店長スペシャル

人生は心に想い描いた通りになる。ゴールデンルールの道。

くまのプーさん

2009-01-31 19:55:38 | Weblog
くまのプーさんを暇だから読んでみた。裏を見てみると、(2才児用)って書いてあった。生まれたばかりの子供がほぼ初めて見る本って、どんな内容なのだろうと、少しばかりの興味を持ったからだ。ページを開くと、可愛らしく優しそうな「くま」が出てくる。名前はプーさん。“プー”じゃなく、“プーさん”らしい。そのプーさんは、朝他の人(動物)よりも遅く起きる。起きたらまず、朝食を食べる。食べ終わるとすぐに外に出て、友人と川に行き水遊びをする。笑う。沢山笑う。そして昼食を食べる。昼食後、横になり寝てしまう。3時頃に起きておやつのハチミツを食べる。また川に行き、今度は魚釣りをして帰宅し夕飯を食べる。そして就寝。そこでページが閉じられる。っていうか、なんじゃこの本!いわゆるプーさんの一日が、ただ単に描かれているだけなのだ!そこには善悪など存在せず、ハプニングや意外性はもちろんの事、読者の心を動かす物など何一つ存在しない。子供はこんな本を読んで笑っているのかなぁ~。バカらしい本だよ!まったく!と、当初は思っていたのだけど、僕は僕なりにこの本を真剣に考えてみた。生まれてくる子供は、お母さんのお腹で約1年、やっとの思いで出てきたこの世にあるものを全て見たいのだろうね。意識はあるけどよく見えない事だらけのこの世。2才位になると自分の足で立ち、自分の手で本を開く。誰でもいいから一日どう過ごしているのか?一生懸命知りたいのだろう。ふとこんな事を考えた。もし僕がUFOに乗った宇宙人と出会い、後を追いかける事が出来たとしたら、やっぱり宇宙人の一日の行動を見てみたいよな。毎日何しているのか知りたくなるはず。今僕に必要なのは生まれたての気持ちになることかも知れない。

祖母のゆんたく (パート4)

2009-01-31 19:46:12 | Weblog
そういえば最近“みどりのおばさん”って見かけないな?

ほら、横断歩道で子供達の歩行を誘導している人。

たまにおじさんは見るけど、交通違反免除の労働者との違いが分からないから、もうこういう人達っていないのかなぁ~。

小学校低学年の時、このみどりのおばさんを月に1、2回祖母がやっていた。いわゆる“みどりのおばあちゃん”である。そんなのどうどうでもいいけど。

朝学校に行くと校門前の横断歩道にいる祖母をまず、友達が発見する。

「あ!とっさんのおばあちゃんだ!」とっさんとは当時の僕のあだ名。

腰の曲がったババァは、「みんな、おはよう!」と、めったに見せない笑顔で子供達を迎える。一人一人に適当な愛想をふりまいた後、僕は呼び止められる。

「よしろう!ちょっと来い!」

恐る恐る近づいて行くと、「目ヤニついてるよ!きたねえなぁ~!」と言って、持っている祖母のハンカチに、「ペェーッ!」と自分のツバを吹きかけ、それで僕の目ヤニを取る。
それがもの凄く嫌で嫌で!拭かれている時は、大人の力で拭くからとにかく痛い!
そして何秒か経過すると、顔一面、祖母のツバで臭くなる。

これがたまらなく臭い!

朝きれいに顔を洗ってきた意味さえ忘れる。臭い!もう~!イヤ!って…。

祖母の歯は全て入れ歯だ。その入れ歯をTVを見ながら口の中で、いつも動かしている。何か牛が横に居るようで、すごく変な感じがしていたんだ。その入れ歯を洗っている所を見たことがないから、臭い、ものすごく!


