おざわようこの後遺症と伴走する日々のつぶやき-多剤併用大量処方された向精神薬の山から再生しつつあるひとの視座から-

大学時代の難治性うつ病診断から這い上がり、減薬に取り組み、元気になろうとしつつあるひと(硝子の??30代)のつぶやきです

私の裡の「閾値」

2023-08-22 06:17:19 | 日記
「閾値」とは、

ある現象を引き起こすのに必要な刺激の大きさを表す値。

「閾値」とは、

感覚や反応や興奮を起こさせるのに必要な、最小の強度や刺激などの物理的な意味での量。

「閾値」とは、

私のなかのイメージでは、神経細胞の、グラフの跳ね上がり。
(静止膜電位から)活動電位の発生に必要な刺激強度、動物に特定の応答を引き起こす感覚刺激の強度。

やはり、私のなかのイメージでは、神経細胞の、グラフの跳ね上がり、だ。

私は怒りや哀しみの閾値を越えたときどのように対応して乗り越え、

上がってしまった心の活動電位を普段の心の静止膜電位まで戻してゆくのかということを習得するのに時間がかかった。

今も道半ばである。

しかし、多くの人たちに支えていただいてきているから、ここまで闘病から回復に繋げられた。

私の細胞膜電位を乱すファクターのひとつに父親との関係性がある。

かつて勝手に応募書類やメールを見られ、お金の名前の下にプライバシーを侵害されることに悩み、その状況から早く脱しようとムリをし過ぎて病気が悪化することを繰り返していた。

そんなときに相談に乗ってくれた弁護士たちがいた、そしてその弁護士たちのところへ連れて行ってくれる人たちがいた、その先をさらに相談出来る人たちがいたのは、闘病や治療に直接ではなかったが、相談したことにより、状況改善をしようと、ひとつひとつ動けた。

助けてくれた周りに感謝し、また一歩ずつ、歩んでいきたい。

実は、昨日、母が怪我をした。
大事なかったのだが、父親の無関心、いや、気になると口だけの心配や心配するフリ(→具体的な行動はしないので無関心よりたちが悪い)さらに嫌味まで言う姿に思い出し、思うことがあり、複雑だった。

閾値とは、

私のなかのイメージでは、神経細胞の、グラフの跳ね上がり。

そんな感情が去来した半日だった。

ここまで読んでくださりありがとうございます。暗くなってしまいました。すみません。でも、明るくなる術も少しは体得したはずだし、今日も頑張りすぎず頑張ろうと思います。では、また、次回。


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