おざわようこの後遺症と伴走する日々のつぶやき-多剤併用大量処方された向精神薬の山から再生しつつあるひとの視座から-

大学時代の難治性うつ病診断から這い上がり、減薬に取り組み、元気になろうとしつつあるひと(硝子の??30代)のつぶやきです

モーツァルトとメンデルスゾーンという2人の天才が子供時代に描いた曲

2024-07-08 06:49:51 | 日記
モーツァルトとメンデルスゾーンという2人の天才が子供時代に描いた曲のなかで、死など心配せず、将来に希望を抱ける年代の美しさそのものである、と
私が感じる曲に(もはや戻ることもかなわないという憧憬とほろ苦さとともにではあるのだが......)、「ディヴェルトメントK.136」と「弦楽交響曲第5番」が在る。

モーツァルトは、円熟するというより、生まれてから死ぬまで、ずっと天才モーツァルトであった。

16歳の時に作られた「ディヴェルトメント」には、モーツァルトの早すぎる晩年までに共通する、魂の素直な躍動が満ちている。

シューマンはモーツァルトの音楽を
「どんな暗い世の中でも明るさと戯れをふりまかずにはいられない天使のいたずら」
と評したが、「ディヴェルトメントK.136」には、まさにいきていることそれ自体を喜びと感じられるような人間にしか書けない、底抜けの、混じり気のない純粋な喜びが溢れているように私には、感じられるのである。

なお、「ディヴェルトメント」は通常、「嬉遊曲」と和訳されるが、
「難しいことを考えずに、素直に心を委ねて聴けば良い音楽」というような意味に捉えてよいように私は勝手に思っている。

「ディヴェルトメントK.136」の第1楽章は、春の朝の日差しのように屈託なく始まる。

途中、その日差しには、かすかに翳りも生じるが、それもまた、結局、明るく復活する最初の主題をさらに生き生きと感じさせることになるのである。

第2楽章は、比類ない美しさを持つゆったりとした楽曲であり、ここにはモーツァルトがのちに書くオペラの原形が、すでに、こめられているようである。

それは、心の底から静かに湧き上がる、生きている喜びと感謝の旋律である。

いたずらっぽく始まる第3楽章は、「嬉遊曲」の名にふさわしく、あからさまに喜びが疾走する。

生命力に溢れた音楽は休みなく目まぐるしく動き続け、輝かしいきらめきを放ちながら全曲を終える。

さて、同じく早熟の天才であるメンデルスゾーンは、生涯、お金に苦労したモーツァルトとは異なり、大富豪の家に生まれた。

幼少から、作曲の才能を示したメンデルスゾーンのために両親は私的にオーケストラを雇い、息子がオーケストラ曲を作曲したら、すぐにそれを演奏できる環境を整えた。

このような恵まれた環境を活かし、メンデルスゾーンは、10歳頃から15歳頃にかけて、13曲の弦楽交響曲を書いている。

そこではさまざまな実験的な技法、着想が試されており、この自由な作曲経験がのちの傑作「スコットランド交響曲」「イタリア交響曲」などに結実してゆくことになるのである。

「弦楽交響曲第5番」は、12歳頃に作曲された。

「弦楽交響曲第5番」は単なる習作にとどまらず、少年メンデルスゾーンでしか描き得なかったであろう、天真爛漫さと優美に満ちていると、私は、思うのである。

第1楽章は、明るくたくましい主題で始まり、対位法を駆使しつつ休む間もなく突き進んでゆく。

時折、聴衆を驚かせる意外な展開もあり、いたずらを仕掛けて喜んでいる少年メンデルスゾーンの顔が思い浮かぶほどである。

第2楽章は落ち着いた優美な音楽が奏でられる。

わずか12歳の子供がこれほど繊細な世界を持ち、表現していることには、驚きを禁じ得ない。

第3楽章は、モーツァルトの曲と同様、激しい喜びの爆発である。

最後は、ふっ、と、肩透かしを食わせるかのように、小さな音で終わる。

これもまた、子供らしい遊び心と言えるのではないだろうか。

2人の天才が子供時代に描いた曲を、いまいちど、ゆっくりと、味わいたい。

ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。

昨日の都知事選は盛り上がりがすごかったように、投票所でも感じました( ^_^)

今日も、暑そうですね^_^;

体調管理には、気をつけたいですね( ^_^)

今日も、頑張りすぎず、頑張りたいですね。

では、また、次回。


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