おざわようこの後遺症と伴走する日々のつぶやき-多剤併用大量処方された向精神薬の山から再生しつつあるひとの視座から-

大学時代の難治性うつ病診断から這い上がり、減薬に取り組み、元気になろうとしつつあるひと(硝子の??30代)のつぶやきです

統計学とウロボロスの類似性-フランセス博士の論駁から-

2023-09-07 05:22:17 | 日記
統計学をなんらかのかたちで用い、
精神の「正常」
を定義することは、出来るのであろうか?

不思議なことに

自然や人間に関する事柄のほとんどは、
正規分布に準じていて、
実は、平均値の周辺という、予測可能な範囲に多くが在るさまを教えてくれる。

不思議なことに

乱雑な数字の集まりにしか見えないもののなかにも、
おなじベル(形)曲線が現れる。
ベル曲線は、人類や世界にとって重要な事柄ほぼすべてを、きわめて正確に予測する力を与えてくれる。

不思議なことに

人間の特徴は、肉体、感情、知性、態度、行動のどれをとってもひとりひとり異なるが、
その差異は無法則などではない。
どのような特徴であれベル曲線に沿って
「正常」
に分布しており、人口中に連続分布している。
身長、体重、知能指数、性格などの特徴は、すべて、平均値を中心として、はずれ値がその両側に左右対称に並ぶ形で固まる。

このことを、簡潔、明瞭、ひとこと、で要約しているのが、
「標準偏差」であろう。

統計学をなんらかのかたちで用い、
精神の「正常」
を定義することは、出来るのであろうか?

理論的には、
最も障がいの重いとされる人たち(全人口の5%、10%、30%でも)が精神疾患で、残りは正常だと勝手に決めることは出来る。

そして
理論的には、
調査(方)法を開発し、あらゆる人たちにスコアをつけて、ベル曲線を描き、境界線を定めて、「病人として」レッテルを貼ることすら出来る。

しかし、現実は、決してそのようにはならない。

なぜなら、統計、状況、価値にまつわる判断があまりにもたくさん在るがために、統計学による単純な解決はそれらに妨げられるからだ。

統計学の基をなすはずのデータや統計とそれに付随する要素が統計学に噛みついている格好だ。

私は、いつも、ウロボロス、またはウロボロス円環を想起することを禁じ得ない。

ベル曲線のなかで、どこに境界線を定めるのであれ、その両隣にいる人たちは、ほぼ変わらないはずだ。

それなのに、一方は病気であり、他は健康であるというのは独断に満ちている、と私は思う。

確かに、どこかに基準値を設けなければならないし、基準値を設けることの有用性をある程度私も理解している。

しかし、統計学に縛られたり、統計ばかり見て、
「ふつう」の領域をコントロールし、条件が満たされているという理由の精神疾患のを拡大することは、間違っている、と、私は、考える。

ここまで読んでくださりありがとうございます。
明日から数日間、不定期更新になります。
またよろしくお願いいたします。
では、また、次回。




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2 コメント

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Unknown (みゆきん)
2023-09-07 21:24:26
天は二物を与えずって事かな?
コメント嬉しかったわ♬
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Unknown (ぐふ)
2023-09-10 02:55:27
統計は、正確な情報と捉え方であれば興味あるところですが、現在は改竄みっちりで諦めています。
それはさておき、境界線の隣に変わりなしはわかります。~環はピンとこないけれども。
私は細かいようでおおざっぱもありで・・
ヒトの種でまとまっているからには、そんなに問題的差が無いはずで、数値で病気領域を求めてもしかたがないように考えてます。千差万別を一義的にはとてもとても。
心身はダメージを受けるものだから、良いケア目的の判定が望ましいな。
つい長くスミマセン。
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