うちは両親共働きだったから、授業参観にも祖母はよく来ていた。

「とっさんのお母さん老けてるね!」

なんて友人にからかわれながら赤面していた。
この状態は祖母が死ぬまで続くと思うと、死にたくて堪らなかった…。

授業参観ってだいたい、2回授業するから2時間目と3時間目の休み時間にまた、ツバ付ハンカチで目ヤニをとる。

いつか僕は祖母殺しで刑務所入るのだろうと考えると、人生投げ出したくなった。   つづく…。

祖母のゆんたく (パート3)

2009-01-25 18:45:46 | Weblog
小学校の教員をしていた祖母の教育は、とにかく厳しかった。


幼稚園の頃は特に勉強しろなどとは言わなかったが、小学校に入学したとたんに始まったのである。1年生で学校から帰宅すると30分復習をやらされる。

小2になると1時間になり、小3で1時間30分、復習だけでなく、予習もやるように強制させられた。小4で2時間。小5、小6に至っては何時間勉強させられたか分からない。

でもこれだけ勉強してもそんなに成績は上がらなかった。
だって無理やり勉強させられていたのだから…。

とくかく祖母と2人きりの時間が嫌で嫌で、逃げ出したいくらいイヤだったのを覚えている。

算数の計算が出来ないと、ボールペンで指を刺す。

漢字を書けないと何だか知らないが、小指をへし曲げる。

周囲に気づかれにくい暴力っていうのが、結構キツイ。

そんな毎日が続くのだが、唯一、火曜日だけは勉強をしなくて良い日だった。
それは母の休日だった。

当時、母は本八幡で美容室を経営しており、火曜日が休み。
この日だけは学校が終わると猛ダッシュで家に帰る。
母は一日家にいるから、義理の母である祖母としては、この日だけは母に遠慮して僕を解放していたんじゃないかな。
普段怒られてばかりいる僕は、ここぞとばかりに母にくっついて行動する。

掃除・買物・お風呂等。当たり前のように勉強しない僕を祖母は、「こやつめ!イキがりやがって!」と、横目を使って見る顔は、憎しみこもっりまくっていたよ、本当に。あ~怖い怖い。でも、火曜日の夜、寝る前が一番怖かったなぁ。だって明日からまた1日始まるって思うと気分がダークブルー。学校が10時間目位あればいいって、ずっと思っていた。


また祖母は、小遣いをくれない。

母から子供たちの小遣いとして、お金を渡されているにも関わらず。だからお菓子を買えないから、いつもサーターアンダギー(沖縄ドーナツ)食べさせられていた。

幼い頃にこれを食べ過ぎたせいで、今では100万円もらっても食べたくないな。

しかも、夏になると、近所の公園で祖母が蝉を捕まえてきて火に焼いておやつに出す。「絶対食べない!」と思っていても全て完食してしまう自分がいる。
蝉の身は結構甘いんだ。
昔の沖縄の人はよく食べていたみたい。もちろん羽根とかは食べないよ。

ちなみに、油蝉の身はほんと油ばっかり。
「食べたら太るよ~」って祖父が言っていたな。

ちなみに祖父はやさしい。祖母とは全然違う!

今度紹介します。 つづく…。

マイカーナビに怒!

