夏目漱石が、
文学作品ですごいことは、
誰もが知るところである。
すごすぎて、私など、
理解できていない作品の方が多い。(ほぼ?)
漱石のすごさのひとつに、
「どうやって浮世離れした存在が、
一般と同等の人間である、と、
みせて、安心させるか」
という術を知っていることが挙げられるだろう。
夏目漱石が、
一般人向けの雑誌にかいたエッセイがある。
その中で漱石は、
単に朝起きてどう過ごしたか、
そして誰が訪ねてきたか、だけかいた。
そのような中身は、漱石でないとゆるされないし、
むしろ、読者は漱石がそのような文章もかいてくれるのかと、喜ぶ。
そして、あの漱石先生も同じ人間なんだとどこか安心し、さらに感動する。
夏目漱石は、実に、そのような大衆心理までもよくわかっていたのだなあ
、と、エッセイひとつ採っても、驚きを禁じ得ない。
確かに、一般に難しい小説を読ませるだけでは、
私のように、理解や感動する前に考えこんでしまうひとも、いるのであろうが、
例えば、漱石が、
「今朝、家族みんなで食べた朝食は、目刺しと味噌汁と、ご飯、それにたくわんが数切れ付いていた。
やはりこれが1番美味い。」
などとエッセイに記してくれれば、
浮世離れした存在の俗世への帰還のごとく、多くの一般読者は安堵し、
「さすが、漱石先生。
健康、暮らし、家族、生きる喜び、普通の生の有り難さなどなど、すべての人生においての大切な要素が、さりげない話に入っている」
となる。
今でいう、「ギャップ萌え」をやすやすと、かなり昔にやっている、夏目漱石
とやはり数々の名作をかいている夏目漱石の存在はすごいとしみじみ思う朝である。
ここまで、読んでくださり、ありがとうございます。
調子は万全ではありませんが、
数日ぶりに復帰しました。
またよろしくお願いいたします。
では、また、次回。