に会費を負担させる考え方が納得出来ませんでした。
だからといって、マルクスを否定するものではありません。私は経済学部を出ましたが、マル経の経済原論の講義のたび、「目から鱗」、感動さえした思い出があります。「資本論」で彼が指摘した数々の資本主義の暗部の考察がなければ、現在の労働者の生活レベルは実現しなかったでしょう。全人類に大きな貢献をしたのです。
しかし、人類初の共産主義国家「ソ連」の過ちが、理念と人間の本性のギャップを証明しました。当時の共産主義政治家は「資本論」をバイブル化し、自己を反省することなく、スターリンに代表されるように相手に対する疑念、不安、妄想を払拭出来ないがために、最悪粛正を繰り返したのです。それこそ己可愛さの所行にほかなりません。
大学で学ぶにつけ、一つの疑問が大きくなりました。マル経学者が当時既に色々な問題が表面化していた「ソ連」「中国」の客観的、あるいは批判的論文を書かないことです。私は卒論のテーマを「ソビエト連邦の限界」とし、非常に少ないソ連の経済、政治資料を集め何とか拙文を書き上げました。参考にしたと言えば時を同じくして出版された小室直樹氏の「ソビエト連邦の崩壊」位のものです。
私の推論は予想を遙かに上回るスピードで、ダイナミックに現実化し「ソビエト連邦崩壊」「東ヨーロッパの民主化」の形で証明されたのです。私の考察は当たった、ちょっとだけ今でも誇りにしています。「この内容では単位をやれない。」と激高した当時のI教授はどう弁明するのでしょうか。
さて、現在の共産党に話を戻します。「現実路線」と一般に言われているようですが、それならば先ずは党名を変えましょう。戦前戦後のいわゆる「赤」の暗い影がこびりついている現党名を時代にマッチしたものにする事が第一歩です。「庶民党」「労働者党」「民主平等党」「未来党」「公平党」考えればいくらでもあるでしょう。
次に望むことは、最低衆議院選挙の結果については時の党首が責任を負い、敗北した場合は交代する、政党として当たり前の事をする事です。私が物心ついてから委員長は宮本、不破、志位の3人だけ。優秀な人材の宝庫です。世襲ではないが、それに近い帝国的な臭いは消し去らなくては、支持層を広げられないと思います。左のエリートで終わるのはおかしくありませんか。
最後に「確かな野党」というコピーも滑稽です。政党ならば、野党に安住することなく、政権政党を目指すべき。最初から諦めてどうするのですか。共産党に期待する国民は潜在的にはかなり多いはずです。かくゆう私もその一人。「唯が独尊」「孤高」に止まらず、連立政権の樹立など考えてみるべきです。政治は予算という限界がある限り、妥協しなければなりません。しかし、おのが理想とする最良の妥協のため、万策を尽くすのがあるべき政党の姿ではないでしょうか。

長々と固い話で恐縮でした。
最後はこれで締めさせていただきます。
「思い煩う事なかれ、生きてるだけで丸儲け。」