2009-01-24 19:12:03 | Weblog
僕のカーナビ(HDD)は、一日の始まりにエンジンをかけると、今日が何の日なのか教えてくれる「今日は建国記念の日です~」みたいに。日本の休日はもちろんの事、普段知らない事を教えてくれ結構面白いがしかし、腑に落ちない内容の日が山ほどあるのだ。ちなみに最近の日を並べてみた。1月13日「ピース記念日」peace(平和)だと想像したが、ピース記念日って変なネーミングだと思っていた。平和記念日の方が絶対良いし。そしたら何とタバコのピースが発売された日だって。なんじゃそれセブンスターの日やキャスターの日は無いくせに…。14日「愛と希望と勇気の日」意味分かんない!だって毎日が、愛と希望と勇気の日じゃないのですか?それとも今日はこれを行いなさいというものなのかなぁ~。占いか!実際は、南極に置き去りにされたタロ・ジロの救出された日らしい。死んだ日ならまだしも救出って!何故に助け出された日なのだ。15日「半袖の日」おいおい!1年の季節で一番寒い時期だぞ!半袖着れるわけないだろ16日「禁酒の日」誰がだよこの日酒飲んじゃいけないのなら、全国の酒屋協会からクレームがくるし、車に乗っているのに禁酒って当たり前だろ17日「防災とボランティアの日」どっち?防災?ボランティア?全く違う意味のものが重なってんの?ボランティアの日でいいじゃん!18日「都バス開業の日」これは東京で使用しているカーナビだからなのか?19日「家庭用消火器点検の日」家庭用限定じゃなく、消火器点検の日でいいだろ!20日「玉の輿の日」なんじゃこれはそう簡単に玉の輿に乗れるわけねぇよ!みんな目指しているよ!21日「ライバルが手を結ぶ日」何でもいいのかよ!ネタがないからと言って勝手に作るな手を結ばないからライバルなんだよ!22日は「カレーの日」。日本人はカレーこだわるよな~。日本伝統の料理って他にもあるだろ。昭和57年に全国栄養士協議会で給食のメニューをカレーにすることに決められ、全国の小中学校で一斉にカレー給食が出た日らしいが…。

ちなみに本日の朝、エンジンをかけてビックリ仰天した

『今日はグループサウンズの「ザ・タイガース」解散した日です』…

読書クラブ (第2話)

2009-01-20 18:26:13 | Weblog

僕の自信を込めた作文「こころ」に対し、他のクラブ員の読んだ本は、とんでもなかった。まず、銀河鉄道999(宮沢賢治じゃないよ。アニメのほう)、赤川次郎の三毛猫ホームズの殺人、ノンちゃん雲に乗る等、ふざけた作品ばかり!一番酷い2年生の女生徒に関しては、「くまのプーさん」だったのだ。幼稚園児かお前は!っていうか、お前らふざけんなよ!俺がどれだけ苦労して作文書き上げたと思ってんだよ。完全に舐めきっているクラブ員にこの怒りをぶつける前に、国語教師はすでにキレていた。「アニメや童話を読んでよく感想作文書けるわね。部長でさえ、漱石選んできているのよ。ちゃんとした本を読みなさい!」そりゃそうだよね。はっきり言ってこいつ等人間失格。僕は読書部部長として、物申した。「本日の発表会は中止だ。来週に延期する。真面目に本を読め!お前ら、純文学なめんなよ!」クラブ員は完全にビビり、黙りこくっていた。暫しの沈黙後、一人の生徒がそっと手を上げた。“プーさん”で作文発表会に堂々参加して来た2年生の女生徒だ。彼女は細くて小さな声でこう発言した。「1週間では、短すぎます。再来週にできませんか?」僕はキッパリと断った。「ダメだね。お前らのせいで延ばすんだ。しかもお前の読む本は俺が決める。」泣きそうな顔をしてこちらを見ていたが、特に国語教師も止めることなく進んだので、僕はあえてこの生徒に漱石の「こころ」を選んで手渡した。「俺はこの本3回読んだから1週間かけてじっくり読み、作文書きなさい」って。僕の目を一度も見る事なく、足早に去って行った彼女の後姿と、図書室でしぶしぶ本を物色している他生徒の後姿を重ねて想った。いろんな人間いるんだなぁ~。絶対に友達にはなれない様な人達の理解出来ない思考を垣間見せて貰った気がした。自分と同じように“目立とう精神”の持主ばかりじゃないんだよなって…。作文は終了しているから1週間バスケットでもやって過ごそうってこの時は安易に考えていたのです。
だが、1週間後の作文発表会は恐ろしいオチが待っていたのだ!  つづく…。

親切な少年に怒!

