「完全なる首長竜の日」 乾緑郎著
これ新しいジャンルの小説なのかな?
第九回『このミステリーがすごい!大賞』受賞作らしいけどミステリーでなくオカルトに近いかも。
昏睡状態が続く患者と親族が意思疎通を図る。不可能に近いことを最新の科学技術によって、あくまでも夢の中でコンタクトを取る。その場面の映像を見るかのごとく研究チームが監視続ける。
本当にこれが可能であればこの上ない喜びに違いない。
以前勤めていた会社の先輩を思い出した。
彼は酒に酔って横転し強く頭を打ち、意識が戻らず約三年間昏睡状態で寝たきり状態になっていた。
意識が戻る見込みはなくただ寝ているだけ。幼い子供二人を連れながら毎日通い続ける妻の気持ちを考えると胸が痛い。
こんな時にこそ本書のような意思疎通ができる、せめて夢の中だけでもコンタクトを取りたいであろう。
目を閉じて寝ているように見えても、本当は自分で瞼を開くことができないだけで、口を開くことができないだけで、実はちゃんと意識があって、こちら側から家族の顔や見舞いに来る来客者も全て理解できていたとしたら、その上で意識が戻る見込みがないと周囲が勝手に思い始めて、安楽死の方向に進みそうになったら、本人たまったもんじゃないだろう。
主人公の女漫画家は、自殺未遂して意識が戻らない弟と意思疎通を図る。
アシスタントの女の子や出版社の担当とのやり取りという日常的な事柄と夢が重なり、そこに弟が登場するからどれが現実なのか分からなくなってくる。
サリンジャーの小説を用いて弟は何が言いたかったのだろうか?夢の中での弟はこの意思疎通療法を認めず毎回ピストルで自身を撃ち抜く。その理由とは?
重なり続ける非現実から現実を読み解いてゆかねばならないが、文章力と構成力が上手すぎるから複雑感が全くない。
そこで、夢の問題。
夢と現実の境はどこにあるのだろうか?肉体が存在するかいなかの違いだけなのか?
夢はもしかしたら人間の本当の舞台なのかもしれない。今生きているこの世界が実は本来のステージではないのかも。肉体が滅びても夢は永遠に続くし魂はきっと何処かにあるはず。
そういえば食事をしている夢は見るけど、お腹が空いた状態の夢は見たことないものな。
現実と非現実は生と死や肉体と精神を用いて判断するしかない。仮想にとらわれすぎるとテロリストになる危険性もある。その中に現実の空間にある南の島の描写がみごとだった。こういうのが作品の奥行きというものだろう。それに猫家をにゃんかと読ませるのはとても新人作家とは思えない。
そうえいば、著者の乾緑郎(いぬいろくろう)と貫井徳郎(ぬくいとくろう)って似てるよな。
キーポイントは「患者さんと食事するのは初めて」。ラストに見える真実から著者の東野圭吾を思わせる技術に拍手したいです。
これ新しいジャンルの小説なのかな?
第九回『このミステリーがすごい!大賞』受賞作らしいけどミステリーでなくオカルトに近いかも。
昏睡状態が続く患者と親族が意思疎通を図る。不可能に近いことを最新の科学技術によって、あくまでも夢の中でコンタクトを取る。その場面の映像を見るかのごとく研究チームが監視続ける。
本当にこれが可能であればこの上ない喜びに違いない。
以前勤めていた会社の先輩を思い出した。
彼は酒に酔って横転し強く頭を打ち、意識が戻らず約三年間昏睡状態で寝たきり状態になっていた。
意識が戻る見込みはなくただ寝ているだけ。幼い子供二人を連れながら毎日通い続ける妻の気持ちを考えると胸が痛い。
こんな時にこそ本書のような意思疎通ができる、せめて夢の中だけでもコンタクトを取りたいであろう。
目を閉じて寝ているように見えても、本当は自分で瞼を開くことができないだけで、口を開くことができないだけで、実はちゃんと意識があって、こちら側から家族の顔や見舞いに来る来客者も全て理解できていたとしたら、その上で意識が戻る見込みがないと周囲が勝手に思い始めて、安楽死の方向に進みそうになったら、本人たまったもんじゃないだろう。
主人公の女漫画家は、自殺未遂して意識が戻らない弟と意思疎通を図る。
アシスタントの女の子や出版社の担当とのやり取りという日常的な事柄と夢が重なり、そこに弟が登場するからどれが現実なのか分からなくなってくる。
サリンジャーの小説を用いて弟は何が言いたかったのだろうか?夢の中での弟はこの意思疎通療法を認めず毎回ピストルで自身を撃ち抜く。その理由とは?
重なり続ける非現実から現実を読み解いてゆかねばならないが、文章力と構成力が上手すぎるから複雑感が全くない。
そこで、夢の問題。
夢と現実の境はどこにあるのだろうか?肉体が存在するかいなかの違いだけなのか?
夢はもしかしたら人間の本当の舞台なのかもしれない。今生きているこの世界が実は本来のステージではないのかも。肉体が滅びても夢は永遠に続くし魂はきっと何処かにあるはず。
そういえば食事をしている夢は見るけど、お腹が空いた状態の夢は見たことないものな。
現実と非現実は生と死や肉体と精神を用いて判断するしかない。仮想にとらわれすぎるとテロリストになる危険性もある。その中に現実の空間にある南の島の描写がみごとだった。こういうのが作品の奥行きというものだろう。それに猫家をにゃんかと読ませるのはとても新人作家とは思えない。
そうえいば、著者の乾緑郎(いぬいろくろう)と貫井徳郎(ぬくいとくろう)って似てるよな。
キーポイントは「患者さんと食事するのは初めて」。ラストに見える真実から著者の東野圭吾を思わせる技術に拍手したいです。