この4月から年上の友人の紹介で「対馬丸記念館」という財団法人の運営する施設に勤めさせてもらっています。
対馬丸記念館とは、沖縄戦の前年、昭和19年8月22日に疎開先の九州にたどり着くことなく悪石島近海で沈んだ対馬丸を風化させないために建てられた施設です。
勤める前に対馬丸生存者の上原清さんの「沈む」という手記を頂きました。
正直、対馬丸については学童疎開戦が沈んだという知識しかなかったのでその本をすごい勢いで読みました。
そのなかに戦地に向かう船を「だんじゅかりゆし」を歌い太鼓を打ち鳴らして見送ったという記述がありました。
切なくなりました、どんな気持ちでこの歌を歌ったのだろう。
唐旅よりも江戸上りよりも危険な船旅、しかも行く先は戦地。
私の中で「だんじゅかりゆし」が別の意味をもったのでした。
対馬丸記念館とは、沖縄戦の前年、昭和19年8月22日に疎開先の九州にたどり着くことなく悪石島近海で沈んだ対馬丸を風化させないために建てられた施設です。
勤める前に対馬丸生存者の上原清さんの「沈む」という手記を頂きました。
正直、対馬丸については学童疎開戦が沈んだという知識しかなかったのでその本をすごい勢いで読みました。
そのなかに戦地に向かう船を「だんじゅかりゆし」を歌い太鼓を打ち鳴らして見送ったという記述がありました。
切なくなりました、どんな気持ちでこの歌を歌ったのだろう。
唐旅よりも江戸上りよりも危険な船旅、しかも行く先は戦地。
私の中で「だんじゅかりゆし」が別の意味をもったのでした。