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陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

日常の軸足をずらして遊んでみることを

2025-04-24 | 政治・経済・産業・社会・法務

ウェブ上のどこかの記事にありましたが、地域よりも都会で、年輩者よりも若者で、そして所得が低めなときほど、人間は孤独を感じやすいそうです。孤独を感じやすいひとは、他人と幸福のとらえかたが違っていて、しかも人それぞれ不幸のとらえかたが違う。幸福な人はだいたい同じ理由で幸福で、しかも、適職があるとか、収入に恵まれ、家庭も築けているとか、まあわかりやすい指標をもっているからですが、孤独な人ははたらみれば羨ましいものを持っていても、本人にとりましては意味がなく、とにかく悲観に見舞われやすいという。
これはアニメ神無月の巫女の姫宮千歌音や、マリみての小笠原祥子の懊悩を例にとればわかりやすいでしょう。才媛で学園の華なのに、どこか影があり、平凡だがのんきな優しい女の子に依存してしまうというパターン。だから、ふだんの社交界にいないタイプの庶民を自分のテリトリーへ招き入れて、どんな風な反応を示すか観察したりする。裏腹のない人物を側に置いて安心を得たいという防衛本能なわけですね。近作で言いますとアニメ「機動戦士ガンダム 水星の魔女」のミオリネさんとおとぼけ少女のスレッタとの関係がそうなんでしょう。鬱屈した人生の緩衝材としてのパートナーが欲しいのです。

かつての日記を思い返してみると、ふと独り暮らし時代の深夜、原付で走ってみたり、普段は行かないお店にふらりと入ってみたり、誰もいない道路で寝転がってみたり、暗い夜道をあえて歩いたり、などをしたことがあります。一歩間違えば事故にあったりもするのですが、当時の私は怖いものしらずでした。自分の運を試したかったのかもしれません。

ふと、会社と自宅の往復の毎日、休日は空き家と我が家、あるいは普段の買い物先。
あるいはネットと部屋のなか。そんな視線の行き来につかれて、ふらりと旅に出たくはあるが、できっこない。そんなときはどうしたらいいでしょうか?

ファンタジーの読書で、おなじみの二次創作ごっこで異世界トリップするか?
それもいいですが、かえって脳が疲弊してしまうこともあります。よく理解できていないとか、情報が足りていないとか、つくるものに関しては質を求めたがるからです。

そんなとき、とくに夏場の暑苦しい夜。
私が試してみるのは、ベランダにシートやキャンプ用品などを置いて、別の空間に行ったように装ってみること。脳を少し騙しているのですね。部屋の模様替えや家具を移動して、空間デザインを変えてみたり。本を移動して、花を飾ってみて、別の場所につくろってしまう。食事も普段づかいではない、上等の皿に盛ったり、あるいは逆に思いっきり手抜きのレトルトやテイクアウトにしてみたりする。お祭りにいかないが浴衣を着てみたり、露天の食べものを買ってみたり、つくったりもする。

そんなふうに、すこしだけ、予算をあまりかえずに日常の軸足をずらして休日を楽しんでみると、どこか旅行にでもいけた気分になれるのかもしれませんね。

この七月の三連休の夜、星空の美しかった日はベランダにシートを引いて、ソファに寝転がり、外の夜風を楽しみながら読書にいそしみました。
車で海の見える景色まで移動してもよし、ふだんは聞かないラジオ番組をチューニングしてみるもよし。いろいろやってみて、気まぐれに時間つぶしをしてみました。もちろん、掃除もしてみて、こころを整える。

やってはいけないのは、ふてくされて何時間も惰眠を貪ってしまったり、ぼんやりと何もしないままの時間をつくってしまうこと。私の30代はほぼそれで浪費してしまったからです。やりたいことを、ずらずら書き連ねておけば、けっして眠くはならず、すぐに目覚めることができます。人生の残り時間、砂時計はあといくら落ちてくるのかを頭に描きつつも。

今回はそんな気晴らしのことについて書いた雑記なのでした。
同居人といっしょにそうした現実逃避をしないのは、私のひとりになる時間がほしい気質からくるものですね、もっぱら。

(2023/07/16)



※画像作成Bing Image Creator


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