おざわようこの後遺症と伴走する日々のつぶやき-多剤併用大量処方された向精神薬の山から再生しつつあるひとの視座から-

大学時代の難治性うつ病診断から這い上がり、減薬に取り組み、元気になろうとしつつあるひと(硝子の??30代)のつぶやきです

精神的的苦痛は精神疾患に本来は容易には変わり得ない

2024-07-03 07:09:12 | 日記
今や、常時1500万人のアメリカ人が大うつ病性障害(MDD)と見做されている。

軽々しい診断に拠り、大うつ病性障害の偽の流行は生み出され、ありがちな悲しみはうつ病という病気に変えられてしまい、過剰な薬物療法により薬漬けとなっている人々が、多く存在するといってしまっても、過言ではない。

勿論、最悪の場合、大うつ病性障害は人間にとって最も耐えがたい苦しみのひとつになる。

その精神的苦痛は、想像を絶しており、最愛の人を失ったときの痛みも及ばない。

しかし、大うつ病性障害として通っているものの多くは、実は「大」病でもないし、「うつ病」でもないし、「障害」でもない。

確かに、DSMによる大うつ病性障害の定義は最も揺るぎないもののひとつで、1980年にDSM-3ではじめて登場して以来、ほとんど変わっていない。

これだけ、長く受け継がれていることが、その有用性を物語っているともいえる。

しかしながら、致命的な欠点もあるのである。

それは、最も重いうつ病と最も軽いうつ病を同じ基準で定義しているため、両方のニーズを満たすように書かれていることである。

大うつ病性障害の定義は重症の方で上手く働いているが、軽症の方ではよくある正常な悲しみにじわじわと精神疾患の包装を施すという事態をもたらしている。

「軽い大うつ病」ということばは、奇妙な上に、矛盾している。

「軽い」と「大」というキーワードが無理やり並べられて自家撞着に陥っているのである。

このつながりの悪さは、臨床上の難問を映し出している。

うつ病の軽度のものと、自然で正常な悲嘆のうち重度のものとの間に、明確な境界線を引く術はないのではないだろうか。

本当に大うつ病を患っている人たちを漏らさず診断しようとしたら、どうしても、人生で不運な目に遭っているだけの人たちまで誤診してしまうことになるであろう。

そのような不運に医学のレッテルも治療も必要ないはずなのに、である。

偽薬よりも、抗うつ薬が効くのかどうか、をめぐっては盛んに議論が行われているけれども、研究で治療される患者の多くが、あまり重いうつ病でないか、そもそもうつ病ですらなく、積極的な薬物療法が実は不要であることが、その理由に他ならない。

悲しみを病気の同義語にするべきではない、と私は、思うのである。

どんな失意にも当てはまる診断があるわけではないし、どんな問題にも使える薬があるわけでもないからである。

病気、失業、離婚、金銭難、人間関係のトラブルなどの人生の困難を、排除することなど、出来はしない。

そして、それらに対する悲しみ、不満、落胆など私たちの自然な反応をおしなべて精神疾患として扱ったり、薬で治療したりすべきではない、とも思う。

私たちは、大抵の場合、回復力に富んでおり、傷を癒し、周囲の力を借り、なんとか前向きに生きてゆく。

また、精神的苦痛を感じる力は、身体的苦痛と目的は同じで、環境に順応するという大きな価値が在るのである。

あらゆる精神的苦痛を精神疾患に変えるのは、私たち自身を根本から変えて、経験というパレットの中の色をくすませない限りは不可能なのではないだろうか。

オルダス・ハクスリーが『すばらしい新世界』の中で描いたデイストピアが、苦痛からの解放が脳の死に容易く変わってしまうことを示していたことを、想起してしまうのは、私だけであろうか。

DSMは、大うつ病性障害の診断をあまりにも簡単に受けられるようにしてしまったようである。

DSMにおける最大の欠点は、人生の重いストレスが悲嘆の反応を引き起こすことも認識していなかったことである。

例えば、何か悲惨なことが起こったために、2週間の間悲しみに暮れ、興味や活力を失い、睡眠や食事にまで支障が出たとする。

これは、至極まともな反応であり、完全に正常であるように思えるのだが、DSMはこれに大うつ病性障害のレッテルを貼ってしまうのである。

DSMの曖昧な定義がもたらした大うつ病性障害の「流行」は、医師の生物学的還元主義と、製薬企業の恣意的なマーケティングの組み合わせによって、さらに加速されたのである。

医師たちは、
「うつ病は、全ての脳内の不均衡の結果であり、それゆえに化学的な治療が、つまり、抗うつ薬の処方が必要だ」とする筋書きを受け容れてしまった。

これは重度のうつ病に対しては完全に正しいが、ほとんどの軽度のうつ病に対しては完全に間違っている。

軽度のうつ病には、精神療法が薬物療法に劣らず有効であり、そのどちらも偽薬により大きな効果があるわけではない、という事実こそが動かぬ証拠であろう。

化学的不均衡、という間違っている可能性の高い「仮定」のもとに、今も、何百万人の人々が実際に患っていないのにも関わらず、大うつ病性障害と診断され、必要のない薬を飲んでいるのである。

ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。

今日からまた、日記を再開いたします( ^_^)

また、よろしくお願いいたします(*^^*)

暑いですね、本当に......^_^;

体調管理に気をつけたいですね。

今日も頑張り過ぎず、頑張りたいですね。

では、また、次回。

*見出し画像は、近所のカプセルトイのお店の中で撮りました(*^^*)


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