「たしかに六十年前ここへ上った記憶がありますから」
「記憶と言うてもな、映る筈もない遠すぎるものを映しもすれば、
それを近いもののように見せもすれば、
幻の眼鏡のようなものやさかいに」
「しかしもし、清顕君がはじめからいなかったとすれば」
と本多は雲霧の中をさまようような心地がして、
今ここで門跡と会っていることも半ば夢のように思われてきて、
あたかも漆の盆の上に吐きかけた息の曇りがみるみる消え去っていくように失われてゆく自分を呼びさまそうと思わず叫んだ。
「それなら、
勲もいなかったことになる。
ジン・ジャンもいなかったことになる。
……その上、ひょっとしたら、この私ですらも……」
門跡の目ははじめてやや強く本多を見据えた。
「それも心々(こころごころ)ですさかい」
(三島由紀夫『天人五衰』より)
『天人五衰』は『豊饒の海(四)天人五衰』であり、
三島由紀夫が、
昭和45年11月25日に最後の原稿を新潮社へ出し、
それから市ヶ谷であの檄(文)を表しに行くのである。
『天人五衰』は私の読んだなかで最も重厚だと感じる作品のひとつである。
なぜなら
まず、
登場人物の
「みる」こと
と「認識する」こと
の立ち位置の違いが、この作品内部で絡み合うからである。
人を裁くために「みる」、元控訴院判事の本多
(→ともすると理論が優先しがちな見方)
よく正確に人よりよく、境界から出現する船を「みる」元船舶信号所の信号員の透
(→とにかく精緻に正確に眺めるような見方)
狂女となってしまったが、彼女から「みる」世界(観)を曲げようとしない絹江
(→自分がみた世界を頑な信じようとする見方)
裕福な育ち方を漂わせながらむも、世間一般とは違う浮世離れ的ではあるがものごとを鋭く「みる」慶子
(→理論的だが、本多の理論に偏りがちな部分が解るため、それをある意味補って、独自の解釈も加える見方)
剃髪してから俗世にいたころと異なる視点から「みる」ことを続けてきた聡子
(→三島が伝えたかったことを「みる」ための見方、に最も近い見方ではないか、と私は考えている)
つぎに、
「輪廻転生、生まれ変わり」が『春の雪』からずっと根底に在るため、
時間軸、場所軸、時代背景などのファクターの遷移の過程
がまた絡み合うからである。
例えば、……、
……。
…………。
……何回にも分けないと描けなさそうであるので、
続きは次回以降に配分を考え、
回数を分けて描くこととする。
ここまで、読んでくださりありがとうございます。
1回で描ける内容でもないのに、配分の考えが甘く、次回以降に持ち越しとさせていただきました。反省しております。
今日は久々に朝から雨が降っています。今日こそ、街路樹が潤うかな。
今日も頑張りすぎず頑張りたいですね。
では、また、次回。