2009-01-19 19:01:40 | Weblog
浅草の花やしきに「秘宝の磐ミラクルストーン」というのがあるのです。ただの迷路なのだけど、ゴールに向かって進んで行くと、所どころでドアが2つ出現する。1つのドアはゴールに繋がっていて、もう一方は、元の道に戻ってしまうというもの。まさに!過酷かつ運だけが自分の進むべき道を決定してしまう、摩訶不思議なミラクルゲームっていうのがこのアトラクションの醍醐味なのですが…
今年の正月に僕はこのアトラクションをまったく楽しめず、しかも怒り心頭してしまいました僕が入場する前に、スポーツ刈りの黒のジャージを着た、小学校5、6年の少年が先に一人で入場した。別に気にも止めていなかったけど。その少年は親切心からなのか、僕がすぐ後ろに居るものだから、行く先々の仕掛けドアをわざわざ開けてくれる。少年が僕を導く様に…。『え~ッ何してくれてるの?』僕は思った。そりゃそうでしょうよ。『迷路なんだから!どのドアを選ぶか僕が決めるよ。だってそれがこのミラクルストーンの醍醐味でしょ!ゲームにならないじゃん』って心の中で呟いていました。それとその少年、僕の何才下なのか分からないが、気持ち悪いよ~間違った紳士風の少年って。怖いよねぇそして、親切心で満ち溢れた少年(たぶん、何十回もここに来ているのだろう)は最後までドアボーイを演じ、笑顔で去って行ったのである。もう勘弁してよ。チケット3枚無駄になったし

祖母のゆんたく (パート2)

2009-01-18 18:12:15 | Weblog
小学校に入学する前、つまり幼稚園を卒業したその後、小学校の先生と面談をする。
入学してみんなと一緒に勉強や生活ができるか等。

今でもこういうのやっているのかなぁ~。

この日の事は良く覚えている。

祖母に連れられて、とぼとぼ小学校へ。三者面談が始まり、担当の先生(担任ではなかった)に、「よしろうくんは、好きな食べ物は何かな?」と聞かれ、僕は、「しるじき」と即答した。

しるじきとは沖縄の方言で、シルジキー(汁かけご飯)のことだ。
幼い頃僕は、ごはんに味噌汁をかけないと食べる事が出来ず、自然と好物になっていた。

父、母、祖母、祖父、兄、弟と暮らしていて、メインのおかずはいつも祖父が7割食べてしまう。父が2割食べ、残りを皆で食べるから、とにかく夕飯の席はいつも戦場。

それプラス祖母の口癖は、「いつ敵が攻めてくるかわからないから早く食べろ!」「ちんたら食べる男は出世できない!」って言っていたから、おかずをゲットできない日は、しるじきを食べ、そして、このシルジキーなる食べ物が、いつしか僕のマイフェイバリットフードになっていたのです。

だが、この面談で、しるじきと僕が素直に答えると先生は、「え!何?しるじきって」と困った様子。
この時は、しるじきは沖縄の方言とは知らず、日本人はみんなこう呼ぶと思っていた。
祖母にも問いかける先生に、祖母は赤面し、苦笑しながら「違うよね。カレーだよね。」って無理やり僕を抑え込む。
そして、恐怖の帰り道。怒りくるった祖母は、小学校の校門を1歩出るといきなり、

祖母 「なんで、しるじきとか言ってんだよ!」

僕 「だって本当の事言わないと…」

祖母 「馬鹿かお前!そういう時は、カレーとかハンバーグとか無難な事、答えておけばいいんだよ!」

僕 「ハンバーグあまり食べたことないよ」

祖母 「うるせい!そういう事じゃない。恥ずかしいよ、しるじきなんて!貧乏だ と思われるだろ。世間体考えろ。分かったか!」

僕  「うん…」

5才の僕に祖母は、はっきりと“世間体”という言葉を使った。

アホである。
そして、その後成長する過程でこの世間体というものと、僕は格闘して行くこととなる。

家に到着するまで何回も面談の練習を2人で行ったのです。
もう面談ないのにな。

ちなみにその日の夕食もしるじきを食べたよ僕は。  つづく…。

読書クラブ (第1話)

