オイディプス(王)を即座に診察室に連れて行き、精神分析を受けさせなければならないという焦燥感に駆られたり、
ハムレットに行動療法のコースを受けさせたいと切望したり、
リア王に抗精神病薬の処方箋がないことに動揺したり、
はしないであろう。
歴史上の人物たちや小説など登場人物たちが、
困難を突破し、さまざまな試練に耐え、何かを成し遂げること
に、感動や尊敬の念をおぼえることは、多くの人々に共通する認識だ、と私は思う。
私は、
かつて経験した身として
適切な治療と不適切な治療
過剰な投薬と適切な投薬
そして、
治療や投薬を受ける勇気
と
治療や投薬を適度なところでちゃんと止める勇気が大事である、と、考えている。
薬や治療に過剰な信頼と期待を寄せ、
人間本来が持つの回復力や待つだけの時間の持つ有用性を過小評価した、
私自身を、私は
反省しているし、
教訓を忘れたくないし、
この経験や教訓が
いつか他の誰かのなんらかの役に立つような形になる
ように努力する所存である。
繰り返すが、
オイディプス(王)を診察室に連れて行き、精神分析を受けさせたいか?
ハムレットに行動療法のコースを受けさせたいか?
リア王に抗精神病薬をのませたいか?
「人間の尊厳」が傷付くような、解、にはならないはずだ。
人間には、ある程度の自然治癒力と困難を突破する力と強靱さがあるようだ、と、示すデータがある。
死のイメージがつきまとう病の宣告後は、悲嘆と不安の度合いが、大きく跳ね上がるものの、6週間後には宣告前のライン(≒スタートライン)まで戻っており、ここで、すぐさま安直な薬物療法に飛びつき、依存し、待たなければ、どうなっていたかは、明白であろう。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
そろそろたまには文学作品にもどろうかなあと考えていたことが影響したのか、混ざりすぎた話になってしまいました。
今回も、読んでくださりありがとうございます。
では、また、次回。
*見出し写真はそのときそのとき読んでいるものを写したりしています。