2009-01-18 17:32:40 | Weblog
部活と言えば、中学校三年間はバスケットボールばかりしていた。過酷な練習の毎日だったけど、バスケット好きな僕は充実した日々過ごしていたのです。とある日、練習中に足を怪我して保健室で手当てを受けていると、そこに国語の教師がやって来た。「スポーツばかりしてないで、本でも読みなさいよ。想像力が高まり、プレーの幅も広がるから。」本なんか読んでられるか!って感じだったけど、「読書クラブの部長をしない?二学期だけでいいから。もちろん高条件付ける」って言うんだよね。当時は部活とクラブってのが3年生になると始まっていて、部活は3年の一学期でほぼ終了(受験に専念する為に)。その代わり、クラブというのがあり、そこでもバスケットクラブに入ろうと思っていた。だが高条件を聞いてみると、なんとそれは、二学期の成績を2から3にする。というものだった。今では考えられない教師だが、当時は内申書というものがあり、二学期の成績で進学する高校が決定するぐらい、とても重要だったから僕は即答で引き受けた。どうせ適当にやればいいんだよ。と自分に言い聞かせて…。 当時の読書クラブは全部で8名(1年から3年全部で)しかおらず、その8名がとんでもなかった。絶対に友達にはなりたくないような奴らで、1日中、一言もしゃべりそうもない奴らばかり。まぁ今でいうオタク系かな。でも条件もあるし、僕は僕で楽しく過ごそうって思っていたんだ。ある日、クラブ担当の国語教師が「1冊の本を読んで2週間後に感想発表会を行いましょう」と言い出した。クラブ員は各々好きな本を選んだのだが、僕の読む本は、すでに国語教師が決めていて、夏目漱石の『こころ』だった。なんで漱石なんて古い時代の人の作品読まなきゃいけないのだろう?と思いつつ、まぁいいや、適当にやろう。そう決めてとりあえず真剣に読み始めたのだけど、読めば読むほど意味が分からず、漱石はこの本で一体何が言いたいのだろうって疑問に思うばかり。作文は提出しないといけないから、一応僕なりの漱石像を創り上げ、一字一句大切に(読めない漢字は辞書で引き等)読み、しかも、1回読んでも理解出来ないから、3回読み、何とか前日までに作文を仕上げたのです。2週間が経ち、発表会が始まったのだが、そこにはなんと、想像もつかない部員達が僕を待っていたのである。  続く…。

海に沈む太陽

2009-01-11 13:57:12 | Weblog
海に沈む太陽 梁石日著
「これフィクションかよ!」って思うぐらいリアルに少年の過酷な人生を描いている。画家黒田征太郎のノンフィクションとは知らずに読破してしまった。
信念を貫き夢を実現する人は、やはり所帯を持っちゃいけないのかな。目指す事の為に嫁、子供が犠牲になり本人も生活も困ってゆく。やりたくない仕事をして生活が安定するのと、好きな仕事をして貧乏をする、両方を上手に描き、決して上手くいかない人の生き方を深く考えさせられるストーリーだ。何回も職を変えて自分を見つけ出そうとする姿勢は、現代の若者も共感する部分が多いだろう。特に船乗りの部分が楽しい。当時の生活、風俗が鮮やかに浮かび上がり愉快に読めた。それにしてもこの画家は凄い。よく生き抜いて成功したな。16歳で家出して船乗りになる。それもベトナム戦争に従事する軍船。戦闘に巻き込まれたり、嵐で積荷のワイヤーが切れて人が切断されたり、とんでもない仕事だ。当時の若者のハングリー精神が成す仕業だろう。私にはとてもそんな勇気はない。米国にも単身で乗り込む。住み込みで人種差別をされ、サルのようにこき使われながらも自らを見失うことなく、絵の才能を伸ばしていく。そしてついに、ニューヨークで認められる。体験した人でなければ分からないような生活がこれでもかと出てくる。梁石日の本って面白いな!今後、全ての作品を読んでみるよ。